華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Night They Drove Old Dixie Down もしくは華氏65度の冬 (1969. The Band)

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いきなり、長い話から始めることになるのだけれど。

1992年にボブ・ディランがデビューから30周年を迎え、その記念コンサートがNHKで放映された時、中学生だった私は偶然テレビの前に座っていた。そして「オージェイズ」というものすごくかっこいい黒人のおじさんたちの熱唱の後、エリック・クラプトンに紹介されてステージに上がってきた「ザ・バンド」という名前のバンドに、なぜか心を惹かれるのを感じた。

インターネットも携帯電話もない時代だったから、店でCDを買うのはいつも一種の冒険であり、賭けだった。その人たちがステージで歌ったのは「マスターピース」という曲だったが、その曲の入った「ザ・バンド」のCDは見つからなかった。何十分も悩んだ挙句、私は、決心して、ボブ・ディランとザ・バンドの連名で棚に並んでいた "Before the Flood"(邦題「偉大なる復活」)という二枚組のライブアルバムを手に取った。それが私が最初に買った洋楽のCDとなった。そしてその10曲目に入っていた「オールド・ディキシー・ウン」という曲に、14歳の私は文字通り魂を奪われてしまった。

あえて「文字通り」と書いたのは、そのとき奪われた自分の魂が20年以上たった今でも本当にそれきり戻ってこないからである。地の底から岩盤がせり上がってくるようなドーンという重いピアノの音にエッと思う間もなく、古老のような声をした男性が朗々と物語を語り始めた。英語なんて何もわからなかったけれど、その男性が力強くうたいあげているのが何かとても大切な歴史に関する物語であることは、声とメロディでハッキリと分かった。そして物語が一段の区切りを迎え男性が声を絞りあげたその時、生まれてから一度も耳にしたことのなかったような圧倒的なコーラスが私の全身を呑み込んだ。あのとき何が起こったのか今でも考え込んでしまうような、それは、体験だった。


The Band - The Night They Drove Old Dixie Down

 (リンクはそのCDでのパフォーマンスから2年後に開かれたザ・バンドの解散コンサート「ラスト・ワルツ」での"The Night They Drove Old Dixie Down"の演奏)

どんな物語が、さっきの歌では歌われていたのだろう。私は夢中で歌詞カードを広げた。そこに書かれていた日本語歌詞は、今はもう手元に残っていないのだけど、こんな内容だった。

名前はヴァージル・ケイン
ダンヴィル鉄道で働いていた
「石男」のキャバリーが来るまでに
僕はまたトラックを一台壊してしまった
華氏65度の冬の中
僕らは腹ぺこで ただ生きてるだけ
うまくやろうとしたけれど
リッチモンドは転がり落ちた
あの時のことは 本当によく覚えている
 
彼らが古いディキシーの街にやってきた時
鐘が鳴り響いていた
彼らが古いディキシーの街にやってきた時
人々は歌っていた
ラ、ラ、ラ、 ラ、ラ、ラ...

...何て謎に満ちた荘厳な歌詞なのだろう、と私は思った。二番の歌詞にロバート・E・リー将軍の名前が出てくることや、ディキシーという地名から、歌われているのは南北戦争時代のアメリカの話なのだろうなということは、中学生なりの知識で私にも分かった。

ダンヴィル鉄道というのがどんな会社で、「石男のキャバリー」というのは何者なのか。歌詞カードを睨みつけても一向に分からなかったが、ひとつひとつの言葉は限りなく私のイメージを膨らませた。とりわけ「華氏65度の冬」という言葉は、100年前のアメリカの空気をそのまま運んできてくれるようで、私のお気に入りだった。そして、圧倒的なサビの歌詞である。

ディキシーの街に、英雄たちがやって来たんだ。疲れ果ててボロボロになった姿で、それでも信念に目を輝かせて、古いディキシーの街にやって来たんだ。私は歌詞をそう理解した。傷ついた英雄たちを迎えるために、人々が家の窓や教会の屋根に鈴なりになって、手を振っている。歌声が響き、紙吹雪が乱れ飛び、鐘がリンゴンリンゴンと打ち鳴らされる。時間は薄暮。そんなヒロ・ヤマガタの絵に描かれたようなディキシーの街の光景が、私の脳裏にくっきりと浮かんだ。そしてその映像は「オールド・ディキシー・ウン」を聞くたびにますます活き活きと頭の中で再生されて、いつしか私の十代と切っても切り離せない心の風景に変わっていった。

だが、その日本語歌詞には疑問もあった。華氏65度というのはセッ氏で言うと何度ぐらいになるのだろうと思って調べてみたところ、ものの本には「18.3度」と書かれていたのである。どんな厳しい冬をヴァージルたちは過ごしていたのだろうと思っていたのだけれど、実際には長袖だと汗ばむぐらいの陽気だったことになるわけで、空きっ腹を抱えて寒さに身を寄せ合っていなければならないはずの彼らの姿とはどうもビジュアル的にフューチャーしない (←こんな表現が流行っていた時代も、もう20年も昔の話になるわけですね)

またCDを買った当初、私はカタカナのタイトルを読んで曲名を「オールド・ディキシー・ウン」と覚えていたのだが、英語の歌詞カードを見るとハッキリ"The Night They Drove Old Dixie Down"と書いてある。1ヶ所だけでなく全部の箇所がそうなっているから、誤植でもないらしい。"Old Dixie Town"なら和訳は「古いディキシーの街」で何も問題はないのだけれど、Downだったとした場合このDownはどこに行ってしまったのだろうか。訳詞の中にdownにあたるような言葉が見当たらないことには、何かわけでもあるのだろうか。

…とはいえ、そうした小さな疑問は、作品から自分が受けるイメージの大意を損なうものではないだろうと、当時の私は考えた。「華氏65度の冬」という表現は確かに謎だが、宮沢賢治も「サムサノ夏ハオロオロ歩キ」という、我々近畿地方出身の人間には一見わけのわからない文章を書いていたではないか。小学生時代の私は「これは印刷の間違いではないのか」と教師に食ってかかったりしていたものだったが、実はそれは冷害という東北地方の人にしか分からない災害の正しい描写であったわけで、「華氏65度の冬」もそれと同じように、我々日本人には窺い知ることのできないようなアメリカ南部特有の自然条件を表現した、その地ならではの言葉であるに違いない。またTownとDownの問題にしても、Townという言葉が抜けたところで「ディキシー」が「街」であるという事実に変わりはない。onとかinとかdownとかの細かい意味や使い分けで悩まされるのは、テストの時だけで沢山だ。歌の良さを知るというそれだけのために、そんなことを全部覚えなければならない必要がどこにあるだろう。テストの英語はボロボロでも、私はこの歌を好きなのだ。それで充分ではないか。

考えることをやめてしまったわけではないが、それ以上調べようにも当時の私には資料がなかった。学校の英語教師は私のことを嫌っていたし、それを除けば英語が読めて私の疑問に答えてくれる人など周囲には一人もいなかった。疑問は疑問として胸の中にわだかまり続けていたけれど、来る日も来る日も"Old Dixie Down"を私は聞き続けた。そしてそのたびに心の中にいっぱいに広がるヒロ・ヤマガタの絵の風景の中に、たゆたい続けていた。幸せな時代だったのだと思う。ある意味で。私にとっては。今にして思えば。

そしてーこの私の最初のブログ記事はいまだに本題にさえたどりついていないのだけどーそれから10年の歳月が流れる。

親元を離れ、新しい土地で暮らしていた私は、久しぶりにのぞいてみる気になったあるCD店で、"Old Dixie Down"の入ったザ・バンドの2枚目のアルバム (通称The Brown Album)のデジタルリマスター版が売られているのを見つけた。買って聞いてみると音はすごくいいし(実際、昔のCDはどうしてあんなに小さな音で録音されていたのだろうと、素直に時代が変わったことを感じた)、ボーナストラックもたくさん収録されているしでとても満足したのだったが、封入されていた歌詞カードの日本語訳(もちろん21世紀になってから新しく書かれたもの)を見て、私は言葉を失った。これも今では手元に残っていないのだけど、そこに書かれていた"Old Dixie Down"の訳詞は、以下のような内容だったのである。

ヴァージル・ケインが俺の名
ダンヴィル・トレインに従事してた
ストーンマンの騎兵隊がやってきて
線路を再び壊してしまうまで
1865年の冬
俺達は空腹でようやく生きていた
5月10日には
リッチモンドが陥ちた
あの頃のことは
今でもよく覚えているぜ
やつらがディキシーを打ち負かした夜
鐘が鳴っていた
やつらがディキシーを打ち負かした夜
みんなは歌っていた
ナ、ナ、ナ、ナ、と…

…何なのだこれは、と私は思った。率直に言って気を悪くした。まず第1に、この訳詞を書いた人間の日本語のセンスはあまりにひどいと感じた。どうして「俺の」なんてつけるのだろう。「名前はヴァージル・ケイン」で充分なのに。そしてまたどうしてヴァージルが「俺」とか「ぜ」とか言う人間だと、勝手に決めつけるのだろう。私の中のヴァージルは、決して弱い人間ではないけれど、自分のことを「ぼく」と呼ぶ繊細な青年だった。少なくとも10年間、そう思い続けてきた。それを簡単にぶち壊してくれたこの訳者の無造作な言葉の選び方に、私は怒りに近い感情を覚えた。

文体以上に問題なのは、内容である。同じ歌の訳詞がこれほどまでに違っているということが、あるものなのだろうか。「石男」も「華氏65度の冬」も出てこない。人名だと思っていたリッチモンドは「陥ち」ている。「騎兵隊」や「線路」って、何なのだ。こんなの、全然"Old Dixie Down"じゃない。ヒロ・ヤマガタの絵も浮かんでこない。「打ち負かした」だって? 私が「英雄たち」だと思っていたあの"They"は、ディキシーの人たちにとっては「侵略者」だったというのだろうか。

 だが、冷静に考えてみると、好きになれないその訳詞にも納得させられる部分はあった。(ここからは英語詞と照らし合わせての検証になりますので、原詞へのリンクを貼っておきます)。

The Night They Drove Old Dixie Down


私はそれまで"Before the Flood"の訳詞だけを頼りに、"In the winter of '65"というシンプルな英語の歌詞は「華氏65度の冬」を意味しているのだと思い込んでいた。だがこれを「1865年の冬」と解釈するなら(よく見ると、6の字の前にちゃんとアポストロフィがついている)、年表を見ると確かにその年に南部連合の首都だったリッチモンドの街が陥落し、南北戦争が終結している。史実と合っているのである。リマスター版の訳詞者の日本語センスがめちゃめちゃであることは譲れないにしても、詩の解釈としてはこの人の方がいい線を行っているのかもしれない。しかしだとすると。だとするとだよ。「華氏65度の冬」はどこに行ってしまうのだろう。初めから存在しない、幻だったということになるのだろうか。

21世紀に入ってからもずっと毛嫌いしていたインターネットというものに私が向き合うようになったのは、それからだった。そして世の中は「調べれば何でもわかる時代」を迎えていたのだということを、その時になって初めて知った。まず、世界にはザ・バンドを好きな人がこんなにもたくさんいたのかという事実に圧倒された。そしてその人たちの情熱によって蓄積された、一生かかっても読みつくせないほどのザ・バンドに関する情報量に圧倒された。当初私はザ・バンドのことを調べるためにしかインターネットを使っていなかったけれど、自分が「マイナー」だと決めつけていた他のどんなバンドやアーティストについてもそのことは同じだった。私は英語を専門に勉強した人間ではないし、外国に行った経験もないから、英語で書かれたサイトは一読しただけでは何が書いてあるのかほとんどわからない。それでも時間さえかければ、たいていのことはわかるものなのだということも、わかってきた。そして14歳の時から抱えていた"Old Dixie Down"に関する幾多の疑問も、そのほとんどはあっさりと解決された。もっともそのことは私自身にとっては、ずっと大切にしてきた宝物を失うに等しいような経験でもあったのだけれど。

Peter Viney: The Night They Drove Old Dixie Down

  • (90年代から一度も変わらないデザインで、ザ・バンドに関する膨大な情報を提供し続けてくれているアメリカの公式ファンサイト。日本で発売されているアルバムの歌詞カードには誤植があるから気をつけろと、ここにはちゃんと書かれていた。ただし英語で)

「ダンヴィル鉄道」とは何だったのか。南北戦争の際に南部連合の生命線となっていた軍用の補給線路だった。ヴァージル・ケインは単なる鉄道員ではなく、南軍の兵站を担当する準戦闘員だったのだ。それが北軍のストーンマン将軍率いる騎兵隊によって破壊され、南軍の敗北は決定的となる。(人名だと思っていた「キャバリー」はcavalry=騎兵隊で、「石男」と書かれていたStonemanが実は人名だった)。trackは車のトラックではなくもちろん線路のことだ。「うまくやろうとしたけれど」という謎のような言葉がなぜ「5月10日」に変わるのか。日本語の歌詞カードを作った人間は"By may tenth""I made attempt"と聞き間違えたらしいのである。"drive down" はドライブするという意味ではもちろんなく、けったくその悪い話だがやはり「やっつける/打ち負かす」という意味だった。そして「ディキシー」とは固有の街の名前ではなく、南部諸州の全体を表現する言葉だったのだという事実も、私が初めて知ったことだった。それにつけても90年代の私が抱きしめるようにして大事に反芻してきたあの歌詞カードは、一体どれだけデタラメな代物だったのだろう。ほとんど「名前はヴァージル・ケイン」しか合っていないではないか。

それでもやはり、どんな人なのかは知らないけれど、ヴァージルにオレとかダゼとか言わせるようなあんな訳者に"Old Dixie Down"の和訳を任せていい気にはどうしてもなれない。自分が守り続けてきた歌のイメージが幻だったというのなら、その幻はせめて自分の手で葬ってやりたい。そんな思いで私が作ったのが、以下の訳詞である。それから洋楽歌詞の翻訳は、私にとって単なる趣味とはもはや言えないような、人生の大きな部分を占める作業に変わって行った。それは一言で言うなら、青春に決着をつけるために必要な作業なのだ。

そしてようやく本題に入ることができるのだが、私はそんな風に「だまされてきた」自分のような経験を、後に続く世代の人たちには絶対に味あわせたくない。他に洋楽和訳サイトやブログは山ほどあるけれど、自分勝手な解釈ではなく、歌を作った人の気持ちになってそのメッセージを正確な日本語で伝えるということに私はこだわりたい。そして何より、私自身が歌の解釈に行き詰まった時に、誰かに相談できる場所がほしい。そう考えたことが、今回私がブログを開設することを思い立ったそもそもの理由なのである。だから私にとってその第1回目は、どうしてもこの"The Night They Drove Old Dixie Down"でなければならない理由があった。まずは、読んでみてほしい。そして、疑ってみてほしい。本当にこの訳詞は「正しい」のだろうかと。「華氏65度の冬」の幻想が打ち砕かれてから新しい10年が過ぎた今でも、私はいまだに自分がこの歌と「正しく」向き合えているかどうか、正直に言って自信が持てずにいる。しかし私がそれを自分の中にだけしまい込んでいる限り、いつまで経ってもそのことは検証されようがないのである。

The Night They Drove Old Dixie Down

その夜 やつらは古き良きディキシーを滅ぼした

英語原詞はこちら


名前はヴァージル・ケイン。
ダンヴィル補給鉄道で
任務についていた。
ストーンマン将軍の騎兵隊が来て
線路を再び破壊して行ったあの日まで。
1865年の冬
僕らは腹ぺこで
ただ生きてるだけだった。
5月10日までには
リッチモンドが陥落した。
あの時のことは ああ
今でも本当によく覚えてる。

その夜やつらは
古き良きディキシーを滅ぼした。
そして鐘が鳴り響いていた。
その夜やつらは
古き良きディキシーを滅ぼした 。
そして大勢が歌っていた。
ラーラララララ、
ララーララーララーララーラァと。

連れ合いと一緒に
テネシーに戻ったある日
彼女が僕のことを呼んだ。
「ヴァージル、早く来て見てごらん、
ロバート・E・リーが行くよ!」
僕はもう何も気にしない。
ただ木を切ってる。
受け取る金が粗悪なやつでも
気にならない。
親方のあんたは
欲しいだけ持って行くけど
余った分までは取りあげない。
でもやつらは
絶対に奪っちゃいけないものまで
奪って行ったんだ。

その夜やつらは
古き良きディキシーを滅ぼした。
そして鐘が鳴り響いていた。
その夜やつらは
古き良きディキシーを滅ぼした 。
そして大勢が歌っていた。
ラーラララララ、
ララーララーララーララーラァと。

先に逝った父さんのように
僕は土に生きる。
反乱に立ちあがった
天国の兄さんのように生きる。
まだ18歳だったのに
誇り高く勇敢だった。
けれど1人の北軍兵士が
その兄さんを墓穴に眠らせた。
足元の泥に僕は誓う。
ケインの一族はカインの末裔。
打ち負かされた者を
よみがえらせることはできない。

その夜やつらは
古き良きディキシーを滅ぼした。
そして鐘が鳴り響いていた。
その夜やつらは
古き良きディキシーを滅ぼした 。
そして大勢が歌っていた。
ラーラララララ、
ララーララーララーララーラァと。

…本当ならば一行ごとになぜその言葉を選んだかを解説したいところだし、次回からはそうするつもりでいるのだけれど、今回は本題にたどりつくまでがあまりに長かったので、試訳を掲載するだけにとどめたい。ただ説明が必要だと思われる部分にだけコメントすると、5月10日にリッチモンドが陥落したとあるがこれは作者のロビー・ロバートソン自身の間違いで、実際は1865年4月3日だったとのこと。"I don't care if the money's no good" は「給料が少なくても気にしない」という意味かと思うけど、これは南北戦争後に南部に流通した貨幣の質が非常に粗悪で、しばしば市場で役に立たなかったそのあたりの事情について歌った歌詞なのだとのこと。"You can't raise a Caine back up"はこの歌の中で一番難しい部分なのだけど、アメリカでは子どもが悪さをすることなどを「地獄のカインを起こす」という言い方で形容することがあるのだそうで (カインとは旧約聖書に出てくる「人類最初の殺人者」。弟のアベルが神から愛されていることをねたんで思わずその弟を殺してしまった、アダムとイブの息子)、ここではそれと「ケイン」の名前が引っかけられているのだとのこと。以上のような情報を加味して試訳したのが上記の日本語歌詞であることを、お含み頂ければ幸いに存じます。

18歳で死んだのがヴァージルの兄だったのか弟だったのか、サビの部分で鳴り響く鐘は北軍の勝利の鐘だったのか南軍の弔いの鐘だったのか、"people were singing"についても同じことですが、そういったいくつかの問題についてはアメリカのファンの間でもいまだに論争が続いており、「正解」はないと考えて良さそうです。ですから飽くまで私の解釈を、ここには掲載しました。いずれにしても「華氏65度の冬」の幻の記憶を、幻のままではあれこうした形で他の人の記憶にも残せるような文章を書けたことに、今の私は満足しています。

最後まで読んでくださった方へ。
本当にありがとうございました。

ブログというものを書くのは初めての経験でしたが、継続して行くことができるなら次回以降は原詞の分析を中心としたもっとシンプルな内容にすることを、心がけて行きたいと思います。

ではまたいずれ。


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The Night They Drove Old Dixie Down

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