華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Hateful もしくは憎むべきこと (1979. The Clash)

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ザ・クラッシュと私の出会いについては、長々しくは話さない。初めて好きになった人が初めて貸してくれたCDがクラッシュの「ロンドン・コーリング」だったのだから、私がそれを好きにならないわけがなかった。このアルバムに入っている曲は今でも全部好きだ。"London Calling"も好きだし"Roudie Can't Fail"も好きだし"Spanish Bomb"も大好きだけど、一番好きなのは"Death or Glory"から"The Card Cheat"へと駆けのぼる怒涛の3曲をヘッドホンなしで聞くことだ。ただし、今回このブログで紹介するのは"Hateful"という割と目立たない曲である。なぜこの曲を紹介するのかといえば、ここにもやはり「誤訳に関する忘れられない思い出」があるからに他ならない。


Hateful - The Clash(GOOD QUALITY)

Hateful

むかつく

英語原詞はこちら

「友だちができたんだけどね」
「どんなやつ?」
「さびしさを忘れさせてくれる
   おれにとっては1人だけの友だちで
   おれに必要なものを
   そいつはおれにくれるわけ」
「必要なものって?なに?」
「おれがめちゃめちゃほしいやつ」

ああ
おれのほしいものを何でもあいつは与えてくれる。
ほしいものを何でもあいつはおれにくれる。
でもタダじゃない。
それがむかつく。
とはいえそのことさえ解決されるなら
どこにも居場所がなくなったって
おれはもう全然気にならない。

「今年は友だちがいなくなっちゃった」
「いなくなった?どんな友だち?」
「おれにもわからない 実は全然気づいてなかった」


「あのさ。おれ、もっぺん行こうと思う」
「もっぺん?」
「そうだよ 大事なやつに会わなくちゃ」

おれのほしいものをあいつは何でもくれる…

「おれ、神経ボロボロになっちゃった」
「神経?どこがやられたの?」
「何もかも、ちゃんとやれなくなるんだ。
   もう、完全にそうなっちゃった」


「おれ、記憶がなくなっちゃった」
「心がやられるわけ?」
「気をつけろよ。
   おれ、もう、ハッキリものが見えない」

おれのほしいものをあいつは何でもくれる…
 
 swerve 急に曲がる、脱線する、逸脱する(こと)

歌のサビの"Anything I want he gives it, but not for free"という歌詞の意味は、「華氏65度の冬」「自由のスプラッシュ」の場合と違い、高校生だった私にも聞いただけでスッと理解できた。ちょうどそのとき英語の授業で、「for free=タダで/無料で」という熟語を習ったばかりだったからである。ところが歌詞カードを開いてみると、あにはからんや全然ちがったことが書かれていた。

俺の友達。欲しいものはすべてくれるよ
自由以外はね
これはどうにも憎むべきことだけどね。

 …一瞬、自分が間違ってるのだろうかと思った。しかし、歌をよく聞いて、他の歌詞もよく読んで、じっくり自分で考えて、私は確信した。これは絶対、歌詞カードの方が間違っているのだ。

そもそも「自由」というのは、「人から与えてもらうもの」なのだろうか?かつまた、それでいいのだろうか?しかもこの歌の主人公の言っていることからして、彼は自分のほしいものを「友だち」から何でも融通してもらっている。そんなやつに、自由がほしいとか何とか口にできるような資格が、果たしてあるのだろうか?自分が自由でないことを自覚しているくせに、自分から動こうともせず、他人に依存しきって暮らしている時点で、その姿勢は既にロックンローラーの風上にも置けないものなのではないのだろうか?ジョー・ストラマーと出会ったのはそのCDが初めてだけど、彼はどの曲も本当に力強く堂々と歌っている。その彼が歌っているのが、そんな甘えた内容の歌だと言われても、到底信じる気にはなれない。

さらに言うなら、「自由を奪われている」とそいつが感じている以上、奪っている相手は彼にとって支配者とか抑圧者とか言うべき存在なわけである。「20世紀少年」ならいざ知らず、そういう相手を「友だち」と呼ぶようなことが、果たしてありうるだろうか?「20世紀少年」にしたって、「ともだち」を「ともだち」と呼ぶのは、自分が支配され抑圧されている事実を受け入れていない人たちである。自分の自由を奪っている存在を「友だち」と呼ぶのは、日本語の使い方としてやっぱりあり得ない。もしも「友だち」が彼の自由を奪っている当事者でないのだとしたら、その相手が「自由をくれない」ことを"Hateful"だと言うのはなおさら筋が通らない。そしてこの「友だち」というのも、他の部分の歌詞を読む限り、どう考えてもそんなに「大した」やつだとは思えない。浮かんでくるのは明らかに、麻薬の売人とかそういう人間像である。そんなやつに「自由」を求めて、一体何になるというのだろうか。

(↓20年後に読んだ下記のサイトには、この歌が「アンチ・ドラッグ」の歌であると、やはりハッキリ記載されていた。また2番の歌詞に出てくる「失われた友人」は、ジョー・ストラマーの親友だったセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスをさしているということについても、言及があった)

Hateful by The Clash Songfacts

そして最後の「どうにも憎むべきことだけどね」である。こんなこと言うやつ、実在するんだろうか?してもいい。したとしよう。けれどもそいつは本当にそれを「憎むべきこと」だと思って、そう言ってるのだろうか?絶対に、思ってない。現実に屈服して、完全にそれを受け入れてしまっているくせに、カッコつけのためだけにそう言ってみせているだけの言葉だとしか、どう好意的に解釈しても受けとめようがない。何よりそう言ってみせればそれがカッコつけになると考えているその根性自体が、救いがたい。"Hateful"はこの歌のタイトルなのである。そのタイトルの中味がそんな薄っぺらいものでしかないのだとしたら、この歌は本当に、どうしようもない歌だということになってしまう。

私が自分の耳を通じて聞いたこの歌は、決して自由を求めるとかいったような「大それた」歌ではなかった。しかし歌っている人たちが本気で"Hateful"だと思っていること、つまり、むかついていること、だからこそこの歌を歌っているのだということについては、疑う余地がなかった。この人たちは決して、絶望を自己合理化するために歌っているわけではない。飽くまで、戦うために歌っている。

ほしいものなら何でも手に入る。しかしタダではない。それがむかつく。そういうむかつきの内容に対しては、私はものすごく共感を感じた。ほしいものがタダでは手に入らないという「憎むべき」現実は、自分がほしいもののすべてに値段がついているという「憎むべき」現実をも同時に指し示している。そのことは自分がほしいと思っている対象それ自体をさえ、ともすれば無価値なものに変えてしまうし、また自分がそれを手に入れようとする行為をも、空しいことに変えてしまう。(だからこの歌と対極のことを歌っているのが、RCサクセションの「宝くじは買わない」なんだろうな、と最初に聞いたとき私は思った)。ジョー・ストラマーがそういうことを考えてこの曲を書いたのかどうかは、知らないよ。アンチ・ドラッグをテーマにした歌である以上、「タダじゃない」というのは自分の身体が蝕まれていくという「代償」について歌っていることなのかもしれない。しかしいずれにしても、「世の中にはほしいものなら何でもそろっているのに、それがタダでは手に入らない」ということがHatefulなのであって、それがこの歌の核心をなすメッセージなのである。この歌はそれだけの歌なのだ、とも言える。しかしそのむかつきは飽くまで本物のむかつきであり、本物のむかつきである以上、最後には資本主義のシステムを引っくり返してもさらに止まることを知らないようなエネルギーが、そこにはみなぎっているのだ。

しかしもしもこの歌が、日本語訳詞を作った人間が解釈しているような形での「自由を求める歌」だったのだとしたら、私はその内容には丸っきり共感できない。「自由を求める」という言葉だけは勇ましくても、その「自由」の中味は薄っぺらいし、それを求める気持ちの中味も薄っぺらいし、それが手に入らなくてHatefulだという気持ちの中味もひたすら薄っぺらいものでしかない。だが考えてみよう。歌詞カードに書かれているのは飽くまで「翻訳された言葉」である。その薄っぺらさはつまるところ、歌詞を翻訳した人間自身の薄っぺらさが表現されているだけの話なのであって、ジョー・ストラマーが薄っぺらな人間であるという話には全然ならない。にも関わらず、それが大手レコード会社が太鼓判を押したクラッシュの「公式」和訳であるという事実は、翻訳者の薄っぺらさをあたかもアーティスト自身の薄っぺらさであるかのごとく見せかける情報操作を可能にしてしまう。そこにおいて"not for free"自由以外」と誤訳した翻訳者の行為は、何重にも罪深さを重ねていると言えるだろう。「自由以外」と言いたいなら"not for freedom"と言うはずだといったような文法的な話は、もはや5番目くらいに大事な問題でしかない。英語の苦手な人間が洋楽を翻訳したって、ちっとも構わないと私は思う。Hatefulなのは、薄っぺらな人間がクラッシュの言葉を借りて自分を語ろうとしていること。その一点につきるのである。

いずれにしてもこの経験を通じて17歳だった私が痛感したのは、翻訳というのは恐ろしいものだということだった。そしてそれからは、歌を聴く前に歌詞カードを見ることは絶対にやめようと心に決めた。どんな印象操作を受けるか、分かったものではないからである。もしもロンドンコーリングを聞いたのが英語で"for free"を習った直後でなければ、自分は一生ジョーストラマーのことを薄っぺらな人間だと勘違いしたまま人生を送ることになっていたかもしれない。だがそれ以上に恐ろしいと感じたのは、翻訳された文章には翻訳した人間自身の思想性や人間性が、どう隠そうとしたってハッキリ表れてしまうものなのだ、という事実だった。その自分が今、洋楽和訳を専門にしたブログを作るという無謀な試みに踏み込もうとしている。「語るに落ちる」誤りを犯してしまうことは、自分自身にとっても避けられない形で何度も起こることになると思うが、少なくともひとつひとつの翻訳に対し、真剣勝負で臨んで行きたいと思っている。もって他山の石としたい。


…それにつけても、「タダじゃないのがHateful」という核心部分については間違っていないことを確信しているが、この歌の翻訳は正直とても難しかった。とりわけ3番の訳詞に関しては、自分でも全然自信がない。

この歌はジョーストラマーとミック・ジョーンズが「掛け合い」をする形で歌われていて、だから訳詞も会話文の形をとったのだが、"Well, I got a friend who's a man"(友だちができたんだ)とジョーが言うのに対しミックが"What man?"(どんなやつ?)と返しているそのあたりに関しては、たぶん間違った解釈はしていないと思う。しかし3番では、ジョーが "I've lost my memory"(記憶をなくしちゃった)と言っているのに対し、ミックは"my mind?"(直訳するなら「私の心」)という言葉を返している。ここでどうして"my mind"という言葉が出てくるのか、本当に分からない。"your mind"ならまだ分かる。ジョーが記憶をなくしたのは、心の問題だから。それがどうして"my" mindになるのだろう。誰か説明できる人がいたら、教えてもらいたいと思う。また"I can't drive so steady"について、「何もかもちゃんとやれない」と訳したが、ここは文字通りに「車の運転がうまくできなくなった」ということを言っている可能性もある。他にも"main man"という言葉について、正確なイメージは全く浮かばないし、その上の"Again?"に対する"My friend"という切り返しの意味や内容にも、全く確信が持てない。分からないことだらけなのだけど、ここで正確な翻訳を完成させない限り、ネット上で確認できるこの歌の和訳は、あのけったくその悪い「自由以外はね」しか見つからないのが現状なのである。心ある皆さんの協力を呼びかけます。


「一番好きなバンドは?」と人から聞かれるたびに、「ザ・バンドとドアーズとクラッシュ。どれが一番好きかは決められない」と私は答えてきた。だからこの3つのバンドからブログを始めることは、飽くまで私個人にとってでしかないけれど、とても重要なことだった。3回目の今日をもって、序章は終わりである。明日からは、文字通りの海図なき航海に踏み出すことになる。末長くお付き合い頂ければ幸いです。ではまたいずれ。 


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