華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Ruby Tuesday もしくは赤石加代子さん (1967. The Rolling Stones)

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いろんな人が、この歌を歌うのを聞いてきた。母の好きだったジュリーが。恋人のお母さんの好きだった清志郎が。U2が。コアーズが。スコーピオンズが。その人たちがこの歌を歌うのは決まって、情熱のすべてを吐き出すような激しい歌を歌い終わった後だった。それぞれの人たちにとって、この歌は聖なる歌なんだろうなと私は感じてきた。私にとってもやっぱり、聖なる歌だ。でもその歌詞は、見たところ難しい言葉はひとつも使われていないのに、ずっと私には難解だった。今年この月このときに私がこのブログを始めることを決めたきっかけは、この歌の意味がやっと本当に分かったからである。それに至るまでにはいくつもの出会いが、私には必要だった。


the rolling stones - ruby tuesday - stereo edit

RUBY TUESDAY

ルビー・チューズデー

英語原詞はこちら

自分がどこから来たのか 彼女は決して話さなかった。
いちど過ぎ去ってしまえば 昨日なんてもう関係ない。
太陽が照らす昼間も いちばん暗い夜の中でも
誰も知らない。彼女がどこから来て どこへ行くのか。

さよなら ルビー・チューズデイ。
誰がきみに名前なんてつけられるだろう。
きみは毎日変わっていくのに。
ぼくは今でもきみを想い続ける。

どうしてそんなに自由でいなくちゃいけないのかなんて
彼女にそんなことは聞くもんじゃない
そうするしかないからだってきっと彼女は言うだろう。
何も手に入ることがないから何も失うことがない
そんな虚しさを代償として支払い続ける人生に
彼女は縛られていることなんてできないんだ。

さよなら ルビー・チューズデイ。
誰がきみに名前なんてつけられるだろう。
きみは毎日変わっていくのに。
ぼくは今でもきみを想い続ける。

「無駄にしていい時間なんてない」
彼女がそう言うのを聞いた。
夢なんてどんどん通り過ぎては死んで行くんだから
その前に捕まえなくちゃ。
夢をなくしたら心もなくなっちゃうよ。
人生って、薄情なものだと思わない?

さよなら ルビー・チューズデイ。
誰がきみに名前なんてつけられるだろう。
きみは毎日変わっていくのに。
ぼくは今でもきみを想い続ける。

italkiという言語交換サイトを知ったのは、去年のことだった。言語交換サイトとは何かということ自体、私も最初は全然知らなかったのだけど、例えば英語を勉強したい日本人と日本語を勉強したいイギリス人が互いに出会って、教えあったり交流したりできるような場を提供してくれるサイトのことである。英語なら英語で、中国語なら中国語でこういう表現は何と言えばいいんですかと質問すれば、たちまち何人もの人が親切に教えてくれるし、自分が書いた英作文を添削して下さいと言って提出すれば、丁寧なコメントやアドバイスがいっぱい書き込まれて戻ってくる。お金は一切かからない。プロの講師に学習相手になってもらう有料のコースもあるようだけど、基本的にはそこに集まっている人たち相互の「学びたい」という欲求にもとづいて成立しているサイトだから、その人たちの善意に頼るだけで、言葉に関するたいていの疑問は解決される。ただし、教えてくれる相手が日本語を知っているとは限らないし、むしろそういうケースは非常に稀なので、本当に細かいことを知りたい時には、質問は基本的に相手の言語で提出しなければならない。

私は「華氏65度の冬」への幻想が打ち砕かれたあの経験以来、主に英語で書かれた外国語の歌を自分の手で納得の行く日本語に翻訳したいという欲求を感じ続けてきたが、自分の英語能力には一貫して自信がなかったし、今でもない。実際に使った経験が、ほとんどなかったからである。だが、このitalkiというサイトに出会って分かったのは、どんなに「下手」な英語であれ、「自分はこう言いたいんだ」というハッキリした内容さえ持っていれば、伝えたいことは伝わるものなのだということだった。自分がそれを確信したのは、日本語を学ぶためにそのサイトに来ている人たちが、どんなに下手でも堂々と日本語で自分の気持ちを表現しようとしているその姿に触れたことを通してである。確かに漢字はデタラメだし、テニヲハは抜けてるし、単語の選択は不自然だったりするけれど、その人たちが言いたいことはほとんどの場合、分かるのだ。それと同じように、多少単語の順番が違っていようが、aやtheが抜けていようが、過去形にすべきところが現在形になっていようが、伝えたい内容さえハッキリしていればそれは伝わるものだし、実際に自分のデタラメな英語は英語話者の人たちに対しても立派に通じた。どこがデタラメであるかはいっぱい指摘されたけど。

それでちょっとだけ自信のついた私は、自分が一番長いあいだ格闘してきた難問中の難問であるこの「ルビー・チューズデー」に関する質問を、思いきってこのサイトでぶつけてみた。聞きたいことは7つあった。

Q1: "She would never say where she came from" これは彼女が自分がどこから来たのかを「言わない」と訳すべきなのか?それとも「言わなかった」と訳すべきなのか?(時制の問題)

Q2: "No one knows, she comes and goes" これは「彼女がどこから来てどこに行くのかを誰も知らない」と訳すべきなのか?それとも「誰も知らない間に、彼女は現れては消えて行く」と訳すべきなのか?

Q3: "Who could hang a name on you?" これは「誰にもきみに名前をつけられない」と訳すべきなのか? それとも「誰にもきみの名前を呼ぶことはできない(したがって僕にも)」という意味なのか?

Q4: "When you change with every new day"
...何でここに"when"が出てくるのだろうか?  "while"や"whenever" なら、分かる気もするのだけれど。

Q5: "She just can't be chained to a life where nothings gained" ...ここは私にも分かる。しかしその続きはどう解釈すべきなのだろう?"And nothings lost, at such a cost" というパートは、歌詞のどの部分にどういう文脈でつながっているのだろうか?

Q6: "Catch your dreams before they slip away"...これは誰の言葉と解釈すべきだろう。ミック?ルビー?

Q7: "Dying all the time/lose your dreams and you will lose your mind/Ain't life unkind?"...ここが一番わからない。そもそもこの文章はいくつのセンテンスでできていて、どこで区切ればいいのだろう?

…多くの日本のウェブサイトが違った解釈を競い合っているけれど、真実はひとつしかないはずだと思う。英語を母語としている皆さんはこの歌を初めて聞いた時にどう感じたのか、教えて下さい。そう書いて私は質問を提出した。するとすぐに、ストーンズを深く愛する初老の英国人男性から、詳しい回答が返ってきた。その文章はこんな言葉で始まっていた。

私もこの歌が好きだ。しかし君が言うように「真実はひとつしかないはずだ」とは私は思わない。それぞれのリスナーがそれぞれの経験からこの歌を解釈し、それぞれの仕方で感動させられるのだと思う。たとえば、この歌がルビー・チューズデーという名前の少女の歌だという解釈自体、正しいのだろうか?失われた日々についての歌、とりわけ歌い手にとって特別な意味を持ったある火曜日についての歌だと、解釈することもできないだろうか?失われた時や失われた人々に関する記憶。それは歌い手の中でルビーのように輝いている。そういう解釈も可能なのではないだろうか?

…この「そういう解釈も可能なのではないだろうか?」は、私が言うのとはわけが違う。英国人がそう言うのだから、それは明らかに「可能」なのである。貴重な情報だった。回答はそこから、さらに詳しく綴られていた。(内容には、かなりの意訳が含まれています)。

Q1に関しては、「言わなかった」が正解である。Q2に関しては、「彼女がどこから来てどこに行くのかを」人々は知らないと解釈するのが正解である。Q3に関して。これはだね。彼女はTuesdayと呼ばれているけれど、Tuesdayは翌日になればWednesdayになるわけだ。日付が変わるたびに名前も中味も変わって行く彼女に対し、「正しい名前」なんて誰にもつけることはできない、という意味だと私は解釈している。

…これは、私にとって完璧に新しい説明だった。今の今まで "When you change with every new day" のwhenは、ミックが"Still I'm gonna miss you"する時を説明するためのwhenだとしか私には解釈することができなかったのだ。それが実際には、その前の行にかかるwhenだったわけである。TuesdayとEvery new day が「かかって」いたのだという事実にも、言われてみるまでは全く気づくことができなかった。うーむ。やっぱり私は一人よがりな世界に生きてきたんだな。

Q5について。「彼女はそんな人生に縛られることはできない」どんな人生に?「何も手に入らない人生。何も手に入らないということは、何も失うことのない人生」にである。そういう人生に縛られることは、彼女にとってはSuch a cost「高くつく」ことであると言っているわけだ。何も手に入らない人生が「高価」であるというのは一見奇妙に響くが、彼女にとってはそれは自分の人生を代償にすることを意味しているのである。

…素晴らしい説明だなあ。でもそれをシンプルな日本語で的確に翻訳することはとても難しい。「訳文に新しい単語や表現を勝手にくっつけてはならない」という自分に課したルールを破って、私は自分の訳文に「そんな虚しさを」という言葉を一言だけ付け加えた。これでも説明くさくなるから、イヤだなあ。でもこれぐらい書かないと、分からなくなるもんなあ。

Q6.それはルビーの言葉だと考えるのが妥当であろう。Q7について。"Dying all the time"は「夢が次から次へと消えて行く」ことを言っている。だからそれは、消えて行く前に捕まえなくちゃならない。夢をなくせば、心も失ってしまう。人生ってそんなものだ。それって、unkind(薄情/残酷)だと思わない?というのが3番の歌詞の大意である。

…眼が醒めるようですホワイトさん。(ああ、Mr.Whiteというのが相手の名前です)。私はずっとこのDyingは、ルビーかミックが心を蝕まれて死んでるみたいに生きてくことになっていく苦しさを歌っているのだろうと思っていましたよ。いやあ。思ってたのと全然違った翻訳になるなあ。なればなるほどうれしくなるなあ。"Old Dixie Down"の時は自分の解釈を否定されるのが辛くてたまらなかったのに、これって新しい経験だなあ。

…そして最後にそのホワイト氏からは、こんな注文をつけられた。

"Ruby"も"Tuesday"も西洋では実際に少女の名前に使われている言葉だが、同時にその響きを耳にしたとき、我々西洋人の心には「宝石のルビー」と「特別な火曜日」がクッキリと連想されるのである。そこにマジックが生まれる。だからNagi、君にはその感覚を日本人の心にも伝えることができるような、素晴らしい翻訳を作ってもらいたい。

…難しい注文だった。確かにTuesdayとEvery new day の関係に気づかされてしまった以上、そこに込められた意味も説明できなければ翻訳は不完全になる。この歌の場合、致命的に不完全になる。しかし「ルビー・チューズデー」は飽くまで少女の名前なのだ。その「音」を消してしまったら、この歌からは、ハッキリ言って何んにも残んないではないか。

こういう場合、日本語世界でしか通用しない裏ワザとして、歌詞自体は「紅い宝石の火曜日の人」とか何とか翻訳し、その上に「ルビー・チューズデー」とルビを振る、というやり方がある。でもそういうことを自分はやりたくありません。キザだから。私はそう書いてホワイト氏に返信した。そしたら彼からは、いたく興奮した調子の返事がかえってきた。

紅い宝石の火曜日の人!Fantasticではないか。私は思うのだが、Ruby Tuesday という言葉とそれがもたらすマジックを正確に再現できるような日本人女性の名前をNagi、君に考えてもらうわけに行かないだろうか。それこそが本当の翻訳というものだと私は考える。

…それは無茶な注文というものですよホワイトさん、と私は頭を抱えた。抱えた頭に何となく思いついたのは「赤石加代子さん」という名前だった。ルビーだから赤い石。チューズデーだから火曜日で加代子さん。しかし私はその頭をさらにかきむしった。どう考えたってその名前からは、田んぼの真ん中を自転車で買い物に行く農家のおばさんみたいなイメージしか浮かんでこないではないか。弁解がましくなるかもしれないけれど、現実に存在するかもしれない赤石加代子さんや、自分が毎朝あいさつを交わしている農家のおばさんたちのことを侮辱しようというような意思は、自分には全くない。ただ、赤石加代子さんがルビー・チューズデーさんになるのは、ルビー・チューズデーさんが赤石加代子さんになるのと同じくらいに、やっぱり無理のある話なのではないだろうか。ルビー・チューズデーが赤石加代子になったらその人はもはや赤石加代子であって、ルビー・チューズデーではなくなってしまうのではないだろうか。何を書いてるのか自分でも分からないけど、などという高校生が書くような言葉をいい年したオトナである自分が数十年ぶりに繰り返さなければならないのは屈辱でさえあるのだけど、名前って、つまりは、そういうものなんではないだろうか。

ホワイト氏に言わせれば「西洋人はルビー・チューズデーという言葉の響きから宝石と曜日の名前を同時に連想する」ということらしいが、考えてみればそういう感覚って、日本人にはあまり馴染みのないものであるのかもしれない。ジョン・レノンが"Yoko, Yoko, Ocean Child"と歌っているのを聞いた時も、「言われてみれば」としか思わなかったのが私の実感だった。ヨーコという名前の人はいっぱい知ってるけれど、一人一人に対して「この人は太陽の子」「この人は葉っぱの子」とか思いながら付き合っている感覚は私にはない。「道子のミチには美しさもなければ知恵もないねん」というのを口ぐせにしていたミチコを一人知っているけど、それは飽くまで漢字を通して頭に入ってくる情報であって、名前を呼びあっている限りの関係ではミチコはミチコという「音」でしかない。日本人が名前に求めているものは「音」だけで、意味なんて本当はどうでもいい、と言うか「ない」と思っているのが実情なのではないか。というようなことを私は、ホワイト氏とルビー・チューズデーをめぐっての討論を交わすというきっかけがなければ、たぶん一生考えることはなかっただろうと思う。やっぱり、人は、出会わなければならない。

 

…ホワイト氏からはいまだに、ルビー・チューズデーという名前を日本人女性の名前で再現することはできないのかと、せっつかれている。私は赤石加代子さんに代わる新しい名前を考えることはもうとっくにあきらめて、なぜそれが不可能であるかをどう説明すればいいのだろうかということばかりを考えている。とはいえ私にはそんな風にして、手伝ってくれる人がいる。だから自分の翻訳を自分で検証することさえできなかった昔と違って、今ならそれなりの正しさが保証された翻訳を公開することができる。その条件ができて初めてこのブログの開設に踏み切ることができたのだということは、明らかにしておきたい。

みなさんこれからもどうぞよろしくお願いします。

ではまたいずれ。


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