華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

海闊天空 もしくはまた新しい、物語を、生きるよ (1993. BEYOND)

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 このブログのテーマは「うたを翻訳するということ」である。だから当然、英語以外の曲もここでは取りあげる。自分にとって最も大切な3つのバンドの曲を最初に紹介した上で、ストーンズとビートルズを出したその後に来るバンドは、私にとってはBEYOND以外にありえない。

この歌が書かれた場所は日本で、この歌を書いた人は香港人だった。(彼が自分を香港人と呼ばれたいと思っていたか中国人と呼ばれたいと思っていたかについて、いつも私は考える。もちろん私にはわからない)。そしてこの曲を書きあげてからほどなく、彼は日本のテレビ局が企画したふざけた番組の収録中にーーそのふざけた番組を私は実は好きだったのだけどーー舞台のセットから転落して頭を強打し、この世を去った。

彼が話した言葉は広東語で、その歌も広東語で書かれている。広東語は広大な中国大陸のほんの一部の地域で話されている言語にすぎない。けれど20年以上が過ぎた今でも、彼の歌とBEYONDというバンドは、すべての中国語世界において、ヨーロッパの総人口を遥かに超える人々の心と記憶に息づき、なおも生き続けている。

この歌に対して、私は強い思い入れがある。あまり思い入れが強いと、かえって何も書けなくなる。だから今回は、歌詞と対訳だけを掲載したい。ただしこの対訳には、本当に長い時間がかかった。自分でもどう訳していいか分からずにいたところで、香港で生まれ上海で育ち今は日本に来ているある人と出会う機会があり、「私はあの時あの場にいることができなかったけど、私たちはみんなあの時こんな気持ちで歌っていたんだ」というその「気持ち」を、初めて広東語を自分の言葉にしている人の口を通じて、聞かせてもらうことができた。だからこの翻訳は、絶対に「正しい」翻訳である。私の「解釈」は、一切挟まれていない。その人たちは「こんな気持ちで」あの時この歌を歌っていた。それは「こんな歌」なのである。


海闊天空(雨傘運動更新版)

かいかつてんくう

海闊天空

広東語原詞はこちら

がむティン ごぉ
今天我
ほにぇろい ほん しゅっピウご
寒夜裡看雪飄過
わいじょ らんケりうでぃっ さむうぉ
懷著冷卻了的心窩
ピウ ゆんふぉん
漂遠方

この寒い夜
ぼくは舞い散る雪を眺めながら
冷えきった心を抱えて
遠いところをさまよっている


ふぉんゆぃろい じょいごん
風雨裡追趕
もうろい ふぁんばっチェン いぇんじょん
霧裡分不清影蹤
ティンほん ほいふぉっ ねいゆごぉ
天空海闊你與我
ほーうぃぴん
可會變
すぉい むっちょい ぴん
(誰沒在變)

跡形は霧にまぎれて
はっきり分からなくなってしまっても
雨に打たれ風に打たれ
ぼくは追いかけ続けている
果てしない空と海 そしてきみとぼくも
いつかは変わってしまうのだろうか
(みんな変わってしまうもんな)


とーしうチー
多少次
いぇんじょ らんがにゅー じゃうしう
迎著冷眼與嘲笑
じょんむっやう ほうへいご
從沒有放棄過
さむちょんでぃ れいそん
心中的理想

あざけりと冷たい目つきに
何度さらされても
心の中の理想は
捨てずに来たけれど


やっさーな ふぉんふぁっ
一剎那恍惚
ようやう そーさっでぃっ がむごっ
若有所失的感覺
ばっちーばっこ いーびんたむ
不知不覺已變淡
さむろい ごい
心裡愛
すぉい めんばっ ごぉ
(誰明白我)

一瞬の恍惚に
何かを失ってしまった気がする
知らず識らずのうちに
色褪せてしまった
心の中の愛
(ぼくの気持ちが誰に分かるだろうか)


ゆにょ ごぉ じぇ やっさん
願諒我這一生
ばっけいふぉんじょん ごい じーやう
不羈放縱愛自由

ぼくのわがままを許してくれないか
一生誰にも従わず
気ままにがむしゃらに
自由を愛し続けて行きたいんだ


やうぃ パー やう やっティン うぃでぃっどぉ
也會怕有一天會跌倒

いつかはつまづき
倒れてしまうかもしれないし
それを思うとやっぱり怖いけど


OH NO
ちきしょお

ぷいへいりう れせぉん
背棄了理想
すぉいやん どーほーいー
誰人都可以

理想を捨ててしまえば
誰だってそれなりに
うまくやって行けるんだろうさ


な うぃ パー やう やっティン
哪會怕有一天
じ ねい ごん ごぉ
只你共我

そんな人生を選ぶくらいなら
たとえこの世にきみと
二人だけになってしまったって
ぼくはもう怖くない


いぇんいん じーやうじーごぉ
仍然自由自我
うぃにゅ ごうチェン ごぉごー
永遠高唱我歌
ざうびん チンれい
走遍千里

これからもぼくは 自由な心にのみ従い
自分の歌をいつまでも 高らかに歌い
千里の道を翔けぬける


ゆにょ ごぉ じぇ やっさん
願諒我這一生
ばっけいふぉんじょん ごい じーやう
不羈放縱愛自由…

ぼくのわがままを許してくれないか
一生誰にも従わず
気ままにがむしゃらに
自由を愛し続けて行きたいんだ…



海闊天空日文版 「遥かなる夢に〜Far away〜」

↓ 下は、ネットで知り合った中国の多くの若い人たちとのやりとりを経て上の訳詞を完成させるに至った経過の記録です。

www.italki.com

 

 =後日付記=

nagi1995.hatenablog.com

「未完の革命」として圧殺された2014年の「雨傘運動」は、奇しくも黄家駒が生きていれば57回目の誕生日を迎えていたはずの2019年6月10日、中国政府が「犯罪者」と見なした人間を大陸側に引き渡すことを可能にする条例改定案への圧倒的な反対デモとして劇的な復活を果たし、香港行政府に条例案の撤回と謝罪を強制する決定的な「勝利」を闘いとった。運動の直接の「成果」はいまだ支配者層から多少の譲歩を引き出したことに限られているとはいえ、この「勝利」は疑いなく香港の人々自身に「闘えば勝てる」という「自信」をもたらし、かつ世界中の人々に「香港のように闘えば自分たちも勝てる」という「希望」を与えるものとなった。この「希望と確信」を握りしめることのできた人間が、再び「絶望」に支配されることは、何らかの物理的な挫折を強制されることのない限り、もはや二度と起こりえないことなのである。従って支配者たちはこの民衆の「希望と確信」を何より恐怖し、それを打ち砕くために「反撃」を仕掛けてくることを必然としているし、またそれを全世界において貫くために他国の支配者たちと「国際的な協調」を深めてゆくことをも必然としている。「治安」だ「反テロ」だと言ってこの日本で押し進められている行政権力の肥大化も、大きくはその一環に他ならない。「本当の戦い」が始まるのは正にこれからだと言えるが、少なくとも今この瞬間において香港の人々が我々の眼前に「切り開いて」くれたものは、圧倒的な「希望」なのである。香港の人々、台湾の人々、そして大陸の人々がこの「希望」をどんなことがあっても「握りしめて離さない」ことを私は切望するし、同じことを自分自身に対しても絶えず言い聞かせ続けねばならないと思う。世界は必ず変わるのだ。

そしてその中にあって、「国家」ならざる香港という土地の「アンセム」として歌い継がれてきたこの曲への注目が、世界中で改めて高まっている。先日は東京で開かれた香港との連帯集会の現場で、少なからぬ日本人が「海闊天空」の合唱に参加するためにスマホでこのページを開いてくれたという話が、私のもとにも伝わってきている。そうした形でこのブログが「役に立てる」ことがあるのであれば、私にとってこれほど感動的なことは他にない。しかしながら私自身、この歌が「どういう歌」であるかをいまだに「ちゃんと」分かっているとは言いがたいし、また大陸の人や香港の人、それぞれから聞いてきたこの歌の解釈も決して一通りではない。それを「日本人」である私たちが「想像し自分のものとする」ための一助として、この曲をめぐり私が「今までに聞いてきた話」を、参考のために綴っておきたいと思う。

三宅裕司の「驚き桃の木20世紀」という番組のエンディング曲で、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」収録中に事故死させられてしまった気の毒な香港の有名歌手が作った歌。当時中学生だった私の記憶にそんな形でしか残っていなかったこの歌が、21世紀の中国語圏ではどれだけの「歴史的名曲」として若い世代に歌い継がれているかということを私に最初に教えてくれたのは、「大陸」中国の山東省出身の人だった。その人は私より若いのにマニアックなぐらい80〜90年代のアジアの音楽事情に詳しくて、その語るところによるならば1990年代の初頭、香港で押しも押されぬトップスターの座に登りつめたBEYONDが「世界進出の足がかり」として新たな活動拠点に選んだのが、日本だったのだという。しかしながら日本に拠点を移すことは、長年自分たちを支え続けてくれた香港のファンや家族や友人、そして恋人のことを「裏切る」ことにつながるのではないかと自問自答する気持ちが、黄家駒の中には重くのしかかっていた。言葉も気候も食べ物も違う日本にやってきた当初、BEYONDのメンバーは山中湖のスタジオに缶詰めにされて、練習と曲作りにいそしんでいたのだが、「自分たちはこんなところで何をやっているのだろう」という気持ちが、ともすれば絶えず頭をもたげてくるのだった。

ある夜、その山中湖のスタジオの窓の外に、地元の香港では一度も見たことのなかった「雪」がちらついている光景を、黄家駒は目にした。自分は「異郷」にいるのだという感覚とつきせぬ「望郷」の思いが家駒の胸を掻き乱したが、それを「断ち切る」ために彼氏の書いた歌詞が「願諒我這一生不羈放縱愛自由」というフレーズだったというのである。「ぼくのことを許してくれないか。一生誰にも従わず気ままにがむしゃらに自由を愛し続けて行きたいんだ」。それを言葉にすることで、黄家駒は自分の気持ちにピリオドを打ったのだ。例え自分の決断が地元のファンや家族や恋人を傷つけることになったとしても、自分は走遍千里、世界への道を自由に駆け抜けてゆくことを選びたい。それは黄家駒という人の歴史が変わった瞬間だったし、BEYONDというバンドの歴史が変わった瞬間でもあった。そしてそうやって大空へと飛翔した彼氏の夢が正に現実のものとなろうとしたその矢先に、黄家駒は不慮の事故によって帰らぬ人となってしまった。けれどもそのことを通して、BEYONDは全ての中国人が永遠に忘れることのない本当の「伝説」に変わったのだ。それが、その山東人の友人が聞かせてくれたこの歌に関する「説明」のあらましだった。日本のせせこましい音楽事情の中では聞いたことがないくらいに壮大な話だったし、またこの曲が日本とそんな深い関わりを持っていたことも知らなかったしで、それを今まで知らずにいたことは「日本人として恥ずかしいこと」だったのではないかという気持ちにまで、私はとらわれてしまったぐらいである。その気持ちは今でも、基本的には変わっていない。

ただ、この歌を「そういう歌」だと解釈しようとした場合、「願諒我這一生不羈放縱愛自由」は理解できても、他の歌詞との関わりがよく分からなくなってくるのである。山東人の友人の説明を額面通りに受け取った場合、この歌は明らかに恋人を、家族を、地元のファンを、香港そのものを「捨てる」ことを宣言している歌だ。それなのに最後のフレーズでは「哪會怕有一天只你共我」などと言っている。直訳するなら「たとえあなたと私だけになってしまう日が来ようとも、恐れることなどあろうか」である。一方では「許してほしい」と言って「自由の世界」に飛び出しておいて、一方では「世界で最後の二人になっても君とは離れない」と言っている。この主人公は「どうしたい」のだろう。「捨てる」つもりがないのなら、「願諒我 (僕のことを許してほしい)」というのは「誰」に向けられた言葉なのだろう。

その辺のことをどうしてもハッキリさせなければ気の済まなかった私は、上にリンクを貼ったけど、とある言語交換サイトを通じて中国語話者の人たちに直接質問をぶつけてみることにした。すると即座に、複数の香港人の若い人から、極めて意外な答えが返ってきた。「香港ではこの歌をラブソングだと思っているような人は一人もいない」と言うのである。この歌に歌われている「你 (ねい=あなた)」は「主人公の恋人」ではなく「仲間」であり、どういう「仲間」かといえば「同じひとつの夢を実現するために共に戦ってきた仲間」のことで、だからこそこの歌は「雨傘革命」の主題歌になった、というのだった。そのやりとりを横で見ていた北京の人からは、「何でも情緒的な感傷に結びつけてしまうのは日本人の悪いクセですね」みたいなことまで言われてしまった。この歌を「ラブソング」として私に紹介してくれたのは、割とあなたの近所に住んでる方だったりするのですけどね。

この歌を「そういう歌」として解釈した場合、例えば少年マンガの主人公が「悪いけどお前らのその命このオレに預けてくれや」とか何とか言う時の「悪いけど」にあたるのが問題の「願諒我」なのだ。決して「ボクのことを許してほしい」といったような「卑屈な哀願」ではなく、むしろ内容としては「強引な押しつけ」なのである。そして事実、運動の現場では香港の若者同士が「最後は自分たちだけになってしまったとしても、頑張ろう」とお互いを鼓舞し合うための歌として、この歌は歌われてきている。ただし、「願諒我」は飽くまでも「願諒我」なのであって、「言う相手」によってその意味するところは変わってくる。デモのスローガンとしてこの歌のフレーズが使われる場合、「願諒我」は「仲間」に対して呼びかけているわけではなく、むしろ中国政府に対して自分たちの気持ちを「わかれ」「認めろ」と「突きつけて」いることになるわけだ。そしてそれが、直接一緒には運動に参加していない家族や恋人に向けて歌われる場合、かつて日本でも東大闘争の際に「止めてくれるなおっかさん」が学園祭の標語になったことが伝えられているごとく、本当は「謝る」べきことではないにしてもやっぱり「許してほしい」という気持ちが込められたフレーズであることになる。つまるところこの「願諒我」を「ひとつのシンプルな日本語表現」に置き換えることは、およそ不可能なことであると言っていい。それにも関わらず、その「願諒我」が「誰に向かって発せられた言葉」であれ、最後は「あなたと共に生きて行きたい」というフレーズで締めくくられることが可能になっている奇跡のような歌が、この歌だったというわけなのである。

この歌がそんな風に「いろんな聞き方」のできる歌である以上、当初の私がそうなったように主人公は相手のことを「捨てようとしている」のかそれとも「一緒にいたいと思っている」のかみたいなところで混乱に陥るのは、それこそ無意味なことだと言えるだろう。「いろんな聞き方」がされていることの上でこの歌は本質的なところではやはり「ラブソング」なのではないかという感想を私は捨てきれずにいるのだけれど、少なくとも言えることとして主人公は「你」との「関係」を「捨てよう」としているわけでは絶対にない。ただその関係を「変えよう」としているのであり、そのことによってどんな困難を引き受けることになろうとも自分の決意は変わらない、ということを主人公は歌っている。その意味で言うなら、このブログのごく初期に取りあげたU2の「With Or Without You」と同様、「関係性への執着」が歌われているのがこの曲なのだろうな、と私は感じる。人間は、一人では「自由」にはなれない存在なのだ。

 

nagi1995.hatenablog.com

 

以下はその他、この曲の解釈をめぐる細かい覚え書きとして。

  • 一連目で歌われている「雪」が「日本の山中湖のスタジオで見た雪」であることは、恐らく事実なのだと思う。いろいろ調べてみたけれど、香港という土地では絶対とは言わないにしても相当滅多なことでもなければ、雪は降らない。その中で「君も僕も変わってしまうのだろうか」という「不安」が歌われているわけだが。その「君」は必ずしも「遠い香港に残してきた恋人」という風に解釈する必要は、ないのだと思う。「目の前のバンドメンバー」のことだとも解釈できるし、「雨傘運動」の際にはこのフレーズが、参加者たちの間で「何ヶ月も一緒にテント生活を続けてきた仲間たちへの思い」と重ねられていた。つまりは「歌」なのである。無理やりひとつの解釈の幅に狭めてしまう必要は、どこにもない。
  • 二連目で歌われているのは、「理想 (日本語では固い言葉になるが、中国のポップスではこの言葉がほぼ『夢』というニュアンスで使われる)」に向かってがむしゃらに突き進む日々の中で、自分は「愛」を忘れてしまったのではないだろうか、という「反省」の気持ちなのだと思われる。「愛が無くなったから你とはもう終わりだ」みたいなことを言っているわけではない。「愛を忘れたら話にならない」という「反省」なのだから、ここで歌われているのはやっぱり「愛がいちばん大切だ」ということなのである。
  • そして上記の「不安と逡巡」を断ち切るための「回答」として劇的に吐き出されるのが「願諒我這一生不羈放縱愛自由」というフレーズなのだけど、それを言い切った後でも「也會怕有一天會跌倒 (つまづき倒れるある日が来ることを同時に恐れる)」という「不安」がもう一度口にされる。あんまり「理路整然」とはしていない歌詞なのである。本当に感情の赴くままに言葉が吐き出されている感じがあって、そこが「独特の迫力」につながっているのだと言えよう。資料によると家駒はこの後の「Oh, No」を最初は「Oh, Yeah」と歌っていたのだけど、弟の家強から「それでは何がOh, Yeahなのか分からない」と言われて「Oh, No」に変えたのだという。つまるところはあんまり「考えられて」いない「勢いだけ」の「Oh, No」なのだ。だから「ちきしょお」と訳した。
  • 「背棄了理想 誰人都可以」は、文字を見ただけなら「理想を捨てることは誰にできる」と訳したくなってしまうところなのだが、そうではなく、「理想を捨てれば誰にでもできる」と読むのが「正しい」のだという。この違いは重要で、私としては翻訳に一番苦しんだ箇所だった。「理想を捨てるのは誰にでもできる」ということは「当たり前の話」だが、それにとどまらず「理想を捨てれば誰だってそれなりにうまくやって行ける」ということがここでは歌われているのだ。そしてその「理想を捨ててもうまくやって行けてしまう」ことこそが、「理想 (夢)」を持っている人間にとっては一番「くやしい」現実なのだ。だから例え「うまくやって行けない」ことになるとしても、自分(たち)はそんな生き方はしたくない。その歌い手の気持ちがハッキリ伝わるような訳詞にするために、上の試訳では原文の中では直接は言葉にされていない「そんな人生を選ぶくらいなら」という訳語を補った。

下の動画は、東京の街角で「海闊天空」の日本語バージョンを歌う歌手の歌声に中国人の少女が広東語で唱和したら、実は歌い手も中国人でお互いに号泣しながら大合唱になってしまった、という内容で数年前に中国語圏で爆発的に広がった動画。東京や大阪という「自分たちの街」が「そうした出会い」をも生み出しうる「街」でありえていることを、私を含めたほとんどの「日本人」は、知らないままに生きているのだと思う。

 


日本東京街頭日語版《海闊天空》,女孩開始不知道他是中國人,後來一唱粵語直接淚奔 超好聽Live

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