華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Мне осталась одна забава もしくはエセーニンとマヤコフスキー (1923. Сергей Есенин)

 


Есенин vs Маяковский. Поединок.

ロシアのテレビドラマ「エセーニン」(2005年)より、エセーニンとマヤコフスキーの対決シーン。 3:15のところから、セルゲイ・ベズルコフ扮するエセーニンによる、以下の詩の朗唱が始まります。

Мне осталась одна забава:
ムニャ アスターレシ アヅナー ザバーヴァ
僕にはひとつの楽しみがある:
Пальцы в рот — и веселый свист.
パーシ ヴ ろーち、 ヴィショールイ シヴィーシチ
指を口のなか — 陽気な口笛.
Прокатилась дурная слава,
プらカティーラシ ドゥるナーヤ スラーヴァ
いまわしい評判がたっている,
Что похабник я и скандалист.
シュタ パハーブニキ ヤー イ スカンダリースタ
僕はスキャンダラスで破廉恥だって.
Ах! какая смешная потеря!
ああ、カカーヤ スメシュナヤ ポティエーリャ
ああ! 何てこっけいな喪失よ!
Много в жизни смешных потерь.
ムノーガ ヴィ ジズニ スメシュニヒ ポティエーり
人生には,たくさんのおかしな喪失.
Стыдно мне, что я в бога верил.
スティーズナ ムニェ、シュト ヤ ボーガ ヴィェリール
恥ずかしい,僕が神を信じたなんて.
Горько мне, что не верю теперь.
ゴりカ ムニェ、シュト ネ ヴィェリュ ツェペーり
悲しい,今は信じられないなんて.
Золотые, далекие дали!
ザラティーイェ 、ダリョーキェ ダーリ
過ぎ去った黄金の日々よ!

Все сжигает житейская мреть.
フショー ジガエーチ ジテイスカヤ ムらーち
人生のもろもろが,すべてを焼く.

И похабничал я и скандалил
イ パハーヴニチャ リャー イ スカンダーリル
醜態も,破廉恥なこともやらかしたさ,
Для того, чтобы ярче гореть.
ヅリャ タヴォー、シュトビ ヤルチェ ガリェーチ
より明るく燃えるために.
Дар поэта — ласкать и карябать,
ダる ポエータ、ラスカーチ イ カりヤーバーチ
慰みと軌跡を残す — それが詩人の才能,
Роковая на нем печать.
らカバーヤ ナ ニョーむ ピェシャーチ
宿命のしるしを刻みこまれているのだ.
Розу белую с черною жабой
ろーズ ビェリユス ショールナユ じゃーボーイ
白いばらの花と,黒いひき蛙を
Я хотел на земле повенчать.
ヤ ハチェー ナ ゼムリェ パヴィェンシャーチ
僕は,この世で結婚させたかった.
Пусть не сладились, пусть не сбылись
プすチ ネ スラーヂリシ、 プすチ ネ スブィーリシ
未完のまま,実現しなかったが
Эти помыслы розовых дней.
エチ プォーマスリ ろ ろーザヴィヒ ヅネーイ 

これら,ばら色の日々のもくろみは.
Но коль черти в душе гнездились —
ノ カル シヤルチ フ ドシェ ぐニェーズジリシ
悪魔が魂に巣食うのなら —
Значит, ангелы жили в ней.
ズナシェト、アンギェリ ズィリ ヴィネイ
そこに,天使が住んでるってことさ.
Вот за это веселие мути,
ヴォザ エータ ヴィシェーリエ ムーチ
汚濁にまみれた喜悦を味わったゆえに,
Отправляясь с ней в край иной,
アップラヴリャヤス ニェーイ フ クラーイ イノーイ
汚濁とともにあの世へ旅立ちつつ,
Я хочу при последней минуте
ヤ ハシュー プり パスリェーズネイ ミヌーチェ
僕は,最後の一瞬に,
Попросить тех, кто будет со мной,
パプラシーチ テフ、クトー ブヂェート ソ ムノーイ
僕と一緒にいるひとに頼みたい,—
Чтоб за все за грехи мои тяжкие,
シュトフ ザ フシェー ザ グレヒー モイ チャズキェ
あらゆることや僕の重い罪ゆえに,
За неверие в благодать
ザ ニェヴィェーりーエ ヴ ヴラガダーチ
至福を信じられなかったゆえに,
Положили меня в русской рубашке
パラジーリ メニャ ヴ るースキイ るバシキェ
僕に,ロシアのルバーシカを着せて
Под иконами умирать.
パズ イコーネミ ウミらーチ
聖像画(イコン)のもとで死なせておくれ,

(日本語部分はyahoo知恵袋の記事から児島宏子さんという方の翻訳を転載させて頂きました)

長田弘という人の書いた「アメリカの心の歌」という本が大好きなのだけど、その中に19〜20世紀のロシアの文豪たちの肉声を集めたLPに関する一章があり、それが私にとってはずっと印象的だった。ソ連の崩壊とCDというメディアの登場が偶然重なった90年代の初頭に、長田さんは東京の路上で投げ売り同様に売られていたそのLPと出会う。そしてその中に収録されていたエセーニンとマヤコフスキーの詩の本人たちによる朗読に、衝撃を受ける。

それはどんな詩の朗読とも、まったくちがっていた…エセーニンが遺したのは、もしそういってよければブルースだったと思う。マヤコフスキイが遺したのは違う。マヤコフスキイはロックン・ロールだ…読むのではない。無伴奏でうたうように語るのだ。作品としての詩ではなく、歌としての詩だ。

…興奮を抑えきれないような長田さんの文章に触れて、私は自分もそのLPを聞いてみたいと痛切に思った。しかし、それは叶わぬ望みだろうと思った。長田さんがそのLPと巡り会えた偶然を今の時代にもう一度求めることは、どう考えても不可能だ。そしてもし手に入ったとしても、私はLPのプレイヤーを持っていない。読者にそれを聞ける条件がないことを分かった上で、そんな魅力的な話をするなんてズルいぜ長田さん。そんな風にやっかみたくなったぐらいだった。

そしてそれから10年後に出会ったのが、上に紹介した動画である。

カッコいいなんてもんではないではないか、と思った。もちろんそれは俳優たちによる演技であって、本人たちによるパフォーマンスではないのだけれど、今のロシアの人たちの2人に対する想いが加味されて再現されている分、いっそう夢のように輝いて見えた。主役のエセーニンだけでなく、冒頭に出てくる彼女も、マヤコフスキーも、三枚目の司会者みたいな人も、興奮する観客たちも、一人一人が本当にきらめいている。そして本当に長田さんの言った通り、「どんな詩の朗読とも違った」圧倒的なパフォーマンスである。声だけなのに。本当に人間の声だけなのに。

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セルゲイ・エセーニンとイサドラ・ダンカン。夫婦の2ショット。(動画に出てくる女性は別の人)

日本語でこういう表現は、果たして可能なのだろうか。それ以前に、日本人がその歴史の中でこうした空間を自ら形成し、情熱を分かちあうことができたためしって、あるのだろうか。詩人の圧倒的な情熱を受け止めるためには、それを聴く側にもまた圧倒的な情熱が必要だ。それを高め合う装置としての表現空間を、ロシアの人々は文化として築き上げてきた。ひるがえって日本には、何があるだろうか。ある意味では、何でもある。しかし一番根本的な、いつも誰もが何かを渇望しているような情熱が決定的に不足している。と言うより欠如している。情けない。嘆かわしい。このさい自分もロシア人になってしまいたい。たかが一本の動画でそこまで思わされたのは、たぶん後にも先にもこの時だけなのではないかと思える、それは体験だった。

 エセーニンという名前は割と有名だけど、彼に関する本や資料で日本語になっているものは意外なほど少ない。図書館で内村剛介という人が翻訳したごく薄いエセーニンの詩集を見つけることができたけど、上の動画のような空気をそこに書かれた言葉だけから想像することは不可能だったし、むしろそれを読んだだけでエセーニンを分かったつもりになってしまったら百害あって一利もないのではないか、と思えた。やっぱり声を通して聞かないと、ダメなのだ。少なくともロシアの詩はである。日本の詩歌は、逆に声に出して読まれるとうっとおしい気がする。この感覚も、何なんだろうな、と思う。私だけの感覚なのだろうか。

youtubeにはその他に、エセーニン役のセルゲイ・ベズルコフがエセーニンの詩を題材に作ったという(従って歌詞そのものはエセーニンのオリジナルとは違っているのかもしれない。あるいは、彼の詩そのものに曲をつけたのかもしれない)「フーリガン(ならず者)」という曲が上がっていた。メロディがついたものはついたもので、朗読と違ってまた、すごくいい。このセルゲイベズルコフさんの声というのは、ひとことで言ってとてもえろい。そこにシビれるアコガレる。こんな曲である。

 


● Сергей Есенин: «Хулиган» (Сергей Безруков)

 

Хулиган 

Вижу сон.
ゔーづ そん
夢を見ている
Дорога чёрная.
だらが ちょーるなや
暗い道に
Белый конь.
びぇーりぃ こに
白い馬
Стопа упорная.
すたぱ うぽるなや
しっかりした足どり
И на этом на коне
い な えたむ な こにぇ
そしてそこに その馬の上に
Едет милая ко мне.
いぇぢぇっ みらや こ むにぇ
可愛い人 おれのところに駆けてくる
Едет, едет милая,
いぇぢぇっ いぇぢぇっ みらや
駆けてくる 駆けてくる 素敵な人
Только нелюбимая.
とりこ ねりゅびまや
たった一人で 愛されることもなく

Эх, берёза русская!
えい、べりょーざ るーすかや!
ああ、ロシアの白樺よ
Путь-дорога узкая.
ぷてぃ だらが うーずかや
道は狭い
Эту милую, как сон,
えとぅ みりゅゆ かく そん
その可愛い人に 夢のように
Лишь для той, в кого влюблен,
りす づりゃ とい、ふ こーゔぁ ゔりゅぶれん
その人のためだけに、その熱い心の前に
Удержи ты ветками,
うーぢぇるじー とぅい ゔぃぇっかみ
止めてくれ、小枝よ
Как руками меткими.
かく るかみ みぇっきみ
的確な両手のように

Светит месяц. Синь и сонь.
すゔぇてぃっ めしゃち すぃに い そん
月は輝く 青くまどろみながら
Хорошо копытит конь.
はらしょ こぴてぃっ こに
力強い馬の蹄
Свет такой таинственный,
すゔぃぇ たこい たいんすとゔぃぇんにい
こうもミステリアスな光
Словно для единственной —
すろーゔな づりゃ いぇぢんすとゔぃぇんのい
たった一人の彼女のためのように
Той, в которой тот же свет
とい ふ かたろい とっ じぇ すゔぃぇーと
彼女のために 同じ光が照らす
И которой в мире нет.
い かたろい ふ みーりぇ ねっ
この世にいない彼女のために

Хулиган я, хулиган.
ふーりがん や ふーりがん
ならずもの、おれはならずもの
От стихов дурак и пьян.
おっ すてぃほふ づらき ぴやん
詩に酔っ払って 口もきけなくなって
Но и все ж за эту прыть,
の い ふしぇ ずざ えとぅ ぷりぃち
それでもこうやって駆けるために
Чтобы сердцем не остыть,
しゅとーぶぃ せるじゅしぇむ にぇ おすてぃーち
心を凍りつかせないために
За березовую Русь
ざ びぇりぇざゔゆ るすぃ
ロシアとその楡の木のために
С нелюбимой помирюсь.
す ねりゅびもい ぱみりゅし
おれが愛さなかった彼女を埋め合わせるために

…ルビをひらがなにしたことに直接の意味はなく、ただ変換がめんどくさくなっただけの話なのだけど、こうして見るとカタカナのルビとはずいぶん印象が違って見える。日本語って奇妙なものですね。

私のロシア語は文字が辛うじて読める程度で、翻訳はほとんど辞書に載っていた言葉をつなぎ合わせただけになっています。当然誤訳だらけだと思いますので、もしロシア語を分かる方がご覧になったら指摘して頂ければ幸いです。ではまたいずれ。