華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Goodbye Yellow Brick Road もしくはもういちど抱きしめて (1973. Elton John)

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「言葉にならない叫び」というものを「叫び」のまま表現できてしまうところに音楽というものの素晴らしさはあるのでないかと思っているわけで、たとえばRCサクセションの「ヒッピーにささぐ」のぎゃわーって言うのとか、素敵ですよね。あるいはブルーハーツの「夜の盗賊団」のラストのあぎゃーって言うのとか、詩的ですよね。そうした音楽的な表現としての「叫び」の中で私がもっとも悲しく美しいと感じてきたのが、エルトン・ジョンのこの歌の中の「あーあーあー」だった。


Elton John - Goodbye Yellow Brick Road Lyrics

この「あーあーあー」は、どういう気持ちが込められた叫びなのだろう。私はずっとそれを、前節の最初の歌詞なのだと思っていた。"You know you can't hold me forever"=「あなたにはもう永遠に私を抱きしめることはできない」…英語とはこんな言葉で人に別れを告げることを可能にする言語なのか、と私は驚愕したものだった。何てクールなのだろう。その上でその後に来る「あーあーあー」の、圧倒的なせつなさである。言葉では冷酷なことを言っておいて、本当の気持ちは叫びで聴かせるのだ。私はこの歌をそう理解した。つまりこの「あーあーあー」は「もういちど抱きしめたい」という気持ちを叫んでいるのだと、私はずっと思ってきた。

ところが最近になって、この歌は恋人に別れを告げる歌ではなく、アーティストが音楽会社に対して決別を叩きつける歌なのだ、という解釈をあるところで読み、私のイメージはまたしても (と言うしかないのだが) 崩れ去ってしまった。"You know you can't hold me forever"は「これ以上あんた(ら)のコントロールは受けないぞ」という意味だというのである。じゃあ、しかし、あの「あーあーあー」はそれならどうしてあんなにせつない叫びでなければならないというのだろう?

例によって英語圏の人の解釈を聞いてみたところ、この歌は男女の別れの歌だともレコード会社との決別の歌だともどちらともとれるように「わざとあいまいに書かれている」というのが、複数の人の共通した意見だった。だからこのholdをembrace=抱きしめるという意味で解釈できる余地も、ないわけではない。しかし後に続く歌詞との整合性から考えて、男女の別れを歌った歌だと解釈してもやはりこのholdは「束縛する」という意味にとるのが「普通」であるとのことだった。そして「私たちがこの歌から受け取るメッセージは、independentに生きることの素晴らしさなのだ」というのも、その人たちの一致した見解だった。

確かにレコード会社との決別の歌だと聞かされてみると、今までその意味がよく分からなかったこの歌の他の部分 (特に二番) も、極めてわかりやすくなる気がする。男女の別れの歌だと解釈する方が、逆に難しく思えてくるぐらいだ。しかしそれならどうしてこんなに美しい歌にする必要があるのだろう。エルトン、この歌以降も別にレコード会社と決別してないし。この歌を含め彼の曲の大半を作詞しているのが、バーニー・トーピンという別の人だという事情はあるにしてもである。

「抱きしめる」という言葉を使わずにこの歌を訳さなければならないというのは、私にとってはこの歌と共にあった自分の思い出のすべてを自ら封印するに等しい作業である。しかし第一回目の「華氏65度の冬」で宣言した通り、歴史の真実と向き合って自分の青春に決着をつけることがこのブログを始めたそもそもの理由なのだから、むしろ私にとっては「だからこそ」訳さなければならないのがこの歌であると言えるだろう。しかし新しく生まれた謎は、深まるばかりに思える。それなら一体あの「あーあーあー」は、どういう思いが込められた叫びなのだろうか。

Goodbye Yellow Brick Road

When are you gonna come down
When are you going to land
I should have stayed on the farm
I should have listened to my old man
あなたはいつになったら降りてくるのかな
いつになったら自分の足を地面につけるのかな
ぼくは田舎から出てくるべきじゃなかった
おやじの言うことに、耳を傾けるべきだった

You know you can't hold me forever
I didn't sign up with you
I'm not a present for your friends to open
This boy's too young to be singing the blues
わかるかい
あなたにはもうぼくをつなぎとめておくことはできない
ぼくはあなたと契約を交わしたわけじゃない
ぼくはあなたが友達に送って見せびらかすためのプレゼントじゃない
この年でまだブルースなんて歌えないし
そんな歌の気持ちなんてわざわざ知りたいとは思わない

So goodbye yellow brick road
Where the dogs of society howl
You can't plant me in your penthouse
I'm going back to my plough
だからさよなら 黄色いレンガの道
社交界の犬たちが遠吠えしてる世界
ぼくをあなたのペントハウスの鉢植えにできるなんて思わないことだ
ぼくは自分の畑に戻る

Back to the howling old owl in the woods
Hunting the horny back toad
Oh I've finally decided my future lies
Beyond the yellow brick road
森の中で鳴いている年老いたフクロウが
背中にトゲの生えたヒキガエルをつかまえている
あの世界に帰ろう
ああ やっとぼくは決めた ぼくの未来は
エメラルドの都に続くあの黄色いレンガの道から
ずっと離れたところに横たわっているんだ

What do you think you'll do then
I bet that'll shoot down your plane
It'll take you a couple of vodka and tonics
To set you on your feet again
そしたらあなたはどうするんだろうね
自分の乗ってる飛行機が撃ち落とされたような気持ちになるだろうね
自分を取り戻すためにまあ
ウォッカ・トニックの2杯ぐらいは必要になるだろうね

Maybe you'll get a replacement
There's plenty like me to be found
Mongrels who ain't got a penny
Sniffing for tidbits like you on the ground
たぶんすぐにぼくの代わりを見つけるんだろう
ぼくみたいなやつは山ほどいるからね
あなたみたいなおいしいえさを探して
鼻をクンクン言わせてる一文無しの雑種犬が
地べたの上にはいくらでも転がってるんだからね

=翻訳について=

When are you gonna come down
When are you going to land

landは「着陸する」という意味。恋愛の歌と解釈するにせよレコード会社との関係を歌っていると解釈するにせよ、歌の主人公は相手のことを地に足のついてない世界でフワフワ生きている人間だと見ていて、それがイヤなのだな。

I should have stayed on the farm
I should have listened to my old man

farmは「農場」だけど、日本語でそう書くと広すぎるし、主人公は大金持ちみたいなイメージになってしまう。かといって「畑」にすると本当に猫の額みたいになる。だから「帰るべき世界」という意味を生かしうる「田舎」という言葉に変えた。"my old man"が具体的にどういう人格なのかについての言及はないが、「父親」以外のどんな訳語をあてはめても不自然な日本語になるので (「ぼくの老人」等) 結局「親父」に落ち着いた。

This boy's too young to be singing the blues

直訳は「この少年はブルースを歌っているには若すぎる」ブルースは世の中の哀愁を知りつくした人にしか歌えない歌で、そんな気持ちを自分はわざわざ知りたいとまでは思わない、という気持ちが込められた歌詞だと解釈するしかないと思うが、やや説明過剰な意訳になっているかもしれない。この部分はレコード会社に向けられた言葉だと解釈するといっそう「わかりやすい」が、それだけに全然面白くない気がする。

So goodbye yellow brick road
Where the dogs of society howl

"yellow brick road"=黄色いレンガの道とは、「オズの魔法使い」に出てくる「エメラルドの宮殿に続く一本道」をさしているのだそうで、画像検索するとエルトンのアルバムジャケットとそっくりなイメージが出てくる。意識して作ったのだなということが、よくわかる。邦題は「黄昏のレンガ路」で、「黄」という文字だけは入っているもののレンガの色とは関係ないし、歌の中にも夕方の情景だという言及は一言もない。「華氏65度の冬」や「ノルウェイの森」と同じく、歴史のクズかごに叩き込まれるべき誤訳と言えよう。

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You can't plant me in your penthouse

ペントハウス」という言葉には、ビルの屋上にこしらえられたプレハブみたいな安っぽいイメージが私にはあるのだが、英語では「高層マンションやホテルの最上階にある豪華な住居・部屋」というイメージになるのだという。安っぽいイメージは日本の住宅事情から作られた独特のものなのだろうか。だとしたら、別の訳語を考えた方がいいのかもしれない。

I'm going back to my plough

ploughは鋤(すき)だが、日本の農家で今でも人力の鋤を使ってる人って、皆無なのではないかと思う。もともと牛や馬に引かせるものだったし、今ではみんなトラクターを使っている。現実に使われていない農具の名前を訳詞に使ってもリアリティに乏しくなるだけである。それで「畑」にした。(イギリスではたぶん農業を象徴する言葉としてploughがあるのだろうが、日本だとそのイメージは鍬(くわ)になる。小麦の文化と稲作文化の違いだろう)。

Back to the howling old owl in the woods
Hunting the horny back toad

ここはヒキガエルを捕まえるのがフクロウであると読むか歌の主人公であると読むかで、解釈が変わってくる。(いや、大して変わらないか)。いずれにしても私の英語力では、どちらが「正解」であるかは断定できない。

Oh I've finally decided my future lies
Beyond the yellow brick road

「エメラルドの城に続く」などという修飾語はもちろん原文にはないが、上述のオズの魔法使いに関する予備知識がなければ結局"yellow brick road"が何を意味しているのか分からないため、付け加えることにした。

What do you think you'll do then
I bet that'll shoot down your plane
It'll take you a couple of vodka and tonics
To set you on your feet again

…昔から分かりにくいと感じてきた箇所なのだが、聞いてみると何と言うことはない。"I bet that'll shoot down your plane"は「ガックリくるだろうね」というぐらいの意味なんだそうである。「飼い犬に手を噛まれる」とか「手のひらを返される」とかにも置き換えられる表現なのだろうが、結局直訳した。「立ち直るのに〜2杯は必要になるだろう」というところには、自分にはそれぐらいの値打ちしかないという主人公の自嘲も込められていると聞き、すごく納得できた。

Mongrels who ain't got a penny
Sniffing for tidbits like you on the ground

最後にもう一度 on the ground という言葉が出てくるところに、相手を何としても地上に引き戻してやろうとしている、主人公なりの愛と言うか執着が感じられないこともない。それが結局「あーあーあー」の中味だということなのだろうか。

…いずれにしても私には、何人かのネイティヴの人が語ってくれたようにこの歌が「independent であることの素晴らしさ」を歌った歌だとは、あまり思えなかった。だってそれなら「親父の言うことを聞いておけば良かった」なんて台詞は出てこないはずだもの。この歌の重奏低音に流れているのは、やはりある種の挫折感と敗北感なのだと思う。それでもこの歌を単純に「後ろ向きな歌」だと思えないのは、やっぱりあの「あーあーあー」があるからなのだろう。私はこれからもあの叫びに込められた気持ちがどんな思いなのか、考え続けて生きていくことになるのだと思う。

ではまたいずれ。