華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Riddle もしくは木枯らしに抱かれて (1984. Nik Kershaw)

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 riddleとは「謎」もしくは「なぞなぞ」。その名の通り、謎な歌である。聞いたことのない方がいらっしゃったら、一度とりあえず下の動画を見てみていただきたい。(そういえばハリー・ポッターに出てくるヴォルデモート卿の本名は「トム・リドル」という名前だった。「謎」という意味が込められていたのだな)。


The Riddle (Nik Kershaw) HD

うーむ。かっこいい。とりわけ80年代を象徴して余りあるニック・カーショウさんの髪型がかっこいい。そういえば私のイトコもこういう髪型、してたなあ。最近こういうアタマした人、いないなあ。とはいえ歌の意味は、さっぱり分からない。歌詞を見ると、なおさら分からない。映像を眺めていて「華麗なるギャツビーだ」とか「不思議の国のアリスだ」とか気づく箇所は所々あるけど、それが何かの手がかりになるわけでもない。一体これは、どういう歌なのだろう。

カーショウ氏自身は後年のインタビューで、「この歌詞には何の意味もない。プロデューサーから何でもいいから売れる歌を作れと言われて、適当な言葉を並べただけだ」と明言している。とはいえ人間の書いたものである以上、そして言葉という形式を通して表現されたものである以上、「何の意味もない」などということはおよそありえない。

たとえば「かっぱらっぱかっぱらったとってちってた」という谷川俊太郎の有名な詩の一節があるけれど、ナンセンスといえば、ナンセンスである。しかし「河童という想像上の生物が、ある人からラッパを強奪し、『トッテチッテタ』と聞こえる音で吹き鳴らしている」という「意味」は、ハッキリ存在している。そしてそんな突拍子もない状況を想像して言葉にすることに何の意味があるのかといえば、「口に出した時の響きが面白いから」という明らかな理由もまた存在しているわけである。だからもし外国の人からこの詩の意味を尋ねられた時には、最低限上記のことぐらいは説明してあげなければならないのであって、「意味はない」と答えるなど以ての外だと私は思う。

実際、日本語を勉強しはじめて間もない外国人が「自分の力だけで」この河童の詩を翻訳しようとしたなら、それがどれだけ大変な作業になるかは想像するに余りある。まず「かっぱ/らっぱ/かっぱらった」という「言葉の切れ目」を見つけることが、大変だ。さらに「かっぱ(が) /らっぱ(を) /かっぱらった」という、当然そこにあるべき助詞が「省略」されていることに気づくのもまた、大変だ。助詞もないのにどうして「かっぱ」が主語で「らっぱ」が目的語だと判断しうるのか、私だったらそれだけで小一時間は悩むだろう。そして「とってちってた」である。こんな言葉は当然辞書に載っていない。

多分その人は、「とって」を「取って」という動詞の連用形と解釈してみるとか、いろいろしてみるに違いない。すごく頭のいい人なら「河童ラッパかっぱらった把手散ってた」というような、我々日本人にすら思いもつかない新解釈を「発見」するかもしれない。「河童がラッパをかっぱらったのはいいが、その把手、すなわち持つところが、錆びて風化してボロボロになっていた」ということを詩的に表現したのが「河童ラッパかっぱらった把手散ってた」というフレーズなんですよね、とその人から興奮気味に確認されたりした場合、我々は何と答えればいいのだろうか。

…とりあえず、残念ながらそれは間違いですということを「ちゃんと」教えてあげる以外にないと思う。この詩の中の「とってちってた」は単なるオノマトペ(擬音語)なのですと。それでも相手は、食い下がるかもしれない。オノマトペと「把手散ってた」という、違う2つの意味を孕んだダブルミーニングの詩句だと解釈することはできないか云々と。我々は、正直に答えなければならない。確かに文法的にはそういう解釈も不可能ではありません。しかし日本人が100人いたら100人とも「とってちってた」は単なるオノマトペであると理解し、別の意味を想像することなど考えもつかないでしょう、と。そこまで説明されて初めてその人は、この詩がどういう詩であるかということについて「納得」できるのである。事実、"Goodbye Yellow Brick Road" の "You can't hold me forever" の hold に「抱きしめる」という意味は存在しないのだということを私が「納得」できるまでには、それぐらいの説明が必要だった。文学作品というのは確かに無限のイメージを喚起するものではあるが、文法的に見た場合そういくつもの読み方が存在しているわけではないということは我々自身がよく知っていることなのだから、「解釈は人それぞれ」などという無責任な態度を簡単にはとるべきでないと私は考える。

そして私はこの "The Riddle" という歌を、そういうレベルで理解できないのである。「意味なんてない」というカーショウ氏の説明とは裏腹に、今日もネット上では「この歌に隠された謎」について、やれバビロンという言葉は具体的にどの国をさすメタファーであるかとか、第何連のどの箇所で地球の滅亡が予言されているとかいったようなことが主に英語で議論され続けているが、とりあえずそういうことは、いい。私が知りたいのはこの歌にはどういうことが歌われているのかということだけで、それを英語話者の人たちが最初に聞いた時に「感じる」のと同じレベルで「普通に」知りたいというだけの話なのである。

しかし、我々自身が同じ立場に立たされることを考えれば容易に想像できるが、そういう外国人の相手をさせられるということは英語話者の人たちにとって、この上なく「めんどくさいこと」であるに違いない。事実、この歌についても私は他サイトの掲示板でいくつかの質問を行なってみたが、"Ruby Tuesday" の時とは異なり、私の疑問に答えてくれるような回答はいまだほとんど寄せられていない。仕方ないのでこの歌に関しては、Strawberry Fields Forever 方式で行くしかないと思う。他サイトの皆さんの訳詞を参考にしつつ、自分なりに歌詞を検討して試訳を作り、読んでくれる人に添削してもらえる機会が訪れるのを気長に待つというやり方である。ここから先は "The Riddle"という歌がよほど好きな人以外には読むにたえないぐらい冗長な展開にならざるを得ないと思うが、それがどうしたと言わせてもらう。私自身はそれぐらいこの歌に対して、思い入れがあるのだ。そして私と同じくらいこの歌に思い入れを持っている人は、たとえ何年かかろうと必ず自分のやり方でここに書かれた私の試訳を見つけるに違いない。そうした出会いが約束されていることを思えば、半ば自己満足に近い努力であることは否定できないにせよ、決してムダな試みにはならないはずである。 


nik kershaw - the riddle

↑おそらくアメリカの中学生(だった人)が、学校の宿題で作ったという動画。歌詞に使われている単語に合わせて、いろんなイメージがポンポン飛び出してくる。多分それが、ネイティヴの人がこの歌を聞いた時の感覚に近いものなのだと思う。中島みゆきの「あたいの夏休み」という曲のPVが、同じ表現技法をとっていたなあ。(サンマの絵とお化けの絵、そしてそのお化けが小便をする絵を順番に登場させることで、「サマーバーケーション」という言葉を「表現」していた)。

試訳にあたっては、以下の2サイトの先輩方による訳詞を参考にさせて頂いた。(検索すれば訳詞はもうひとつ見つかるが、あまりにヒドいのでここでは取り扱わないことにする)。どちらも私よりずっと英語が上手な方が翻訳されたものだが、"Strawberry Fields Foever" の場合と同様、文法的な解釈には「揺れ」が見られる。またとりわけ後者のサイトの方の翻訳は、ある意味文法や原詩の言葉使いなど無視しているのだが非常に独創的で、私にとっては衝撃的だった。この方の翻訳への感想は、後段で改めて書くことにしたい。

ファーストレディの憂鬱 The Riddle / Nik Kershaw

香聾館 - 展示室>香聾想>45. 愛の反対の謎

…というわけで、歌詞の検討に移る。

I got two strong arms
Blessings of Babylon
With time to carry on
And try
For sins and false alarms

I (私) が主語で、got (持っている) が動詞。そして赤で示した3つの名詞が目的語であると、ここでは解釈した。すなわち「私はarmsblessingstime を持っています」という文章である。この3つの名詞がどういう内容を持っているのか、さらに検討してみる。

arms: この言葉には「腕」という意味と「武器」という意味があるが、どちらの意味であるかは特定できないダブルミーニングの歌詞になっているというのが、海外でも一致した見解であるらしい。よって翻訳には工夫が必要になる。「2本の強い腕」と「2つの強い武器」。腕なら二本で「普通」だが、武器なら2つという数字が「意味」を持つことになる。後段のblessingsとtimeがその2つなのだと解釈できる幅も、ないではない。(: その後あるスコットランド人の方から、「その幅はない」と断言された。またその人によると"I got two strong arms" は "I'm capable (私には能力がある=私はデキる人間だ)"という意味の慣用句として使われる場合があるのだという。だとすれば「2」という数字にそれほどこだわる必要は、ないのである)。

Blessings of Babylon: 「バビロンの恩恵」…さあ、日本人に理解しづらい概念の登場である。Wikipedia日本語版の「バビロン」に関する説明は、以下の通り。(「ユダヤ教キリスト教における伝承と位置づけ」という項目より)

バビロンはメソポタミア地方の古代都市。…旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔の伝承にて混乱(バラル)を語源とすると伝える。創世記10章第2節によると、ノアの子ハムの子孫である地上で最初の勇士ニムロド(ニムロデ)の王国の主な町が、シンアルの地にあったバベル、ウルクアッカドであったという。

新バビロニア王国時代のバビロンと周辺の数箇所の都市には、滅ぼされたユダ王国の指導者層が強制移住(バビロン捕囚)させられ、この事件がそれまで神殿宗教であったヤハヴェ信仰をユダヤ教に脱皮成長させる大きな契機となり、ひいてはユダヤ人の民族形成史上、大きな役割を果たした。

また、イラクにおけるユダヤ人コミュニティーの起源ともなったが、このようにユダヤ教の成立過程に深く関わったバビロンはユダヤ教やその系譜を引くキリスト教といったヤハヴェ信仰の一神教において正義の対抗概念のイメージを背負わされており、さらにイザヤ書エレミヤ書の預言と新約聖書ヨハネの黙示録ヨハネへの啓示、啓示の書)の故事から、ヨーロッパなどのキリスト教文化圏においては、退廃した都市の象徴、さらには、富と悪徳で栄える資本主義の象徴、として扱われることが多い。

…以上のような情報から、Blessings of Babylonという言葉には資本主義やそのもとで発達した物質文明が持つ「力」が表現されているのだと解釈して、ほぼ間違いないと思われる。ただ、西欧におけるこうした「バビロン」という言葉のイメージがキリスト教徒によるユダヤ教徒への歴史的な「敵意」を背景に形成されてきたものであることは明らかなわけであり、ユダヤ系の人たちからすればこうした形で「バビロン」という言葉が使われていること自体に「反ユダヤ的な思想」が表現されていると感じずにはいられないことだろう。(事実ネット上には、この歌に「バビロン」という歌詞が使われていることをネタにしてユダヤ系の人たちを差別する、読むにたえない「解釈」が氾濫している)。これはニック・カーショウ自身に責任があることなのであって、「彼は悪くない」とか「歌に責任はない」とか言える話ではないと私は思う。

time: もちろん「時間」である。(その前についているwithという言葉をどう解釈するかについて、私は正直よくわからないのだけど)。どんな時間か。"time to carry on and try for sins and false alarms"=「いろいろな罪や間違った警告のために、トライしたり実行に移したりするための時間」である。具体的に何を「トライしたり実行に移したりする」のかは、歌詞の中には書かれていない。書かれているのは目的(for sins and false alarms)だけである。

sins and false alarms (諸々の罪と、間違った警告) についても、それが具体的に何であるのかは、歌詞の中に明示されていない。しかし罪は罪だし、間違いは間違いなのだから、主人公が持っているという「力」は非常に邪悪な目的のために使われる力なのだと考えて、間違いはなさそうである。

So to America the brave
Wise men save

So to...簡単そうに見えるけど、こんな文字列は他のどこでも見たことがない。"America the brave"は「勇者アメリカ」といったニュアンスで解釈可能な文字列で、事実上記サイトの方はそのように翻訳していた。ところがある米国人の方のこの部分についての説明は"So brave wise men escape to America=だから勇敢でかしこい人たちはアメリカに脱出する"というものだった。saveという言葉に、escapeと言い換えられるような意味があったなんて、完全に初耳である。しかし話はこれで終わりではない。別のスコットランド人男性はこの箇所を見て「曖昧だな」とつぶやいた上で、"Save wise men for America the Brave=勇敢なるアメリカのために、賢者たちを救う"という意味だと解説してくれた。同じ英語話者による説明なのに、全然ちがうではないか。

…思うにこの部分の英語は、本当に曖昧な表現になっているのだと思う。「今日は雨が降る天気ではない」という日本語表現なみに、曖昧なのである。たぶん。(雨が降らない天気=晴れであるとも、雨が降るから天気ではない=雨であるとも、両方の意味にとれる表現。故桂枝雀氏が小米から枝雀を襲名する時に演じた「日和ちがい」という落語に出てきます)。だからどちらの意味で訳しても、おそらく間違いではない。しかし、何とも釈然としないなあ。

Near a tree by a river
There's a hole in the ground
Where an old man of Aran
Goes around and around

…文法的にはこのサビの部分は、大して難しい箇所ではない。とある川のほとりに生えている木の近くには、地面にあいた穴がひとつあって、そこではアラン島の年老いた男性が(その周りを)ぐるぐる回っているという意味である。意味は全く不明だが、響きの面白さを重視して書かれた詩だと考えるなら、別に不自然なものではない。もっと訳のわからない文学表現は、日本語で書かれたものの中にもいくらでも見つけることができる。

ただan old man of Aran(アラン島の老人)という語句については、検討が必要だろう。この島の名前を私が最初に知ったのは、司馬遼太郎の「街道を行く」の「愛蘭土紀行」を読んだ時だったと思う。アラン島はアイルランドの西端にある島で、非常に自然条件が厳しいところなのだという。全島が荒涼とした石灰岩の岩盤で構成されており、「土」もない。島の人々はその上に何世代にもわたって海藻を敷きつめ、「土」を作って作物を育ててきた。島の西側は断崖絶壁で、その先は島ひとつない大西洋。だからアイルランドの人たちのみならずヨーロッパ中の人々にとって、「アラン島」という地名は「世界の果て」というイメージを喚起させるひとつの象徴になっているのだという。

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…画像検索で出てきたアラン島のイメージ

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それはそれで、いい。今ではそのアラン島も観光地になって賑わっているそうだし、私だって行ってみたいと思う。しかし「アラン島の老人」という言葉を唐突に歌詞の中に登場させて、その人物に勝手なイメージを背負わせてあれこれ解釈の対象にするということは、実際にアラン島で生活している人たちへの態度として、どうなのだろうか。私自身、それなりに神秘なイメージを持ったとある日本の観光地の出身ではあるのだが、だからといってアーティスト気取りの外国人から「神秘的な土地の神秘的な人」みたいな扱い方をされたなら、かなり気分が悪いと思う。「すごく」と言ってもいいかもしれない。要するに、イナカモノ扱いされているだけではないか。と率直に言って思う。だからアラン島という地名がヨーロッパの人々にとってどんなイメージを喚起するものであるかということは一応「知った」上で、それをここでそのまま「紹介」することが正しい態度であるとは、私は思わない。それは差別の流布にもつながることだと思うからである。

とまれこの「アラン島の老人」は、文明社会を象徴しているとおぼしき「wise men (賢者たち)」との対比において、あたかもそれと対抗するような存在としての役割を、歌の中では、担わされてゆく。

And his mind is a beacon
In the veil of the night
For a strange kind of fashion
There's a wrong and a right
But he'll never, never fight over you

…mindは「心」と訳すより「知性」と訳した方がいいと思う。同じ「心」という意味でもheartとは区別され、「自分でコントロールできる心(の働き)、心情、精神、気性、心性」を意味するのがmindだからである。beaconは「点滅する灯台の光」転じて「導き手」「案内役」という意味でも使われる言葉だという。

問題は"For a strange kind of fashion/ There's a wrong and a right"という謎めいた歌詞なのだが、ここについての上記サイトの方の解釈が振るっていたので、紹介させていただきたい。

香聾館 (「電脳文化会館 香聾館」。サイト記事の使用条件としてトップページへのリンクを貼ってほしいと書かれていたので、そのようにさせていただきました)

文明が栄える場所には資源がある
そこを知の権威がぐるっと取り巻く
知の権威は闇の悪にある目印
異文化に対する正誤は存在する
しかし知の権威は決して君と争わない

…とても大胆な意訳である。"Near a tree by a river/ There's a hole in the ground"が「文明が栄える場所には資源がある」と翻訳されているのは、「穴」が「油田」か何かの象徴になっているという解釈だろうか。(「水」も「木」も、確かに「資源」である)。「アラン島の老人」はここでは「知の権威」という言葉に置き換えられている。「意訳はしない」というのが当サイトのポリシーではあるけれど、かくも一貫性を持った斬新な解釈を目にすると、これはこれでひとつの「作品」になっていると感心せずにはいられない。しかし何より私を驚愕させたのはこの部分である。

異文化に対する正誤は存在する

…一瞬、私は恐怖に近い感じを覚えた。読みようによってはとんでもない結論が導き出される可能性を持った「命題」だからである。しかしstrange kind of fashion =奇妙なファッション=(自分の) 理解を超えた風習や習俗。There's a wrong and a right"=そこにはひとつの間違いとひとつの正解が存在する。…何ということだろう。完全に意味が通っている。私自身、この部分にはこの翻訳しかありえないような気がしてきてしまった。

「異文化に対する正誤は存在する」という読み方をしてみた上で、この訳詞自体にも3つぐらいの読み方が存在するわけである。ひとつは、「異文化の中で生きている人たちの気持ちは(文化を異にする自分の立場からは)理解しがたいが、その人たちの立場に立つならば、その人たちの基準からする善悪が存在しているのだ」という読み方。いわゆる文化相対主義の立場である。もうひとつは「異文化のなかで生きている人たちの気持ちを理解しようとするならば、その姿勢にも正しい態度と間違った態度が存在する」という読み方。安直に「異文化理解」を口にする人間に対し、そのアプローチの軽薄さを批判しているともとれる読み方で、できれば私はこの解釈はそういうことを言っているのだと信じたい気がする。しかしもうひとつ「異文化そのものを、自分たちの基準で『正』であったり『誤』であったりすると決めつけることは、不可能ではない」という読み方も成立するわけであり、これはハッキリ言ってファシストの主張である。「従って、誤っている異文化を我々が滅ぼすことは、悪ではない」という主張に直結している論理だからである。

私が心底恐ろしいと感じたのは、他のページを見る限り私なんか足下にも及ばないと感じさせられるぐらい「異文化理解」ということと真剣に向き合っておられるサイト主の方が、このように恐ろしい読み方を排除しないような詩句を「自分の言葉として」そのサイトに紹介しておられたことに対してだった。そのことに、単に人間の頭を通して作り出された言葉ではなく、現実そのものを目の前に突きつけられたような感覚をおぼえ、恐怖に近い、ではない。ハッキリ、恐怖を感じたのである。

ニック・カーショウがそこまで考えてこの詩を書いたとは、私にはとても思えない。ただし実際問題、"For a strange kind of fashion/ There's a wrong and a right"という詩句は、上に挙げた3通りの内のどの読み方をも、排除するものではない。それを文字通り「翻訳」されたサイト主の方の言語感覚に、私は畏怖を覚える。一読させて頂いたところ「香聾館」は約一年間にわたって更新が止まっているようですが、願わくはこれからもいろいろ学ばせて頂きたいと考えています。

ただし"he'll never, never fight over you"を「知の権威は決して君と争わない」と訳されていたのは、単純に文法的な問題として、違うと思った。"fight over~ = ~をめぐって争う"という、これはひとつの慣用句だからである。「けんかをやめて/2人を止めて/私のために争わないで/もうこれ以上」という詩句の「私のために争わないで」の箇所に使われる熟語がこの "fight over"であると言える。

そしてこの "fight over~"の〜の部分に入るのが資源であったり領土であったり何かの論点であったりするわけだが、ここに入るのが生身の人間であった場合、その人の苦痛は耐えがたいものであると思う。その人の意思に関係なく、戦いに勝った方の「戦利品」にされるのがその人の立場だからである。後段で"wise men"は「きみをめぐって争う」と明記されている。それに対して「アラン島の老人」は「そんなことはしない」と書かれている。だから、設定としてはこの人はやはり「いい人」なのだと考えた方が、良さそうである。

…ここまででほぼ一万字になってしまった。だんだん億劫になってきたな。サビの部分の解釈が一応私にとってはメインで、そこまではとりあえず終わらせてしまったので、後はサラッと流したいと思う。

I got plans for us
Nights in the scullery
And days instead of me
I only know what to discuss
Of for anything but light
Wise men fighting over you
ぼくには2人のための計画がある。
食器洗い場のいくつもの夜と
ぼくの代わりのいくつもの昼
ぼくが知っているのは
何を話し合うべきかということだけ
きみをめぐって争っている賢者たちは
光以外のすべてを手に入れようとしているということ

…簡単すぎるかしら。最後の二段には例によって「変な文法」が使われているのだが、とりあえずここでは"Wise men fighting over you=きみをめぐって争っている賢者たち"は"anything but light=光以外のすべてのもの"を手に入れようとしているのであって、それが"what to discuss=討論すべき課題"であるという風に解釈した。

It's not me you see
Pieces of valentine
With just a song of mine
To keep from burning history
Seasons of gasoline and gold
Wise men fold
きみが見ているのはぼくじゃない
ぼくが作ったただの歌が
バレンタインのかけらにくっついているだけ
賢者たちが組み立てるガソリンと黄金の季節
その炎の歴史から身を隠すための歌だ

…文法的に大して誤解の余地があるとも思えないので、ここも流す。foldという動詞がどんなイメージで使われているかということについて、解釈の幅が残されているというぐらいだろうか。いずれにしても「異文化に対する正誤は存在する」などというスゴい解釈を目の当たりにしてしまった後では、自分の訳詞など陳腐な言葉にしか思えない。ニック・カーショウの原詩自体が、陳腐に思えてくる。そしてブリッジ。

I got time to kill
Sly looks in corridors
Without a plan of yours
A blackbird sings on bluebird hill
Thanks to the calling of the wild
Wise men's child

…"time to kill" はおそらくダブルミーニングである。「つぶすための時間=ヒマな時間」という意味と、文字通り「殺害のための時間」という意味。"plan of yours"が「きみの立てた計画」なのか「きみの分の(きみのための)計画」なのかはいまいち判然としないが、ここでは後者の意味をとる。"thanks to"は「〜のおかげで」を意味する熟語で、「君のおかげでひどい目にあった」という風に、全然感謝の意味を含まない場面でも使われる。

さあ、これで全ての歌詞に一応目を通した。後は試訳を完成させるだけである。

The Riddle

I got two strong arms
Blessings of Babylon
With time to carry on
And try
For sins and false alarms
So to America the brave
Wise men save
ぼくには強い力がある
文明社会が作り出した悪徳の力もあるし
諸々の罪やニセモノの警告のために
いろんなことを試したり
実行に移したりできる時間もある
だから勇敢な賢者たちはアメリカにその身を委ねる

Near a tree by a river
There's a hole in the ground
Where an old man of Aran
Goes around and around
とある川のほとりに生えている木の近くには
地面にあいた穴がひとつあって
辺境に住む1人の老人が
その周りをぐるぐる回っている

And his mind is a beacon
In the veil of the night
For a strange kind of fashion
There's a wrong and a right
But he'll never, never fight over you
彼の知性は
夜のとばりを照らし出す灯台の明かり
異文化に対する正誤は存在する
でも彼は決してきみのことで争ったりはしない

I got plans for us
Nights in the scullery
And days instead of me
I only know what to discuss
Of for anything but light
Wise men fighting over you
ぼくには2人のための計画がある。
食器洗い場のいくつもの夜と
ぼくの代わりのいくつもの昼
ぼくが知っているのは
何を話し合うべきかということだけ
きみをめぐって争っている賢者たちは
光以外のすべてを手に入れようとしているということ

It's not me you see
Pieces of valentine
With just a song of mine
To keep from burning history
Seasons of gasoline and gold
Wise men fold
きみが見ているのはぼくじゃない
ぼくが作ったただの歌が
バレンタインのかけらにくっついているだけ
賢者たちが組み立てるガソリンと黄金の季節
その炎の歴史から身を隠すための歌だ

Near a tree by a river
There's a hole in the ground
Where an old man of aran
Goes around and around

And his mind is a beacon
In the veil of the night
For a strange kind of fashion
There's a wrong and a right
But he'll never, never fight over you

I got time to kill
Sly looks in corridors
Without a plan of yours
A blackbird sings on bluebird hill
Thanks to the calling of the wild
Wise men's child
ヒマな時間があり、殺害のための時間がある
廊下の中の狡猾な目つき
きみの分の計画はここにはない
青い鳥の丘で黒い鳥が歌っている
荒々しき賢者の子どもの使命を受けて

Near a tree by a river
There's a hole in the ground
Where an old man of aran
Goes around and around

And his mind is a beacon
In the veil of the night
For a strange kind of fashion
There's a wrong and a right
But he'll never, never fight over you

 …今までで一番長い記事を書いたというのに、全然「達成感」が湧いてこない。たぶん「もともと意味はない」と宣言されている歌詞に自分で自信の持てない文法解釈をくっつけているという事情がまずあるのだろうし、「異文化に対する正誤は存在する」という他の人の訳詞を借用した上でそれを自分の訳詞の文脈に位置づけきれていないという事情もあることは、自覚している。とはいえあらかじめ宣言しておいた通りこれは「試訳」にすぎないし、「文法的に間違いのないレベルでこの歌にどんなことを歌われているのかが知りたいだけ」というのが当面の目的であることにも、変わりはない。私と同じ気持ちを持った人がこの記事を見つけて何かの役に立ててくれることがもしあれば、決してムダな投稿にはならないと思う。多くの方の意見やもしくは添削を、お待ちしています。

ではまたいずれ。