華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

(Sittin' on) The Dock of the Bay もしくはおーてぃすがった、ふぃーりん (1968. Otis Redding)

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この曲との最初の出会いということでいえば、中島みゆきの「ばいばいどくおぶざべい」という曲にまでさかのぼらねばならないことになるのだけど、その「どくおぶざべい」が "Dock of the Bay" という曲のタイトルだとは当初は全然わからなかった。どく+おぶざべい。「おぶざべい」に近い英単語を辞書で調べたら observation というのがある。つまり「毒の観測」…本当にそう思っていたわけではないけれど、言葉の響きから受け取るイメージはそんなところだった。

次にこの曲と出会ったのは、RCサクセションの "Sweet Soul Music" という曲の終わりの方で、忌野清志郎が何やら盆踊りみたいなリズムで英語のフレーズを口にし始めるのを耳にした時。もっともこの時はそれが「どくおぶざべい」だったのだなどとは分かるよしもなく、ただ "Sittin' on the morning sun" という何かの決意を感じさせるような響きを、ひたすらかっこいいと感じただけだった。

曲名とその実体とはさながら昔の連続テレビ小説のようにその後もすれ違いを繰り返し、ふたつが私の中でようやく幸せな出会いを果たすまでにはさらにいくつかのドラマが必要だったのだが、そんなことはさしあたりこのブログを訪問してくる人にとって、どうでもいい話であるに違いない。この歌はオーティス・レディングという人の歌だった。中島みゆき忌野清志郎に深く尊敬されているような人なのだから、その人が10代の私にとって偉大な人でないわけはなかった。書くべきことはそれだけである。


Otis Redding - (Sittin' On) The Dock Of The Bay (Official Video)

(Sittin' On) The Dock of the Bay

Sittin' in the mornin' sun
I'll be sittin' when the evenin' come
Watching the ships roll in
And then I watch 'em roll away again, yeah
朝日の中に腰かけ
夕方が来るまで座っている
揺れながら入ってくる船を見つめ
また揺れながら出て行くのを眺めている

 

I'm sittin' on the dock of the bay
Watching the tide roll away
Ooo, I'm just sittin' on the dock of the bay
Wastin' time
海辺の埠頭に腰かけて
潮が引くのを眺めている
埠頭にただ座って
なにもできずにいる

 

I left my home in Georgia
Headed for the 'Frisco bay
Cause I've had nothing to live for
And look like nothin's gonna come my way
ふるさとのジョージアを離れて
フリスコの海をめざしたんだ
何も生きがいがなかったから
でもやっぱり何も起こりそうにない

 

So I'm just gonna sit on the dock of the bay
Watching the tide roll away
Ooo, I'm sittin' on the dock of the bay
Wastin' time
海辺の埠頭に腰かけて
潮が引くのを眺めている
埠頭にただ座って
なにもできずにいる

 

Look like nothing's gonna change
Everything still remains the same
I can't do what ten people tell me to do
So I guess I'll remain the same, yes
何も変わりそうにない
何もかも今までと同じだ
いろんな人から言われることをおれは何もできなくて
だからずっとこんな感じでいるしかないんだと思う

 

Sittin' here resting my bones
And this loneliness won't leave me alone
It's two thousand miles I roamed
Just to make this dock my home
疲れた体を休めてるけど
さみしさがまとわりついて離れない
2000マイルもさまよって
この波止場にしか居場所はなかったわけだ

 

Now, I'm just gonna sit at the dock of the bay
Watching the tide roll away
Oooo-wee, sittin' on the dock of the bay
Wastin' time
そんでもって海辺の埠頭にただ腰かけ
潮が引くのを眺めている
埠頭にただ座って
なにもできずにいる

 

youtu.be

⬆︎まったく関係ない曲なのに、私が頭の中で "Dock of the Bay" を鳴らしていると、いつも途中でこの曲に変わってしまう。具体的には "So I guess I remain the same"の後で、変わってしまう。

 

=翻訳をめぐって=

Sittin' in the mornin' sun
I'll be sittin' when the evenin' come
Watching the ships roll in
And then I watch 'em roll away again, yeah

  • いろんな歌についての「豆知識」を英語で提供してくれているこのサイトによると、この曲の中でオーティス自身が作詞したパートはこの部分だけで、後の部分はすべてオーティスのイメージを聞きながらギタリストのスティーブ・クロッパーが言葉にまとめた歌詞になっているのだとのこと。(彼の歌の多くは、そうした形で作られているらしい)。
  • なお、この曲を録音した3日後に、オーティスは飛行機事故で他界している。この曲が口笛で終わっているのは、本当は続きを作るつもりだったのだけど歌詞がまだできておらず、代わりに口笛を録音したものが遺作になったらしい。という説もある。
  • このパートにrollという言葉が使われていることについて。スティーブが「rollしたら船に水が入って転覆しちゃうんじゃないか」とオーティスに疑問を呈したところ、オーティスは「そうなってほしいんだよ」と答えたらしい。そんな話がある以上は、訳詞にも「揺れながら」という言葉を入れないわけに行かなかった。

I'm sittin' on the dock of the bay
Watching the tide roll away
Ooo, I'm just sittin' on the dock of the bay
Wastin' time

  • bayという単語について。訳語はもちろん「湾」や「入江」なのだけど、日本語の湾は「湾に行く」という風に日常会話で使われる言葉ではない。調べてみるとサンフランシスコ湾は東京湾の半分くらいの広さがあるのだそうで、その「片隅に」腰かけるにしても余りにスケールの大きすぎる話になると思う。かと言って「入江」だと小ぢんまりしすぎているし、自然に包まれたイメージもある。普通われわれはそういう時どういう言葉を使うだろうかと考えたら、結局「海」になった。
  • Wastin' timeについて。直訳はもちろん「時間をむだにしながら」なのだけど、「時間をムダにする」というのは割と忙しい生活を送ってる人が使う言葉だと思う。「時間をつぶす」という言い方も考えたけど、それはそれで「目的のある活動」なわけだし、割と楽しそうにさえ思える。歌の中のオーティスは「何かしたいのに何もできない」状態なわけである。だから…結局そう書くしかなかった。何かだんだん意訳サイトになりつつある気がするな。

I left my home in Georgia
Headed for the 'Frisco bay

  • ジョージア東海岸でフリスコ (サンフランシスコの愛称) は西海岸。その距離はおよそ2000マイル (3200キロ)。アメリカを端から端まで歩いて、それ以上行けないところまでオーティスは来たわけだ。
  • また黒人であるオーティスが西海岸を目指したことには、差別が激しい南部をのがれて「自由」を求める意味が必然的に存在したはずだということが、多くのサイトで指摘されていた。そのことが後段の「何も変わらない」という歌詞に結びつくと、新たな意味が生じることになる。

Cause I've had nothing to live for
And look like nothin's gonna come my way

上段は過去完了形、下段は現在形になっているからそのように訳し分けたけど、アメリカ口語の時制というのはかなりアバウトなものらしいから、両方過去形だと解釈する読み方も可能なのかもしれない。すなわち「生きがいもないし何も変わりそうにないから」旅立ったのだという読み方である。詳しい方がいたら教えてください。

I can't do what ten people tell me to do

ここが一番解釈に苦しむところ。人に言われたことをうまくやれなくて落ち込むのは分かるけど、10人の人間からいっぺんにやいのやいの言われたら、うまくできない方がむしろ当然なのではないだろうか。「10人の人間にやれることが自分にはできない」ならやはり落ち込む理由にはなるけれど、この文をそう読むのは無理があると思う。こういう言い方の熟語でもあるのだろうかと思って調べてみたが、見つからなかったので、結局それっぽく意訳した。だれか解説できる方がいれば、この部分もよろしくお願いします。


RCサクセション スイートソウルミュージック

ではまたいずれ。