華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Catfish Blues もしくは私の沼 (1950. Muddy Waters)

 

今週のお題「私の沼」

f:id:Nagi1995:20170526205209j:image

ずっと意味がわからなかったり、間違った解釈を信じ込まされたりしてきた外国の歌を、一曲ずつ詳細に検討してみようという趣旨でブログを始めてからほぼ2週間になるのだけれど、そろそろこのブログもどうすれば多くの人に読んでもらえるかということを、考える時期に来ているのではないかと思う。始めて間もないのに何人かの熱心な読者の方についてもらえて、すごく心強い気持ちはしているのだけど、数人にしか知られていない状態では、いくら毎日「ご意見をお待ちしています」と書いても、翻訳の改善につながるような反応が返ってくることはおぼつかない。

そこで、考えたのだが、今まで自分に関係ないと思って無視してきたこのはてなブログの「今週のお題」というやつに、合わせて投稿するというのもひとつの手段なのではないだろうか。別にいつもと違ったことをする必要はない。歌は世界にいくらでもあるのだから、その中から「お題」と関係ありそうなのを1つ選んで取り上げればいいだけの話である。少なくとも普段より多くの人の目に触れることには、なるだろう。

過去の「お題」を調べてみたら、ちょうど2週間前が「髪型」になっていた。うかつだった。どうしてニック・カーショウをこのタイミングに合わせて出すことを考えなかったのだろう。また「自己紹介」というのもあった。これなんかは、ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」で決まりである。うん。思いつく。何とかやれそうだぞ。

それでもって今回の「お題」というのが、「私の沼」である。

…たちまち困ってしまった。日本の歌なら「♪遥かな尾瀬」とかあるけれど、外国の歌で「沼の歌」なんて、何も思いつかない

C.C.R.の "Bayou Country"って、あれは沼地のことじゃなかったかと思ったけれど、調べてみたらbayouは「小川」という意味だった。アイルランドのとても美しい歌で「ボンチャートレインの湖」というのがあるのだけれど、湖と沼ではやはり違う。ボンチャートレインというのを擬音的に解釈したら湖よりむしろ沼っぽいイメージがあると思うのだけど、たぶんそんなのは受けつけてもらえないだろう。

だが、曲名をあきらめて人名で考えてみようとしたら、とたんに思い出した。いたではないか。名前そのものが「沼」になってる人が。その名も「泥水」マディ・ウォーターズさんである。


The Band & Muddy Waters - Mannish Boy LIVE HD San Francisco '76

身近なところに憂歌団というバンドがいたせいなのか、それとも憂歌団というバンドを育んだ土地柄だったせいなのか、物心のついた時分から私の周りにいたカッコのいい兄ちゃんや姉ちゃんたちの中には、ブルースが好きな人がたくさんいた。(こだわりを持った人は Blues を必ずと言っていいほどブルーと発音するけれど、憂歌団が私に教えてくれたのは「ブルース」だったので、それで行かせてもらいます)。そしてそんな人たちの誰もが、ブルースを聞くならまずこれを聞かなアカンと口をそろえていたのが、マディ・ウォーターズという人のCDだった。

10代の頃の私にとっては、ブルースを知っているということがすなわちカッコいいことであり、カッコいいということはつまりブルースを知っているということだった。だから当時の私はまるで試験勉強をするようにマディ・ウォーターズを聞き、他のいろんなブルースマンたちのCDやLPを聞きあさった。そしてそのザラザラした歌い方を真似したり、英語のいろんなスラングを覚えたりしては、悦に入っていた。その頃のことを思い出すにつけ、今では顔から火が出るほど恥ずかしくなる。

ブルースというものは、アフリカから「奴隷」としてアメリカに連れてこられて以来の黒人の人たちの苦難の歴史と切っても切り離せないものなのであって、その人たちの気持ちも知らない人間が気軽にマネしたりカッコつけの手段にしていいものではないのだと、今では強く思う。ブルースについて知れば知るほど、そう思う。

白人のミュージシャンたちが「気軽に」それをマネした結果としてロックンロールというものが生まれ、「売れる」ものともなり、私も含めた世界中の人間の耳に届くようになった経過もあるわけだが、だからと言って「結果オーライ」という話にはならないはずだ。それは黒人の人たちからあらゆるものを奪ってきた白人の側の歴史が、いまだに世界を支配し続けているということしか、何も意味していないとも言えるのである。

だからブルースの歌詞というものは、私にとって「気軽に」訳せるものではない。かつての自分の軽薄さを思うにつけ、自分にそんな資格があるのかという気持ちが強く働くからである。とはいえそんな恥ずかしい過去も含めて「自分の青春に決着をつける」のがこのブログのテーマでもある。はてなブログの「お題」に刺激されてというのも冴えない話ではあるが、マディ・ウォーターズの名前が出ない限り、自分のそうした恥ずかしい原点を再認識させられる機会も、また訪れなかったと言えるだろう。

だからこれを機会に、一曲だけ紹介させてもらうことにしたい。これも「お題」に合わせてというわけでは決してないのだが、"Catfish Blues (なまずのブルース)"という曲である。


Robert Petway - Catfish Blues (1941)

 "Catfish Blues" は20世紀の初めぐらいからアメリカ南部のミシシッピ・デルタ地帯で黒人の人たちに歌われていた歌で、日本の民謡に決まった歌詞や節回しがないのとある意味同様に、いろんなバージョンがあった。上の動画はこの歌を歴史上最初に録音したとされるロバート・ペットウェイという人のバージョンである。この人のことについてはこの録音以外、生まれた場所も死んだ場所も一切記録に残っていないらしい。

マディ・ウォーターズは1910年代にミシシッピ州で生まれ、1943年にシカゴに移住し、「南部の田舎」の音楽だったブルースを「北部の都会」で初めて流行らせた人の1人だった。彼はそれまでギターとハーモニカだけで演奏されるのが普通だったブルースをバンド形式で演奏することを始め、1950年代のロックンロールの誕生に強い影響を与えることになる。

1950年、マディ・ウォーターズはこの "Catfish Blues" を "Rollin' Stone" というタイトルに変えて録音し、発表する。彼のブルースに魅了され、この曲名をバンド名にしてイギリスでデビューしたのが、説明不要だがローリングストーンズというバンドである。有名な音楽雑誌の「ローリング・ストーン・マガジン」も同じ曲から名前をとっており、どちらもマディ・ウォーターズから名前をもらっていることを除けば、両者の間に直接の関係があるわけではない。

ジミ・ヘンドリックスはこの "Catfish Blues" をアレンジして作った "Voodoo Chile" という大曲を1968年5月2日に録音し、さらにその翌日にいっそう大胆なアレンジを加えた "Voodoo Child (Slight Return)" を録音してロックの歴史を塗り替えた。すべてが "Catfish Blues" という曲から始まったことを考えるなら、「沼」というお題があろうとなかろうと、いずれはこのブログで取り上げるしかない曲だったのである。

 


Muddy Waters - Rollin' Stone (Catfish Blues)

Catfish Blues (Rollin' Stone)

Well i wish
i was a catfish
swimmin in a oh, deep, blue sea
I would have all you good lookin women,
fishin, fishin after me
Sure 'nough, a-after me
Sure 'nough, a-after me
Oh 'nough, oh 'nough, sure 'nough
ああ おれは
なまずだったらよかったのにと思う
泳いでるんだ
深くて 青い海の底を
そしたら いい女たちがみんな
おれを釣りあげようとするだろう
そうさ 追っかけてくるだろう
そうよ 追っかけてくるだろう
ああ 言うことなしだな

 

I went to my baby's house,
and I sit down oh, on her steps.
She said, "Now, come on in now, Muddy
You know, my husband just now left
Sure 'nough, he just now left
Sure 'nough, he just now left"
Sure 'nough, oh well, oh well
あいつの家に行って
階段のところに座った
「入ってよ、マディ」とあいつが言った
「今、うちのひと、いないから」
そうさ やつはいない
そうよ やつはいない
ああ 言うことなしだな

 

Well, my mother told my father,
just before hmmm, I was born,
"I got a boy child's comin,
He's gonna be, he's gonna be a rollin stone,
Sure 'nough, he's a rollin stone
Sure 'nough, he's a rollin stone"
Oh well he's a, oh well he's a, oh well he's a
おふくろはおやじに言った
おれが生まれる前のことだ
「男の子が生まれるみたいだよ」
「きっと転がる石みたいな子になるよ」
そうさ ローリン・ストー
そうよ ローリン・ストー
ああ その子は その子は その子はね

 

Well, I feel, yes I feel,
feel that I could lay down oh, time ain't long
I'm gonna catch the first thing smokin,
back, back down the road I'm goin
Back down the road I'm goin
Back down the road I'm goin
Sure 'nough back, sure 'nough back
ああ おれは そう おれは
もうやめちまいたい この先も長くない
汽車の煙が見えたら飛び乗って
もと来た道を戻るんだ
もと来た道を戻るんだ
そうさ 戻るんだ そうよ 戻るんだ


Jimi Hendrix 'Voodoo Child' (Slight Return)

=翻訳について=

Well i wish
i was a catfish
swimmin in a oh, deep, blue sea

数ある "Catfish Blues"の中でも、このパートだけはすべてに共通して歌われている。ナマズは何のメタファーなのか、淡水魚のはずのナマズがどうして「青くて深い海の底」で泳ぐことになるのか。さまざまな説が昔から存在するし、ネット上にもいろんな解釈があふれているが、それについての見解を言うことは私の仕事ではないし、思いつきで分かったようなことを言っても多分まちがいにしかならないと思う。

I went to my baby's house,
and I sit down oh, on her steps.

"step" はもちろん階段の「段」だけど、段差になったところや足をかけるところ一般に使われる名詞である。her stepsと言った場合、「彼女の膝」といったような解釈も同時に成り立つ。その場合、それに続く「入ってよ、マディ」も当然別の意味を持つことになる。

he's gonna be a rollin stone

今では英語の教科書に載ってるぐらい有名な話らしいけど、"Rolling Stone" という言葉は "Rolling stone gathers no moss (転がる石には苔がつかない)" という英語圏のことわざに由来した「仕事や居場所をコロコロ変える人」の例えであるらしい。ただしこのことわざはイギリスでは「1ヶ所に落ち着かない人間には何も身につかない」という「悪い意味」で使われており、一方アメリカでは「ひとつのことにとらわれなければいつも新鮮な自分でいられる」という「いい意味」で使われているのだとのこと。

I'm gonna catch the first thing smokin

海外のサイトで「catch the first thing smokinってどういう意味ですか」と質問しているスペイン人の人がいて、それにアメリカ人の人がこう答えていたから、たぶん正しい訳になっていると思う。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、アメリカの人たちは地平線に煙が上がるのを見ることで汽車が来ることを知ったのだ。

youtu.be

…最後にどうしても憂歌団の曲も紹介しておきたくて載せたのだけど、今になって思うのは、私はこの人たちから「ブルースの心」を学んできたつもりでいたが実はそれは「演歌の心」であって、それを長年勘違いしたまま自分はブルースが分かると思い込んでいただけだったのではないだろうか、ということである。あくまで私の場合は、ということなんですけどね。

ではまたいずれ。