華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Voodoo Child (Slight Return) もしくは手刀で山をまっぷたつ (1968. Jimi Hendrix)

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前回の Catfish Blues の記事で紹介したのはジミヘンのオリジナルバージョンだったけど、私が初めてこの曲を聞いたのは、スティーヴィー・レイ・ヴォーン & ダブル・トラブルの "Couldn't Stand the Weather" というアルバムの4曲目に入っていたバージョンを通してだった。その時のことは今でもよく覚えている。

おそらく誰もがどこかで聞いたことのある有名なイントロのギターがしばらく続いた後、レイボーンジャイアンみたいな声でおもむろに歌い始めた。

Well I'm standing next to a mountain...

わかりやすい歌詞だな、と私は思った。山を前にして立っている自分の姿が自然と頭に浮かんだ。ところが次の歌詞はこんな風に続いた。

Chop it down with the edge of my hand

 …チョップ?エッジ?ハンド?私は思わず自分の右手を見た。

なんて、すごい歌詞なんだ。


Stevie Ray Vaughan - Voodoo Child (One Night In Texas)

Voodoo Child (Slight Return)

Well, I stand up next to a mountain
And I chop it down with the edge of my hand
Well, I stand up next to a mountain
Chop it down with the edge of my hand
Well, I pick up all the pieces and make an island
Might even raise just a little sand
'Cause I'm a voodoo child
Lord knows I'm a voodoo child
おれは山に向かって立ち
それを手刀で叩き割る
山に向かっておれは立ち
それを手刀で叩き割る
山のかけらを集めて島をつくる
わずかな砂から山をつくることだってできる
なぜならおれはヴードゥーの民のひとり
神が知っている おれはヴードゥーの子だ

I didn't mean to take you up all your sweet time
I'll give it right back to you one of these days
I said, I didn't mean to take you up all your sweet time
I'll give it right back to you one of these days
And if I don't meet you no more in this world
Then I'll, I'll meet you in the next one
And don't be late, don't be late
'Cause I'm a voodoo child
Lord knows I'm a voodoo child
I'm a voodoo child


おまえの幸せな時間を取りあげようというんじゃない
そのうち必ず返してやる
おまえから幸せな時間を奪おうというんじゃない
それは必ず返してやる
そしてこの世界ではもう会えなくなったとしても
次の世界でおれは必ずもう一度お前に会う
遅れるなよ おれは遅れはしない
なぜならおれはヴードゥーの民のひとり
神が知っている おれはヴードゥーの子だ
おれはヴードゥーの民のひとりだ

 

=翻訳について=

Well, I stand up next to a mountain

ここに next to という言葉が使われているのは、たぶん山のサイズと自分のサイズが対等であることを示すためなのではないかと思う。だからあえて「山と並んで」とか「山の隣に」とか訳する必要はないのではないだろうか。これから山を叩き割ろうとしている人間は、「山の横」ではなく「山に向かって」立つはずだからである。

Might even raise just a little sand

raiseには「平らなものを上方に隆起させる」という意味があると辞書には書いてあったのでそれを参考に意訳したが (私が「意訳する」という言葉を使う時は「意味もわからないのに憶測で翻訳した」という場合がほとんどで、「意味を分かっている人間が日本人に分かりやすい言葉に置き換えた」という意味にはほぼならない) 他に「高く持ち上げる」「死者をよみがえらせる」などの意味もある。別の訳し方もあるのかもしれない。

Lord knows I'm a voodoo child

voodooという言葉について、簡単には語れない。「ブードゥー教」という言葉によって形作られた多くのイメージはあるが、そのほとんどと言うより全てがアメリカ白人の視点に立った差別的なものだと思う。言えることは、かつてアフリカ西海岸から「奴隷」としてアメリカ大陸に連行されてきた黒人の人たちのあいだに、アフリカでの生活のあり方は現在でもさまざまな形で引き継がれており、その総体をさす概念として "voodoo" という言葉が使われる場合があるらしいということ。そしてジミヘンという人はその響きに自らのアイデンティティを見いだそうとして、この言葉を取りあげたのだろうということである。

1970年のライブで、彼はこの曲を「ブラックパンサーのナショナル・アンセムだ」と紹介して演奏を始めたのだという。national anthem は「国歌」と訳されることが多いが、もとよりブラックパンサーは国家ではない。「団結心を高めるための歌」と解釈されるべき言葉だと思う。だとすれば voodoo child は「ヴードゥーの民」と訳される言葉だろうと思い、そのようにした。

Lord knows という言葉について。以前にも触れたことがあるように私は神というものを一度も信じたことのない人間であり、キリスト教文化の中で形成されたこうした英語の言葉が、ネイティヴの人たちにとってどんな響きや感情がともなったものであるかを「理解」できることはたぶん一生ない。ましてその言葉を「自分の言葉」にすることを暴力的に強制された黒人の人たちが、「別の神」のことを同じ言葉で表現せざるを得ない気持ちにまで話が及ぶと、正直言って想像もつかない。ただし日本語表現に移した場合、「神は知っている」と言うと救いを求めるイメージになるが、「神が知っている」と言うと「誰にも理解されなくてもかまわない」という強い決意の込もった響きになる。だから後者を選んだ。

I didn't mean to take you up all your sweet time

辞書を引くと take up という熟語の項目では36通りもの違った意味が紹介されており、多くは「取りあげる」という意味から派生した言葉の日本語表現だったが、例えば「子どもから (罰として) ケータイを取りあげる」といったような用例は、掲載されていなかった。そしてそれとほぼ等しい「奪う」という訳語も、そこには掲載されていなかった。しかしどう考えてもここでは「奪う」という意味しかないだろうと思って上記のように訳したが、多くの致命的な誤訳はそういう「見切り発車」から生じるものだということを私は経験的に知っている。36通りの訳語があるのにそこに「奪う」がないということにこそ、何らかの「意味」が存在しているようにも思えてならない。皆さんの意見はどうでしょう。

And don't be late, don't be late

ここはですね。 don't be lateが命令形なのか、それとも上の段にある主語と合わさって I don't be late と言ってるのか、私には判断できなかったのです。だからジミヘンが2回繰り返しているのをいいことに、両方の訳語をここには載せた。私はそういうヒキョーでチョコザイなことを、しょっちゅうやる。しかしそれというのは、今まで私の翻訳をチェックしてくれる人が1人もいなかったからである。どっちなのかがハッキリしたら、そちらに合わせたい。皆さんの意見をお待ちしています。


SPARKS GO GO - Wild Thing

ではまたいずれ。