華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

何をくよくよ川端柳 もしくは明日の風が吹く (1862. 坂本龍馬)

今週のお題「ブログ川柳」

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1人でも多くの人に読んでもらうべく、先週から「今週のお題」にも積極的に付き合って行くことを決めた当ブログではあるのだが、二週目にして早くも頭を抱えてしまった。今週の「お題」は、私のことを拒んでいる。このブログは、外国語の歌を日本語に翻訳することをテーマにしたブログなのである。「川柳」なんかに登場してもらう余地が、どこにあるのだろう。また私がここでやるべきことは人様の作品の翻訳であって、自分が作品を作ることではない。そうしないと、テーマがグチャグチャになる。このことは、ブログを始めた最初から決めていたことなのである。

「5/7/5で川柳をつくれ」という直接の指令はとりあえずスルーして、前回同様に曲名や人名に「川柳」が入っている作品を探すという手も、ないではない。しかしモノが「川柳」である限り、外国語の歌ではまず見つかる見込みはない。日本の歌でも「川」と「柳」が入っているものといえば、私に思いつくのは坂本龍馬が作ったと言われている

何をくよくよ川端柳

明日は明日の風が吹く

という有名な都々逸くらいである。古い歌ではあるけれど歌詞の意味は明快だし、およそ翻訳の対象になるものではない…と思いながら「何をくよくよ川端柳」という言葉で何となく検索をかけてみたところ、あれ。どういうことだろう。私の知っているのと全然ちがう歌詞が出てきた。

何をくよくよ川端柳

水の流れを見て暮らす

…今まで全然知らなかったけど、ネット上で「坂本龍馬作」として紹介されている都々逸は見たところすべてがこの歌詞になっている。あれえ。それでは私が今まで覚えていた「明日は明日の風が吹く」というのは、どこから出てきた言葉だったのだろう。「はてなキーワード」で調べてみると、こんなことが書いてあった。

明日は明日の風が吹く

マーガレット・ミッチェルの小説で映画化もされた「風と共に去りぬ」のヒロインであるスカーレット・オハラの最後のせりふ。原語では "Tomorrow is another day."

…まさかこんなところにスカーレットが出てくるとは、夢にも思っていなかった。そうだったっけ?宝塚の最後のセリフは「タラへ!」じゃなかったっけ?「明日は明日の風が吹く」って、英語だったのか?しかし "Tomorrow is another day." をそういう風に翻訳するというのは、かなりの「超訳」である。ここはやはり、もともと都々逸か何かの形で存在していた「明日は明日の風が吹く」という日本語の名文句を、この英文に当てはめたと解釈する方が「自然」なのではないだろうか。

…期せずして「今まで誤解してきた歌の意味を正しく知る」というこのブログのテーマに合致した展開になってきたので、今回はこの問題について、掘り下げて調べてみることにしたい。


新内枝幸太夫 都々逸 何をくよくよ川端柳

まずは「何をくよくよ川端柳」について。「正しい」歌詞は「水の流れを見て暮らす」であると言われてみても、やっぱり私は明日は明日の風が吹くと続ける方が好きである。なぜって、前者はしょぼくれて川の水面を見つめている柳の姿を客観的に描写しているだけだが、後者は柳のことを励ましている。そして「風」という一語が出てくることによって、「川」「柳」「くよくよ」という前半のぬめっとしたイメージが一気に爽やかになる。この対比の鮮やかさが素晴らしいのだ。そんなことを言ってみても「華氏65度の冬」でしかないのは分かった上での話ではあるのだけれど。ところで前者の方の解釈について、Yahoo知恵袋にはこんなことが書かれている。

川原に茂る柳よ、なぜそんなに悲しげな姿をしているのだい?君は良い場所にいるのだよ。君がいつも見ている川の流れのように、嫌なことなんか皆、流されていくのを見て暮らそうよ。

 

坂本竜馬都都逸でしたっけ。
いつ落とすかわからない命。明日をも知れない身でありながら、それを軽やかに受け止めるような、爽やかさや強さを感じてしまいます。

…どう思います?もしそういう意味だったら「川の流れを見て暮ら」になると思うのだけど、原文は飽くまで「暮らす」なのである。この歌がそんなにカッコのいい歌であるようには、あんまり私には思えない。

ちなみに複数のサイトが教えるところによれば、この都々逸は坂本龍馬が「寺田屋事件」で犠牲になった薩摩藩の志士たちを弔うために作ったものであるという。そうであるならばなおのこと「イヤなことなんて水に流してしまえ」という解釈は「軽すぎる」ように私には思える。それって、単なる日和見主義ではないか。ここはむしろ、ぬめっとじとっと俯いている柳の姿そのものが龍馬の気持ちを表しているのだと素直に受け止めた方が自然だし、そう思った方が彼のことが誠実な人間に見えてくる気がする。私自身は坂本龍馬が「誠実」な人間だったなどとは全然思わないし、別に彼の肩を持ってやらねばならない理由などは、ないのだけれど。

(坂本龍馬は、自らの親友であり「同志」でもあったはずの武市半平太をはじめ、多くの仲間たちを弾圧し皆殺しにした土佐藩の上士たちと、平気で手を握ることができた人間である。司馬遼太郎やら小山ゆうやらが寄ってたかってそれを美化したり正当化したりしてきたものだから、そういう人間として最低のことをやれることを何か「大物の証」みたいに勘違いしている人間が後を絶たないことに、私は虫酸が走るのである)。


Bob Dylan & Grateful Dead - Watching The River Flow

そして明日は明日の風が吹くなのだが、これもやはり「風と共に去りぬ」より古くからあった言葉で、19世紀の歌舞伎作者である河竹黙阿弥が書いた「上総綿小紋単地」という芝居のセリフが初出になっているらしいことが、調べてみて分かった。芝居としては全く当たらなかったので筋などは忘れ去られてしまったが、このセリフだけは東京の落語家などの間で使われる形で生き残り、それが第2次大戦後に公開された映画「風と共に去りぬ」のラストシーンの訳語に使われることで、一気に「ブレイク」することになったらしい。本当に、調べれば何でもわかる時代になったものだと思う。詳しいことは以下のサイトに書かれていたので、リンクを貼らせて頂くことにした。

"Tomorrow is another day"は「明日は明日の風が吹く」でいいですか?:Jackと英語の木

そして最後の問題は今回のブログをどのように締めくくればいいかということなのだけど、この際、何でもいいかという気がしている。何しろこのブログはそんな風に、「分かったようでいて分からずにいた歌の意味」をハッキリさせるということに焦点を絞ったブログである。他の方面にまで手を広げる予定は今のところない。興味を持った方がいればぜひ読者になって頂いて、願わくは私の翻訳作業に力を貸して下さい。ではまたいずれ。