華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Watching the River Flow もしくは水の流れを見て暮らす (1971. Leon Russell)

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「何をくよくよ川端柳」にあまりにピッタリ来る歌詞だったもので、思わず前回はボブ・ディランの作詞になるこの曲の動画を紹介してしまったが、このブログでディランの曲を取り上げる予定は私にはなかったし、基本的にこれからもない。

理由はひとつには、彼の初期作品のすべてを翻訳していた片桐ユズルさんの訳詞が私にとって素晴らしすぎるからで、多少の誤訳を見つけたとしても、私ごときが手を加える気にはとてもなれないからである。そしてもうひとつに、私自身とディランとの「腐れ縁」はあまりに長きにわたっており、「愛憎」の「憎」の部分が年と共に膨れあがっていく一方なので、どういう距離の取り方をしていいのかが自分でもよく分からないからである。

だからこのブログでは、意地でもディランの曲は取り上げない。この曲も飽くまで、レオン・ラッセルの曲として紹介させてもらう。もっとも詞を書いているのはやはりディランなわけであり、そうなると私としては片桐ユズルさんの訳詞を「そのまま」紹介する以外に書きようがない。これだけyoutubeの動画を貼りつけたり原詞の丸写しをしたりしておいて今さら著作権も何もあったものではないのだが、自分と同じように訳詞に取り組んでこられた大先輩が書いたものを丸ごと転載するのは、やはり気が引ける。Amazonの関連商品貼りつけというのを使って出典を明記すれば、「本の紹介」という形で一曲ぐらいは許してもらえるのではないかと思う。それをもって心の免罪符としたい。

なお、今回の記事を書くにあたり改めて調べていて、レオン・ラッセル氏が昨年12月に病没されていたことを初めて知った。今さらながらではあるが、追悼の気持ちを込めて動画を紹介させて頂きたい。


LEON RUSSELL, WATCHING THE RIVER FLOW

Watching The River Flow
河のながれを見つめて (訳詞:片桐ユズル)

What’s the matter with me
I don’t have much to say
Daylight sneakin’ through the window
And I’m still in this all-night café
Walkin’ to and fro beneath the moon
Out to where the trucks are rollin’ slow
To sit down on this bank of sand
And watch the river flow
おれはいったいどうしたのかな
あまりいうことがなくなった
朝の光が窓からしのびこむが
おれはまだこの終夜カフェにいる
あちらこちらと月の下をあるきまわり
トラックが低くうなっているところへ
この砂の河べりへやって来てすわり
河のながれるのを見よう

 

Wish I was back in the city
Instead of this old bank of sand
With the sun beating down over the chimney tops
And the one I love so close at hand
If I had wings and I could fly
I know where I would go
But right now I’ll just sit here so contentedly
And watch the river flow
街にもどったほうがよかった
この砂の河べりよりも
煙突のうえから日が照りつけ
愛するひとの手のとどくところに
羽があって飛べたなら
どこへ行くかわかってる
だがいまはここに満足げにすわり
河のながれるのを見るだけだ

 

People disagreeing on all just about everything, yeah
Makes you stop and all wonder why
Why only yesterday I saw somebody on the street
Who just couldn’t help but cry
Oh, this ol’ river keeps on rollin’, though
No matter what gets in the way and which way the wind does blow
And as long as it does I’ll just sit here
And watch the river flow
ひとびとはあらゆることについてひとつひとつ賛成しない
いったいぜんたいこれはどういうことだろう
たったきのうおれは通りでだれかが
泣くよりほかにどうしようもないのを見た
おおこの河はながれつづけるのです
なにがじゃまに入ろうと 風がどちらへ吹こうと
河がながれつづけるかぎり おれはここにすわって
河のながれるのを見る

 

People disagreeing everywhere you look
Makes you wanna stop and read a book
Why only yesterday I saw somebody on the street
That was really shook
But this ol’ river keeps on rollin’, though
No matter what gets in the way and which way the wind does blow
And as long as it does I’ll just sit here
And watch the river flow
どこを見てもひとびとは意見があわない
そこであんたは立ちどまり本をよむ
たったきのうおれは通りでだれかを見た
それはほんとうにおそるべき経験なのだ
だがこの河はながれつづけるのです
なにがじゃまに入ろうと 風がどちらへ吹こうと
河がながれつづけるかぎり おれはここにすわって
河がながれるのを見る

 

Watch the river flow
Watchin’ the river flow
Watchin’ the river flow
But I’ll sit down on this bank of sand
And watch the river flow
河がながれるのを見る
河がながれるのを見ている
河がながれるのを見ている
でも おれはこの砂の河べりにすわって
河がながれるのを見る

=翻訳をめぐって=

Why only yesterday I saw somebody on the street

  • 今回読み返して聞き返して初めて気づいたのだけど、片桐ユズル氏はこの箇所のwhyを訳していない。1回目のwhyは、前節の終わりのwhyが繰り返されているのだと考えれば、確かに訳さなくてもいいのかもしれない。(それにしても"Makes you stop and all wonder why"が「いったいぜんたいこれはどういうことだろう」と訳されているのは、ここだけずいぶん意訳になっていると思う。「ひとびとはあらゆることについてひとつひとつ賛成しない/ そのことがあんたを立ち止まらせ みんなを悩ませる」という風にも訳せるとおもうのだが、どうなんだろう。allという言葉の使い方が、何か複雑なことになっているのだろうか) しかし2回目のwhyを訳さない理由は、私には分からない。「ついきのうおれが通りで誰かを見たのはなぜなのだ」と訳した方が正確なのではないかと、私は思う。このブログは一応対象年齢が中学生以上なので、英文解釈をめぐって自分にもよく分からなかった部分は、正直に書いておきます。
  • only yesterdayは「つい昨日/たった昨日」という意味なのだけど、この熟語が高畑勲の「おもひでぽろぽろ」の英訳タイトルになっていたことを、調べていた過程で初めて知った。何となく書いておきたい気持ちになったので、付記しておきます。

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それにしてもレオン・ラッセルの画像を探していて一番上の写真に出会った時には、思わず金縛りを起こしそうになった。あまりに「蛾」に似ていたからである。それも私が子どもの頃に一番怖くて近寄れなかった、オオミズアオという巨大な蛾にだ。レオン・ラッセルという人には割とワイルドなイメージを持っていたのだけど、晩年はこんな仙人みたいな人になっていたのだろうか。しかしこんなに蛾っぽい人って、いるものなのだろうか。それとも蛾という生き物の顔が、レオン・ラッセルっぽいと形容すべきなのだろうか。参考のために「蛾の顔」という言葉で画像検索してみたが、やっぱり、すごく似ている。(写真の蛾はオオミズアオではなく、それとよく似たオナガミズアオというやつです)。

…虫がキライな方には、ビックリさせて失礼しました。ではまたいずれ。

ボブ・ディラン全詩302篇―LYRICS 1962‐1985

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ボブ・ディラン全詩集―英文・和文2冊組

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