華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

You Can't Always Get What You Want もしくは「いくら泣いても叫んでも、決して奇跡は起こらない、そんな歌を」(1969. The Rolling Stones)

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「さよならだけが人生だ」というのは、「それを言ったらすべてが終わりになってしまう言葉」でもある。この言葉が大好きだった寺山修司は、好きすぎたがゆえに、そのことの恐ろしさに気づかずにいられなかったのではないかと私は思う。「さよならだけが人生だ」なんて言ってしまったら、他にはもうどんな言葉も言えなくなってしまうし、どんな言葉も書けなくなってしまう。私がもし作家だったら、そんな言葉が自分のペンから出てきたら最後、その日を限りに作家をやめるしかなくなってしまうことだろう。

しかし、さよならだけが人生なのだということを分かっていながら、寺山修司はなおも書き続けなければならなかった。その理由は私は知らない。「食うため」だったのだろうとか、そういう風にはあんまり思いたくないけれど、何か書くことをやめるわけに行かない切実な理由が、彼にはあったのだろう。しかし「さよならだけが人生だ」という言葉を自分の言葉として吐いてしまったら、後は何を言おうとすべてが「余計な言葉」でしかない。

だから彼は「さよならだけが人生ならば/また来る春は何だろう」という詩を「自分のために」書くしかなかったのだと思う。そしてあえてキツいことを言わせてもらうなら、それはつくづく「余計なこと」だったと私は思う。「さよならだけが人生だ」をそういう風に言い換えた瞬間に、彼は「日和って」しまったのである。山の頂上を自分の目で捉えていながら、そこまで行ったら帰れなくなることを悟ってしまったから、結局頂上を目指すのをあきらめてそこで引き返してしまったのである。引き返したからこそ、彼には「書き続ける」ことができたのかもしれない。しかし、途中で引き返してしまった人間にはもはや、「引き返したことへの言い訳」以外には何も書けなくなってしまうのだ。そんなに恥ずかしい姿をさらしてまでも本当に「書く」ことの方が大切なのだろうかと、私なんかは思ってしまう。

 それと全く同じことをやっているのが、この「無情の世界」のローリングストーンズである。"You can't always get what you want" と3回も繰り返しているのだから、そこでやめときゃいいではないか。どうしてその後に「でもがんばれば何とかなるかもしれないよ」なんて、自分でも絶対信じてないような言葉を言い訳がましく付け加えたりとかするのだろう。理由は明らかで、やはりここでもミック・ジャガーが自分の見つけてしまった真実の恐ろしさに自分でビビってしまったからなのだと私は思う。確かにその「後の部分」があるおかげで、この歌は「誰もが安心して歌える歌」になっている。でもそんな歌なんて、結局「誰にとってもどうでもいい歌」以上のものではないかもしれないのである。

聞くところによると、この曲はトランプの大統領選の「勝利集会」で「退場曲」として使われたらしい。ストーンズの面々はトランプに対し、自分たちの曲を勝手に使うなと一応抗議はしているらしいけど、トランプみたいなやつにまで「安心して使える」ような曲を書いてしまったかれらの側にも責任はあるのである。「がんばれば何とかなるかもしれないよ」などという無責任な言葉さえ付け加えていなければ、トランプなんかには付け入る隙も与えなかったはずなのだ。本当に、ぶざまな話だと思う。

ぶざまな話である。


The Rolling Stones - You Can't Always Get What You Want (with Mick Taylor)

You Can’t Always Get What You Want

I saw her today at the reception
A glass of wine in her hand
I knew she was gonna meet her connection
At her feet was a footloose man
今日 レセプションで彼女を見かけた
ワインのグラスを手にしてた
誰かに会うんだってことは わかってた
軽薄そうな男が まとわりついてた

 

You can't always get what you want
You can't always get what you want
You can't always get what you want
But if you try sometimes well you might find
You get what you need
手に入らないものというのは ある
望んだってかなわないことは いっぱいある
願った通りに行くことなんて そうあるもんじゃない
でもがんばってみれば 時には
気がついたら手に入ってたなんてことも
あるかもしれないよ

 

And I went down to the demonstration
To get my fair share of abuse
Singing, "We're gonna vent our frustration
If we don't we're gonna blow a 50-amp fuse"
そんでもっておれはデモに行き
自分に割り当てられた罵声を しっかり叫んできた
欲求不満を発散するんだ! うまく行かないなら
 みんなで頭のヒューズをぶっちぎってやろうぜ!50アンペア分だ!」
そんな風に歌いながら

 

You can't always get what you want
You can't always get what you want
You can't always get what you want
But if you try sometimes well you just might find
You get what you need

 

I went down to the Chelsea drugstore
To get your prescription filled
I was standing in line with Mr. Jimmy
And man, did he look pretty ill
We decided that we would have a soda
My favorite flavor, cherry red
I sung my song to Mr. Jimmy
Yeah, and he said one word to me, and that was "dead"
I said to him
チェルシーの薬局に行った
処方箋の薬を出してくれるところ
ミスター・ジミーと一緒に列に並んでた
でもってジミーさんすごく調子が悪そうだった
一緒にソーダを飲むことにした
おれが好きなのはサクランボ味の赤いのだ
ミスター・ジミーにおれの歌を歌ってやった
ジミーさんの感想はたったの一言「すげえ」
だからおれは言ってやった

 

You can't always get what you want
You can't always get what you want
You can't always get what you want
But if you try sometimes you just might find
You get what you need
You get what you need--yeah, oh baby

 

I saw her today at the reception
In her glass was a bleeding man
She was practiced at the art of deception
Well I could tell by her blood-stained hands
今日 レセプションで彼女を見た
彼女のグラスの中には血まみれの男
彼女の嘘は芸術の域にまで高められている
血が染みついたその手を見ておれにはわかった

 

You can't always get what you want
You can't always get what you want
You can't always get what you want
But if you try sometimes you just might find
You just might find
You get what you need

 

You can't always get what you want
You can't always get what you want
You can't always get what you want
But if you try sometimes you just might find
You just might find
You get what you need
手に入らないものというのは ある
望んだってかなわないことは いっぱいある
願った通りに行くことなんて そうあるもんじゃない
でもがんばってみれば 時には 気がついてみたら
気がついてみたら手に入ってたなんてことも
あるかもしれないよ

=翻訳をめぐって=

I saw her today at the reception

reception という言葉には「誰かを歓迎するためのパーティ」という意味の他に、イギリス英語では「ホテルのフロントや会社の受付」という意味があるらしいが、後者の場合彼女がワイングラスを持ってウロウロしてることはありえないので、ネイティヴはみんな前者の意味で聞いていると英国人の人から教わった。あんまり説明くさい訳詞にするのもイヤなので、結局「レセプション」とカタカナ表記にした。

You can't always get what you want

繰り返し部分を同じ言葉で訳さないのは私の悪いクセなのかもしれないが、日本語に置き換えたらいろんなニュアンスを持ってる言葉なのだから、書けるだけ書いとくしかないではないか。

To get my fair share of abuse

直訳は「(私はデモに行って) abuse の正当な分け前を手に入れた」…難解な部分である。abuseには「虐待」という意味があるので、最初私は「デモで警察に殴られた」という意味かと考えた。しかし上記の英国人の方は「verbal abuse =罵声/悪口雑言」のことだと思うと説明していたので、そのように訳した。

If we don't we're gonna blow a 50-amp fuse

「blow fuse=ヒューズを飛ばす」には、イギリス英語で「興奮して熱くなる」という意味があるのだそうだ。あんな、武器にもなりそうにないものを投げつけて何の意味があるのかと思っていたよ。それが「50アンペア分」だからさらにぶっといヒューズになるわけだけど、そういう気の利いた言い方をされればされるほど、外国のファンは困ってしまうのである。

I was standing in line with Mr. Jimmy

この Mr. Jimmyという人が何者かについては、2つの説があるらしい。ひとつは当時のストーンズのプロデューサーだったジミー・ミラーという人だという説。もうひとつはストーンズがツアーで訪れた米国ミネソタ州エクセルシオールの街の有名人だった Jimmy Hutmaker (読めない) という人のことだという説である。後者のジミーさんについてはwikipediaの英語版に詳しい説明が載っていたので、興味がある人は読んでみたらいいと思う。翻訳それ自体にはあんまり関係のないことなので、ここでは細かく触れない。

Jimmy Hutmaker - Wikipedia

Yeah, and he said one word to me, and that was "dead"

この dead がどういうニュアンスを持っているのか、いまだネイティヴの人には確認できていない。ほめ言葉なのかけなすための言葉なのかもわからない。サイトによっては「ひでえ」と訳されているし、別の和訳サイトでは「すげえ」になっている。ここでは何となく雰囲気で「すげえ」をえらんだが、そんなことでいいのだろうか。「やばい」にすればどっちの意味でも通用するのかもしれないが、私はこの言葉が好きくないのだ。


アンジー アネモネの奇跡

もう20年以上も前のこと。アンジーの三戸華之助さんはこの曲を歌う前に「いくら泣いても叫んでも、決して奇跡は起こらない。そんな曲を」と紹介していた。この世界には、そんな歌だけあればいい。時々私はそんな気持ちになることがある。

時々だけどね。

ではまたいずれ。