華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

東方的威風 もしくはホトトタイマホー (1983. 成龍)

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「ミスター・ハイディホー」という、日本の文字で書くと実にしまらない字面になるキャブ・キャロウェイさんの二つ名を読んで、思い出したのは子どもの頃に大好きだったこの歌だった。と言うよりまず、このコントだったと言うべきかもしれない。


ごっつええ感じ 兄貴7

90年代の近畿地方で10代をすごした少年少女にとって、あの時期、ダウンタウンユニコーンが言うことは何でも「正しいこと」だった。私もそう信じていた。ある意味では神に等しい存在だったと言えるかもしれない。

今では、ダウンタウンなんて大嫌いである。

浜田は平気で女性を殴れる男だし、松本の考えていることなんて東条英機ヒトラーと何も変わらない。

90年代に東条英機ヒトラーみたいなことを言う人間がいても、それはギャグにしかならなかった。そしてまた本人が本気でそういうことを言っているのだとも、誰も受け止めなかった。ただ「面白いから」「ギャグとして」そういうキャラクターを演じているだけなのだろうと、少なくとも私は思っていた。

だが実際には「単にヒトラーみたいな男」がずーっと変わらずに、そこにいただけだったのだ。

私がようやく気づいた時には、すでに「シャレにならない時代」になっていた。

…私はずっと自分が10代だった時代を、「いい時代」だったと思っていた。でも、すべての間違いはあの時代から既に始まっていたのではないかと、最近になって強く思う。

だから私には「青春に決着をつける作業」が必要なのだ。

ジャッキー・チェンの「プロジェクトA」の主題歌だった「東方的威風」は、あの時代の私たちにとっては「ホトトタイマホー」というスキャットでしかなかったし、またそれでよかった。だが本当にそれでよかったのか。それをいまだに「楽しい思い出」として語っていたりして、いいのだろうか。

ちっともよくない。それは「他の国の文化なんて、わかる必要はない」という態度のあらわれでしかない。そしてそれを「楽しい思い出」として語り続けるということは、「わかる必要はない」という態度を取り続けることに他ならない。

だから私はこんな歌の歌詞ひとつに対しても、こだわらずにはいられないのである。そこには必ず「意味」があるのだから。


プロジェクトA 主題歌  東方的威風

東方的威風

ろんじょい だいでい じゅむん じんへぃ
龍在大地 聚満正気
龍は大地にあり 正義の心に満ち溢れ
ぎんしん どんフォン ちゅいもん
驚醒東方醉夢
東洋世界を眠りから呼び覚ます
ちょんわなんみ ぶファッ じへぃ たいがー ほぇチョン
中華男兒 勃發志氣 大家去衝
中華男児の心意気だ みんなで突っ込もう
さうじゅなっちゃ がいわぁ
手中握箸計劃
手には計画を握りしめ
さむじゅんよんチョッ めいもん
心中湧出美夢
心には美しい夢が湧き出す
ロンじょ はぅゆぃ さぃやぅ ほぇひん
龍族后裔誓要去顯
われら龍の一族の後裔は誓う
とんフォンで わいフォン
東方的威風
今こそ東方の威風をとどろかせに行こう

 

ぱーっごいコンでい
不懼強敵
強敵にもひるまず
ぱっパー なフォンぼ ほんよん
不怕那風波洪湧
風も波をも恐れはしない
さむじょん がんげい
心中緊記
心の中に刻むのは
ろんじょん とんフォンでわいフォン
龍種 東方的威風
龍の一族の誇り 東方の威風

 

トンどーわんなん ゆぇんぞっわいごぉ
同渡患難 譲作為我
苦しみをこえて共に進もう
じょん やっさん どーひんフォン
將一生都獻奉
願わくはこの一生を捧げん
いぇんほんなんみ ごんチョン さぃがぃ たいがー ほぇチョン
英雄男兒 共創世界 大家去衝
英雄たちよ 共に世界を作ろう みんなで突撃だ
せーチュッチンい じょんライ
寫出千頁壮麗
千ページのドラマをつづり
クィチュチンばん めいもん
繪出千般美夢
千種類の夢を描き出す
ロンじょはぅゆぃ さぃやぅほぇひん
龍族后裔誓要去顯
われら龍の後裔は誓う
とんフォンで わいフォン
東方的威風
今こそ東方の威風をとどろかせに行こう

…訳していて、全然楽しい歌ではなかったな。これは完全に中国の右翼の歌だ。当時の香港はいまだにイギリスの支配下にあったとはいえ。

「カメレオン」というマンガに、中学時代にいじめられていた2人が「テレビでカンフー映画をやった翌日に学校へ行く恐怖」の思い出を語り合っている場面があった。必ず「そのやり方でいじめられるから」である。それはすごくリアルで、印象に残り続ける話だった。

私が子どもの頃、ジャッキー・チェンはやっぱりかっこよかった。でもその彼にしても、「いじめられている人間」の味方では、決してなかったわけだ。むしろいじめる側の人間が自分を投影する対象としてあり続けていたのが、そういう「かっこいい人たち」の存在であったわけだ。

「いい時代」なんてあったのだろうかと私は思う。ひょっとしてそんな時代は、どこにもなかったのではないかと思う。20世紀にも。19世紀にも。紀元前6世紀にも。「古き良き時代」について語るのはいつの時代もいじめていた側の人間ばかりで、いじめられる側の人間には恐怖の毎日が存在しただけだった。それが歴史の真実なのではないかと思う。

けれども、真実はいつもいじめられる人間の側に存在していた。そのことに対してだけは、われわれは希望を持っていいのではないかと思う。

だから私は「いじめる側の人間には絶対に奪うことのできない歌」を、これからも探し続けていきたいと思う。

…ちなみにジャッキー・チェンを懐かしく思う人が多いからなのかダウンタウンにいまだに人気があるせいなのか、この歌の歌詞情報を載せたサイトは20も30も見つかるのだけど、ほとんどすべての歌詞で「寫出千頁壮麗」という部分が「寫出千頁朋」と誤植になっていた。たぶん 一番はじめに歌詞を訳した人の原稿に、誤植があったのだと思う。漢字がひとつ足りないくらい自分で歌ってみればわかることだろうに、コピペ文化の恐ろしさというものを感じてしまう。

 そんなわけで「懐かしさ」だけでこの歌のことを思い出してこのブログを見つけた人は、ここに「自分の聞きたくない言葉」ばかりが書かれているのに出会うことになるだろうが、一方で「東方的威風」の「正しい」歌詞は、日本語サイトではここでしか見つけることができないのである。

「意味なんてどうでもいい」「自分さえ面白ければそれでいい」あなたは、そんな風に思っていたんじゃないですか?

よく、考えてみてほしいと思う。ではまたいずれ。