華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Those were the Days もしくは悲しき天使 もしくはДорогой длинною (1968.Mary Hopkin)


この曲は私にとってもう何十年も「失敗した時に頭の中に流れる音楽」であり続けている。真冬に自販機でアイスコーヒーを買ってしまった時。20分もかけてサヤから外したグリーンピースのサヤの方ではなく豆の方を三角コーナーにぶちまけてしまった時。好きだった人の家に電話をかけて相手が「もしもし」と言ったので「亀よ亀さんよ」と言ったら実はその相手が親御さんだったと分かった時。私の体はいつもこのメロディに呑み込まれ、ワンコーラス終わるまではその場から動けなくなってしまうのが常だった。昔は曲名も歌手名も何も知らなくて、頭の中に流れる歌詞は「ラララ」だけだったのが実際なのだけど。

この歌の邦題が「悲しき天使」だったことを知ったのは、10代も終わりの頃だった。とある店で有線放送でかかっていたのを聞いて、「ずっとこの曲の名前を知りたかったんです!」と店員さんに頼み込んで、メモってもらったのである。インターネットは既に普及しはじめていたけれど、画像を一枚表示させるのに何分もかかるような時代だった。今みたいに音声や動画がいくらでも検索できるようになる前は、歌の名前をひとつ知るためにも大変な苦労が必要だった。もっともそういう風にして覚えた歌は絶対に忘れることがないし、むしろそういう風にして歌の名前と出会うことが「できなく」なってしまったことの方が、今では寂しく感じられたりもする。

…あえて岩崎宏美さんの動画で紹介するのは、別に森山良子さんに恨みがあるわけではないけれど、森山直太朗に対して個人的な恨みと言うか、批判がいっぱいあるからです。


岩崎宏美 1985 悲しき天使

メロディからしてこの歌はロシア民謡なのだろうとずっと思っていたのだが、実はポール・マッカートニーのプロデュースでメリー・ホプキンというイギリスの女性が1968年にヒットさせたことにより、日本を含めた世界中に知られるようになった曲だったのだということを、さらに後になって知った。今回集中的に取りあげるのはこの英語版の歌詞である。


Mary Hopkin - Those were the days

Those Were the Days

Once upon a time there was a tavern
Where we used to raise a glass or two
Remember how we laughed away the hours
And think of all the great things we would do

昔そこには居酒屋があった
私たちが一杯か二杯のグラスを傾けあったところ
あのとき私たちがどんな風に笑い
どんなことをやってのけようと思っていたか
覚えているでしょう



Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
For we were young and sure to have our way.
La la la la la la…

あの日々よ あなた
ずっと終わらないと信じていた日々
私たちは永遠に歌い 踊り続けているはずだった
あの頃は自分で選んだ人生を生きていた
私たちはいつも戦っていて そして決して負けなかった
あの頃は若く 自分たちの道を持っていたから
ラララ…



Then the busy years went rushing by us
We lost our starry notions on the way
If by chance I'd see you in the tavern
We'd smile at one another and we'd say

そしてせわしない年月が過ぎ去り
私たちはきらめくような心を失ってしまった
もし偶然にあの居酒屋で会うことがあったら
きっと私たちは互いに微笑みあって
こんな風に言うんだと思う



Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days
La la la la la la

あの日々よ あなた
ずっと終わらないと信じていた日々
私たちは永遠に歌い 踊り続けているはずだった
あの頃は自分で選んだ人生を生きていた
私たちはいつも戦っていて そして決して負けなかった
あの頃は若く 自分たちの道を持っていたから
ラララ…



Just tonight I stood before the tavern
Nothing seemed the way it used to be
In the glass I saw a strange reflection
Was that lonely woman really me

そして今夜その店の前に私は立った
何もかもがあの頃と違っていた
店のガラスに映る顔まで見知らぬ人に見えた
あの寂しそうな女性が本当に私だったんだろうか



Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days
La la la la la la

あの日々よ あなた
ずっと終わらないと信じていた日々
私たちは永遠に歌い 踊り続けているはずだった
あの頃は自分で選んだ人生を生きていた
私たちはいつも戦っていて そして決して負けなかった
あの頃は若く 自分たちの道を持っていたから
ラララ…



Through the door there came familiar laughter
I saw your face and heard you call my name
Oh my friend we're older but no wiser
For in our hearts the dreams are still the same

ドアをくぐると懐かしい笑いが聞こえてきた
あなたの顔が見えて 私を呼ぶ声が聞こえた
ああ 私たちは年をとったのに ちっともかしこくなっていないみたいだ
気持ちも夢も ずっとあの頃と変わっていないんだから



Those were the days my friend
We thought they'd never end
We'd sing and dance forever and a day
We'd live the life we choose
We'd fight and never lose
Those were the days, oh yes those were the days
La la la la la la

あの日々よ あなた
ずっと終わらないと信じていた日々
私たちは永遠に歌い 踊り続けているはずだった
あの頃は自分で選んだ人生を生きていた
私たちはいつも戦っていて そして決して負けなかった
そんな日々だった そう そんな日々だった
ラララ…

翻訳をめぐって

  • Those were the days=それは、日々だった。…いかにも英語的なタイトルである。最初に結論を言ってから、それがどんな日々だったかを説明するのが英語の仕組みと言うかやり方なのだから、こういうフレーズが曲名になることは英語圏では何も不自然なことではない。しかしそれを日本語として通用するタイトルにしようとすると、どうしても「意訳」が必要になる。このブログを始めた頃の私は曲のタイトルの意味もできるだけ翻訳するように努めていたけれど、最近では歌詞の中にタイトルのフレーズが含まれている場合には、あえて訳さないことにした。不自然で中途半端な日本語を「曲名」にするのは失礼だし、かといってそれっぽい日本語タイトルを断りもなくでっちあげるようなことをしたら、他人の作品を「自分の作品」に変えてしまうことになる。何であれ名前というものは、やっぱりあんまりいじくり回さない方がいいと思う。
  • 一読して驚かされるのは、レコードジャケットのメリー・ホプキンさんのお人形さんみたいな外観とは完全に裏腹な、歌詞の力強さである。あんな風にミニスカートで横坐りしている女の子の口から"We'd fight and never lose" みたいなフレーズが出てくることに、60年代の人たちは相当衝撃的な印象を受けたのではないかと思う。"tavern(居酒屋)" だけでも、かなり衝撃的である。それ以前にメアリーさん自身は、あんなリカちゃん人形みたいな格好でこの歌を歌わされることについて、どう感じていたのだろうか。プロデューサーの趣味だったのかもしれないと思うと、なんか、むかつく。
  • この歌に限らず、英語の特にフォーク系の歌詞には "my friend(s)" という呼びかけのフレーズが頻繁に登場するが、これをいちいち「友よ」とか翻訳すると、とたんに全体の印象が文語的になってしまう。日常会話で「友よ」と呼びかけるような文化は、少なくとも今のところ、日本には存在しないのである。岡林信康の「友よ」が受け入れられたのは、「それまでなかった表現」だから逆に新鮮に感じられたという面が、大きいのだと思う。しかしやはりその後も「友よ」は、定着するには至っていない。この歌のように日常的な言葉で書かれた歌である場合、その「自然さ」を壊さないようにすることの方が、翻訳においては大切なことなのではないかと思う。だから今回はそのように訳したし、今後もそうして行くつもりでいる。
  • 相変わらずwouldshould の翻訳が苦手な私である。この歌のリフレインに繰り返し出てくる We'd という言葉は We would が省略されたものなのだけど (中学時代に初めて見た時には何の省略なのか見当もつかなかった)、このwouldが意味するところには2つの可能性がある。①過去の習慣 (この場合「〜したものだつた」という訳語になる) ②過去における未来 (この場合「〜する予定だった/ はずだった」という訳語になる) このうち We'd sing and dance forever and a day を「はずだった」にしたのは、「永遠に歌い踊り続けていたものだった」などと訳したら今も踊り続けていなければ不自然なことになるからである。(なお forever and a day は「未来永劫」という意味の熟語であり、「永遠と1日」という意味ではない)。しかし後の2つをどう解釈するかについては、確信が持てない。「ものだった」と訳するならメアリーさんの心は今でも負けていないことになるけど、「はずだった」と訳したら、メアリーさんは今では戦いに敗れた人間として生きていることになってしまう。私としてはメアリーさんに今でも「戦い続けている人」であってほしいので「ものだった」で訳したが、それは飽くまで私の願望にすぎない。誰か、どちらが正しいかハッキリさせられる方がいらっしゃったら、教えてください。よろしくお願いします。



この歌には熱心なファンの方がとても多いようで、以下に紹介するような記事を読んでみると、私のごとき若輩者が知ったような口を挟むことはとてもできない気にさせられる。
悲しき天使はどこから来たか : 私たちは20世紀に生まれた
Those Were The Days

上記の皆さんの記事から教えられたところによると、この曲の元歌は私が当初感じていた通り、ロシアの曲だった。(ただし「民謡」ではなく20世紀に入ってから作られた曲で、作曲者の名前もハッキリしている)

"Дорогой длинною(ダローガィ・ヅリーンナユ=「長い道」)"という曲名をコピペして検索してみると歌詞も動画もすぐに見つかったが、聞いてみて改めて思ったのはこれはやっぱりロシアの人たちの歌だということである。歌い手と観客の気持ちに合わせて自由自在に歌の速度が変わって行くロシアの音楽の特徴に、ロシア語の特徴である巻き舌のラ行の音や歯ぎしりするような「シ」の音が加わることで、この歌の魅力は初めて最大限に発揮される。そんな気がする。これはやはりグーグル翻訳頼みの中途半端な和訳であれ、載せておかなければロシアの皆さんに対して失礼だと思う。また動画で歌っている人の名前についても、私にしてみればこの記事を書く過程で初めて出会った人で知り合いでも何でもないのだが、紹介しておかねばならないと思う。セルゲイ・ラザーリェフという人である。しかしこの人以外のステキな演奏もたくさん公開されているので、気に入った人は曲名をコピペして、自分の一番好きなバージョンを見つけてもらえればいいのではないかと思う。


Сергей Лазарев - Дорогой длинною (Призрак оперы-2011.10.01)

Дорогой длинною

イェハリー ナ トろぃキェス ブービェンツァーミ
Ехали на тройке с бубенцами,
われわれは鈴を鳴らしてトロイカを走らせた
ア ヴダリー ミェリカーリィ アガニキー
А вдали мелькали огоньки.
遠いところに灯りがちらついていた

エフ、カグダ ブィ ムニェ チェピェーり ザ ヴァーミ
Эх, когда бы мне теперь за вами,
ああ もしあなたを追いつくことができていたら
ドゥーシュ ブィ らズヴェーィヤチ アッタスキー
Душу бы развеять от тоски…
私の魂は苦しみから解き放たれていただろうに…


ダろーガィ ドリーンナユ、ダー ノーチュ ルーンナユ
Дорогой длинною, да ночью лунною,
長い道を行く 月の夜を行く
ダ スピェースニィ トーィ、シュト ヴダーリ リチーッ ズヴェニャー
Да с песней той, что вдаль летит звеня,
遠くに響くあの歌と共に
イ ストィ スタリーンナユ、ダス スィミストるーンナユ
И с той старинною, да с семиструнною,
そして そう あの古い7弦ギターと共に
シュト パ ナチャーム タク ムーチラ ミニャー
Что по ночам так мучила меня.
夜ごとに私を責めとがめたあの音と共に

ダー、ヴィハヂ ピェーリ ムィ ザダーラム
Да, выходит пели мы задаром,
そう われわれはわけもなく大声で歌った
パナプラースヌゥ ノーチ ザ ノーチユ ジグリー
Понапрасну ночь за ночью жгли.
夜ごとにむなしく燃えていた
イェスリ ムィ パコーンチリ サ スターるぃム
Если мы покончили со старым,
もしも昔のことにけりをつけることができていたら
タク イ ノーチ エーチ アタシリー
Так и ночи эти отошли.
あの苦しい夜も去っていたことだろうに


ダろーガィ ドリーンナユ、ダー ノーチュ ルーンナユ
Дорогой длинною, да ночью лунною,
長い道を行く 月の夜を行く
ダ スピェースニィ トーィ、シュト ヴダーリ リチーッ ズヴェニャー
Да с песней той, что вдаль летит звеня,
遠くに響くあの歌と共に
イ ストィ スタリーンナユ、ダス スィミストるーンナユ
И с той старинною, да с семиструнною,
そして そう あの古い7弦ギターと共に
シュト パ ナチャーム タク ムーチラ ミニャー
Что по ночам так мучила меня.
夜ごとに私を責めとがめたあの音と共に


フダール らドヌーユ ノーヴィミ プチャーミ
В даль родную новыми путями
遠い故郷への新たな旅路
ナム アトヌィーニェ イェーハチ スヂェノー
Нам отныне ехать суждено!
いまやわれわれは定められた道を行くのみ
イェハリー ナ トろぃキ ス ブービェンツァーミ
Ехали на тройке с бубенцами,
われわれは鈴を鳴らしてトロイカを走らせた
ダ ティピェール プラィエーハリ ダヴノー
Да теперь проехали давно!
旅に出たのも今では遠い昔


ダろーガィ ドリーンナユ、ダー ノーチュ ルーンナユ
Дорогой длинною, да ночью лунною,
長い道を行く 月の夜を行く
ダ スピェースニィ トーィ、シュト ヴダーリ リチーッ ズヴェニャー
Да с песней той, что вдаль летит звеня,
遠くに響くあの歌と共に
イ ストィ スタリーンナユ、ダス スィミストるーンナユ
И с той старинною, да с семиструнною,
そして そう あの古い7弦ギターと共に
シュト パ ナチャーム タク ムーチラ ミニャー
Что по ночам так мучила меня.
夜ごとに私を責めとがめたあの音と共に

тройка=トロイカ。三頭立ての馬ぞり。



Гитарой Семиструнною =ギタローイ・スィミストルーンナユ。7弦ギター。



最後に私が一番好きなバージョンは、レニングラードカウボーイズソビエト赤軍合唱団が一緒に歌っているこのバージョンである。フィンランド人とロシア人。英語で歌う必然性の全くない人たちが、英語で歌う必然性の全くない観客と一緒にこの歌を英語で大合唱している姿に、世界に向けた不敵なメッセージを感じる。さんきゅーべりぃめにい!ではまたいずれ。



Leningrad Cowboys & Russian Red Army Choir - Those Were The Days