華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Down South in New Orleans もしくは夢の中 雲の上 (1976. Bobby Charles)


アメリカのスイカって、何か、ぬるそうな感じがする。映画「ウッドストック」の最後のシーンは、確かコンサートが終わって人もまばらになった泥だらけの会場で、スプーンでスイカを食べている人の姿をずーっと映していたと思うのだけど、私がそれを忘れられないのは、そのスイカがあまりに「おいしくなさそう」だったからである。Watermelonというスイカの英語名が、水っぽくていまいちなイメージを倍加させている。メロンみたいな味の薄いものをさらに水くさくしてどうするつもりなのだと思う。何の話なのだ。ボビー・チャールズの話だ。今日のこの日まで、私はこの人をこの写真でしか知らなかった。ライブとかテレビ出演を、ものすごく嫌ってる人らしいからである。

この曲 "Down South in New Orleans" は、3枚組のLPになっていたザ・バンドのライブアルバム「ラスト・ワルツ」の中でも私が一二を争うぐらい好きな曲なのだが、youtubeで検索してみたらなぜかこんな隠し撮りで撮影したような白黒映像しか出てこなかった。考えてみればこの曲は今まで紹介してきた他の曲とは違い、映画の中では取りあげられずLPにだけ収録されていた曲だったのである。音も悪くて、このブログを通じて初めてこの曲と出会う人がいるかもしれないことを思うとあまりお薦めしたい気になれない映像でもあるのだが、それでもやはり他の人が演奏しているやつを紹介しても仕方がないので、この映像を貼り付けておくことにする。とまれ、これが私自身、生まれて初めて見た「動いているボビー・チャールズ」の姿である。


The Band - Down South in New Orleans (with Dr. John) - 11/25/1976 - Winterland (Official)

Down South in New Orleans

Down south in New Orleans,
The prettiest girls I've ever seen.
Sparkling eyes, lips so sweet,
we make love to the Rumba beat.
Ship's at anchor, my suitcase packed,
Got a one way ticket, ain't comin' back.
Life's a pleasure, love's no dream,
Down south in New Orleans.

南に下ってニューオリンズ
今まで出会った中で一番かわいい女の子
きらめく瞳に甘い唇
ルンバのビートで愛を交わそう
船は停泊中で
スーツケースはいっぱいだ
買ったのは片道切符
おれはもう戻らない
南に下ってニューオリンズへ。



My dark eyed baby, I'm on my way,
Back into your arms to stay.
I'm tired of work, I wanna play.
I'll make sweet love to you night and day.

黒い瞳のベイビー
もうすぐそこへ行くよ
おまえの腕の中で休むため
仕事はもういやだ
あそびたい
昼も夜もおまえと愛しあっていたい



Down south in New Orleans,
The prettiest girls I've ever seen.
Sparkling eyes, lips so sweet,
we make love to the Rumba beat.
Ship's at anchor, my suitcase packed,
Got a one way ticket, ain't comin' back.
Life's a pleasure, love's no dream,
Down south in New Orleans.

南に下ってニューオリンズ
今まで出会った中で一番かわいい女の子
きらめく瞳に甘い唇
ルンバのビートで愛を交わそう
船は停泊中で
スーツケースはいっぱいだ
買ったのは片道切符
おれはもう戻らない
南に下ってニューオリンズへ。



I want to get too loose, on Toulose Street,
I wanna kiss all the Creole girls I see.
Drink all day, dance all night.
Do it wrong, 'til I do it right.

トゥールーズ通りで
トゥー・ルーズに (だらだら) やりたい
出会ったクレオールの女の子の
全員とキスしたい
一日中飲んで 一晩中踊って
そのうち正しくやれるまで
ずっと間違ったことをしよう



Down south in New Orleans,
The prettiest girls I've ever seen.
Sparkling eyes, lips so sweet,
we make love to the Rumba beat.
Ship's at anchor, my suitcase packed,
Got a one way ticket, ain't comin' back.
Life's a pleasure, love's no dream,
Down south in New Orleans.

南に下ってニューオリンズ
今まで出会った中で一番かわいい女の子
きらめく瞳に甘い唇
ルンバのビートで愛を交わそう
船は停泊中で
スーツケースはいっぱいだ
買ったのは片道切符
おれはもう戻らない
南に下ってニューオリンズへ。

…うれしくなってくるほどガサツでいいかげんな歌詞である。しかし「トゥールーズ・ストリート」とか「クレオールの女の子」とか、予備知識がないと何のことかわからない歌詞もある。われわれもそろそろ、アメリカの音楽の都と言われるこのニューオリンズ (予測変換でニューオリンズと出てくるので、めんどくさいからそのままにしてるけど、正式な発音は「ニューオーリーンズ」であるようです) の街について、最低限のことは知っておかねばならない時期に来ているようである。

最初のヨーロッパ人がやってくる西暦1492年まで、北米大陸は誰のものでもなかった。もちろん先住民の人たちは、今では誰もその数さえ推定できないぐらいにたくさん住んでいたわけだが、その人たちにとって「土地を所有する」ということは、自然への最大の冒瀆に等しい、ありえない概念だった。だから文字通り、誰のものでもなかったのである。

「誰の土地でもない」ということは、ヨーロッパの人間にとっては旗さえ立てればそこが「自分の土地」になるということを意味していた。それでそれから数百年にわたり、ヨーロッパの諸国は競争で北米大陸に「新たな領土」を獲得しようと武装侵略者の一群を送り込み続けた。その中で18世紀に至るまで最も広大な植民地を占有していたのが、私もちゃんと知らなかったのだけど、実はフランスだった。

下図に青色で示されているのが、1863年にイギリスとの戦争に敗れてミシシッピ川東岸の地域をすべて割譲するに至るまでの、北米大陸におけるフランス植民地の最大版図である。このうち現在カナダになっている部分を除いた広大な地域が、革命前のフランス国王ルイ14世の名前にちなんで、「ルイジアナ」と呼ばれていた。


1803年にナポレオン・ボナパルトルイジアナ植民地をアメリカ合州国に「売却」したことにより、北米大陸におけるフランスの植民地支配は終結するが、それまでずっと仏領ルイジアナの「首都」だった土地が、ミシシッピ川の河口に位置するニューオーリーンズの街だった。だから現在でもニューオーリーンズは、合州国の中で最もフランスの文化を色濃く受け継いだ街だと言われている。

ニューオーリーンズという地名自体が、フランスのオルレアンという地名にちなんだものである。もっとも「ニュー」は完全に英語だから、日本の感覚で言うと淀屋橋を淀屋ブリッジと呼ぶような混淆地名ということになる。(ただし、「正式」なフランス語名称として「ラ・ヌーベル・オルレアン」という呼び方も存在しているらしい)。曲中に出てくる「トゥールーズ通り」というストリートの名前もフランスの地名にちなんでいるし、フランス統治下時代の建築がそのまま残る「フレンチ・クォーター」と呼ばれる観光名所もある。また「クレオール」というフランス語は字義としては「植民地で生まれた人間」のことをさす言葉だが、ここニューオーリーンズとルイジアナ州においてだけは、「18世紀のフランス統治時代からずっとそこに住んでいる人たちの子孫」をさす英語化した言葉として使われている。

アメリカの10ドル札には当然英語でTenという文字が印刷されているわけだが、ルイジアナ州でだけはかなり長い間フランス語の10であるDixという文字の書かれた紙幣が発行されていた。それが流通している地域をディキシーと呼んだことが、のちに南部全体をさす言葉となった「ディキシーランド」の語源であるという。1865年の南北戦争終結により、ニューオリンズの街では軍楽隊から払い下げられた安い楽器が流通しはじめ、それが「解放」されたばかりの黒人の人たちの手に入るようになったことから、この街を発祥地とする「ジャズ」の歴史が形作られてゆく。けれどもそれはまた別の物語。


ボ・ガンボス - 夢の中

それとは別にこの街には、現在のカナダ東部に存在していたアカディア(英語読みだと「アケイディア」)と呼ばれるフランス植民地の出身者が、フランスがイギリスとの戦争に敗れたことを契機に多く流入し、「ケイジャン」と呼ばれる独特の文化を形成してゆくようになった。これこそが、私がザ・バンドの最高傑作だと信じてやまない "Acadian Driftwood" という曲の背景をなす歴史経過に他ならない。以上を予備知識として、次回はいよいよこの曲の翻訳にとりかかりたいと思う。ではまたいずれ。乞うご期待。

夢の中

夢の中