華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

夜雨寄北 もしくはチンウェンクイチーウェイヨウチー (9世紀. 李商隠)


唐代の詩人に李商隠という人がいる。昔の中国の詩人には珍しく、ラブソング的な詩を多く残した人である。「登楽遊原(らくゆうげんにのぼる)」という詩が一番好きなのだけど、今回紹介するのは「夜雨寄北(やう きたによす)」という詩である。

Yè yǔ jì běi
夜雨寄北
Jūn wèn guīqī wèi yǒuqī,
君問帰期未有期,
Bāshān yè yǔ zhǎng qiūchí.
巴山夜雨漲秋池。
Hé dāng gòng jiǎn xī chuāng zhú,
何当共剪西窗燭,
Què huà bāshān yè yǔ shí.
卻話巴山夜雨時。

(書き下し文)
きみ ききを とうも いまだ き あらず。
はざんの やう しゅうちに みなぎる。
いつか まさに ともに せいしゅうの しょくを きりて
かえって はなすべし はざん やうの ときを。


(現代日本語訳)
いつ帰ってくるのかと
妻のあなたは私に訊くのだけれど
いつ帰れるかはまだわからない。
巴山の夜に降る雨で
澄んだ秋の池の水ははちきれそうだ。
書斎の西向きの窓に灯したろうそくの
芯を一緒に切ることのできる日は
いつになるんだろうね。
その時には
巴山の夜に雨が降ったこの日のことを
話すことにしようかな。

巴山は四川省の北側にそびえる山脈で、昔の蜀の地に位置している。

しかし今回に関しては、日本語訳がどうであるとか書き下し文がどうであるとかいったことは、私が話したいことと全く関係ない。

この詩が私にとって「気になる詩」になったのは、1行目の「君問帰期未有期」という部分が、中国語で声に出して読んでみると妙に「気持ちいい」のだということを、中国人の友人に教えられたことがきっかけだった。

上の原文に振ってあるローマ字は「ピンイン」と呼ばれる中国式の発音記号なのだが、これをあえてカタカナで表記すると、こんな感じになる。

チン ウェン クイチー ウェイヨウ チー
パーシャン イェアユィ チャン チウチー
ヘァタン コンチェン シーチュアン チュー
チェ ホァ パーシャン イェアユィ シィ

それで私も、試しに「チンウェンクイチーウェイヨウチー」という最初のその1行を、声に出して読んでみた。

確かに、何となく、気持ちいい。

偶然にもそのとき聞いていたCDが、U2の「WAR」だった。「Sunday Broody Sunday」のあの「ダダダダッ」という緊張感あふれるドラムの音に合わせて、今度は若干大きな声で、肩なんか揺すりつつ、口ずさんでみた。

これは、かなり、気持ちいい。

私は、思いついて、二回前に取りあげたれっじあげいんすざまっしーんのCDとU2のCDを交換し、かなり大胆に、口ずさんでみた。

これは、もう、めちゃめちゃ気持ちいい。

カンのいい人はお気づきかもしれないが、「All of which are American Dream」と「チンウェンクイチーウェイヨウチー」は、音の数が一緒なのである。

以来、私は、洋楽で歌詞のわからない歌は、それがビートの効いた曲である限り、とりあえず何でも「チンウェンクイチーウェイヨウチー」で歌ってみるようになりました。という、お話でした。

それにつけてもこの気持ちよさをいっぺん覚えてしまうと、「書き下し」などというしょーもないことを一体だれが思いついたのだろうと思ってしまう。漢詩というのはやっぱり「響き」を計算しつくして作られているものなのだから、音とリズムが破壊されてしまったら何もかもがぶち壊しになるのである。音の数さえバラバラになったしかもヘンな日本語で「詩吟」とかやってる人たちは、何が楽しいのだろうとつくづく思う。「くんもんきぃきぃみぃゆうきぃ」と、日本の読み方でもいいから全部音読みで読んでしまった方が、漢詩の良さはまだ伝わるというものだ。

調べてみると、朝鮮語でもベトナム語でも、漢詩はやっぱり「音読み」だけで読まれるのが伝統になっているようである。ちなみに朝鮮語バージョンの「君問帰期未有期」は

군문귀기미유기
(クンムンクィギィ ミィユゥギィ)

である。日本語とかなり似ている。そしてベトナム語バージョンはと言うと

Quân vấn quy kỳ vị hữu kỳ
(クァンヴァンクィキィ ヴィッフーキィ)

となる。こういうことを調べてみるのって、すごく、おもしろい。

それで、思ったのだが、日本語と中国語だけにとどまらず、昔から漢字を使ってきた文化圏に属する朝鮮語式やベトナム語式の漢字の読み方も、れっじあげいんすざまっしーん(でなくてもいいけど)に合わせて一通り覚えてしまうことができたなら、私たちは割と簡単に「東アジアのどこに行っても通用する人間」になることができるのではないだろうか。

そんなわけで、新しいブログを作ってみました。気が向いた方や興味のある方は、ぜひこちらの方にも遊びに来てみてください。

…何か、どちらかが盛りあがり始めたら必ずもう片方が停滞してしまいそうな予感を、今から感じているのですけどね。何とか両方続けて行けるようにしたいと思います。ではまたいずれ。


それにつけても中国の人たちのやることはいちいちスケールがでかすぎる…