華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Knockin' on Heaven's Door もしくはさよならビリー・ザ・キッド (1991. Guns N' Roses)

21で結婚して
27でもう疲れて
夢のかけらさえ投げ出し
惰性で時を過ごしてる
抜けがらのようにうつろで
話題は過去に流れてく
君は伏せ目がちになって
人の人生をうらやむ

なにが君に起こったんだ
なにかが君をけとばした
君がとても透けて見える
消えてしまいそうなほどだ

罠にはめられたみたいだ
生活に首を絞められ
やり場所のない苛立ちが
毎晩俺を責め立てる
今度子供が生まれるよ
これでもう俺も終わりさ
力なく笑う君には
反逆者の影すらない

授業を抜け出して二人
バスに飛び乗った
有刺鉄線を乗り越え
夜と手を組んだ
ギターで世界に刃向かい
痛い目も見たよ
くだらない事でいつでも
僕を笑わせた
誰も見ていやしないのに
孤独なビリーザキッドを
真面目な顔で演じてた
君を覚えてる

国立の6月の雨
バス停の脇の木の下
君はぼんやりと立ってた
僕らはそこで別れたよ
君はさようならと言った
僕は君の背中を見た
僕は君の背中を見た
その上に降る雨を見た


真島昌利「さよならビリー・ザ・キッド」1989年―


G'n'R knockin' on heavens door

Knocking On Heaven's Door

Mama, take this badge from me
I can't use it anymore
It's getting dark, too dark to see
Feels like I'm knockin' on heaven's door

かあさんや
このバッジを外してくれないか。
おれにはもう 使えそうにないや。
くらくなってきた。くらくて見えない。
まるで
天国のドアをノックしてるみたいだよ。


Knock-knock-knockin' on heaven's door
Knock-knock-knockin' on heaven's door
Knock-knock-knockin' on heaven's door
Knock-knock-knockin' on heaven's door

とんとん。天国のドアをノック。だ。
とんとん。天国のドアをノック。
とんとん。天国のドアをノック。だ。
とんとん。天国のドアをノック…


Mama, put my guns in the ground
I can't shoot them anymore
That cold black cloud is comin' down
Feels like I'm knockin' on heaven's door

かあさんや
おれの銃を外して地面に置いてくれ。
おれにはもう 撃てそうにないや。
冷たそうな黒い雲が
おりてくる。
まるで
天国のドアをノックしてるみたいだよ。


Knock-knock-knockin' on heaven's door
Knock-knock-knockin' on heaven's door
Knock-knock-knockin' on heaven's door
Knock-knock-knockin' on heaven's door

とんとん。天国のドアをノック。だ。
とんとん。天国のドアをノック。
とんとん。天国のドアをノック。だ。
とんとん。天国のドアをノック…


"You just better start sniffin' your own rank subjugation Jack
'Cause it's just you against your tattered libido, the bank and the mortician forever, man.
And it wouldn't be luck if you could get out of life alive."

「ジャック。おまえのいた場所はもう誰かに取られてしまったことにそろそろ気づいた方がいい。逆らい続けてるのはおまえ自身なんだから。引き裂かれた生への意志に。銀行に。葬儀屋に。永遠に、だ。よしんばおまえが生きたまま自分の人生から抜け出すことに成功したとしても、それがラッキーなことだとは考えない方がいいぜ」

Knock-knock-knockin' on heaven's door
とんとん。天国のドアをノック…

※ 歌詞中の mortician (「葬儀屋」)という言葉の用法に、私は職業差別を感じます。ここでは批判を込めてそのまま訳出しました。


Pat Garrett and Billy the Kid Knocking on heavens door

=翻訳をめぐって=

  • この歌はもともとボブ・ディランが西部劇映画「Pat Garrett & Billy the Kid(邦題︰『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』)」の劇中歌として、1973年に発表した曲。私自身は今までこの映画を見る機会が一度もなかったのだが、調べてみるとさすがはYouTubeで、劇中でこの歌が使われるシーンの動画がしっかり公開されていた。二番目に貼りつけたのはその動画である。ただし、映画の筋をある程度知っていないと、どういうシーンなのか全然わからない。
  • 見てもいない映画の「あらすじ」を書くのは私じしん気が引けるのだけど、基本的なストーリーは、19世紀の西部に実在した「無法者」ビリー・ザ・キッドと、彼のかつての親友で最後にはビリーを射殺する人間となった同じく実在の保安官パット・ギャレットの二人を主人公にした、史実にもとづく物語だそうである。

ビリー・ザ・キッド - Wikipedia

  • パット・ギャレットは心ならずも街の有力者の命令に従い、老保安官のベイカー夫妻と共に、街の監獄から脱獄してメキシコに向かったビリー・ザ・キッドの追跡を開始する。その過程でビリーとつながりのあるギャングとの間で銃撃戦が始まり、ベイカー保安官は腹を撃たれてしまう。死を悟ったベイカー保安官は川に向かって歩き出し、おかみさんがその後を追いかける。「天国への扉」が流れるのは、映画の中盤の山場となるこのシーンだとのことである。
  • したがってこの歌の冒頭に出てくる「ママ」は、子どもが母親を呼ぶ「ママ」でも「ルイジアナ・ママ」に出てくる「ママ」でもなく、成人男性が自分の配偶者に向かって言う言葉としての「ママ」である。読んだだけでそのことが分かるような訳詞にしようと思ったら、かなりの決断を必要とする選択ではあったけど、「かあさんや」という言葉しか私には思いつかなかった。「バッジ」とはもちろん「保安官のバッジ」である。
  • Knock knockはドアを叩く「とんとん」という音の幼児語的表現でもあるらしい。最初わたしは「とんとん。天国のドアをノック。だ。はは。」と書いた。しかし「やりすぎ」だと思って結局「はは。」は消した。けれども私の心にはどうしても「はは。」が聞こえてくる。
  • やるせない歌なのである。
  • ガンズ&ローゼスが91年に発表したこの歌のカバーバージョンでは、間奏のところで電話の音がして、男の声が意味不明なことをまくしたてる。あれは何を言っているのだろうとずっと思っていて、今回ネットで「台詞」の全文を見つけたので翻訳してみたが、やっぱり意味不明だと思う。
  • つまるところ「生きることは苦しみでしかないけれどお前はそれを引き受けるしかないんだぜ」的なことを歌っているのだと思うけどだったらそう言えばいいだけじゃないかと思う。「銀行」は生きてるあいだにジャックのことを縛る存在として、「葬儀屋」は死んでからジャックのことを縛る存在としてそれぞれ象徴的な意味がくっつけられている言葉なのだと思うけど、銀行はともかくとして葬儀屋さんが何でそんな言われ方をせねばならないのかと思うと腹が立つ。
  • また「ジャック」という名前には英語圏では落語で言うところの「与太郎」的なイメージがくっついているという「情報」も、あるところで目にしたのだけど、だったらなおさら差別的な歌詞にしか思えない。見下すなよ。全世界のジャックさんを。
  • だいたい「リビドー」だとか「エス」とか「本能」とかいったような心理学用語を「芸術」めかして歌詞の中にうれしそうに散りばめるタイプのアーティストのことを、私は基本的に好きになれない。「包帯のような嘘を見破ることで学者は世間を見たような気になる」のだなー。としか思わない。
  • だったらどうしてガンズのバージョンの歌詞をここで取りあげるのかと問う人がいたならば、私はこう答えるほかない。「キライだ」と言いたいからである。
  • そんなことはさておき、ビリー・ザ・キッドという人のことに関しては、今回の翻訳作業を通じ改めて「ちゃんと」知らなければならない気持ちになった。
  • 80年代には「ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け」という日本映画があったらしい。この映画も私は、ずっと興味はあるものの、いまだ見ることができずにいる。
  • いつか見てみてみたいものである。
  • ではまたいずれ。


真島昌利 / さよならビリー・ザ・キッド