華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

This is a Rebel Song もしくは たたかいのうた (1997. Sinéad O'Connor)

This Is A Rebel Song

I love you my hard englishman
Your rage is like a fist in my womb
Can't you forgive what you think I've done
And love me - I'm your woman

わたしのかたくななイギリス人よ。
わたしはあなたのことを愛している。
あなたの憤怒は
わたしの子宮をえぐる拳のようだ。
わたしがやったとあなたが思っていることを
あなたは許すことができないのだろうか。
そしてわたしを愛することはできないのだろうか。
わたしはあなたの女なのだ。


And I desire you my hard englishman
And there is no more natural thing
So why should I not get loving
Don't be cold englishman

わたしのかたくななイギリス人よ。
わたしはあなたを求めている。
人間の意識と無関係に存在しているものなど
もはや何ひとつありはしないというのに
どうしてわたしが愛を
手にしてはいけないなんて話があるだろう。
つめたくしないでほしい。
イギリス人よ。


How come you've never said you love me
In all the time you've known me
How come you never say you're sorry
And I do

どうしてあなたは一度も
わたしを愛していると言ってくれないのか。
あなたがわたしを知ってから
今にいたるまでずっと。
どうしてあなたは一度も
わたしに悪かったと言ってくれないのか。
わたしは 言うよ。


Ah, please talk to me englishman
What good will shutting me out get done
Meanwhile crazies are killing our sons
Oh listen - englishman

ああ イギリス人よ。
何も言ってくれないのだろうか。
終わらせることからわたしを
締め出しているのはどういう善意なのか。
crazyたちは今この瞬間も
わたしたちの子どもたちを殺し続けている。
聞いてほしい。
イギリス人よ。


I've honoured you - hard englishman
Now I am calling your heart to my own
Oh let glorious love be done
Be truthful - englishman

かたくななイギリス人よ。
わたしはあなたに敬意をはらってきた。
今わたしはわたし自身のために
あなたの心に呼びかけている。
名誉ある愛を成立させよう。
聞いてほしい。
イギリス人よ。


How come you've never said you love me
In all the time you've known me
How come you never say you're sorry
And I do
I do

どうしてあなたは一度も
わたしを愛していると言ってくれないのか。
あなたがわたしを知ってから
今にいたるまでずっと。
どうしてあなたは一度も
わたしに悪かったと言ってくれないのか。
わたしは 言うよ。
わたしは 言う。


※ crazies という言葉は、「精神病者」に対する明らかな差別語です。歴史的にも大規模な殺人に手を染めてきたのは「正常な判断力」を有していると自他ともに認める人間たちの側であり、crazyと呼ばれる人たちはいつもその人間たちによって殺される側に位置づけられてきました。ここでは批判を込めて原詞をそのまま転載しています。


Sinead O'Connor - This is a Rebel Song

血の日曜日」事件が発生した北アイルランドでの最初のコンサート以来、U2のボノは「Sunday Bloody Sunday」を演奏するたびに「これは rebel song (叛逆と抵抗の歌) ではない」と「断り」を入れてから歌うようになったのだという。そしてステージ上で白旗を振るなどのパフォーマンスを行い、アイルランドの観衆に「無抵抗」を呼びかけるようになったのだという。

それに対して「rebel song」という言葉を真っ向からタイトルに掲げたこの静かな歌は、シネイド・オコーナーからの「Sunday Bloody Sunday」への「アンサーソング」であり、「無抵抗」を掲げることで内容的に帝国主義の不正と妥協する道を選んだU2に対する、批判が込められた歌なのだと言われている。

だが、次回で100曲目を迎えるこのブログの節目にあたって私がこの曲を取りあげたのは、そういう話を紹介したかったからではない。

私にはこの歌が、自分自身に対して突きつけられている歌であるように感じられるのである。

中国や朝鮮半島の、それも若い人たちが、日本人である私の目をまっすぐに見つめて、「これは『反日』の歌です」という言葉と共に私に手渡した、そういう歌であるように感じられるのである。

そんな場面を迎えた時、その目をまっすぐ見つめ返すことができるかどうか、同じ日本人の読者のみなさんはひとりひとり、胸に手を当てて考えてみてほしいと思う。

「同じ日本人の」とわざわざ書いたのは、そうでない人が何人かこのブログを読んでくれていることを私は知っているからである。そして私の心に今うかんでいるのは、その人たちの顔である。

私は、見つめ返したいと思う。

たとえ自分に返せる言葉が何もなくても、そのまっすぐな視線を受けとめることだけは、しなくてはならないと思う。

いま言える言葉があるとすれば、「私を許さないでください」ということだけだ。

私1人がいくら謝ったり反省してると言ってみたりしても、日本という国家はこの100年の間に朝鮮、中国、アジアに対してやってきたことを、全く反省する気を持っていない。そして平気で同じことを繰り返そうとしている。

そんな国家の居直りを許容し続けている限り、その「国民」として生きている私自身にも「許される資格」などありはしないのは、自明のことだ。こういう時だけジョンレノン的な国境も人種も存在しない空想世界に逃げ込もうとしても、それはペテンというものである。

見つめられた目をまっすぐ見つめ返すためには、その責任を取らなければならない。それを果たせていない私に言える言葉は、やはり「私を許さないでください」ということだけだと思う。

しかし「本当に許せないこと」をひとつでも心に持っている人間は、それを「持ち続けていること」がどんなに苦しいことであるかを、必ず知っているはずだ。責任を有する立場の人間がそれをごまかせないことの「つらさ」など、それに比べたら本当に屁でもない。

インターネットの時代になり、世界中の人と自由に直接話せるようになって、何よりも私を打ちのめしたのは、他のアジアの人たちがどれだけ日本のことを許せないと思っているかということではなく、むしろどれだけ切実に日本のやったことを「許したい」と思っているかという、その事実だった。

しかし、悪いことをして謝りもしない人間のことを「許す」のは、人間として間違ったことである。だからその人たちはどんなに「許したい」と思っていても、許すわけには行かないのである。真面目な人ほど、そうなのである。日本はまだ一言の反省も謝罪も、していないのだから。

その人たちを「待たせ続けている」ことは、どれだけ罪深いことなのだろうと私は思う。そして「許すことのできる日」を迎えることができないまま死んでいかなければならなかった戦争体験者の世代の人がどれだけいたのだろうと思うと、気が遠くなる。

私が「謝らなければならない相手」は、アジアの人たちだけではない。身近なところにも、何人もいる。でも「謝る」ということは、口先だけでやれることではない。自分という人間が丸ごと「変わらなければ」ならない。

私は、変わらなければならないと思う。そのことを通じて自分を取り巻く世界のすべてを、変えて行かねばならないと思う。

そして最後には、本当にすべての人が「共に生きる」ことのできる世界を、つくってゆかなければならない。

言葉も歌も最後にはそのためだけに必要なものなのだと私は思うし、それと結びつかないものなら存在する必要はない。今の私はそう思うようになっている。

このブログも次回で100曲目です。

つきあい続けてくださったすべてのみなさんに感謝します。

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