華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Daydream Believer もしくは伊藤比呂美さんの翻訳を通じて② (1967. The Monkees)

ラジオで「雨あがりの夜空に」を聞いたのが始めなのだ。<バッテリーはビンビンだぜ>とか、<ブットばそうぜ>とか、なんと直截な表現の、なんとよい音なのだろうと思った。すごいやらしー歌を聞いたと友人にいったら、RCサクセションだと教えられた。

えーと、うんどうおんちのわたしは、いつも体育が2だ。バレー・ボールなんてやると技術のまずさよりも精神的にびびり、他人の気持ちを気にして、よけいしくじった。同じように、今、ずっと知らなかったRCサクセションの事などいおうとして、ずっと知っていた人々にたいへんびびっている。

とにかくそれがRCサクセションの聞き始めだ。

あの、やらしーと感動した「雨あがりの夜空に」については、『ラプソディ』の歌詞カードを見て、オートバイの歌だったことが判明する。

それからしばらくして「トランジスタ・ラジオ」を聞いた。なんというか、RCサクセションに、聞き始めに感じた、すげぇーというのではなく、むしろふるいふるい抒情みたいなものを感じている。

トランジスタ・ラジオ」だと、おおげさな事をいえば、<なかはらちゅーや>や<たちはらみちぞー>や<いしかわたくぼく>や、そういう人たちが表現していたのと同じ心が清志郎の言葉と声で表現されているのだ。

ふるいふるい抒情である。本当はRCサクセションのすべての曲がそうなのである。オートバイの歌的なセックスの歌だって、ごくあたりまえの快感をいかにもオートバイ少年のような言葉で唄うし、ラヴ・ソングだってあたりまえのラヴ・ソングだ。その中の女の子は女の子らしいやさしい存在で、ごく普通の言葉で特別でない愛がのべられるわけだ。

奥さんの声ってあるじゃない。奥さんとはあまり面識がなくて、夫の方に用があって電話したりすると、「主人は今おりませんの」とか奥さんがいう。奥さんぽい声で奥さんらしくいう。何だか<ハヤシ>さんの奥さんも<ニシ>さんの奥さんも<イシタニ>さんの奥さんも、みんな同じような声で同じように応対する。そう思える。

RCサクセションの歌に感じられる女の人は、みんなこんな感じがする。歌う人がいて、そのうしろぉーの方に女の人がいてミシンを踏んでいる。モーニング・コールしたりする。個性みたいなものがない、っていうより初めから必要じゃない。

「この人のこういう性格がとても好きです」とか、「わたしの好きな人はこんなふうな特徴がある顔だ」とかいう事は一切ない。つまり誰でもない。だからこそ忌野清志郎のようないい男が唄う歌の詞として成り立つ。<すてきー>とミーハーでいえる。

聞き手の心に漠然とあった抒情を思い出させるのだ。わたしたちはRCといっしょに、そういう抒情にひたりっこする。

だいたい、清志郎が声を出して<別れたりはしない>、<嘘をついたりしない>と唄うと、聞き手としてはもう満足しちゃうわけだ。清志郎の歌い方はカタカナも、ひらがなで唄うような感じがして快い。<HotなNumber>が、どうしても<ほっとな なんばあああ>と聞こえる。

トランジスタ・ラジオ」は歌われる女に個性が感じられる。<彼女>はまじめに教科書を広げている。屋上でタバコ吸っている人は、彼女に片想いか何かで、BやCにいってないと何となく思う。紺のブレザーに細いえんじのネクタイなどむすんで、彼女は<春はあけぼの>とやっている。彼女は彼女で受験とか<ハセガワくん>への片想いとか持っているわけ、そういうものが見えてくる。その制服へつづく首すじ、白ブラウスにすける学生用ブラジャーの線がある。

しかし、そこに歌われる女に自分を重ね合わせてはみない。「トランジスタ・ラジオ」の場合など、自分はあくまでも屋上でタバコを吸っている人になぞられてみるわけだ。

「ぼくはタオル」なんかにも自分を重ねる。<一番スルメ、二番スルメ、三番スルメ>とつづいて、何かこう青春前期によくあるいらいらに自分を当てはめてしまう。で、わたしは♀だから当然メンスある。でも清志郎にはメンスきっとないのだ。そこで<ぼくもメンス>と唄う。一瞬混乱する。♂にいわれると混乱する。セーリでなくてメンスだからよけい混乱する。そして、「わー、知らない事いってかわいー」と思うのだ。

というのが女であるわたしの聞いた感じであって、男が聞くとどういう事になるのかは知らない。

RCサクセションのアルバム「プリーズ」のギタースコアリットーミュージックより1980年発行)に、伊藤比呂美さんが寄せていた「ほっとな なんばああああ」と題する文章ー


雨あがりの夜空に-RC SUCCESSION


RC Succession - トランジスタ・ラジオ


ダーリン・ミシン - RC SUCCESSION


モーニングコールをよろしく RC SUCCESSION 屋根裏mp3


僕はタオル (清志郎が降りてきた夜より)※本人歌唱ではありません

…という文章が、私が伊藤比呂美さんの言葉と出会った始めだったのだ。くだくだしくは語らない。

その伊藤比呂美さんが前回紹介した「ラヴソング」の中で、私にとって難曲中の難曲のひとつであり続けてきたモンキーズの「Daydream Believer」を翻訳してくださっていた。これを紹介させてもらわない手はないと思った。

ザ・タイマーズ忌野清志郎の覆面バンド)が、日本語で、「ぼくはデイドリームビリーバー、そんで、彼女はクイーン」と歌いました。あの「そんで」は、忘れられないくらいかっこよかった。

…と伊藤さんは書いておられる。私もホントにそう思う。ただしここ何年かはセブンイレブンに行くたびにあまりにしつこくかかっているので、じゃっかん食傷ぎみになっている感も正直いえばある。とはいえそれは歌のせいではないし、清志郎のせいでも無論ない。

ところで忌野清志郎はどうしてこの曲の日本語カバーを、RCの曲ではなく「あえて」タイマーズの曲として発表しなければならなかったのだろうか。私にとっての長年の疑問のひとつである。天皇制を揶揄する歌や体制批判の歌、「ばらまけサリン」みたいな歌に関しては、確かにタイマーズのあの格好でしかやれない必然性があったと言えるだろうが、ひたすら甘酸っぱくて抒情的なこの「デイドリーム・ビリーバー」を、どうして彼は「タイマーズとして」演奏しなければならなかったのだろう。タイマーズ、いろんな苦労をしながらほぼ全曲を聞いてきたつもりだけど、この曲だけが他の曲と比べても明らかに「異質な曲」となっている。(他に「さよならはしない」という抒情的な曲をもう一曲だけ知ってるけれど、それと比べても、やっぱり違う)。

とはいえ「歴史がそうなっているから」と言えばそれまでなのかもしれないが、この曲はやはり「タイマーズの曲」なのだというイメージも、一方では強烈にある。もしRCでこの曲が演奏されていたらということを具体的に想像するとなぜかそこには「違和感」があるし、これを「忌野清志郎の曲」だと言われてもやはりそこには「違和感」がある。完全復活祭でもこの曲、歌ってはったけど、何かこう二次会的なノリというか、他人の曲をサービスで演奏してますというか、そういう感じだった。それはそれでもちろんとても良かったのだけど、この曲の日本語版の「オリジナル」はやっぱりタイマーズにしか演奏できないものなのだと、あのとき思った。不思議なことである。

それはそれ。

子どもの頃からタイマーズのバージョンを聞いてきた私たちの世代はともすれば忘れがちになってしまうのだけど、この曲の「オリジナル」はあくまでモンキーズのそれなのである。モンキーズは Monkees だから、「サルの群れ」とはわけが違うのである。(その意味ではビートルズだって「カブトムシ」ではないしバーズだって「鳥」ではない。アニマルズとタートルズに対しては逆にもっと工夫しろよと言いたくなってくる)。前回同様、最初に原詞と伊藤比呂美さんの「直訳」とを並べて掲載し、その後に伊藤比呂美さんが「自分の耳に聞こえた通り」に書いた「訳詞」を紹介するという形をとりたい。7-A!


- Daydream Believer - Great Audio Quality. Music Video From MTV.

Daydream Believer

(「直訳」:伊藤比呂美)

Oh, I could hide ‘neath the wings
Of the bluebird as she sings.
The six o’clock alarm would never ring.
But it rings and I rise,
Wipe the sleep out of my eyes.
My shavin’ razor’s cold and it stings.

ああ彼女がうたうとき
青い鳥の羽の下に隠れられたらいい
朝六時のめざましがいつまでも鳴らなかったらいい
でもそれは鳴り
おれは起きあがり
眠気は目からたちまちふっとぶ
ひげそりの刃は冷たくて痛い


Cheer up, Sleepy Jean
Oh, what can it mean
To a daydream believer
And a homecoming queen.

元気を出せよ、ぼんやりジーン
夢ばかり見てる子と学校のクイーンに
どんな意味があるというのか?


You once thought of me
As a white knight on a steed.
Now you know how happy I can be.
Oh, and our good times start and end
Without dollar one to spend.
But how much, baby, do we really need.

おまえはむかしおれのことを
馬にまたがった白い騎士だと思っていた
やっと今おまえはわかった
こんなにおれがハッピーになれること
二人の時間ははじまり
一ドルも使わずにおわること
でも
おれたちがほんとうに必要なのはいくらなんだ?


Cheer up, Sleepy Jean.
Oh, what can it mean.
To a daydream believer
And a homecoming queen.

元気を出せよ、ぼんやりジーン
夢ばかり見てる子と学校のクイーンに
どんな意味があるというのか?

  • Oh, I could hide ‘neath the wings of the bluebird as she sings.…この歌詞について、私は主人公のジーンくんが、目覚ましの音に起こされるのをいやがって、夢の中で美しい声で歌っている青い鳥の羽根の下に隠れてしまいたいと言っているのだ、と解釈していた。けれども伊藤さんの翻訳では、「鳥」ではなく「彼女」が歌うとき、となっている。そういう解釈もありうる、ということなのだと思う。しかしだとすれば、ジーンくんと彼女のクイーンとの関係は、同じ屋根の下で暮らしていながらもあまりうまく行ってないことになる。いいのだろうか果たしてそれで。
  • Cheer up, Sleepy Jean…この部分の翻訳からして、10代の私にはわからなかった。昔「不機嫌なジーン」というドラマがあったものだから、この部分は「眠たそうな遺伝子を活性化させろ」とかそういうことでも言ってるのだろうかと思っていた。「ジーン」はおそらく歌の主人公の名前であり、歌っている本人のことでもあるのだろうと、今なら大体わかる。綴りが違うからね。
  • Oh, what can it mean…この歌の解釈をめぐっていちばん悩まされつづけてきたのは、この「it」は何をさしているのだろうという問題だった。たぶんこの「it」は「全部」なのである。眠たいのに6時に起きなきゃいけない現実だとか、チクチクしてイヤなのにヒゲを剃らなきゃいけない現実だとか、2人が楽しくやっていくには具体的に何ドル必要になるかをいちいち計算しなくちゃならない現実だとか、そういう一切を引っくるめた「全部」である。
  • homecoming queen…これが「学校のクイーン」になるのはどういう仕組みなのだろう。Yahoo知恵袋にはこんな説明が載っていた。

アメリカの高校や大学で、卒業生を呼んでフットボールの試合やダンスパーティーなどのイベントを開催することがあります。1週間あるので、homecoming week と言います。小さな町であれば、学校を中心とした町のお祭りみたいなものです。そこで、その年の卒業生から選ばれた優秀な生徒(男女ひとりずつ)が表彰(冠やティアラをかぶせたり花束の贈呈をしたり)されます。彼らが homecoming king/queen です。

  • …そういえばドラマのグリーでもそんな場面、あったよな。クインがそれに選ばれなくてグレちゃうんだったよな。でもこういうミスコン的なものというのはすべからく差別的なので私はキライだ。とまれこの歌はそんな風に「学校一」の女の子と結ばれることになった夢見がちな男の子が、これから始まる具体的な生活を思い描く中で夢ばかり見ているわけにも行かなくなってグラグラしつつも「ええい、ちきしょお」と言っているそういう歌だったのだということだけは、ようやく私にも明らかになった。この歌をめぐるそうした「風景」が、ずっと私には見えなかったのである。



…そしてこの歌はそういう歌だったのだとした上で、以下に紹介するのが、伊藤比呂美さんの耳に「長年こんな風に聞こえてきた」というその通りの言葉で綴られた「訳詞」である。

ぬくいぬくいぬくい

(伊藤比呂美訳 Daydream Believer)

ぬくいぬくいぬくい
ふとんは
くさいくさいくさい
ぼくのにおい
ながいながいながい
コードは
ながいながいながい
ぼくのへそのお
ぼくはコードにくるまって
眠った
何をするにも電力はいるから
何をするにもぞろぞろ
へそのおみたいなコードをひきずっていく
へそのおであっためたふとん
へそのおで動き出した女たちの写真
へそのおで退治したファンタジーの魔物たち
ぼく自身のことばたち
へそのおで鳴る目覚まし
そんなものは鳴らなけりゃいいのに
でも鳴るのはわかってる
そしてぼくは起きる
あくびしてナミダためて
ぼくのパンツは夢精でごわごわ
ぼくのひげそりは冷たくて臭い

だいじょうぶ
オナニストはオナペットを強姦したりしない

ぼくはずっときみのことを考えている
ちょっとしたひとことが
何十倍何百倍にも増幅されてぼくの中に残る
ちょっとした表情が
何十倍何百倍にも増幅されてぼくの中に残る
何十倍何百倍にも増幅されてぼくの中に残る
ぼくの中に残る
ぼくたちはキスして抱き合って性交をする
ほら、それはこんなにすてき
でもぼくの手には
生きてるきみの体重も血も体臭も残らない
きみの重さ
きみの血の匂い
きみの腋臭

だいじょうぶ
オナニストはオナペットを強姦したりしない



蒲田行進曲の階段落ちのシーンの直前で風間杜夫に横っ面を張り飛ばされて「銀ちゃんだあ!」と叫んだ平田満さんのように私は叫ぶ。