華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Human Nature もしくは幕間その3 (1983. Michael Jackson)



幕間その2ではマイルス・デイヴィスがカバーしていたシンディ・ローパーの「Time After Time」について触れたけど、1985年の有名なアルバム「You're Under Arrest」の中で、マイルスが「Time After Time」と並んでもうひとつだけ取りあげている「他人の曲」が、マイケル・ジャクソンの「Human Nature」である。昨日のレイ・チャールズの歌詞の中に出てきた「ブーガルー」というダンスのスタイルについて調べてみると、至る所でマイケルの名前にぶつかり、マイケルについてあれこれ調べているうちに、結局またマイルスに戻ってきてしまった。ブルースブラザーズ特集もようやく前半戦終了にまでこぎつけたわけだし、このあたりでもういちど幕間にしたいと思う。マイルスのおかげで私の中ではずっと、「Time After Time」と「ふたつでひとつ」みたいなイメージになっていた曲だったし、前者について触れた以上はこちらの方も取りあげておかないと、どうも私の中ではおさまりが悪いのである。


human nature- miles davis

「You're Under Arrest」に収録されている「Human Nature」は、上の動画で聞くことができる。聞いたことのない人には、ぜひ聞いてみてほしい。だが、聞いたことのある人にもない人にも今回本当に見てみてほしいと思うのは、下の動画。奇しくもブルースブラザーズの教会のシーンでジェームス・ブラウン聖歌隊メンバーとして出演していたチャカ・カーンがマイルスとステージで共演している、1989年のモントルー・ジャズフェスティバルでの「Human Nature」である。

冒頭、「You're Under Arrest」を聞き慣れた耳にはビックリするぐらいのアップテンポで曲が始まるのだけど、メロディを吹き始めたマイルスは、赤いトランペットを尺八みたいに口にあてがったまま、アラレちゃんみたいな髪型をしたベース弾きの兄ちゃんのところへ、無言で(当たり前だ)歩み寄って行く。その時のベースの兄ちゃんの緊張しきった、と言うよりおびえきった表情が、何と言うかもう、見ていてたまらない。およそ人間の歴史が始まって以来これだけ巨大なプレッシャーにさらされる羽目におちいってしまった人がかつて存在しただろうかと思えてくるぐらいの、それは顔なのである。そしてその気持ちは本当に痛いほどよく分かる。その顔を見ているとこっちまで、演奏なんて何も聞こえない気がしてくる。

マイルスはサングラスの奥からものすごい眼でベースの兄ちゃんのことを睨みつけたまま、ほとんど額がくっつきそうになるぐらいに顔を寄せる。マイルスからこんなことをされたらどんなに楽器のうまい人でも、何も演奏できなくなってしまうか、それとも体が勝手に動いて自分の従来の能力を遥かに超えた演奏を始めてしまうかのどちらかしかあり得ないのではないかと思ってしまう。幸いにもこの兄ちゃんの場合は後者だったらしく、硬直しきった最初の表情が、次第にゆるんでくる。そしていつしか「笑顔」さえこぼれ出すようになる。マイルスを前にしての引っついたような愛想笑いではなく、本当に兄ちゃんの奥底から湧き出してくるような「いい笑顔」なのだ。その顔を見てなのかそれとも演奏を聞いてなのか、最後にはようやくマイルスもニヤッと笑顔を見せる。ベースの兄ちゃんの「試練」は以上をもって終了である。見ている方も、どっと汗が噴き出してくる。

そしてその次に出てくるのがチャカ・カーンなのだが、先ほどの兄ちゃんの「試練」を目の前で見ていたはずなのに、この人は最初から「笑って」いるのである。ブルースブラザーズへの出演から10年、アイドルみたいだった外見にもすっかり貫禄がついている彼女なのだが、それにつけてもこの不敵さはどこで身についたものなのか。それとも天性のものなのか。思わず目を疑ってしまう。

しかもこの人、「Human Nature」の歌詞を全然おぼえていないのである。最初のうちは歌詞カードみたいなものを見ながら歌っているのだけど、そのうちそれもウチワに変わってしまう。そして何フレーズかを軽やかに歌いきると、後はマイルスの吹くフレーズを口真似したりして「遊んで」いる。こんな無邪気なことが許されるのは10歳未満の子どもかはたまたチャカ・カーンだけなのではないだろうか。動画のコメント欄にはこのチャカのステージングをめぐって最低だとかshitだとかいった言葉があふれているけれど、これはこれで明らかに「正解」なのである。なぜならマイルスもまた「笑って」いるからだ。さっきの兄ちゃんとは全然ちがった意味で、手に汗を握ってしまう。

そしてもう1人、白人のサックス吹きの人が「試練」を受けてこの演奏は終わるのだけど、何しろYouTubeというものが出てきて以来、自分はその前半生で音楽というものの何を聞いてきたのだろうと思わされるような経験を、私はしょっちゅう味わっている。その最たる例がこの動画であり、そして「Human Nature」という曲なのである。


Miles Davis & Chaka Khan: Human Nature (live in Montreux 1989)

とはいうもののマイケル・ジャクソンが歌う「Human Nature」の「元歌」に関しては、実を言うと私は今日まで一度もまともに聞いたことがなかった。虚心坦懐に聞いてみると、これもやはりマイルスのバージョンとはずいぶん印象が違う。マイルスが演奏するこの歌のメロディは本当に遠いところからゆったりと聞こえてくる感じなのに対し、マイケルが歌うこの歌は最初から終わりまで顔にたかってくる蝿だかアブだかを追っ払い続けてるような感じで、落ち着かないことおびただしい。英語で「トイレに行きたい」は「Nature calls me」と言うのだと昔ならったものだったけど、「Human Nature」というのは要するにおしっこでもガマンしている曲だったのだろうかと、そんな感じがしてくるぐらいである。

しかしながらレイ・チャールズの歌をきっかけにダンスの歴史というものを今回いろいろ調べてみて、改めて実感させられたのは「やっぱりマイケルジャクソンはスゴい人だったのだ」ということだった。子どもの頃の私は歌は大好きだったけどダンスには全く興味がなかったし、見てもひたすら退屈にしか感じなかったのである。それが「面白く」感じられるようになったのはオトナになってかなり時間が経ってからのことだ。とまれこの「Human Nature」は、ブログを始めたおかげもあって私が初めて「歌詞を見ながら聞いた」マイケルジャクソンの歌となった。これを機会に今までずっと聞き流してきた「スリラー」や「ビリー・ジーン」なんかも、ちゃんと聞いてみようかとちょっとだけ思っている。ちなみに「スリラー」のPVを撮影した人とブルースブラザーズの監督は、同じ人だったらしい。そんな風にして世界はどんどん、つながってゆく。


Michael Jackson - Human Nature HQ

Human Nature

Looking out
Across the nighttime
The city winks a sleepless eye
Hear her voice
Shake my window
Sweet seducing sighs

夜越しに眺めると
眠らない瞳で
街がウインクする。
彼女の声
つまり街の声は
僕の窓を震わせる
甘い誘惑のためいき。


Get me out
Into the nighttime
Four walls won't hold me tonight
If this town
Is just an apple
Then let me take a bite

連れ出しておくれ。
夜の中へ。
部屋の四方の壁も
今夜は僕を閉じ込めておけない。
よく言うように
街はリンゴだって言うのなら
一口ぐらいかじらせておくれよ。


If they say,
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do it that way
If they say,
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

なぜ?なぜ?
と言われたら
人間なら当たり前のことだって言ってやれ。
なぜ、なぜ
神さまってのは
人間をそういう風にしちゃうんだろう。
なぜ?なぜ?
と言われたら
人間なら当たり前のことだって言ってやれ。
なぜ、なぜ
神さまってのは
僕をそういう風にしちゃうんだろう。


Reaching out
To touch a stranger
Electric eyes are everywhere
See that girl
She knows I'm watching
She likes the way I stare

見知らぬ誰かに触れようと
手を伸ばす。
至る所に
電気の瞳。
あの娘をごらん。
というのはつまり
あの街をごらん。
彼女は僕が見てるのを知ってて
それを悪くないと思ってるんだ。


If they say,
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do me that way
If they say,
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

なぜ?なぜ?
と言われたら
人間なら当たり前のことだって言ってやれ。
なぜ、なぜ
神さまってのは
人間をそういう風にしちゃうんだろう。
なぜ?なぜ?
と言われたら
人間なら当たり前のことだって言ってやれ。
なぜ、なぜ
神さまってのは
僕をそういう風にしちゃうんだろう。


I like livin' this way
I like lovin' this way

こんな風に生きるのは
悪くない。
こんな風に愛するのも
悪くない。


(That way) Why why
(That way) Why why

(そんな風に)
なぜ?なぜ?


Looking out
Across the morning
Where the city's heart begins to beat
Reaching out
I touch her shoulder
I'm dreaming of the street

朝の光ごしに
外を眺める。
街の心臓が
鼓動を打ち始めるあたり。
手を伸ばして
その肩に触れたい。
僕はストリートを夢見ている。


If they say,
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why, does he do me that way
If they say,
Why, why, tell 'em that it's human nature
Why, why does he do me that way

なぜ?なぜ?
と言われたら
人間なら当たり前のことだって言ってやれ。
なぜ、なぜ
神さまってのは
人間をそういう風にしちゃうんだろう。
なぜ?なぜ?
と言われたら
人間なら当たり前のことだって言ってやれ。
なぜ、なぜ
神さまってのは
僕をそういう風にしちゃうんだろう。

=翻訳をめぐって=

  • 歌の風景の解釈としては、「セレブになりすぎて表を歩けなくなってしまったマイケルが、ホテルの部屋から街を眺めてストリートを恋しがっている」というのが一般的な聞き方であるようだ。どうでもいいけど「セレブ」という言葉はいつから使うようになったのだろう。「ハイソ」という言葉はいつから使われなくなったのだろう。どちらも全然、好きな言葉じゃないけれど。
  • Hear her voice…このherについては「街を擬人化している」という説と「具体的な恋人のことを言っている」という説のふた通りが流通しているらしい。以下に出てくる「she」についても同じ。このブログでの訳し方は若干「反則」気味になっている。
  • an apple…ニューヨークを「big apple」というのは有名だけど、appleは一般的に「大都市」をさす言葉としても使われるらしい。街を擬人化したり擬果実化したりするのは、考えてみると日本語にはない発想だと思う。
  • why does he do me that way…最初に読んだ時には「he」がどんな人物のことを指しているのか全く想像がつかなかったのだが、海外のサイトでは当たり前のように「he=神」という解釈がなされているのを読んで、なるほどと思った。神という概念を歌詞の中に持ち出されることについて、私はそもそも納得できないし、それを一人称単数男性の代名詞で表現されることにはもっと納得できないのだけど、歌の意味の説明としては、それで全部納得できる。

…夕闇で始まって朝の光で終わる構成は、下の曲と全く同じだったのだな。というのが、歌詞を読み終えての最初の感想だった。ここまで来ると全く関係ないけれど、それでもこんな風にして世界はどんどん、つながってゆくのである。ではまたいずれ。ブルースブラザーズ特集、まだまだ先は長いけど、ぼちぼち行かせてもらいたいと思います。


戸川純 母子受精