華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

激しい雨 もしくは150曲目を迎えて (2006. 忌野清志郎)


Oh 何度でも夢を見せてやる
Oh この世界が平和だった頃の夢
RCサクセションが聞こえる
RCサクセションが流れてる

ブルースブラザーズの曲と、同じ音がする。バックで演奏しているのは同じ人たちなのだから、当たり前ではある。

この曲を聞くたびに、彼はもう自分が長く生きられないことを分かっていたのだろうな、と思う。私が書くまでもなく、みんながそう思ってるに違いないことだけど。

「この世界」が平和だったことなど、一度もない。

誰かの犠牲の上にアグラをかいて、世界から見れば取るに足らないくらい小さな日本という一地域が、何十年かにわたって「平和」を享受していた一時期があった。というぐらいの言い方なら、可能かもしれない。けれども「この世界」そのものが平和だった時代は、歴史の中ではまだ一度も作り出されたためしがない。

彼はどうしてその人生の最後に「未来への夢」を語ることができなかったのだろうか。

「過去の夢」それも「ありもしなかった過去の夢」にしがみつくことしかできなかったのは、何に絶望していたからなのだろうか。そして誰から何を「守る」ためだったのだろうか。

未来が思い通りにならないものなら、過去だって思い通りになりはしないのだ。そのことを私たちは、覚えておかなくてはならないと思う。

同じ「ありもしない夢」であるならば、その夢は「未来」に求める以外にないはずだ。それが少なくとも「生きている人間」が果たすべき務めというものだろう。

私が「自分の青春に決着をつける作業」にこだわり続けるのは、そのことへの責任だけは果たさなければならないという気持ちを、持ち続けているからである。

それは彼、と言うにはあまりに年上だった「あの人」に対する、責任でもあるのだ。


激しい雨 忌野清志郎

さて、50曲目ごとに日本語の曲を取り上げてブログ運営に関する雑感などを綴ってゆくのが今のところ私のスタイルになっているのだけれど、ここに来て果たして私は今まで通りのやり方でこのブログを続けてゆくことができるのだろうかという、重大な決断を迫られていることを明らかにしなければならない。

自分が歌詞対訳のブログを始めるようになって、他の人たちがやっている同じようなサイトを参考にさせてもらうことはそれまで以上に増えたのだけど、その中で下記にリンクを貼らせて頂いたような「対訳サイトの廃墟」がいくつもいくつも存在することが、だんだん分かってきたのである。

http://sevenz.com/iHateJasrac.htmlsevenz.com

こうしたサイトの運営者の皆さんが、どうしてご自身で書かれた掛け替えのない記事を自ら「削除」しなければならない事態に追い込まれたのか。すべてのケースにおいて、理由は共通している。

ある日突然「JASRACがやって来る」のである。

どういう基準でこの方たちのサイトが「狙い撃ち」にされたのかは、JASRACの人間以外には誰にも分からない。堂々と歌詞の全文を転載しながら何年にもわたって運営を続けている他のサイトは、いくらでも存在する。それにも関わらず「目をつけた人間」のところに、JASRACはいきなり現れるのである。そしていったん目をつけた相手からは、すべてを奪い尽くすまで絶対に離れない。同じはてなブログでも、同様の事例を分析した記事や、また以下にブックマークを貼らせて頂いた方のような証言が、ちょっと探しただけで多数見つかる。

b8270.hateblo.jp
manamisinging.hatenablog.com

私はここで法律論的なことを展開するつもりはないし、JASRACみたいなのを相手にして「うたを翻訳するということの正当性」をあれこれ訴えるようなつもりも全然ない。そんなことは言葉を尽くして説明するまでもなく自明のことだし、JASRACが邪悪な存在だというのもまた、自明のことだ。邪悪な存在を相手にしては、言葉なんてそもそも通用するはずがないのである。かれらに対する反撃なり社会的制裁なりというものは、やるとするなら別の仕方でなされる他ない。

しかしそれはそれとして考えるとして、私が「うたを翻訳すること」を今後いかにして続けてゆくかという問題に話を絞るなら、今のうちに何らかの自衛手段をとっておく他にないのだと思う。具体的には、他のいろんなサイトの人たちがやっているような、原文歌詞の直接転載はなるべく避けて「自分の言葉」だけを綴るようにするといったあれこれの「工夫」である。

原詞を直接転載した上で対訳を書いた方が圧倒的に読みやすいし分かりやすいに決まっているので、今までそうしたスタイルを私はとってきた。しかしそれを改めるとするならば、今まで翻訳してきた全ての歌詞に対して同じ編集を加えなければならない。150曲も翻訳してきて今さらそんな作業をやり直さねばならないのは考えただけで気が滅入るが、それでも曲の数がさらに増えて500曲とか1000曲になると、そうした改編作業も不可能になる。決断するなら今しかない。

そういった理由からこのブログはこれからしばしの間、リニューアル期間に突入したいと思います。そのかん今までのようなペースで新しい歌を取り上げることはできなくなると思いますが、ご了承ください。

ちなみに現在の私がこうした形でブログの更新を続けていられるのは、今の私に「書ける条件」があるからなわけだが、それがなくなれば、書けなくなる。当たり前の話である。

条件が変わってそれ以上書けなくなる日が来た時に、私が希望するのは、それまでに書きためた自分の文章が誰にでも閲覧できるような状態でネットの片隅に残り続けること。それだけだ。

はてなブログpro」に登録したら、カネを払うのをやめると次の日から自分の記事が消えてしまいそうな気がする。だから登録しないでいる。

でも「この場所」も、果たしてどれだけ「安泰」だと言えるのだろうか。ネットというものが世の中に登場してまだ何十年も経っていないのに、ともすれば我々はネットの中には「永遠」が存在しうるかのような錯覚に陥ってしまいがちになる。しかし結局そこに書かれていることの全ては、「カネを払うのをやめれば消えてしまう情報の寄せ集め」にすぎないのではないのだろうか。よく考えたらこのブログに自分のアカウントを登録できたのも、携帯電話というものにカネを払っていることによって初めて可能になった話だったのである。

「消えない言葉」がネットの上を漂い続けていることって、ありうるのだろうか。

誰か詳しい人がいたら教えて下さい。何か、ぜんぜん違う方向に考えが飛んでしまいました。ではまたいずれ。