華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Moonlight Drive もしくは月光が駆り立てる衝動 (1967. The Doors)



"Dig It"をdigしはじめたあたりからずいぶん回り道をすることになってしまったのだけど、本当は"Dig A Pony"を取りあげた時に次に訳そうと思ったのは、ドアーズのこの曲だった。あの曲に出てくる「ペネトレイト(penetrate)」という言葉を私が初めて知ったのは、この"Moonlight Drive"の歌詞を通じてだったのだ。その記憶を、呼び起こされたのである。

ペネトレイトというのは、辞書によるなら「突きぬける」「貫通する」「つらぬく」「浸透する」といった意味を持つ動詞である。そのことの上で、この曲の影響でそう思うだけではないかと言われたらそれまでだけど、このペネトレイトという言葉には妙にエロティックな語感がある。「(壁を)突きぬける」「(胸を)貫通する」といった暴力的なイメージが伴う言葉の訳語であるにも関わらず、何となく「痛くなさそう」なのである。「突きぬける」と言っても「ふよん」という感じで、気がついたら反対側に突きぬけていた、あるいは突きぬけられていた、というのがペネトレイトなのではないかと思う。そんな風に突きぬける主体あるいは突きぬけられる対象があたかもその瞬間だけ透明な存在に変わってしまうような不思議なイメージが、この言葉には漂っている。(英語話者の人に確かめて書いているわけではありません。全く私のひとりよがりの「思い込み」にすぎない可能性もあるので、ちゃんと説明できる人がいたらぜひご指摘ねがいます)。

一方で、ドアーズのデビュー曲は周知のように"Break on through to the other side (反対側に突きぬけろ)"という曲である。この「ブレイク·オン·スルー」というのはペネトレイトとは打って変わって、ものすごく痛そうな「突きぬけ方」に思える。ブレイクのBはバクハツのBだ。破裂するKの音が、破壊と硝煙のイメージをさらに強調している。ここにおける「突きぬける」は、完全に「暴力」と結びついたそれである。暴力がいつも「痛い」ものだとは限らないわけで、ペネトレイトもその意味では「別の種類の暴力」にすぎないと言えると思うし、場合によってはもっとタチの悪い暴力でもありうると思う。しかしとにかく言えるのは、「ブレイク·オン·スルー」が「破壊を伴う言葉」だということである。

ペネトレイト」と「ブレイク·オン·スルー」。浸透と破壊。このふたつの全く違った「やり方」を駆使しながら、「向こう側の世界に突きぬけること」を最後の瞬間まで追求していたのがジム・モリソンという人ではなかったのだろうか。といったようなことを思う。「こちら側の世界」と「向こう側の世界」の「境界」に存在している「突きぬけるべき何か」に名前をつけることができるとしたら、それがおそらく「ドア」なのである。

すべては、考えぬかれているのだ。ジム·モリソンはつくづく詩人だと思う。「詩人だけどただそれだけのこと」というステキな歌が大昔にテレビから流れていたことを、同時に思い出している私でもあるのだけれど。


さねよしいさ子 マルコじいさん

ところで、この歌の邦題は「月光のドライブ」である。このタイトルを聞いた時に大方の人の脳裏に浮かぶのは、月の光の下でクルマを走らせている若い男女の姿なのではないかと思う。私もずっと長い間、そんなイメージを持っていた。

しかし辞書で調べるとdriveという名詞には「車で行楽に行くこと」の他に「衝動」「原動力」「駆動力」といった意味があったことに気づき、"moonlight drive"は「月光が駆り立てる衝動」という風にも訳せる言葉なのではないかということに、思い当たった。

洋の東西を問わず、昔の人は月の光というものに、人の心を妖しくさせる何らかの力が存在していることを、いろいろな形で感じとっていた。歴史的に「精神病者」を迫害するために使われてきた許し難い差別語として"lunatic"という言葉があるのだけれど岡田あーみんの「ルナティック雑技団」というマンガをむかし私は好きだったのだが、それが差別の言葉だということに気づかされて以来、今では読んでいない)この言葉はもともと「月の光を浴びた人」のことをさす言葉だったということである。「心の病気」にかかった人を差別や迫害の対象にすることは絶対に許せないとした上で、月の光にはそうした不思議な力が確かに「ある」ように、私自身にも感じられる。「月光のドライブ」の「ドライブ」を「駆動力」という意味で捉えてみると、このタイトルは途端に近未来アニメみたいな響きに変わってしまうけど、そうした「力」のことをもジムモリソンは"moonlight drive"という言葉で表現したかったのではないかと思う。そしてそれはおそらく、文字通り車に乗ってデートする意味での「ドライブ」と、ダブルミーニングになっているのである。

何しろUCLAのキャンパスでジム·モリソンがレイ·マンザレイクに向かって自作のこの曲の一節を歌ってみせたところから、ドアーズというバンドは始まったのだ。上に書いたようなことを前置きにした上で、できるだけ正確に翻訳できるように、がんばってみたいと思う。


Moonlight Drive PV

Moonlight Drive

英語原詞はこちら

Let's swim to the moon, uh huh
Let's climb through the tide
Penetrate the evenin' that the
City sleeps to hide
Let's swim out tonight, love
It's our turn to try
Parked beside the ocean
On our moonlight drive

月まで泳いで行こう。
あはん。
潮をくぐりぬけ昇ってゆこう。
街が眠りで覆い隠そうとしている
夕闇の中をつきぬけて。
今宵は泳ぎ明かそう。
らゔ。
ぼくらのための時が来た。
二人のムーンライト·ドライブ
月の光に突き動かされて
ぼくらは海辺に車を停めた。


Let's swim to the moon, uh huh
Let's climb through the tide
Surrender to the waiting worlds
That lap against our side

月まで泳いで行こう。
あはん。
潮をくぐりぬけ昇ってゆこう。
ぼくらのそばで
ぱしゃぱしゃ音を立てながら
待っている世界に
身をゆだねよう。


Nothin' left open
And no time to decide
We've stepped into a river
On our moonlight drive

他の選択肢はないし
決める時間もない。
ぼくらのムーンライト·ドライブ。
月の光に突き動かされて
川の流れに踏み込んだ。


Let's swim to the moon
Let's climb through the tide
You reach your hand to hold me
But I can't be your guide

月まで泳いで行こう。
あはん。
潮をくぐりぬけ昇ってゆこう。
きみはぼくにしがみつこうと
手を伸ばすけど
ぼくはあてにはならないよ。


Easy, I love you
As I watch you glide
Falling through wet forests
On our moonlight drive, baby
Moonlight drive

おちつけ。
ぼくはきみを愛してる。
水中の森の中へ
滑り落ちてゆくきみを見てる。
月の光に突き動かされて
べいび。
月光のドライブだよ。


Come on, baby, gonna take a little ride
Down, down by the ocean side
Gonna get real close
Get real tight
Baby gonna drown tonight
Goin' down, down, down

行くよベイビー
ちょっとしたドライブだ。
海の方へ海の方へと
降りて行って
ぴったりとくっついて
しっかりと抱き合って
今夜は水の中だよベイビー
降りてゆくんだ。
沈んでゆくんだ。
消えてゆくんだ。
ゆくんだ。

=翻訳をめぐって=

…数え切れないくらい聞いてきた歌なのに、自分で訳してみるまではこんなに怖い歌だとは正直考えてもいなかった。これって完全に、無理心中の歌ではないか。「無理」心中でもないのかな。少なくとも彼女は、水に入るまでは「同意」のもとに行動しているように見える。でもしがみついてくる彼女を「助けない」と言ってるのだから、やっぱり無理心中ではないか。それもめちゃめちゃ残酷な騙し討ちではないか。そんな歌をこんなにも甘くロマンティックに歌えてしまうジムモリソンという人は、やっぱり怖い。

前回翻訳した"Yes, the river knows"という曲にも「水による死」のイメージが濃厚に漂っていたことが、今になってがぜん気になっている。しかもドアーズのそういう曲は、考えてみると他にもあるのである。ジムモリソンには自分が「水に関係した死」を迎えることになる、漠然とした予感でもあったのだろうか。実際、1971年7月3日に彼がパリのホテルで遺体となって発見された場所は、「バスタブの中」だったのである。嫌だなあ怖いなあ。今夜、変な夢でも見なければいいのだけど。私。

海外のサイトを見てみると、この曲の歌詞は全体がドラッグによるトリップの様子を具体的に再現したものにすぎないという解釈が、結構なされている。死についてマジで歌った歌でなく、そういう歌であってくれたなら、むしろどんなに安心して聞けることだろう。ドラッグの歌で「あってほしい」と心から願ってしまうような歌なんてこの曲の他には滅多に存在しないと思うけど、そういうことを踏まえた上で、以下、細かい点について。

  • Let's climb through the tide…climb throughは「貫通しながら登ってゆく」というイメージで、辞書の例文では「山に掘られたトンネルを登ってゆく」という表現の訳語としてclimb throughが使われていた。ジムモリソンは前置詞の使い方にとことんこだわる人なのだ。月までthroughしながらcrimbするためには、月までの空間が全てtideで満たされていなければならないことになる。このことからこの歌詞におけるtideは、月光そのものを「潮」に見立てた表現ではないかという解釈を某所で見つけた。なかなか鋭い読み方だと思う。
  • Parked beside the ocean On our moonlight drive …このonの使い方がまた独特である。「ドライブ」が「車を使った行楽」という意味なら「ぼくらのムーンライトドライブの途上で」といったような意味になるし、「月光が駆り立てる衝動」という意味なら「我々の内なる月光の力にのっとって」といったような意味になる(と思う)。この歌詞がダブルミーニングなのではないかという疑いが私に生じたのは、前者の意味だけだとこのonの使い方があまりに不自然に感じられると思ったのがきっかけだった。
  • We've stepped into a river …現在完了形はこんな風に使うのか、という見本のような歌詞。have steppedという言い方をすることで「踏み込んでしまった(もう戻れない)」というニュアンスが如実に表現されている。それにつけてもどうしてこの部分でだけ「海」ではなく「川」なのだろう。海に通じる河口なのだろうか。
  • Falling through wet forests…直訳は「濡れた森の間を落ちてゆくさま」。彼女が「落ちてゆく」のが海の中なら、wet forestsは試訳のようなイメージで考える他ない。ドラッグによる幻覚のイメージなら、それこそいろんな「wet forests」がありうると思う。
  • 余談ながら、ドアーズのほとんどの歌の舞台はロサンゼルス-カリフォルニアなので、この歌に出てくるoceanは太平洋のことであると考えて間違いない。大学時代のある日、海を眺めながらジムがレイに向かって「あの太陽が沈んだ先に何があるか知ってるかい?」と訊ねたことがあるそうで、レイが考え込んでいると、ジムは「日本があるんだよ」と言ったのだそうだ。この話を知るまで、私はジムモリソンという人の頭の中に日本が「存在」していたということ自体、想像したことさえなかった。印象的なエピソードだった。

ドアーズ 『まぼろしの世界』 - 花の絵

というわけでまたいずれ。