華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

I'm Waiting For The Man もしくは その男を待っている (1967. The Velvet Underground and Nico)

I'm Waiting For The Man

I'm waiting for my man
Twenty-six dollars in my hand
Up to Lexington, 125
Feel sick and dirty, more dead than alive
I'm waiting for my man

ある男を待っている。
手には26ドル持っている。
レキシントンの125丁目まで来て
気持ち悪くて
汚れた気持ちで
生きてると言うより
死んでるような気持ちで
ある男のことを待っている。


Hey, white boy, what you doin' uptown?
Hey, white boy, you chasin' our women around?
Oh pardon me sir, it's the furthest from my mind
I'm just lookin' for a dear, dear friend of mine
I'm waiting for my man


( 2番の歌詞の内容については、下記参照のこと)

Here he comes, he's all dressed in black
Beat up shoes and a big straw hat
He's never early, he's always late
First thing you learn is you always gotta wait
I'm waiting for my man

その男が来た。
黒で身を包んで。
くたびれた靴に
大きな麦わら帽子。
その男が早く来ることはない。
必ず遅れて来る。
まず学ばなきゃいけないのは
いつも待つしかないんだということ。
ある男のことを
ぼくは待っている。


Up to a Brownstone, up three flights of stairs
Everybody's pinned you, but nobody cares
He's got the works, gives you sweet taste
Ah then you gotta split because you got no time to waste
I'm waiting for my man

砂岩張りの建物のところまで行って
3階までのぼる。
みんながきみを釘付けにしたかもしれない。
でも実のところ誰も気にしちゃいない。
その男は自分の仕事をして
きみにいいものをくれる。
そしたらきみはさっさと離れること。
むだにできる時間はないからね。
ある男のことをぼくは待っている。


Baby don't you holler, darlin' don't you bawl and shout
I'm feeling good, you know I'm gonna work it on out
I'm feeling good, I'm feeling oh so fine
Until tomorrow, but that's just some other time
I'm waiting for my man

ベイビー 大声は出さないこと。
ダーリン 泣いたりわめいたりしないこと。
ぼくはいい気持ちだよ。
とってもいい感じだよ。
とりあえず明日までは。
でもそれはまた別の時のこと。
ぼくは
ある男のことを待っている。


I'm waiting for my man

=翻訳をめぐって=

  • ニューヨークの街角でジャンキーが売人からドラッグを入手する「日常的なやりとり」を、ドキュメントタッチで描いた歌。「ぼくは待ち人」という邦題は歌の主人公が「男娼」であるという解釈にもとづいていると思われるが、彼が歌の冒頭で「26ドル」を手にしている描写からして、彼が待っている相手は「客」ではなく「売人」であると考えるのが妥当だろうと思う。事実、海外サイトでこの曲を紹介した文章は、全てそうした前提で書かれている。なお、ルー・リードのインタビューによるならば、この歌に歌われていることは「値段以外は全て事実にもとづいている」とのことである。
  • タイトルではThe man (その男) という言葉が使われているが、歌詞の中では全てが my man (私の男) になっている。この my man をどういうニュアンスで翻訳すればいいのか、私にはよく分からない。ヒップホップのスラングで my man は「親友」という意味らしいが、奴隷制の時代には奴隷にされた人々に対して奴隷主の側が「自分のことをこう呼べ」と強制していた言い方でもあるらしい。またブルースブラザーズ特集でタミー·ワイネットの歌について調べた時の感じで言えば、保守的な家庭で女性が男性配偶者に対して使う呼称としても my man が「好まれて (誰にだ?)」いるようである。以上のようなことからして、my man という言い方にはその相手に対して自分が「従属させられている」ニュアンスが伴っているのではないかという気がする。しかしよく分からないので、試訳では「ある男」という言い方を使った。
  • 2番の歌詞について。前半部分は「おい白人の小僧、このアップタウンで何やってるんだ?」「おい白人の小僧、我々の女性たちのことをつけ回してるんじゃないだろうな?」という「セリフ」になっており、後半部分はそれに対して「何てことをおっしゃるんですか。そんなこと考えたこともありません。私はただ親しい、本当に親しい友人のことを探してるんです」と卑屈な言葉で言い訳する、歌の主人公の「セリフ」になっている。直接的な言葉では語られていないが、歌詞の中に出てくる地名や「Hey, white boy」という相手の「語り口調」から、リスナーに対して主人公が黒人から「からまれて」いる情景を想像させる歌詞になっているのである。私はこの部分は、極めて差別的な歌詞だと思う。ルー·リードが「事実をそのまま書いているだけ」だとは、私は思わない。「あなたも黒人からこんな風に迫られたら、怖いでしょう?」と、聞き手に対して「共感」を求める気持ちがなければ、こんなことを歌詞にするような理由は、どこにも存在しないはずなのだ。その「共感を求める気持ち」こそが差別だと思うし、共感することはもちろん差別である。だから私はこの2番の歌詞を、そのまま翻訳する気にはなれなかった。このブログを開設するにあたり第2回目の記事に書かせてもらったことを、改めて再掲しておきたい。

あからさまに人を傷つけることを言っている人間に対し、それを指摘することもせず、その人間の言った通りを他の言語にまで翻訳してネットで拡散するような行為は、差別に加担しそれを拡大させること以外の何ものでもない。そういうことを平気でやれる人間は、「自分が言ったんじゃない。誰それが言ったんだ」という言い訳を心の中に必ず準備している。しかしそれが最も卑怯で悪質な人間のとる態度であることは、自分が言われる立場に立つことを想像してみれば誰しも容易に気づくことだろう。差別に対し見て見ぬふりをすることは、それ自体が差別であると思う。だから私はその一点に関してだけは、どんなに原詞や訳詞を「破壊」することになったとしても、妥協しない態度を取り続けて行きたいと思う。
Waiting for the sun もしくは自由のスプラッシュ (1970. The Doors) - 華氏65度の冬

  • Baby don't you holler, darlin' don't you bawl and shout…「大声を出したり騒いだりしてはいけない」というこの部分の歌詞は誰に対する言葉なのだろうかということが分かりにくく感じられるが、海外のサイトでは、主人公がドラッグを買って帰ったことに対し、主人公の恋人が激怒しているのをなだめている描写だ、という説明がなされていた。


川本真琴 I'm Waiting For The Man

…こんな人がこの歌をカバーしていたことはひたすら驚きだったので、思わず動画を貼りつけてしまったのだが、この人は2番の歌詞をどんな気持ちで歌ってたのだろうか。カッコいいとでも思ってたのだろうか。自分のことを"white boy"だとでも思ってたのだろうか。思ってたとして、思ってたら歌ってもいいのだろうか。イヤな気持ちしか込み上げてこない。差別は誰も幸せにしない。

何度も書いてきたことだけど、私がこのブログで「うたを翻訳すること」を続けているのは、私自身が「自分の青春に決着をつけるため」である。どんな歌であれそれが自分の青春の1ページの中に存在していた歴史を私が持っている以上、それがどんな歌だったのかも知らないままでは、決着のつけようがない。だから翻訳してみた結果がガッカリするような内容だったとしても、そのことは私自身にとっては、立派な意味を持っている。

願わくはそれがこのブログを読んでいる他の読者の皆さんに対しても、「意味のあること」として受け止めてもらえればいいのだけどと思っている。