華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

There she goes again もしくはほら、またあいつだ (1967. The Velvet Underground and Nico)

There She Goes Again

英語原詞はこちら


There she goes again
She's out on the streets again
She's down on her knees, my friend
But you know she'll never ask you please again
Now take a look, there's no tears in her eyes
She won't take it from just any guy, what can you do
You see her walkin' on down the street
Look at all your friends she's gonna meet
You better hit her

There she goes again
She's knocked out on her feet again
She's down on her knees, my friend
But you know she'll never ask you please again
Now take a look, there's no tears in her eyes
Like a bird, you know she would fly, what can you do
You see her walkin' on down the street
Look at all your friends that she's gonna meet
You better hit her

Now take a look, there's no tears in her eyes
Like a bird, you know she will fly, fly, fly away
See her walking on down the street
Look at all your friends that she's gonna meet
She's gonna bawl and shout
She's gonna work it
She's gonna work it out, bye bye
Bye bye baby
All right


There she goes again 1967

=翻訳をめぐって=

この歌の邦題は「もう一度彼女が行くところ」と言うのだが、これってかなり派手な誤訳なのではないだろうか。ストーンズの「19回目の神経衰弱」に「Here it comes」=「そら来たぞ」という歌詞があって、私はそういう言い回しをあの歌で覚えたのだったが、そのでんで行くなら「There she goes」は「ほら(あそこに)彼女が行くぞ」という意味になるはずであり、それにagainがつくのだから、意味としては「ほら、またあいつだ」みたいなニュアンスの言葉になるはずである。調べたら実際、その通りだった。

とはいえ、こうしたhereとかthereとかを使った言い回しが、日本語話者の感覚からすると極めて理解しにくいことは、事実である。私自身、マクドナルドで店員さんにハンバーガーを渡される時の「どうぞ」がどうして英語だと「Here you are」になるのか、意味は分かっても理屈はいまだに理解できない。「Here you are」の直訳は「あなたはここです」なのだ。「ハンバーガーはここです」ならまだ理解できるとして、「あなたはここにいます」ということをどうして店員さんから教えてもらわねばならない理屈になるのか。その感覚がさっぱりわからない。

ところで、この歌の1番と2番の歌詞は「You better hit her」=「彼女を殴ってやれ」という言葉で終わっている。歌詞の最後に来る言葉というのは、言うまでもなくその歌詞の「結論」になっているわけである。その結論が「彼女を殴ってやれ」である以上、そこにたどりつくまでの他の歌詞が全部「彼女を殴ること」を正当化するための理屈で埋めつくされていることは、読まなくても分かるぐらいの話だし、読んだら実際にそうなっている。つまりこの歌は「最低の歌」なのである。

逆の場合ならいざ知らず、この世に男性が女性を殴ることを「正当化」できる理屈など、ひとつも存在しない。暴力は差別の究極形態である。それを正当化しようとする人間の理屈を翻訳=代弁してやる理由など私にはひとつもないし、翻訳した内容を何の注釈もつけずにネットで拡散するようなことは差別の片棒を担ぐ行為に他ならない。だから私はこの歌の訳詞は作らないことにした。代わりに「Venus In Furs方式」で、歌詞の内容を検証しておくだけにとどめたい。

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There she goes again
She's out on the streets again

「ほら、また彼女が歩いてゆく。彼女がまたストリートに出ている」…後半の歌詞は、彼女が街頭で仕事をしているセックスワーカーであることを示している。

She's down on her knees, my friend
But you know she'll never ask you please again

「彼女はひざまづいてみせるんだ。(私の友人よ)。でもいいかい。彼女は2度と君の機嫌をとろうとしない」…「2度と」という言葉に、ルー·リードが語りかけている「友人」は、かつて彼女のことを「買った」経験を持つ人間であることが示されている。

Now take a look, there's no tears in her eyes
She won't take it from just any guy, what can you do

「見てごらん。彼女の目に涙はない。彼女は他の男と関係を持つべきではない(と思わないか?) さてどうする?」…ルー·リードは、彼女をカネで「買った」その「友人」が、彼女のことを独占したいという気持ちを持っていることを分かっていて、その「友人」のことを「煽って」いるのである。

You see her walkin' on down the street
Look at all your friends she's gonna meet

「ストリートを歩いて行くね。あいつ。君のいろんな友だちと、これから会うんだろうね」…などという言葉で「友人」に対し、彼女が他の男性と関係を持つ様子を具体的に想像させている。そうやって「友人」のジェラシーを煽り立てることをルー·リードは「楽しんで」いるようである。そして「結論」が
You better hit her 「彼女を殴ってやれ」
なのだ。そんな理屈で暴力を振るわれる側からしてみれば、この歌から受ける印象はひたすら「恐怖」でしかないと思う。

2番の歌詞も1番とほとんど変わらない。違うのは「She's knocked out on her feet again 彼女はまた打ちのめされて(疲れ果てて?)へたりこんでいる」という部分と、「Like a bird, you know she would fly, what can you do 彼女は鳥のように飛んでゆく。さて君はどうする?」という部分だけで、最後の言葉はやはり「彼女を殴ってやれ」である。

そして3番では、それまでの歌詞が繰り返された上で、

See her walking on down the street
Look at all your friends that she's gonna meet
She's gonna bawl and shout
She's gonna work it
She's gonna work it out, bye bye
Bye bye baby
All right

ストリートを歩いて行くね。あいつ。
君のいろんな友だちと
これから会うんだろうね。
泣いたり叫んだりするんだろうね。
あいつはうまくやるんだろうね。
うまくやるんだろうね。ばいばい。
ばいばいベイビー。
問題なし。

と、「友人」のことを煽りまくった挙句、ルー·リードはさっさとその場から立ち去ってしまう。彼は一貫して「局外者」の立場からこの歌を歌っているが、「友人」に対して「彼女を殴ること」をそそのかしているのは、初めから終わりまで彼自身なのである。ルー·リード自身が、街頭でセックスワーカーをして暮らしている女性に対する憎悪の感情を持っていなければ、こうした歌は決して作ったり歌ったりできなかったはずだ。この歌はそうした女性に対する最悪のヘイトスピーチであるとしか、私には思えない。

動画がなかったから貼りつけて紹介することはできないけれど、中島みゆきに「エレーン」という歌があって、その歌には彼女が上京してきた当時、隣人として顔見知りだったヘレンさんという外国人女性のことが歌われている。ヘレンさんは中島みゆきと時々言葉を交わすぐらいの仲だったのだけど、ある日突然、絞殺死体となってゴミ捨て場に「捨てられた」姿で発見された。中島みゆきはそのことを、聞き込み捜査に訪れた警察官から知らされ、同時にヘレンさんがセックスワーカーをして暮らしていたことも、初めて知らされた。(私自身、本を読んで知ったことをここで「言いふらして」いるわけだけど、生前に本人が秘密にしていたことを死んでから隣人に言いふらすこの警察官の行為というのは、それ自体がヘレンさんに対する最大の冒瀆だと思う。そこは決して、スルーされてはならないところだと思う)

それならばどうして彼女を「買った」男たちのことを調べないのかと中島みゆきが問いただしたところ、「買った」女のことを話したがる男などいない、と警察官は答えたのだという。ヘレンさんの事件は結局「迷宮入り」になった。その一連のエピソードから書かれたのが「エレーン」という曲なのだそうである。中学生の時、「生きていてもいいですか」というアルバムでその曲を聞いた時には大きな衝撃を受けたが、曲の背景に存在した実話を知った時に私が受けた衝撃は、それ以上のものだった。

ヘレンさんを殺したのが何者で、どんな理由で殺したのかは、誰にもわからない。しかし今回このベルベッツの曲の内容を翻訳する中で、私はヘレンさんが「殺されなければならなかった理由」を、初めてと言ってもいいかもしれない。改めて考えさせられた。そして殺した人間がヘレンさんに対して抱いていた「憎悪」の内容は、場合によってはこの曲のように「陽気」で「軽い」ものであった可能性さえあるのだということに気づかされ、気分が悪くなった。

つくづく、邪悪な曲だと思う。これからは、飛ばして聞くことにしよう。

エレーン

エレーン

生きていてもいいですか

生きていてもいいですか