華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

薩拉熱窩的羅密歐與茱麗葉 もしくは with (1994. 鄭秀文)




中国人の友だちが、「願世界和平 (世界の平和を願って)」というメッセージを添えて、こんな歌を送ってきてくれた。

般若心経の一節と勘違いしてしまいそうな、難しい漢字の並んだタイトルは、「サラエボロミオとジュリエット (サライウォでいっロマアウジュライイッ)」と読むらしい。聞いてみると、中島みゆきの「with」に広東語の歌詞がついた曲だった。そして歌詞からは、「イマジン」の世界が連想された。

「イマジン」なんかと比べたら失礼なぐらい、リアルで、ひたむきで、悲しみにあふれた歌詞だ。

それなのに、私が連想したのは「イマジン」だった。

そのことで私は、自分に腹が立って仕方なかった。


薩拉熱窩的羅密歐與茱麗葉

saat3 laai1 jit6 wo1 dik1 lo4 mat6 ngau1 jyu5 zyu1 lai6 jip6
薩拉熱窩的羅密歐與茱麗葉

広東語原詞はこちら


si6 deoi3 cing1 ceon1 siu2 cing4 jan4
是對青春小情人
若い恋人たちのこと。
ngaan5 zing1 do1 mo1 sim2 jau6 loeng6
眼睛多麼閃又亮
なんてまぶしいその瞳。
zoeng6 cing4 tin1 lau4 zyu6 haa6 tin1
像晴天留住夏天
まるで晴れの日ばかりの夏のよう。
mui5 dou6 jim6 joeng4 siu3 jaa5 siu3 dak1 sin6 loeng4
每度艷陽笑也笑得善良
やさしいうららかな太陽みたいに
いつも2人は笑っていた。
naam4 si6 si6 go3 gou1 gou1 cing1 nin4 jan4
男仕是個高高青年人
彼氏はとても背が高くて
neoi5 dik1 giu1 siu2 bei2 jyut6 loeng6
女的嬌小比月亮
彼女はお月様みたいに小さな子。
ji6 jan4 dou1 sing4 nok6 zoi6 saang1 mui5 jat6 gung6 hang4
二人都承諾在生每日共行
2人は生きている限り
ずっと一緒にいることを誓いあった。
zung3 jau5 zin3 fo2 maan6 coeng4
縱有戰火漫長
たとえ戦争は続いていても。

zung3 gok3 jau5 ho4 joeng5
縱各有何仰
それぞれに信じるべきものがあっても
wan6 lyun6 daai6 dei6 soeng5
混亂大地上
大地の上には混乱が訪れ
zin3 dau3 jiu3 baa2 gok3 joeng6 man4 zuk6 waak6 hoi1
戰鬥要把各樣民族劃開
戦争は人を民族ごとにバラバラにしてしまおうとしていた。
taa1 gan1 taa1 ci2 zung1 cung4 mut6 gang3 goi2 lap6 coeng4
他跟她始終從沒更改立場
彼氏と彼女は最後まで
その立場を変えることなく
wing5 jyun5 gung6 jung5 gam2 dik1 lei5 soeng2 coeng3 ze5 go1
永遠共勇敢的理想唱這歌
勇敢に理想を信じて
この歌を歌いつづけた。

lyun2  cing4 waai4 zou6 ji1 kaau3
戀 情懷做依靠
愛。その心だけが頼り。
jyun4 tou4 tim4 waak6 syun1
沿途甜或酸
楽しいことも辛いこともある道の上で
jing4 jin4 wu6 soeng1 gan2 kaau3
仍然互相緊靠
変わることなく
抱きしめあおう。
lyun2  cung4 mou4 jiu3 fan1 zung1 gaau3
戀 從無要分宗教
愛。宗教の違いで
離れ離れになる必要なんてない。
mou4 man4 zuk6 zang1 aau3
無民族爭拗
民族が違っても
争う必要はないはず。
soeng4 ning4 jyun6 jat1 saang1 zi3 sei2 dou1 jyu5 nei5 lyun2
常寧願一生至死都與你戀
死ぬまであなたと恋を続けるんだ。
cing4 waai4 zou6 ji1 kaau3
情懷做依靠
頼れるのは心だけ。
jyun4 tou4 tim4 waak6 syun1
沿途甜或酸
jing4 jin4 wu6 soeng1 gan2 kaau3
楽しいことも辛いこともある道の上で
仍然互相緊靠
変わることなく
抱きしめあおう。
lyun2  cung4 mou4 jiu3 fan1 zung1 gaau3
戀 從無要分宗教
愛。宗教の違いで
離れ離れになる必要なんてない。
cung4 mou4 geoi6 coeng1 paau3
從無懼槍炮
銃も大砲も怖くない。
soeng4 ning4 jyun6 jat1 saang1 zi3 sei2 dou1 jyu5 nei5 lyun2
常寧願一生至死都與你戀
死ぬまであなたと恋を続けるんだ。

daan6 zin3 fo2 fung1 so2 ngai4 sing4
但戰火封鎖危城
戦火で閉ざされた街にも
jaa5 goi3 jim2 sing1 sing1 jyut6 loeng6
也蓋掩星星月亮
月と星は輝きつづけるけど
mut6 joeng4 gwong1 wai4 gung6 wu6 hin1
沒陽光唯共互牽
太陽は見えない。
だから2人は手をつないで
ping1 ming6 dei6 tou4 paan3 zoi3 gin3 dou3 jim6 joeng4
拚命地逃盼再見到艷陽
あのやさしい日差しを
もう一度目にするために
命がけで逃げることを選んだ。
mou4 noi6 zoi6 zin3 fo2 zung1 siu2 cing4 jan4
無奈在戰火中小情人
戦火の中の恋人たちはあえなく
zung1 coeng1 soeng1 soeng1 dou2 dei6 soeng5
中槍雙雙倒地上
並んで銃弾に倒れた
sai6 cin4 taa1 jing4 si6 joeng6 taa1 tong2 zoi6 waai4
逝前她仍是讓他躺在懷
死にゆく彼女は彼氏を胸に抱きしめ
waan5 bei3 heoi3 zaau2 jim6 joeng4
挽臂去找艷陽
最後まで腕を組んで
あの日差しを探そうとしていた。

縱各有何仰
混亂大地上
戰鬥要把各樣民族劃開
他跟她始終從沒更改立場
永遠共勇敢的理想唱這歌

戀 情懷做依靠
沿途甜或酸
仍然互相緊靠
戀 從無要分宗教
無民族爭拗
常寧願一生至死都與你戀
情懷做依靠
沿途甜或酸
仍然互相緊靠
戀 從無要分宗教
從無懼槍炮
常寧願一生至死都與你戀


si6 deoi3 cing1 ceon1 hou2 cing4 jan4
是對青春好情人
若い素敵な恋人たちのこと。
mau5 tin1 soeng1 ji1 dou2 dei6 soeng5
某天相依倒地上
ある日折り重なって
地上に倒れた2人のこと。
gung6 lei4 hoi1 can4 zuk6 maan6 cin1 fong1 mau6 lap6 coeng4
共離開塵俗萬千荒謬立場
でたらめに埋めつくされた世界には
一緒にさよならを告げよう。
ngo5 zoeng6 ting3 gin3 fung1 zoi3 hang1 ceot1 ze5 sau2 go1
我像聽見風再哼出這首歌
私の耳には風に乗って
またあの歌が聞こえてくるようだ。

戀 情懷做依靠
沿途甜或酸
仍然互相緊靠
戀 從無要分宗教
無民族爭拗
常寧願一生至死都與你戀
情懷做依靠
沿途甜或酸
仍然互相緊靠
戀 從無要分宗教
從無懼槍炮
常寧願一生至死都與你戀

戀 情懷做依靠
沿途甜或酸
仍然互相緊靠
戀 從無要分宗教
無民族爭拗
常寧願一生至死都與你戀


※ 広東語のローマ字ルビの表記については、こちらの記事を参照ください。

「イマジン」について言うなら、あれほど傲慢で無責任な歌はないと私は思っている。このブログで取りあげる予定はないし、意地でも取りあげたいとは思わない。

ジョン・レノンが「夢想家」だったというのは、彼が宗教や国境や私有財産の存在を否定していたからではない。「みんながそう思えば戦争はなくなって世界はひとつになる」ということを「信じて」いたからでもない。

その程度のことすら「自分が歌にして伝えてやらなければ」理解することができないくらいに、世の中の人々は無知でアタマが悪くてどうしようもない存在なのだと「信じて」疑わなかったところが、「夢想家」なのである。

だからこそ彼は、自分が「教えて」やれば世の中なんて簡単に変わるということを心から「信じる」ことができたのだろう。「夢想家」と言うよりは「自信過剰家」だったのだ。

人を見下すのも大概にしろと言いたい。「そのくらいのこと」なら、誰にだって分かっている。

天皇制を含む宗教や国家が押しつける価値観など何も「信じる」に値しないことは、ある意味で子どもたちに教育勅語を暗唱させて首相礼賛の言葉を唱えさせていたあの学校経営者にとってさえ、自明のことだったと言えるだろう。それにも関わらずかれらがそうした価値観を「心から信じているフリ」をし続けるのは、そういう風に振る舞うことが自分の「利益」につながることを、知りつくしているからである。

そして世の中の大多数の人が、宗教や国境や私有財産に「縛られて」行動せざるを得ないのは、信じようと信じまいとこの社会ではそういう風に振る舞わなければ具体的に「不利益」をこうむるということを、絶えずいろんな形で思い知らされているからである。世間と一切の交渉を断っても生きて行けるだけの印税収入が保障されてるような人には、それこそ「好きなこと」が言えるだろう。しかしそうでない人がジョンレノンと同じ言葉を口にすることがどれだけ「大変なこと」であるかを、ジョンレノンという人はたぶん絶対に「わかっていなかった」のだと思う。わかっていたなら彼の歌も生き方も、あんなに説教くさい内容ではなく、どこかで全然ちがったものに変わっていたはずなのだ。

自分が心の中で実際に何を信じているかに関わらず、目先の利害にもとづいて平気で「心にもないこと」をやれてしまう人間のそうした思想と言うか行動様式は、「プラグマティズム」と呼ばれている。そのプラグマティズムという最も邪悪な敵に打ち勝つための方法を、「イマジン」は何も教えてくれない。

「イマジン」に歌われていることが間違いだとか空想にすぎないなどとは、私は決して思わない。むしろ「当たり前のこと」しか歌っていないのが、あの歌なのだと思う。しかしその「当たり前のこと」に寄ってたかって嘲笑をあびせ、無化してしまおうとする邪悪な力に対し、「イマジン」という歌はあまりに無力なのだ。

私の友だちが送ってきてくれたさっきの歌に出てくる2人は、ジョンレノンが言うように、この世にはもともと宗教などなくて、国境もなくて、私有財産もないのだということを心から信じていれば、「死なずにすんだ」のだろうか。そうではない。そう信じようとしたからこそ2人は「殺された」のである。そしてジョンレノン自身も、殺されてしまったのである。

だとしたら、現実に起こされようとしている戦争に対して、あるいは起こされてしまった戦争に対して、「イマジン」を歌うことなど、何の答えにもなりはしない。「その程度の抵抗」にさえ相当の弾圧が降り注ぐような時代に世界が入ってしまってから、もうかなりの時間が流れているが、それにも屈せず「イマジン」を歌い続けるミュージシャンが例え何人現れたとしても、やはり歌だけでは戦争は止められないのだ。

前回、「バナナボートソング」についてのノン気な記事を書きながら、いつまでもこんな文章ばかり書いて暮らしていられたならそれはどんなに幸せなことだろうと、しみじみ思った。だが、もし「はじまった」なら、このブログは終わりにするしかないと思っている。

数年前、庭にテーブルを持ち出してガザへの空爆を「見物」しながら酒を飲んでいるイスラエル市民の映像が報道されたことに対し、思わず「かれらは人間じゃない」とコメントしたアナウンサーが猛烈なバッシングを受けるという出来事がアメリカで起こったが、私だって思う。そんなことが平気でやれる人間に、人間を名乗る資格はない。

「自分の国」が大々的な人殺しを始めたにも関わらず、自分がそれと無関係ででもあるかのような顔をして「音楽の味わい方」の話を続けるようなことは、それと同じくらいに醜悪な行為であるとしか私自身にも思えない。天災ならいざ知らず、戦争は完全に人間が起こすものなのだ。だったら「同じ人間」である私にも、それに対する責任がある。

少なくとも今の日本において、戦争が始まってもなおかつ「音楽の話」を続けることが、「抵抗」としての意味を持ちうるとは思わない。そんなのは自分が問われている責任からの「逃避」にしかならないことを、今まで音楽の話ばかり続けてきた私自身が、他の誰よりも自覚している。もっとハッキリ言うならば、それは人殺しに「無言の承諾」を与える行為であり、人殺しへの「加担」であるとさえ言えるだろう。

決して何億人の読者がいるわけではなく、10人か20人のレベルにすぎないとはいえ、海外からこのブログを読んでくれている人たちは文字通り「世界中」に存在している。日本という国が戦争を始めても私という人間が何もなしえない姿をさらすことしかできないのだとしたら、その人たちに対してこんな恥ずかしい話はない。

とりわけアジアの各地の友人の皆さんに対しては、自分の祖父の世代の人間たちが「天皇のため」などという誰にも納得できないような理由で殺人と略奪を繰り返してきたことを私は本気で謝り続けてきたし、その反省を込めて自分は日本が再び戦争の道を歩むことを絶対に許さないなどと、大きな口を叩いてきた。それなのに音楽の話など続けていたのでは、その人たちに対して私は本当に合わせる顔がない。

過去、自分たちが犯してきた侵略の罪について1度も本気で反省した歴史を持たない2つの強大国が、力関係において圧倒的に無力な相手にあらん限りの挑発と嫌がらせを繰り返し、「相手が先に手を出すのを待って」思う存分に暴力をふるい、「正義の味方」を気取って自分の利害をつらぬこうとする典型的な「弱い者いじめ」の手法でもって、準備されているのが現下の「戦争の危機」である。それは60数年前に「自衛隊」などというものが作られてからずっと準備されてきた通りのシナリオなのであり、今になって突然降って湧いた話では、決してない。戦争について反省するどころか、一貫して戦争を求め続けてきたのは、日本の支配者の側なのだ。

それにも関わらずあたかも日本が「被害者」ででもあるかのような見え透いたデマ扇動があらゆるメディアを覆いつくしている中で、それに反対しようとする人間がやるべきことは、「イマジン」の翻訳をブログに載せるようなことなんかでは、断じてありえないと思う。

つい最近、アメリカで人種差別への抗議行動を行っていた人が白人団体のメンバーから車で轢き殺された事件に対し、トランプは「どちらも悪い」というコメントを発することを通して、事実上白人団体のメンバーを擁護してみせた。「どちらも悪い」。実にふざけた言葉だ。しかし今の状況下で「イマジン」を歌うようなことは、それと同じような意味しか持ちえない。あの歌自体が、元来そうした歌なのだ。巨大な暴力を背景に戦争を挑発している人間たちと、その挑発にさらされて屈辱に耐え続けている立場の人間たちとを「同等」に扱って、結果的には尊厳を踏みにじられている側の人たちに対して一方的に、「暴力はいけない」ということを「説教」する内容にしかなっていない。

そんな欺瞞は、たくさんだ。

だから現実に暴力の火ぶたが切られてしまったなら、私はその時点でこのブログの更新を打ち切ることにする。もとよりそれが戦争への「抗議」になるとは、思っていない。そんなデタラメがまかり通る世界で音楽について語り続けるようなことはもはや罪悪だとしか思えないから、やめるのである。このブログはあくまでも「うたを翻訳すること」をテーマにしたブログでしかない。「抗議」は別の形で、つらぬきたいと思う。

「戦時体制」に入ったら、言論弾圧も思想弾圧も飛躍的に強化されることは、目に見えている。こんなブログに今まで書いてきたようなことですら、放ってはおかれないに違いない。消される前に、言うべきことは言っておく。

  • 日本とアメリカは、戦争挑発をただちにやめろ。
  • 現在準備されている戦争において、日本の側には1%の「正義」も存在しない。
  • 悪いのは日本だし、倒されるべきは日本の政府である。このことは実際に戦争が始まって「日本人」が何人死ぬことになろうと、変わらない。そのことをも「予定に入れた」上で、日本海の向こう側での殺人を正当化しようとしている人間たちを、私は絶対に許せない。
  • 他国の「独裁者」を云々するのであれば、前世紀のあの天皇の戦争責任をハッキリさせた上で、天皇制を終わりにするのが先に来るべき話であるはずだ。
  • 政府は原発事故の責任をとれ。オリンピックでごまかすな。まして戦争でごまかそうなんて、以ての外だ。
  • 米軍は全世界の基地から撤退しろ。
  • トランプは、あえて言うけど、くたばれ。

世界は、いずれひとつになるだろう。だがその前には、「やらなくてはならないこと」がたくさんある。新たな戦争は、人の心に100年単位で消えない憎しみを新たに作り出す。本当に世界をひとつにしたいなら、今やるべきことは「イマジン」を歌って回るようなことではなく、全力でそれを阻止することであるはずだ。

何だか「最後の言葉」みたいな感じになってしまったけれど、そうした悲劇が現実に引き起こされてしまうことがない限り、「うたを翻訳する作業」は今まで通りに継続してゆくつもりである。

今まで通りに続けてゆければいいのだけれどと思う。上海のシーさん。素敵な歌をありがとうございました。

珍重。