華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

漫步人生路 もしくは ひとり上手 (1983. 鄧麗君)



中国語で歌われている中島みゆきの歌をひとつひとつ翻訳してゆこうと思ったら、それだけで新しいブログをひとつ立ちあげるぐらいのことが必要になってしまう。中国語版のWikipediaにはその一覧表が載っているのだけれど、よくまあこんな目立たないアルバム曲に至るまでと思うくらい、まんべんなくカバーされている。タイトルをコピペして一曲一曲見つけてゆけば、今の時代、あっという間ににプレイリストができあがる。中国語が全然わからなかった頃から聞いているけど、場合によっては本人の歌を聞いているよりも、気持ちいい。「叱られている感じ」がしないからかもしれない。もっともそういう聞き方は「間違って」いるのかもしれないとも、一方では思っている。「意味を知らない方がいいこと」など、この世にはひとつもないはずなのである。

その中でも「容易受傷的女人」と並んで「経典 (定番曲)」になっているのが、鄧麗君 (台湾ではテン·ルクン。大陸ではデン·リーチュン。香港ではダン·ライグァン。世界的にはテレサ・テン)が歌うこの曲である。発売されたのは1983年。早いなあ。この人は母語である台湾語 (閩南語) はもとより北京語、広東語、さらに英語と日本語を自由自在にあやつり、マレー語やインドネシア語でも曲を出していた元祖「アジアの歌姫」の称号にふさわしい人だったのだけれど、この曲に関しては広東語で歌われている。

なぜ広東語が「選ばれた」のだろうといったようなことを少し思うが、あるいは「響きが一番この曲に合っている」みたいな判断があったのかもしれない。実際のところはもっと散文的な営業上の理由とかだったのかもしれないけれど、同じ曲でも北京語で聞くのと広東語で聞くのとでは、本当に別の歌に思えてくるぐらい、雰囲気が違うのである。「容易受傷的女人」を初めて聞いた時に私が衝撃を受けたのも、その広東語の「響きの美しさ」に対してだった気がする。

もちろん、北京語の曲だって美しい曲は美しい。キロロの「未来へ」の北京語バージョンを初めて聞いた時には、この曲は北京語のために作られたのではないかと感じたぐらいだったが、それはまた別の機会に取りあげることにしたい。


漫步人生路

maan6 bou6 jan4 saang1 lou6
漫步人生路
人生の道のそぞろ歩き

広東語原詞はこちら


zoi6 nei5 san1 bin1 lou6 seoi1 jyun5 mei6 pei4 gyun6
在你身邊路雖遠未疲倦
あなたのそばにいると
道は遠くても辛くはない。
bun6 nei5 maan6 hang4 jat1 dyun6 zip3 jat1 dyun6
伴你漫行一段接一段
あてもなくあなたと共に
1歩また1歩と進んでゆく。
jyut6 gwo3 gou1 fung1 ling6 jat1 fung1 koek3 jau6 gin3
越過高峰另一峰卻又見
険しい山を越えれば
何ということだろう。
また次の山が見える。
muk6 biu1 teoi1 jyun5 joeng6 lei5 soeng2 wing5 wan6 zoi6 cin4 min6
目標推遠 讓理想永運在前面
目標は遠くなるばかりだけれど
行く手には理想を掲げ続けよう。

lou6 zung3 kei1 keoi1 jik6 bat1 paak3 sau6 mo4 lin6
路縱崎嶇亦不怕受磨練
道はたとえでこぼこでも
そこで磨きぬかれる試練を
恐れてはならない。
jyun6 jat1 sang1 zung1 fu2 tung3 faai3 lok6 jaa5 tai2 jim6
願一生中苦痛快樂也體驗
人生の苦しみも楽しみも
すべてを味わいつくしたいと思う。
jyu4 faai3 bei1 oi1 zoi6 san1 bin1 zyun2 jau6 zyun2
愉快悲哀在身邊轉又轉
喜びや悲しみはめぐりめぐって
通りすぎてゆく、
fung1 zung1 soeng2 syut3 mou6 leoi5 soeng2 faa1 faai3 lok6 wui4 syun4
風中賞雪 霧裡賞花快樂迴旋
風の中に雪を眺め
霧の中に花を見出し
すべては楽しみへと変わってゆく。

mou4 jung4 gai3 gaau3 faai3 jan1 soeng2 san1 bin1 mei5 lai6 mui5 jat1 tin1
毋庸計較 快欣賞身邊美麗每一天
細かいことを気にする必要はない。
身の回りには毎日美しいものを見つけられるはず。
それを味わおう。
waan4 jyun6 kok3 seon3 mei5 ging2 loeng4 san4 zoi6 goek3 bin1
還願確信美景良辰在腳邊
「いいこと」は必ず
自分の足元に転がっている。
そう信じよう。

jyun6 zoeng1 fun1 siu3 sing1 koi3 jim2 fu2 tung3 naa5 jat1 min6
願將歡笑聲蓋掩苦痛那一面
うれしい笑い声が
苦しみを覆い隠してしまえばいい。
bei1 jaa5 hou2 hei2 jaa5 hou2
悲也好 喜也好
悲しむもよし。喜ぶもよし。
mui5 tin1 zaau2 dou3 san1 faat3 jin6
每天找到新發現
毎日新しい発見がある。

joeng6 zat6 fung1 ceoi1 aa1 ceoi1
讓疾風吹呀吹
風よ吹け吹け吹きまくれ。
zeon2 gun2 kap1 ngo5 loeng5 haau2 jim6
儘管給我倆考驗
私たち2人にいくらでも
試練を与えてくれたらいい。
siu2 jyu5 dim2 fong3 sam1 saa2
小雨點 放心灑
雨よ。好きなだけ降るといい。
zou2 ji5 kyut3 sam1 hoeng3 zoek6 cin4
早已就決心向著前
私たちは前を向いてゆく。
とっくにそう決めているのだ。

※ 広東語のローマ字ルビの表記については、こちらの記事を参照ください。

…この曲も訳してみると、全然「中島みゆきの歌」という感じはしないなあ。「悲しむもよし。楽しむもよし」みたいなタッカンした言葉があの人の口から出てくることがありうるとは、とても思えない。どっちかと言うとタッカンすることを拒否することに命をかけている印象さえあるのが中島みゆきの歌なのだと思うのだけど、まあ本人が納得した上で広東語バージョンが作られているのだから、それはそれでいいということなのだろう。還暦を迎えたおじいさんやおばあさんが孫たちの拍手を受けながらカラオケで歌う曲としてはピッタリである。まさかそんな席で「ひとり上手」を歌うわけには行かないから、日本のおじいさんやおばあさんはある意味で損をしているのだとも言えるだろう。

本当は「ひとり上手」を歌いたい世代のみなさんが、どんどんそういう年齢を迎えていらっしゃる。私にとってはまだかなり先の話ではあるけれど、どうなんだろう。そういう年齢になった時に「歌いたい歌」は、まだ残っているのだろうか。


ハロー·グッバイ

「紅茶のおいしいテレサ·テン」という替え歌が、昔あった。そこから先は、作りようがないのだった。ではまたいずれ。