華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

That'll Be the Day もしくはバディホリーのドーナツ盤 (1957. Buddy Holly)



バディ・ホリーという伝説的なミュージシャンについては、私も長いことご多分にもれず、ジッタリンジンの歌詞を通じてその名前を知っていただけだった。今回とりあげるにあたり、改めてつらつら写真を拝見させていただいて、気づかされたことがある。

この人は、驚くほど関西人的な顔をしている。



最初に頭に浮かんだのは、私が故郷を離れているあいだにいつの間にか閉店していたという、あの「大阪名物くいだおれ」の人形の顔だった。我ながらあまりに陳腐な連想だと思ったので、頭を振ってそのイメージを打ち消し、もう一度写真を見つめてみたのだったが、そしたら今度は昨年交通事故で他界された、漫談家のテントさんの顔が浮かんできた。テントさんを知らない?あの人の本当の面白さが動画で初めての人に伝わるとはあまり思えないのだが、一応貼りつけておく。


テントさん

じっと見ていると、テントさんの師匠にあたる上岡龍太郎横山パンチという芸名だった頃の顔にも見えてくる。Mr.オクレさんにもちょっと似ている。他にも桂小枝や円ひろし、いろんな人の面影が浮かんでくるのだが、出てくる名前はみんな関西人である。

別に関西人じゃなくたって似たような顔の人はいるだろうと思い、さだまさしとか井上ひさしとか、いろいろそれっぽい人の顔を思い浮かべてはみたのだが、どこかが違っている。うまく言葉にすることができないけれど、この雰囲気は絶対に関西人にしか醸し出すことができないと思われるような何らかの要素が、バディ·ホリーの顔には存在しているのだ。

参考までに、エルヴィス・コステロの写真と見比べてみたい。



…やはり何かが違う。この顔は「確かに関西にもいるけれど他の地域にもいくらでもいるタイプの顔」なのである。しかしバディ·ホリーの顔は「絶対に関西でしか見つけることのできない顔」なのだ。バディ·ホリーがアメリカ人であるという時点で「絶対」もへったくれもない話なのだが、それにしても一体この人のどういう要素が私に「関西」を感じさせるのだろう。黒縁メガネという「小道具」の効果だけでないことは、確かなのだけど。

…「American Pie」について取りあげてしまった以上、あの歌に関連するいろんな曲や、歌詞の中に登場する曲についても取りあげておかなければ落ち着かない流れになってきたので、これから数回にわたって「American Pie」シリーズを継続してゆくことにしたい。最初に紹介するのは、「This'll be the day that I die」というドン·マクリーンの名フレーズの「出典先」となっている、バディ·ホリーのこの曲である。


That'll Be the Day

That'll Be The Day

英語原詞はこちら


Well, that'll be the day when you say goodbye
Yes, that'll be the day when you make me cry
You say you gonna leave, you know it's a lie
'Cause that'll be the day when I die

えへん。
きみがさよならを言うなんて
そんな話があるものか。
そうとも。
きみがぼくを泣かせるなんて
そんな話があるものか。
きみは出て行くって言うけれど
うそだね。信じないよ。
なぜってそんなことになったら
その日がぼくの命日になってしまう。


Well, you give me all your lovin' and your turtle dovin'
All your hugs and kisses and your money, too
Well, you know you love me, baby
Still you tell me, maybe
That some day, well, I'll be blue

えへん。
きみはぼくにありったけの愛を捧げてくれるし
キジバトの夫婦みたいにやさしくしてくれるんだろう。
きみのハグもキスもお金も全部ぼくのものだろう。
えへん。
きみはぼくのことを愛してるんだろう。
なのにまだそんなことを言うのかね。
それじゃあぼくもそのうちブルーになっちゃうよ。


Well, that'll be the day when you say goodbye
Yes, that'll be the day when you make me cry
You say you gonna leave, you know it's a lie
'Cause that'll be the day when I die

えへん。ありえないね。
きみがさよならを言うなんて。
えへん。ありえないね。
きみがぼくを泣かせるなんて。
きみは出て行くって言うけれど
うそだね。信じないよ。
なぜってそんなことになったら
その日がぼくの命日になってしまう。


Well, that'll be the day when you say goodbye
Yes, that'll be the day when you make me cry
You say you gonna leave, you know it's a lie
'Cause that'll be the day when I die

えへん。
きみがさよならを言うなんて
そんな話があるものか。
そうとも。
きみがぼくを泣かせるなんて
そんな話があるものか。
きみは出て行くって言うけれど
うそだね。信じないよ。
なぜってそんなことになったら
その日がぼくの命日になってしまう。


Well, when Cupid shot his dart
He shot it at your heart
So if we ever part and I leave you
You say you told me, an' you told me boldly
That someday, well, I'll be blue

えへん。
キューピットが矢を放ったんだ。
きみのハートを射ちぬいたんだ。
だからもし離れ離れになって
ぼくがきみを置いていったりしたら
きみは絶対ブルーになるって
きみが自分ではっきり言ったんだったよね。


Well, that'll be the day when you say goodbye
Yes, that'll be the day when you make me cry
You say you gonna leave, you know it's a lie
'Cause that'll be the day when I die


Well that'll be the day, ooh hoo
That'll be the day, ooh hoo
That'll be the day, ooh hoo
That'll be the day

=翻訳をめぐって=

that'll be the day…直訳は「それがその日になるだろう」。これが「まさか」「とんでもない」「そうなったらお楽しみだ(が、そんなことは起こるまい)」というニュアンスの慣用句になっているのだそうで、なかなか奥深い。「その日」にはどんな日がイメージされているのだろう。

あまんきみこさんの「車の色は空の色」という児童小説に、熊本では「ありえないこと」を表現する時に「猫ん正月のごたる」という言葉を使うのだという話が載っていたのを思い出した。猫には正月がないから「猫の正月」=「ありえない」となるわけである。物語は人間のその言葉に憤慨した猫が正月を探す旅に出るという、面白すぎる展開に発展してゆくのだけれど、この「猫ん正月のごたる」と「that'll be the day」とは、発想として似た言葉なのではないかといったようなことを感じる。

またそれ以外の地域でも、「そうなったら百年目だ」みたいな表現は、使う。何が百年目なのか、いつから起算して百年目なのか、百年たったらどうなるのか、全く意味が分からないのだけど、「そんなことは起こるまい」「そうなったら終わりだ」みたいなニュアンスの言葉である。これも「that'll be the day」に通じる表現だと思う。

「that'll be the day when I die」は「そうなったら僕も終わりだ」とも訳せるし「僕が死ぬなんてことはありえない」とも訳せるわけで、この二つは決して「同じ意味」ではない。だから私はこの歌が「自信たっぷりに恋人を挑発している歌」なのか、それとも必死になって恋人に別れないでくれと懇願している歌なのか、その一番大事なところが、いまいちよく分からない。誰か、鮮やかに説明できる人がいたら、教えて下さい。

That some day, well, I'll be blueという部分に関しては、検索して出てくる歌詞によってはI'll be blueとかI'll be throughとか、違った言葉になっている。ここでバディホリーがどういうことを言っているのかは、非常にわかりにくい。「I」がバディホリーなのかそれとも彼女のことなのか、それすらハッキリしない。「難しい言葉」で歌われている歌であるはずはないのだけれど、外国語の翻訳に関しては学術論文みたいな文章の方がかえって分かりやすくて、日常会話に使われている言葉はさっぱり分からないといったような転倒した出来事が、往々にして起こる。仕方がないから適当に翻訳してはみたけれど、翻訳の正確さに全く確信を持てないことは、付記しておく。

ではまたいずれ。