華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Ship Of Fools もしくはその種の言葉について (1970. The Doors) ※



ドアーズの曲はいずれ全曲翻訳を完成させるつもりでいるけれど、タイトルに差別語が入っているためにどういう取りあげ方をするべきか迷っていたこの曲についても、American Pieで歌われている風景にかこつけて、ここで取りあげておきたいと思う。「American Pie」の5番の歌詞では、1969年7月にアポロ11号が月面に着陸して、人々の目がみんな宇宙を向いていたというその時期のことが歌われている。ドアーズのこの歌はちょうどその時期に作られ、歌詞の中には月面を歩く人々の姿が登場する。

とはいえ、つながりといえばそれだけである。

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ところで、「差別表現に見て見ぬふりはしない」というポリシーを掲げているこのブログに対し、

英語では、「これは差別語だ!」と決めてかからないほうが良いですよ。

crazy も foolも、今も普通に使いますし、それほど差別的なニュアンスだけではありませんよ。

どう思いたかろうと、イギリス人は、だれでも使う言葉だという事実はお認めになられたほうがよろしいんではないでしょうか。

というコメントを寄せる人が現れたのだが (コメントがついた記事はこちら)、今後私はそうしたコメントに対しては、返事をしないことにする。

「翻訳に対する意見があれば、ぜひ聞かせてください」と毎回読者の皆さんにお願いしているのは、私自身である。「まあ、そうとがらずにやったほうがいいと思いますよ」ぐらいのコメントに対してなら、明らかにそれがイヤミだと分かっていても、「はい」と答えるぐらいの分別は私だって持ち合わせている。しかし上記のようなことを言ってくる人に対しては、言葉を交わせば交わすだけ、他の読者の皆さんの心まで傷つけるような結果を招くことになるとしか思えない。

ある言葉が差別かそうでないかということは、その言葉を使う人間が決めることではない。使われる側の人間が決めることだ。

世の中でいかに「普通に」使われている言葉であろうとも、その言葉に傷つく人がいる限りそれは差別なのだし、傷つく人がいるにも関わらずなおその言葉が「普通に」使われているからこそ、差別というのは恐ろしい問題なのではないだろうか。

「ばか」という言葉も「狂う」という言葉もいまだに「普通に」使われている日本語ではあるけれど、私はそれを差別だと思うし、許せないと思う。そしてそれが差別である以上は、「ネジがばかになる」とか「時計が狂う」とかいった表現だって、同じように差別なのだ。その言葉を使う人間の中に、「ばか」という言葉でさげすまれてきた人たちのことを差別する気持ちがなければ、「ネジがばかになる」という言葉だって、出てくるはずがないからである。

私は以前、人からそう指摘されて、自分自身もまた人を差別して生きてきた人間だったのだということに、気づかされた気がした。それでそれ以来、そうした言葉を使うことはやめた。差別する人間が自分でそのことに気づいて差別することをやめない限り、差別は絶対になくならない。

日本語に置き換えた時に「そういう言葉」になる言葉が、英語圏では差別にならないということなど、ありえない。「英語では」という限定条件をつけること自体が意味不明だが、差別という問題に国境はないと私は思うし、差別の問題をそれぞれの国の地域性や文化の問題として片付けようとする態度は、それ自体が差別的なものだと思う。

「どこそこの国ではそんなことは差別にならない」みたいなことを言いたがる人というのは、実質的にはこの日本という社会で「そんなこと」のために苦しんだり傷ついたりしている人たちのことを、嘲笑っているのである。そしてよしんばその「どこそこの国」に、日本と同じように「そんなこと」のために傷ついたり苦しんだりしている人がいたとしても、そういうことを言いたがる人の目にはその人たちの存在が絶対に「見えない」に違いない。だからこそそれが「だれでも使う言葉」だなどと、一方的に決めつけることができるのだ。

そもそも上記の人はそれ以前の段階から、「あの国はああだから」とか「この国はこうだから」とかいった形で、違う文化の中に暮らしている人たちの気持ちを一面的に決めつけるようなコメントばかり繰り返し、しきりと私に同意を求めてきていた。それに対し私が「とんがった対応」を返したのは、異文化に対するそうした一知半解な態度こそ、差別につながるものなのではないかと感じたからに他ならない。

しかしこの人の行動は、その言葉によって傷つく人が現実に存在していることを根拠に私が差別だと指摘したことを「差別ではない」と打ち消しにかかるということにまで踏み込んできた時点で、一線を越えていると思う。そういうことをすることに理由があるとすれば、ひとつしか考えられない。この人は自分がその言葉を使い続けたいから、それを差別だと指摘する人間がいることにむかついた。それだけのことだろう。

そんなに差別がしたいのか、と私は言いたい。

それにしても、「それほど差別ではない」とか「それほど差別的なニュアンスだけではない」みたいな理屈で物を言える人というのは、差別を一体何だと思っているのだろうか。私は、差別を殺人と同じだと思っている。殺人という行為に対して、「それほど殺人じゃない」とか「この程度の殺人なら大したことはない」みたいな言い方が、果たしてできるだろうか。つまるところ「それほど差別ではない」みたいな物の言い方ができる人というのは、その時点で差別を「大した問題」だと思っていないのだ。

そしてそういう人が本当に軽い気持ちで言い放つ言葉が、場合によっては本当に人を殺すのである。

一般に、人を差別する人間というのは自分がやっていることが差別であることを絶対に認めようとしないし、必ずそれを正当化する理屈をくっつけようとする。私が相手をする限り、上記の人はそれが差別ではないという主張を繰り返し、そのことを通して差別を際限なくエスカレートさせてゆくであろうことは、もはや明らかだと思う。そういう相手に「好きなこと」を言わせておくことで、傷ついたりイヤな思いをしなければならないことになるのは、他の読者の皆さんである。だから私はもう、この人の相手はしない。言うべきことはこの場に書いて、終わりにしたい。

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ドアーズの歌の話に戻ろう。

「Ship Of Fools」というのは、ルネサンス期のヨーロッパで好んで絵画や文芸の主題とされていたイメージなのだそうであり、ミシェル・フーコーという人の「狂気の歴史」という本は、そうした作品がなぜ描かれたのかということに対する考察から始まっている。

フーコーはそのことを通して、中世以前のヨーロッパにおいては、foolとかcrazyといった言葉で呼ばれてきた人たちは、決して社会から排除される存在ではなかったということを解き明かしてゆく。それが「ある時代」を境に、閉じ込められたり追放されたり、殺害の対象にまでされるといったことが、大規模に繰り広げられるようになったのは一体なぜだったのかということが、以下の章では考察されている。

「狂人」に対する排除や迫害が始まったのは、中世の社会が「理性」に価値を置く近世/近代社会へと転換を遂げつつあったその中でのことだったというのが、「狂気の歴史」による分析である。「理性」に絶対的な「善」としての位置づけが与えられることを通して、foolであることやcrazyであることは「悪」であり「罪」であるとまで見なされるようになり、「処罰」や「矯正」の対象とされるに至ってゆく。

「Ship of fools」を題材とした芸術作品が多く残されているのは、「理性」が猛威を振るい始めていた当時のヨーロッパにおいて、「狂人」と見なされた人たちが船に詰め込まれ、ライン川のような大河の上に「追放」される出来事が実際に起こっていたことを背景にしていたのではないかと、フーコーは考察している。この「追放」は、言うまでもなく「処刑」と同じ意味を持っている。

「Ship of fools」が果たして本当に実在したのかどうかをめぐっては、「答えの出ない論争」が続いている状態らしい。しかし人間社会が「理性」によって支配される時代を迎えて以来、foolやcrazyという言葉で呼ばれてきた人たちが一貫して「管理されなければならない対象」と見なされ、監禁や追放、そして殺害に至るまでの迫害を受け続けてきたことは、紛れもない事実である。その現実は現代に至っても変わっていないのだし、foolやcrazyという言葉の「言い換え」として使われている「精神病者」という言葉自体が、foolであることは「病」であり「矯正」されなければならないという論理を内包している。「狂気の歴史」はそうした差別と排除の上に成立している現代社会の姿を、迫害される「狂人」の立場から、告発している本である。

しかしドアーズの「Ship of fools」では、そんな風に「fools」を追放の対象とする現代社会への怒りが歌われているわけでもなければ、その船に押し込まれて漂流させられる立場になった人間の苦しみや悲しみが歌われているわけでも、何でもない。

むしろこの歌は、向かうべき目的地もなく、航海する技術も持たないfoolな人間たちが、逃げる場所もない水の上で困ってやがる、といった感じで、その船に乗せられた人たちのことを「笑い者」にしている。なぜその人たちがそんな船に乗せられねばならないことになったのかという理由は、一顧だにされることがない。実際のところ、こういう歌を作ることを通して、その人たちを現代においても再びみたび「追放」の対象にしているのは、ジム・モリソンという人間自身なのである。

「People walking on the moon」という歌詞からは、月の世界から眺めればこの地球という惑星そのものが、ひとつの巨大な「Ship of fools」なのではないか、といったようなメッセージが読み取れる。だとしたらそういう歌を「地球の人間たち」に歌って聞かせるジムモリソンあんたは何様のつもりなのだ、と私は言いたくなる。自分ひとりが、神にでもなったつもりかよ。

一番「善意」に解釈するならば、この歌はジムモリソンという人自身が、自分もまたそういう船に乗せられた1人のfoolにすぎないのだ、といったようなことを歌っている、自嘲ソングであるとも考えられる。しかしよしんば自嘲であっても、そんな傲慢な自嘲の仕方があるものか、と私は思う。周りでバタバタ人が死んでゆく情景が歌われているにも関わらず、この歌にはある種の「無感動」がつらぬかれている。差別の言葉はたとえ自分自身に向けられる言葉であろうとも、やはり差別なのだ。他の人間のことをそうやって差別する目で見ているから、自分がそれと同じような存在に見えた時に、それが「自嘲」になるのである。

付け加えて言うなら、foolというのは決して「比喩」として使われていい言葉でもなければ、「形容詞」として使われていい言葉でもない。「男」や「女」という言葉がそうであるのと同じく、現実に存在している人たちに対する、それは呼び名なのだ。foolと呼ばれる人のことを人間として尊敬することができれば、ジムモリソンは自分のことだって尊敬できるようになるはずである。それなのにかたくなにそうしないのは、foolという「他者」のことを、彼がかたくなに差別しているからに他ならない。

だからこの歌はひたすらイヤな歌だと私は思うし、差別的な歌だと思う。

ヒートウェイヴ山口洋さんは、この歌のタイトルを邦訳したと思しき「愚か者の船」
という歌を歌っているけれど、考え直してほしいと私はずっと前から思っている。あの人が人を差別したり排除の対象にすることを、「いいこと」だと思っている人だとはとても思えないからである。

戦争の指導者を「狂人」という言葉で形容するような歌は、たとえ反戦を歌った歌だとしても、本当に戦争に反対している歌だとは、私には思えない。形を変えた「人殺し」の歌でしかないと思う。

世界の支配者たちに戦争をやめさせるために本当に必要なのは、そうした言葉ではない。


Ship of fools

Ship Of Fools

英語原詞はこちら


The human race was dyin' out
Noone left to scream and shout
People walking on the moon
Smog will get you pretty soon

人類は死に絶えつつあった。
泣いたり叫んだりする者は
一人も残されていない。
ひとびとは月面を歩き
スモッグはあっという間に
きみのことを呑み込むだろう。


Everyone was hanging out
Hanging up and hanging down
Hanging in and holding fast
Hope our little world will last

だれもがうろついていた。
あきらめたりぶら下がったり。
必死で地表にしがみついたり。
私たちのこの小さな世界が
長続きしてくれますようにと。


Yeah, along came Mr. Goodtrips
Looking for a new a ship
Come on, people better climb on board
Come on, baby, now we're going home
Ship of fools, ship of fools

おーっとやって来たのは
ミスター·グッドトリップス。
新しい船を探している。
おいでみなさん
乗り込むといい。
来なよベイビー
ふるさとにかえるんだ。
foolsの船。foolsの船。


The human race was dyin' out
Noone left to scream and shout
People walking on the moon
Smog will get you pretty soon
Ship of fools, ship of fools
Ship of fools, ship of fools
Ship of fools, ship of fools

人類は死に絶えつつあった。
泣いたり叫んだりする者は
一人も残されていない。
ひとびとは月面を歩き
スモッグはあっという間に
きみのことを呑み込むだろう。
foolsの船。foolsの船