華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Spanish Bombs もしくは No Pasarán (1979. The Clash)


1937年、マドリードの市街に掲げられた横断幕。
「No pasarán (やつらを通すな)」
ファシズムマドリードを征服しようとしている」
マドリードファシズムの墓場となるのだ」


赤は共産主義者(コミュニスト)の色。
黒は無政府主義者(アナーキスト)の色。

ジョー・ストラマーがその色に自らを重ねていたことは、間違いないと思う。もちろんそれは、この歌を書いたジョーだけではない。クラッシュのメンバーの一人一人が、そうだったはずだ。

20世紀のヨーロッパでは、信じられないくらい多くの人たちが、ファシズムによる侵略と、そして自分の国のファシストたちとの戦いの中で、人生を送ってきた。そしてそうしたすべての人たちにとって、1930年代のスペインという場所は言わば「心の故郷」に等しい位置を持っていたのだということを、私が知ったのはオトナになってからのことだった。

1931年の無血革命で王制から共和制への移行を果たしたスペインでは、世界恐慌の直撃を受けた経済的混乱の中、1936年の総選挙で左派連合が主導する「人民戦線政府」が成立した。これに対し、後の独裁者であるフランコ将軍をはじめとした右派が反乱を起こすと、ヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアが軍事的にそれを支援し、スペインで開始された内戦は、数年後に開始される第二次世界大戦の前哨戦としての様相を呈するに至った。言い換えるなら、ヨーロッパの全土、そして世界におけるファシズムの進出を阻止できるか否かは、この戦いの行く末にかかっているのだということが、心ある人々の目を通せば、誰が見ても明らかな状況を迎えていた。

ドイツとイタリア、そしてポルトガルファシストが国家をあげて反乱軍を支援する中で、これと戦うための国際的な義勇軍が結成され、当時の世界の至る所から自発的にスペインに駆けつけた人々が、人民戦線政府を守るために、スペインの人々と共に銃をとって戦った。その中の1人だったヘミングウェイは、「誰がために鐘は鳴る」という小説の中で当時の気持ちを以下のようにつづっている。

もしここで勝利を獲得するなら、われわれは、いたるところで勝利を得るだろう。この世界は美しいところであり、そのために戦うに値するだろう。この世界は美しいところであり、そのために戦うに値するものであり、そしておれは、この世界を去ることを心からいやだと思う。

他にも当時のことを伝える作品には、ピカソの「ゲルニカ」やオーウェルの「カタロニア讃歌」、1995年に制作された「大地と自由」という映画などが存在する。また国際義勇軍に参加して戦死した人々の中には、名前を知られている人はたった1人ではあるけれど、ジャック·白井という日本人もいたことが伝わっている。

それにも関わらず、人民戦線政府はファシストに勝てなかった。

1939年にバルセロナマドリードが相次いで陥落し、内戦がフランコの勝利に終わると、数ヶ月後には第二次世界大戦が開始され、ヨーロッパとアジアの広大な地域をファシストの軍靴が踏みにじることになった。そしてスペインにおけるフランコの独裁は、1975年に彼が病死するまで、「ロンドン·コーリング」が発表される4年前に至るまで、継続されることになった。

なぜ「われわれ」は、ファシストに勝てなかったのか。そして今でも、勝てずにいるのか。それについて考えることは、このブログのテーマを越えている。

しかしクラッシュというバンドが「何を伝えようとしていたのか」ということだけは、ハッキリさせておかねばならないと思う。

そうした歴史について何も知らずに、初めてこの曲を聞いた時の私は、まるで戦争を賛美しているかのような歌詞の言葉と、それと裏腹な妙に明るいメロディに、戸惑いを感じただけだった。

だがクラッシュというバンドがその初めから終わりまで、一貫してリスナーに伝えようとしていたメッセージは、「戦うな」ということではなく「戦え」ということだったのだ。自分が許せないと感じたことに対しては、それに背を向けて逃げるのではなく、自分が正しいと信じた側に立って戦えということをこそ、クラッシュというバンドは訴え続けていたのだ。

かれらの遠い先輩にあたる、スペイン内戦の国際義勇軍に参加した人たちがそうしたようにである。

何が「正しいこと」であるかを見極めるのは、クラッシュの時代には既に相当むずかしいことになっていたし、今ではもっと難しいことになっている。けれども何が「正しくないこと」であるかということだけは、誰の目にもごまかしようのないぐらい、ハッキリしているはずである。

日本やアメリカの支配者たちの側に立って「戦う」ことは、絶対に「正しいこと」ではない。そしてその日本やアメリカの支配者たちが準備している戦争に対し、それを受け入れることも、何もしないでいることも、絶対に「正しいこと」ではない。

自分の作った楽曲が、イラクを攻撃する米軍兵士の戦意高揚のために使われることになってしまったことを知った時、ジョー·ストラマーは本当に口惜しかったと思う。そして、情けなかったと思う。

彼が味合わなければならなかったそうした気持ちを思うなら、自分と同じ言語を喋っている人間たちに対しても、間違っても同じような「使い方」をできるような余地を与えてはならないということが、彼の楽曲を外国語に翻訳しようとする人間が果たすべき、責任というべきものだと思う。だから私はこの曲の翻訳に際しては、最低でも上記のことだけは、ブログの趣旨からはみ出すことを自覚しつつも、明らかにしておかずにはいられなかった。

ジョー·ストラマーの終生の愛読書は、自分の国であるイギリスから義勇軍に参加したジョージ・オーウェルの著作と、内戦初期の段階でファシストに惨殺され、フランコ独裁期には完全に禁書扱いにされていたという、スペインを代表する詩人、フェデリコ・ロルカの詩集だったとのことである。


Spanish Bombs (The Clash)

Spanish Bombs

英語原詞はこちら


Spanish songs in Andalucia
The shooting sites in the days of '39
Oh, please, leave the ventana open
Fredrico Lorca is dead and gone
Bullet holes in the cemetery walls
The black cars of the Guardia Civil
Spanish bombs on the Costa Rica
I'm flying in on a DC 10 tonight

アンダルシアに響く
スペインの歌。
1939年の
激戦地の跡。
どうかそのベンタナ(窓)
開けたままにしておいてくれないか。
フェデリコ・ロルカ
死んでしまってもういない。
共同墓地の壁に
開けられた銃痕。
グアルディア・シビル(国家憲兵)
黒塗りの車列。
コスタリカ引き継がれた
スペインの爆弾。
おれはDC10に乗って
今夜そのスペインに着くところ。


Spanish bombs,
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon
Spanish bombs
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon

スペインの爆弾よ
よ·て·きえろ·い·ふぃにーと
(わたしはあなたをあいするそしておわりです)
よ·て·くえるだ
(わたしはあなたをもとめるです)
おー·ま·こらぞん
(ああわたしのこころよ)


Spanish weeks in my disco casino
The freedom fighters died upon the hill
They sang the red flag
They wore the black one
But after they died it was Mockingbird Hill
Back home the buses went up in flashes
The Irish tomb was drenched in blood
Spanish bombs shatter the hotels
My senorita's rose was nipped in the bud

ディスコとカジノで過ごす
スペインのおれの数週間。
自由の戦士たちは
あの丘の上で死んで行った。
赤旗の歌」を歌い
黒い服をまとっていたあの人たち。
でもみんなが死んでしまった後
あの丘はモッキンバード·ヒルになった。
地元に戻れば
バスが閃光に包まれ
アイルランドの墓標が
血まみれになっていた。
スペインの爆弾は
ホテルにシャッターを降ろさせ
おれのセニョリータのバラは
つぼみのままで摘み取られた。


Spanish bombs,
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon
Spanish bombs
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon

スペインの爆弾よ
よ·て·きえろ·い·ふぃにーと
(わたしはあなたをあいするそしておわりです)
よ·て·くえるだ
(わたしはあなたをもとめるです)
おー·ま·こらぞん
(ああわたしのこころよ)


The hillsides ring with "Free the people"
Or can I hear the echo from the days of '39?
With trenches full of poets
The ragged army, fixin' bayonets to fight the other line
Spanish bombs rock the province
I'm hearing music from another time
Spanish bombs on the Costa Brava
I'm flying in on a DC 10 tonight

丘の中腹の鐘の音。
「ひとびとを自由に」と響く。
それとも自分が聞いているのは
1939年のこだまなのだろうか。
塹壕を埋める詩人たち。
ぼろ布をまとった軍隊。
別の戦線での戦闘にそなえて
銃剣を整えていたあの人たち。
スペインの爆弾が
田舎の街を揺るがす。
おれが聞いているのは
別の時代から響いてくる音楽なのだろう。
コスタ·ブラバで炸裂した
スペインの爆弾。
おれはDC10に乗って
今夜その地に着くところ。


Spanish bombs,
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon
Spanish bombs
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon

スペインの爆弾よ
よ·て·きえろ·い·ふぃにーと
(わたしはあなたをあいするそしておわりです)
よ·て·くえるだ
(わたしはあなたをもとめるです)
おー·ま·こらぞん
(ああわたしのこころよ)


Spanish songs in Andalucia, Mandolina,
oh ma corazon
Spanish songs in Granada,
oh ma corazon

アンダルシアに響く
スペインの歌
マンドリーナの音
おー·ま·こらぞん
(ああわたしのこころよ)
グラナダに響く
スペインの歌
おー·ま·こらぞん
(ああわたしのこころよ)


Spanish Bombs Tijuana No!

=翻訳をめぐって=

上に貼りつけた動画は、クラッシュによるオリジナルのスペイン語字幕バージョン。下の動画は「ティファナ・ノー!」というメキシコのバンドが90年代にカバーしたバージョンで、詳しくは後述するけれどコーラス部分の歌詞が「正しいスペイン語」で歌われている。

この曲の解釈をめぐっては一字一句に至るまでの考察を踏まざるを得ないので、以下、順を追って訳詞を検討してゆくことにしたい。

=1番=

1番の歌詞には、ジョー·ストラマーという人が当時心に描いていた、スペインという土地に対する大略的なイメージが歌われているのだと思われる。なお、ジョーがこの曲を書いたのは後述する「コスタ·ブラバの爆弾事件」の報道に接したのがきっかけで、実際にスペインに行って作った歌ではないらしい。また、ジョーが当時つきあっていたスリッツというバンドのドラマーのパルモリヴという人が、スペイン生まれの女性だったこととの関係も、海外サイトでは指摘されていた。

Spanish songs in Andalucia
The shooting sites in the days of '39

アンダルシアはスペイン最南端の州。後の歌詞に出てくるフェデリコ・ロルカの出身地であることもあって、ジョーはこの地名に憧れを感じていたらしい。ただし、アンダルシアは1936年にスペイン内戦が勃発した際、最初に反乱軍によって制圧された州であり、1939年の段階では、戦闘の前線は他の地域に移っている。とはいえ1939年という言葉がヨーロッパでは「ファシズムへの最後の抵抗が敗れた瞬間」を意味する記号として使われていることを考えるなら、ジョーはこの年号に「スペイン戦争の総体」を重ね合わせていたのかもしれない。実際、後に続く歌詞の中でも、出てくる年号は「1939年」だけである。

Oh, please, leave the ventana open
Fredrico Lorca is dead and gone

フェデリコ・ガルシーア・ロルカは、上述したように、スペインを代表する詩人として現在でも有名な人。かなり前に亡くなった俳優の天本英世という人が、昔テレビで彼の詩を朗々と詠いあげていたことを覚えている。(「らくごのご」という番組だったのだが、その姿を両側から見上げていた桂ざこば笑福亭鶴瓶のポカンとした表情を含め、非常に印象的だった)。今回その動画はないかと思って探してみたところ、動く映像は見つからなかったものの、別のライブで音声を録音したものが見つかり、歌詞の中の「窓を開けておいてください」という一節もロルカの詩にインスパイアされたものだったのだということを、偶然にも知ることができた。

天本英世 despedida (さらば)

Bullet holes in the cemetery walls
The black cars of the Guardia Civil

cemetery (墓地) は、明らかにスペイン内戦で亡くなった人たちの墓地をさしているのだと思われる。それを囲む壁の「銃痕」なのだが、それが内戦当時の銃弾によるものなのか、それとも「新しい」銃痕なのかは、歌詞の言葉だけでは、分からない。Guardia Civilというのはフランコの私兵として内戦終結後も多くのスペイン市民を弾圧し続けた悪名高い秘密警察的組織の名前であり、イギリスの警察の暴力行為を告発する歌を書き続けたジョーの目を通すなら、当然「許せない存在」として描かれている。沖縄で多くの人たちが「集団自決」を強制された現場が、現在でも右翼によって繰り返し蹂躙されているニュースを目にするにつけ、この歌詞に描かれているのもそれと同じように、スペイン内戦の中で命を落とした人たちが死してなおファシストの憎悪を受け、その墓地にまで侮辱を加えられている、そうした「現在進行形」の情景なのではないかといったような印象を私は受ける。

Spanish bombs on the Costa Rica
コスタリカという中南米の地名がここで登場するのはいささか唐突であり、海外サイトでは後述の「コスタ·ブラバ」と間違えたのではないかというコメントも見られる。しかし注目すべきは、この曲が発表された79年当時において、コスタリカは隣国ニカラグアの革命運動を支援する「同盟国」としての位置を持っていた事実である。(「ロンドン·コーリング」に続くクラッシュの4枚目のアルバムには、このニカラグア革命の勝利を祝福して「サンディニスタ」というタイトルがつけられている)。思うにジョーは、隣国の人々の戦いに国境を越えた協力を惜しまなかったコスタリカの人々の姿に、スペイン内戦当時の国際旅団の姿を重ねたのではなかっただろうか。スペインの人々がそれを手に戦った「爆弾」=「武器」は今、コスタリカの人々の手に握られている、という解釈である。そしてこの解釈に立つ限り、「スペインの爆弾」というこの歌のタイトルは、「戦いと希望の象徴」としての肯定的なイメージを持った言葉なのだと考えられる。

I'm flying in on a DC 10 tonight
マクドネル・ダグラス DC-10」は、79年当時にイギリスとスペインを結ぶ航空路線で使われていた旅客機の機種名。何かと事故が多かったことで悪名が高く、この曲が録音される数ヶ月前にもアメリカで大事故が起こっていたために(アメリカン航空191便墜落事故 - Wikipedia)、「ホットなキーワード」のひとつとして歌詞に加えられたのだと思う。イギリスに住む人たちにとってスペインは、フランコ独裁が続いていた時代から既に「週末の気軽な観光地」になっていたとのことであり、かつて義勇軍に参加した人たちが命がけで行き来したその旅路を、そんなに簡単に飛び越えてしまうことができるようになったジョーの時代の現実に対する「居心地の悪さ」のようなものが、このフレーズには綴られているように思う。


=コーラス=

Spanish bombs,
Yo t'quierro y finito,
yo te querda, oh ma côrazon

ジョーもミックも実に気持ちよさそうに歌っているけれど、実はこのコーラスの歌詞は「間違いだらけのスペイン語」で書かれているらしい。(海外サイトでは「ピジン·スパニッシュ」という言葉で表現されていた)。後年のジョーのインタビューによると、彼はこの部分で

I love you and goodbye!
I want you but...
oh my aching heart!

愛してる。そしてあばよ!
お前がほしくてたまらない。けれど…
ちきしょお胸が痛むぜ!

的なことを言いたかったそうなのである。しかしネイティブの人に言わせると、それっぽいことを言っていることは伝わるものの、綴りも文法もめちゃめちゃになっているのだそうだ。道理で10代の頃にどれだけ図書館で必死になってスペイン語辞典を調べてみても、よく分からなかったはずだと思う。正確には「Spanish bombs, (Yo) te quiero infinitamente, te quiero, oh, mi corazón.」と言わねばならないらしい。(ただしこの「正しいスペイン語」では、ジョーが「goodbye」と言いたかったところが「very much」になっている。また「yo」は英語の「I」に相当する言葉だが、スペイン語では日本語と同じく、主語を強調する必要のない場面では省略するのが「自然」だとのこと)。côrazon (心)という単語の上に得意気に打たれたアクセント記号までデタラメだったのだと言われてみると、何かもう、笑けてくる。こんな自信たっぷりの文字で書かれた手書きの歌詞カードを見たら、私みたいな東洋人は誰だってそれが正しいと思ってしまうに決まっているではないか。


=2番=

まだ行ったことのないスペインという土地(歌の中でも実際にも)に対する憧れを込めたイメージが歌われていた1番の歌詞とは対比的に、2番の歌詞ではジョーが生きている時代と世界の現実そのものに対する「違和感」が歌われているように思われる。コーラスの中で「お前を愛してる」とまで歌われていた「スペインの爆弾」は、少なくともこの2番の歌詞においては、単純明快な「戦いと希望の象徴」ではなくなっているように感じられる。

Spanish weeks in my disco casino
The freedom fighters died upon the hill

…いきなり、この歌詞である。自由の戦士たちは今も丘の上で眠っているのに、DC10でやってきた自分はディスコとカジノなのである。「変な気持ち」にならないはずがない。それでも遊ぶ場所を見つけるとやっぱり遊んでしまうジョーという人に私は親近感を禁じ得ないのだが、それをあえて歌詞にせずにいられないのは、やっぱり遊びつつもそのことに「違和感」を覚えているもう1人のジョーがいるからなのだと思う。なお、この「disco casino」が「ディスコのカジノ」なのか「ディスコとカジノ」なのか、はたまた「ディスコ的なカジノ」なのかについては、私には判断できる材料がない。

They sang the red flag
They wore the black one

赤と黒という色の意味については、冒頭で既述。「the red flag」は日本では「赤旗の歌」と呼ばれ、「左翼の歌」の中では「インターナショナル」と並んで最も有名な歌のひとつ。今でもイギリス労働党の党歌になっているらしいが、私が今までに聞いた中で一番印象的だったのは、韓国映画シルミド」の中でこの歌が歌われていた、下の動画の場面だった。


シルミド 赤旗の歌

But after they died it was Mockingbird Hill
この歌の中で最も印象的で、かつミステリアスな部分だと思う。「Mockin' Bird Hill」という言葉自体は、「テネシー・ワルツ」を歌っていたパティ・ペイジが1951年に出したヒット曲のタイトルであるらしい。YouTubeで聞いてみると三拍子の優しい歌で、「かれらが死んだ後それはモッキンバード·ヒルになっていた」という原歌詞はつまるところ「平和の丘に変わった」という意味なのだろうかとも、思ったりした。


Mockin' Bird Hill

しかしどうしても気になるのは、Mockingbird (直訳は「ものまね鳥」。具体的には「マネシツグミ」というアメリカ大陸に分布する鳥の名前をさすが、ヨーロッパには住んでいないので、基本的にイギリス人は実物を見たことがないことになる)という言葉が持つ「怪し気な響き」である。「Mockin' Bird Hill」は確かに平和な歌ではあるとしても、その鳥の歌声がmock(にせもの)である以上、その平和なイメージもやっぱり「mock」なのだといったようなメッセージが、言外には込められているのではないだろうか。

そんなことを思いながらいろいろ調べていると、ハッとするような写真に出会った。スペイン内戦の終結後、フランコが「犠牲者を追悼するため」として18年がかりで建設したという、「戦没者の谷」と称する巨大な慰霊施設の写真である。「谷」という言葉で見過ごしそうになったが、この靖国神社的な胡散臭い宗教装置の外観は、完全に「丘」の形をしている。



公式にはこの場所には、内戦における双方の犠牲者が埋葬されているとされているが、この施設の碑文に刻まれているのは2017年現在もなお、フランコとその同調者たちを讃える言葉のみである。「神とスペインに殉じた者たちよ!」(¡Caídos por Dios y por España! ) というモニュメントの銘文は、宗教の持つ権威というものを拒否して共和国側で戦った人たちの生きざまを、完全に踏みにじっている。のみならず、高さ150メートルを越える十字架や、硬い花崗岩を手でくり抜いて造ったという広大な地下納骨堂は、すべて内戦後にフランコ政府によって「政治犯」とされた2万人もの人たちの、強制労働によって建設されたものなのだという。完全に「聖帝十字陵」の世界なのだ。この欺瞞に満ちた「慰霊施設」の存在に公然と怒りの声をあげる人が現在のスペインには決して少なくないが、この「戦没者の谷」は今なお、スペインという国家の「国立施設」であり続けている。

モッキンバード·ヒル」とはこの「丘」のことを揶揄した言葉に違いないのではないかという気が、私はする。



Back home the buses went up in flashes
The Irish tomb was drenched in blood

Back homeは「ひるがえってわが国では…」的な意味を持つ慣用句。「バスが閃光に包まれる」という描写は、70年代当時にイギリス本土で頻繁に起こっていたIRA(アイルランド共和軍)による爆弾テロのことをさしているのだと思われる。

ジョー·ストラマーがIRAを非難する気持ちを持ってこの歌詞を書いたとは、考えにくい。後段の歌詞が「アイルランドの墓標が血まみれになっていた」となっているのは、むしろ英国政府から弾圧されるアイルランドの人たちの側にジョーの気持ちは寄せられていたということを、示していると思う。しかし一方で、IRAのことを賞賛する内容であるとも、また思えない。「Spanish Bomb」というイメージの世界での「Bomb」と、現実の世界で炸裂する「Bomb」との間の違和感と言うか距離感が、そのまま綴られた歌詞であるように感じられる。

Spanish bombs shatter the hotels
My senorita's rose was nipped in the bud

スペインのバスク系の人たちによる民族組織であり、反政府組織であるETA(バスク祖国と自由)が、1979年7月に、スペイン東北部のリゾート地であるコスタ・ブラバで起こした爆弾テロのことをさしている。死傷者は出なかったのか、Wikipediaの年表にも記載がなかったが、これによって周辺のホテルは一時期すべて閉鎖 (shuttered) され、現地の観光業界は完全に上がったりになったのだという。ジョーが報道でその事件を知ったことがこの曲の執筆動機になったという経過は、前述した通り。

ここでもジョーETAのテロ行為を「非難」しているようには、思えない。彼の死の前年に起こった9.11同時テロに対してさえ、彼がテロリストを公然と非難するコメントを発したことは、私の知る限り一度もない。それが「先進国」に暮らす人間にはどんなにショッキングなことであっても、テロを起こした当事者の側からすればスペイン内戦の「Freedom Fighter」たちと同じ意味を持った「抵抗の戦い」なのだということ、そして本当に「間違ったこと」を続けてきたのは「先進国」の側なのだということを、彼が認めていたからだと私は思う。

けれども歌詞のこの部分に来て、彼の視線は「テロの犠牲になった人」に向けられている。「つぼみのままで摘み取られた」という「My senorita's rose」は、そのことを示す歌詞だと思う。

…そして1番の後と同じコーラスがもう一度繰り返されるのだが、このコーラスは1回目とは違う気持ちを込めて歌われているように、私には感じられる。

=3番=

曲の終わりのこの部分では、歌い手の心の中で過去と現在が交錯している。この歌に「結論」的なものは、ないのだと思う。その「交錯している気持ち」そのものが、強いて言うならこの歌のテーマをなしているのだと思われる。

The hillsides ring with "Free the people"
Or can I hear the echo from the days of '39?

ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」がイメージされているように感じられる。

With trenches full of poets
The ragged army

…スペイン内戦を戦った市民軍の戦士たちの描写。

fixin' bayonets to fight the other line
…銃に銃剣を取り付けるという作業の描写は、白兵戦=最後の戦いが迫っているという情景を示している。

Spanish bombs rock the province
I'm hearing music from another time

…この「Spanish bombs」だけは、今までとは違った響きを持っている。province(田舎町)をrockする(揺るがす)という言葉に、多くの海外サイトの執筆者たちは、フランコを支援するドイツ空軍によって人類最初の「無差別爆撃」が繰り広げられたゲルニカのイメージを重ねていた。武器にもなれば凶器にもなるのがBombなのだ、ということなのだろうか。コーラスの「あいしてます」という言葉は、少なくともこのBombには向けられていないと思う。



Spanish bombs on the Costa Brava
I'm flying in on a DC 10 tonight

…そして歌い手のイメージはもう一度最初に戻り、それが繰り返される中で、この曲はフェイドアウトしてゆく。

=エピローグ=

Spanish songs in Andalucia, Mandolina,
oh mi corazon
Spanish songs in Granada,
oh mi corazon

…マンドリーナは、マンドリンスペイン語読み。グラナダイスラム教時代の面影を強く残すアンダルシアの地方都市で、フェデリコ·ロルカの故郷であり、そして最期の地となった場所。

==============================

以上、大勢の人間の悪口の対象になることが目に見えている気がするが、この曲について日本語で書かれたネット記事の中で、これ以上に「ちゃんと」調べた記事は今までには絶対なかったはずである。そのことに関しては、自負している。200曲まであと3曲。ではまたいずれ。


"Land and Freedom" - La Internacional (w/subs)