華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Joshua Fit the Battle of Jericho もしくはジェリコの戦い ※ (19c African-American spiritual)

我らは忘れずジェリコ
ジェリコ ジェリコ
今も夢見る遥かなジェリコ
懐かし故郷

ああいつの日か共に行かん
ああヨシュアと共に
敵に奪われし
故郷をさして

流れは豊かなジェリコ
ジェリコ ジェリコ
進め望むは故郷のジェリコ
敵は間近ぞ

おお正義の旗を掲げ
おおいまこそ行かん
敵を蹴散らして
城をわが手に

ヨシュアジェリコで戦う
戦う 戦う
ヨシュアジェリコで戦う
城壁は落ちる

…中学の時のクラスの合唱の課題曲だった「ジェリコの戦い」の歌詞である。これは「戦争の歌」なのではないかという素朴な疑問は、当初からあった。しかし当時の私はそれを教師にぶつけることもしなかったし、級友と話し合うこともしなかった。むしろ一生懸命歌って、目立とうとすることを考えていた。情けない過去である。

しかし、「自分は戦争を賛美する歌を歌ってしまったのではないか」「それに疑問の声ひとつあげなかったのは間違っていたのではないか」という罪悪感と言うか羞恥の念は、ずっと私につきまとっていた。それで、と言うかしかし、と言うか、この歌のことを自分はずっと「ちゃんと知ろう」としてこなかった。むしろ忘れたいとか見ないことにしたいとか、そういう風に感じてきた曲だった。

だいたい「ジェリコの戦い」って、「どういう戦い」だったのだろうか。「旧約聖書に出てくるエピソードだ」ぐらいの説明は、聞いた覚えがある。だが私が小学校の図書室で読んだ子ども向けの「聖書物語」は、神が人間を創造したことから始まってモーゼが死ぬところで終わっていたから、少なくとも当時の私に「ジェリコの戦い」に関する「知識」はなかった。

それを「知った」のがどういう成り行きで、いつのことだったのかを正確に思い出すことはできない。しかしとにかく「えっ!?」と思ったのは覚えている。思っていたよりもずっと、「ひどい話」だったからである。

…今回の記事はどういう風に書き進めて行ったらいいのだろうかと思う。何度も書いてきたごとく、このブログのテーマは私が今までに出会ってきたいろいろな歌の「正確な意味」を知ることを通して、「自分の青春に決着をつけること」である。そしてこの歌に関しても、「何も考えずに歌っていたけれど実はこんなにひどい歌だった。反省して2度と歌うまい」ということをハッキリさせることができれば、記事としては完成である。それは、分かっている。

しかし、この歌の場合、その「ひどさ」を立証するためには、旧約聖書のいろんなエピソードを引用して注釈をつけるという膨大な作業が必要になってしまう。それだけのためにそこまでやる必要があるのかとも思うし、それは自分の能力を超えていることであるようにも思う。

第2に、聖書の記述にもとづく歌詞に対して批判的検討を加えるということは、必然的に聖書批判、宗教批判にまで踏み込んだ話を展開しなければならないことになる。批判はハッキリ言って、ある。しかしそういうことをやるからには、徹底的にやらなければならないと思う。現代社会における差別や戦争の問題にいかに宗教が深く関わっているかということまで含め、中途半端に終わらせていい話ではない。

第3に、結論を先取りするなら、旧約聖書に誇らしく記載されている「ジェリコの戦い」のエピソードは、もしそれが史実であったならとんでもない「不正義の戦い」だったと、私は考えている。しかしそのエピソードをもとに「Joshua Fit the Battle of Jericho」という歌を作ったのは、19世紀に「奴隷」として白人の支配を受けていたアメリカの黒人の人たちである。その人たちは聖書の中の「ジェリコの戦い」が「神の正義」の力で勝利したのと同じように、自分たちもいつかは自由を勝ちとるのだという思いを込めてこの歌を作り、歌い継いできた。またそれを「聖書のエピソード」に託して歌ってきたことについては、「白人から弾圧される口実を作らないため」という切実な理由もあった。そういう歌の成り立ちを考えるなら、この歌を「ひどい歌だ」の一言で切って捨てるようなことは、私にはできない。しかしそれを同じ歌詞で日本人が歌ったり、まして白人が歌ったりするようなことは、何重にも「おかしなこと」なのではないかと思わずにはいられない。

第4に、英語でジェリコと発音されるヘブライ語のエリコ、アラビア語でアリーハーと呼ばれる街は、ヨルダン川西岸地区にあり、現在ではパレスチナ自治区となっているが、1967年以来何度もイスラエルによる占領や封鎖を受け、多くの人が殺されている。イスラエルによるパレスチナへの占領、支配、そして抵抗するパレスチナの人々への弾圧と殺戮は正に現在直下の問題なのだが、その現実を前にして「ジェリコにおけるイスラエルの勝利」を讃えるこの歌を、合唱コンクールであれ何であれ歌うことは、そうしたイスラエルの暴虐を肯定する意味を、必然的に持つと思う。パレスチナの人たちの間でこの歌が知られているのか知られていないのか、私は知らないが、内容を知ったなら絶対に「許せない」と思うはずの歌だと思う。これはこの歌をめぐる一番「具体的な問題」である。


パレスチナ問題の経緯|パレスチナ子どものキャンペーン

…以上のことを全部書こうと思ったら、優に本が一冊書けてしまう。一冊で収まるような話でもないかもしれない。とてもブログ一回分にまとめることができるような話ではない。

しかしYouTubeで「ジェリコの戦い」を検索してみると、21世紀を迎えた今日でもこの歌は中学校から大学まで、至るところで合唱コンクールの課題曲となっている現状が見て取れる。それは絶対に間違っている、と私は思う。(ただし投稿された動画を見ると、中学生のものも含めて大半が英語で歌われており、日本語で歌われているものはほとんどない。また私が上に紹介した日本語歌詞は、検索しても出てこない。後述するように聖書の記述に照らしても余りにかけ離れた内容になっていることが問題となり、歌われなくなったような経緯が存在しているのかもしれない)。かつての私と同じように歌詞の内容に疑問を持ち、自分の手で調べてみようと思う人たちのために、「この歌はこういう理由で、歌うべきではないと思う」ということをハッキリ述べた記事が、ネットのどこかに存在していることは「必要」なことだと思う。

よって、今回の記事では以下の数点に問題を絞り、この歌に関して私が思うところを、できるだけ簡潔に書いてみることを試みたい。

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ジェリコの戦い」とは何だったのか

…これについても、何から書き始めたものなのか。旧約聖書は「神」が7日間で天地を創造したところから始まっている。そこから始めるしかないのだと思う。

そして「神」は「土のちり」から最初の男性であるアダムを作り、その肋骨から最初の女性であるイブを作った。というこの記述からして「聖書を認めることは差別を認めるのと同じことだ」という問題が発生するのだが、細かくは立ち入らない。

アダムとイブは「神」の怒りに触れて楽園を追放され、荒野をさまよう。やがて2人には子どもができ、全ての人類の祖先となる。

…その後、ノアの方舟とかバベルの塔とか、いろんなことが起こる。そしてアダムから20代目の子孫にあたるアブラハムという人が、75歳の時に

あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい
創世記12:1-3

という「神の啓示」を受けた。(ちなみにアブラハムという人は、現在のイラクにあるウルというところで生まれたらしい)。それでアブラハムは一族郎党を引き連れて旅に出て、現在のパレスチナにあたるカナンの地にたどり着いた時、

あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。
創世記12:7

という「神の預言」が再び下った。この文字通り「一言」によって、パレスチナの地は現在に至るまで、自らをアブラハムの子孫であると信じている全ての人たちから「約束の地」と呼ばれるようになる。

さて、そのアブラハムの孫にあたるヤコブという人には12人の息子がいたのだが、その11番目のヨセフは特別に父親から愛されていたため、他の兄たちからねたまれて、隊商に売り飛ばされてしまった。そして家に戻った彼らは、ヨセフは獣に殺されたとウソをつき、それ以来ヨセフは、死んだことにされてしまった。

ところがヨセフは、売られた先のエジプトでめきめき出世して、ついにはファラオのもとで宰相になった。一方、ヨセフの故郷のパレスチナでは大飢饉が起こり、困り果てた兄たちは、エジプトに穀物を買いに来て、そこでヨセフと再会することになった。ヨセフはいろいろ、意地悪なことをするのだが、最終的には兄たちのことを許し、父ときょうだいとその一族をエジプトに呼び寄せて、幸せに暮らした。

…以上が旧約聖書の第1巻にあたる、「創世記」のあらましである。やや冗長になったが確認しておきたかったのは、「イスラエルびと(ヤコブの子孫)」にとってパレスチナが「約束の地」と呼ばれるのはどういう経緯にもとづいていたのかということ。そしてかれらがそこを離れたのはなぜだったのかということである。ここまでは、読みようによっては比較的「平和」な物語なのだ。

第2巻の「出エジプト記」から、そうした「平和な雰囲気」は影をひそめてゆく。

ヨセフが死に、ヨセフを重用したファラオも死ぬと、ヤコブの子孫であるイスラエル人たちはエジプトで迫害され、奴隷の身分に落とされることになった。そんな時代に、同胞がエジプト人から暴行されるのを見てそのエジプト人を殺してしまい、逃亡生活を送っていたモーセ(英語読みはモーゼス)という男性のもとに、突然「神の啓示」が下る。

わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
さあ、わたしは、あなたをパロ (ファラオ) につかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう。

出エジプト記3:7-10

…この預言に従い、モーセイスラエルの民衆を引き連れてエジプトからの脱出を敢行する。

いろいろな映画の題材にもなっているこのエピソードは、一面では迫害されている立場の全ての人たちに対し、「勇気」を与えるものでもあると思う。この歌をはじめいろいろな黒人霊歌の中で、モーセとその後継者たちが英雄として讃えられていることは、理由のあることである。

しかし私はこの時「神」がモーセに与えた「指示」の内容に、いくつかの点で疑問を持つ。

  • ひとつに、神が人間を土から創造できるぐらい全能であるのなら、どうして迫害するエジプト人たちを改心させて、イスラエル人たちと共存できるようにする道をとらなかったのか。
  • 第2に、エジプト人たちに「天罰」を下すなら、まだ分かる。どうしてイスラエル人が「出て行かねばならない」ことになるのか。それはエジプト人による迫害を正当化することではないのか。飢饉を起こして彼らが「約束の地」を離れ、エジプトに行かざるを得ない状況を作り出したのは、「神」自身ではなかったのか。
  • 第3に、「神」が自ら言うごとく、イスラエル人たちが「約束の地」を去ってからの何十年か何百年かのあいだに、パレスチナには「カナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびと」などの「別の人々」が既に住み着いているのである。その人たちの立場はどうなるのか。全ての人間は「神」がつくったアダムとイブの子孫だというのなら、「神」はどうしてイスラエル人だけを「えこひいき」するのか。言い換えるなら、差別するのか。

…私はある意味「気楽に」こんなことを書いているのだけれど、キリスト教ユダヤ教の世界ではそんな風に聖書の記述に疑問を持ったりそれを試そうとしたりすること自体が最大級の罪悪なのであり、そのことによって社会から追放されたり殺されたりしてきた人たちは数しれないし、今でもそういうことは、世界のあちこちで続いているのである。それにも関わらず、その状況の中から疑問の声をあげる人たちは、キリスト教社会の中にもユダヤ教社会の中にも常に存在してきた。まず必要なのは、その人たちのことを素直に尊敬することだと思う。その人たちの「大変さ」を思うなら、この日本という社会で私がなすべきことは、こんな「他人の宗教」のアラ探しよりまず先に、何よりも天皇制をおかしいと言い続けることであるはずなのだ。けれども今回は、とりあえず聖書の話である。

モーセと共にエジプトを脱出しようとするイスラエルの民衆をファラオが追撃してくるが、「神の奇跡」によって紅海の水が真っ二つに割れ、その海底にできた道を通って、一行はシナイ半島への脱出に成功する。ファラオの軍勢は溺れ死ぬ。

そしてシナイ山という山の上で、モーセが「神」から「十戒」を刻んだ石板を授かり、「神」とイスラエル人との間に「神の掟に従って生きる」という「契約」が交わされるところで、「出エジプト記」は終わっている。

この後、第3巻(こういう数え方はしないらしいが)に「レビ記」というのが続くのだけど、ここに書かれているのは「神」がモーセに与えた戒律の細々した内容ばかりだとのことで、私もまともに読んだことがない。歴史的な話はその次の「民数記」に続く。



エジプトからの脱出は果たしたものの、「約束の地」であるヨルダン川西岸地区までの道はまだ遠く、イスラエル人たちの中には「エジプトにいた方が良かった」と不平を言い出す人も現れはじめた。

さらに、モーセが行く手のカナンの地に偵察隊を出したところ、そこは確かにいいところだが、そこに住んでいるカナン人やアマレク人はとても強そうなので、戦っても勝てそうにないという報告が返ってきた。これを聞いたイスラエルの民衆は激しく動揺し、飽くまで前進すべきだと主張したのは、偵察隊に同行したカレブとヨシュア(英語読みはジョシュア)という2人の若者だけだった。ここで初めて、ヨシュアの名前が出てくる。

このイスラエル人たちの動揺に、「神」は激しく怒る。その怒る理由がいまいちよく分からないのだが、「自分を信用しないから」ということであるらしい。そしてその「罰」としてイスラエル人たちは40年間にわたって荒野をさまよわなければならないことにされ、カレブとヨシュアを除くその世代のイスラエル人たちは誰も生きては「約束の地」に入らせないということが宣告された。イスラエルの民衆は神を疑ったことを反省し後悔しながら旅を続け、ようやくヨルダン川にまで至ったところで「民数記」は終わる。

その次の「申命記」の内容は、「約束の地」を目前にして死期を迎えたモーセによる、イスラエルの民衆への最後の説教である。(モーセも、生きて「約束の地」に入ることは許されなかった。その理由は、水がなくて不平の声をあげる民衆のために奇跡を起こして岩から水を出してやるからお前はその合図をしろ、と「神」から指示されたことに対し、民衆の不平不満にむかついていたモーセ乱暴に杖でその岩を叩いた、ということらしい。つまり「命令への従い方がイヤイヤだった」ということである。「神」というのはどこまで小さなやつなのだ、と私は思う)。そしてモーセが死に、その後継者のヨシュアが「神」の指示を受けて「約束の地」に出発するところから、「ジェリコの戦い」のエピソードが綴られた「ヨシュア記」が始まる。ようやくここまでたどり着いた。

「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。」
「あなたがたの領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう。」
「強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。」

ヨシュア記1:2-6

…「神」からのこの指令に従い、ヨシュアイスラエルの民衆はヨルダン川を東から西に渡って、最初の街であるエリコを包囲する。そして「エリコの戦い」が開始されるのだが、以下は日本聖書協会による口語訳聖書からの全過程の引用である。

さてエリコは、イスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった。

主はヨシュアに言われた、「見よ、わたしはエリコと、その王および大勇士を、あなたの手にわたしている。

あなたがた、いくさびとはみな、町を巡って、町の周囲を一度回らなければならない。六日の間そのようにしなければならない。

七人の祭司たちは、おのおの雄羊の角のラッパを携えて、箱
( モーセ十戒の石板が納められた「契約の箱」のことをさす。「聖櫃=アーク」とも呼ばれ、現在もどこかに実在しているという伝承があり、しばしば映画の題材になる)に先立たなければならない。そして七日目には七度町を巡り、祭司たちはラッパを吹き鳴らさなければならない。

そして祭司たちが雄羊の角を長く吹き鳴らし、そのラッパの音が、あなたがたに聞える時、民はみな大声に呼ばわり、叫ばなければならない。そうすれば、町の周囲の石がきは、くずれ落ち、民はみなただちに進んで、攻め上ることができる」。


(中略)

七度目に、祭司たちがラッパを吹いた時、ヨシュアは民に言った、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった。

この町と、その中のすべてのものは、主への奉納物として滅ぼされなければならない。ただし遊女ラハブと、その家に共におる者はみな生かしておかなければならない。われわれが送った使者たちをかくまったからである。


(中略)

そこで民は呼ばわり、祭司たちはラッパを吹き鳴らした。民はラッパの音を聞くと同時に、みな大声をあげて呼ばわったので、石がきはくずれ落ちた。そこで民はみな、すぐに上って町にはいり、町を攻め取った。

そして町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけて滅ぼした。

ヨシュア記6:1-21

…以上が旧約聖書に書かれている「エリコの戦い」の内容である。そして現在に至るまで、ユダヤ教キリスト教の世界で語られる「エリコの戦い」もしくは「ジェリコの戦い」のイメージは、イスラエルの民衆がラッパを吹いて鬨の声をあげただけで城壁が崩れ落ちたという、「神の素晴らしい奇跡」を讃える内容に貫かれている。

しかし、語られるべきはそこなのか、と私は思う。

聖書の記述によれば、イスラエルの軍勢に対しエリコの人たちは「抵抗した」様子さえ見られない。こんなのは「戦い」ですらない。

一方的な、虐殺ではないか。

ヨシュア記」の内容はこの「エリコの戦い」に始まり、その西側のパレスチナの地をひたすら武力によって制圧してゆく血なまぐさい記述に満ちている。「侵略」という言葉しか、そこには当てはめようがないと私は思う。

聖書信仰の立場からは、ヨシュアとその軍勢による侵略-虐殺行為は、「聖絶 (ヘーレム)」という言葉で、現在でも正当化されているらしい。

ヘーレムの語根は「別にしておく」とか「俗用に供することを禁じる」ことを意味しており、この語はヘブライ語聖書(旧約聖書)で神への奉納・奉献・聖別を表すためにも用いられている。

畑や家畜などを聖絶として神に捧げた場合は、それを売ることも買いもどすこともできないものとして完全に神に捧げ尽くさなければならず(レビ27:28)、そのようにして捧げられたものは祭司のものとなった(レビ記27:21、民数記18:14)。ただ、その捧げ物が人間であった場合は必ず殺されなければならなかった(レビ記27:29)。

一方、イスラエルに敵対する異民族に対して聖絶が用いられる時は、「神への奉納物として、異教の神を拝むものとそれに関連する事物をことごとく滅ぼし尽くす」こと、全ての戦利品を滅却することを意味した。すなわち、聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)。

聖絶 - Wikipedia

Wikipediaの記事にも書かれているように、ここで「定義」されている「聖絶」の内容というものは、現代に生きる我々の感覚からすれば「民族浄化」「ホロコースト」そのものである。このことに対し、神学上の立場からは、「神がそんなことを命じたはずがない」とか「昔の聖絶は血なまぐさいものだったが、現在では聖絶という言葉はそういう意味を持っていない」とかいった形で、いろいろな「つじつま合わせ」がなされていると聞く。

しかし必要なのは、歴史に対する「つじつま合わせ」ではなく、「反省」なのではないだろうか。自分たちの祖先を含む「昔の人類」はそういうことを繰り返してきたが、それは間違いだった、ということを、まずは率直に認めることからしか、何も始まらないのではないだろうか。それを認めることが「神」やあるいは天皇制を否定することにつながると言うのであれば、否定すればいいではないかと何度でも私は言いたい。

「神」の名による「聖絶」を「正義」として受け入れてきたキリスト教世界の人間たちが、他地域への侵略と植民地支配を繰り返してきたのは、それを正当化できる「教義」を持っていたからである。(もっとも「教義」の方が「後づけ」でデッチ上げられることも多いように見受けられるから、「教義」さえ廃止されればそれで済むほど単純な話ではないとも思うが)。「ジェリコの戦い」は決して遠い昔の話ではない。広島に原爆を落としに行く戦闘員たちにさえ、テニアンの飛行場ではキリスト教の司祭による「祝福」が与えられたという。彼らが「聖絶」のイメージで自らを奮い立たせようとしたことは、想像に難くない。そうやって人間は「人間であること」をやめていくのだ。そして全く同じ内容の反省が、「神武東征」や「三韓征伐」や「神風」のイメージで戦争を正当化してきた日本人の側にも問われていることは、言をまたない。

1948年のイスラエル建国と第一次中東戦争の過程で、パレスチナの人々の村が次々と襲われ、地図上からアラビア語の地名が消されて行った時、シオニスト達の頭の中にあったのはそれこそ「聖絶」への使命感と陶酔そのものであったろう。そのようにして建設された国家が、現在に至ってもパレスチナへの占領と入植地の拡大を継続させている。そんな歴史は絶対に「終わり」にさせられなければならない。

だから私は中学の時の合唱で「ジェリコの戦い」を歌ったことを「恥」だと思っているし、その「反省」を形にしなければならないと思う。

それが今回の記事である。

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日本語歌詞の問題点について

聖書に記載されている「ジェリコの戦い」のあらましを見た上で、私がかつて「歌わされた」日本語版の歌詞は、それにさらなるでっち上げを加えて「ジェリコの戦い」を正当化しようとする、デタラメな内容になっている。上述のように現在ではほとんと歌われていないらしく、ほぼ「忘れられた歌詞」になっているのかもしれないが、飽くまで自分自身の青春に決着をつけるため、問題点をハッキリさせておきたいと思う。

我らは忘れずジェリコ

…ここからして「史実」をねじ曲げているのではないだろうか。ヨセフに招かれてエジプトへの移住を決めた当時のイスラエルの民衆がどこに住んでいたのか、私が「創世記」を読み返してみた限りでは、よく分からない。あるいは、エリコのあたりだったのかもしれない。しかし明らかなこととして、エジプトを出てから40年後にヨルダン川の東岸に立ったイスラエルの民衆の中に、「約束の地」を見たことがある人間は1人もいなかったのである。それは「未来において与えられる土地」であって、「故郷」ではない。「忘れようとしても思い出せない」の世界である。

ああいつの日か共に行かん
ああヨシュアと共に

…聖書の記載によれば、「神」がヨシュアにエリコ攻略を指令したのは「モーセが死んですぐ」である。「いつの日か」みたいな表現がどうして出てくるのか分からない。

敵に奪われし
故郷をさして

…こんなひどいでっち上げはない。カナンの地で飢饉に見舞われてエジプトへの移住を決めたのは、イスラエルの民衆自身の決断だったのである。その後に誰が住み着こうと、勝手ではないか。

おお正義の旗を掲げ

…どうしてこんな言葉を簡単に使えるのだろう。ヨシュアの側にどんな「正義」があったというのか。「神」が「その地を与える」と言ったという「口約束」があるだけである。そんなもん、「言ったもん勝ち」の世界でしかない。

ヨシュアジェリコで戦う

…戦ってない。民衆にラッパを吹かせただけ。そして無抵抗のエリコの人たちを殺しただけ。何かカッコいいことでもしたように言うのは、やめてほしい。

以上、どれだけデタラメな歌を混声四部合唱していたのかと思うと私はひたすら恥ずかしい。そして私と同じようにこの歌を「歌ってしまった」過去を持つ全ての人に対しても、その恥ずかしさを共有してほしいと思う。まさかと思うがこれから歌う予定のある人には、この記事を読んで考え直してもらいたい。

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黒人霊歌「Joshua Fit the Battle of Jericho」の歌詞と対訳

黒人霊歌」という言葉は20世紀の日本の音楽の教科書では「Negro Spiritual」の訳語として紹介されていたが、現在では「African-American Spiritual」と呼ばれているらしい。Wikipedia英語版のこの歌の記事にも、その言葉が使われていた。「Negro」が「African-American」となったのは単なる「言い換え」ではなく、歴史的に「黒人」をさす単語として使われていた「Negro」が、どれだけ差別的な響きを持った言葉だったかということを示す事実として受け止めたい。

「Joshua Fit the Battle of Jericho」という歌がアメリカで「奴隷」とされていた黒人の人々の間で歌われ始めたのは、19世紀前半のことだったと言われている。イギリスが主導する奴隷貿易が最も「隆盛」を究めたのは18世紀のことであり、南北戦争終結する1865年まではそれが続いていたわけだから、当時のアメリカでは直接アフリカから強制連行されてきた1世の人たちや、その子どもにあたる2世の世代の人たちが、黒人人口の大半を占めていたと思われる。まだ「アフリカでの生活」の記憶が鮮烈に残っていたはずの時代である。その人たちが言葉を奪われ、信仰を奪われる中で、どんな気持ちで白人の宗教を「受け入れて」いったのかということは、想像するしかない。

上述したように、当時の黒人の人たちが「聖書のエピソードに託して」解放への願いを歌い継いできたその歴史は、いくら私が聖書嫌いの宗教嫌いでも、勝手に「評論」の対象にしていいものではないと考えている。黒人の人たちの間で現在でもこの歌が歌われ続けているのは、差別という「崩されるべき壁」が存在し続けているからであり、「戦わなければならない現実」が継続し続けているからである。侵略や虐殺を正当化するためではない。

しかし実際に侵略や虐殺に手を染めてきた国家や民族の構成員がその歌を「簒奪」し、「自分の歌」として歌うなら、それは当然「別の意味」を持つのである。だからよしんば黒人の人たちが歌い継いできた通りの英語の歌詞であっても、やはり「それ以外の人間」が歌っていい歌ではないと私は思う。

以上のことを踏まえた上で、黒人の人たちの間で歌い継がれてきた「Joshua Fit the Battle of Jericho」の歌詞と対訳を掲載し、この長い記事を終えることにしたい。動画は現在でも「ゴスペル界最高峰の歌手」として語り継がれているという、1972年に亡くなったマヘリア・ジャクソンさんによる歌唱である。


Joshua Fit the Battle of Jericho

Joshua Fit the Battle of Jericho

英語原詞はこちら


Joshua fit the battle of Jericho
Jericho Jericho
Joshua fit the battle of Jericho
And the walls came tumbling down
Hallelujah

ジェリコの戦いを
ジョシュアは戦った。
ジェリコジェリコ
ジェリコの戦いを
ジョシュアは戦った。
そして壁は崩れ落ちた。
ハレルヤ


You may talk about the men of Gideon
You may talk about the men of Saul
But there's none like the good old Joshua
At the battle of Jericho
Hallelujah

ギデオンってやつの話もいいだろうさ。
サウルってやつの話もいいだろう。
でも誰もジェリコの戦いの時の
ジョシュアさんにはかなわない。
ハレルヤ


Joshua fit the battle of Jericho
Jericho Jericho
Joshua fit the battle of Jericho
And the walls came tumbling down
Hallelujah

Up to the walls of Jericho
With sword drawn in his hand
Go blow them horns like Joshua
The battle is in my hands

ジェリコの城壁に向けて
抜き身の剣をその手に握り
ジョシュアみたいに
ラッパを吹き鳴らせ。
戦いはこっちのもんだ。


Joshua fit the battle of Jericho
Jericho Jericho
Joshua fit the battle of Jericho
And the walls came tumbling down
That mornin'

ジェリコの戦いを
ジョシュアは戦った。
ジェリコジェリコ
ジェリコの戦いを
ジョシュアは戦った。
そして壁は崩れ落ちた。
あの朝に


Joshua fit the battle of Jericho
Jericho Jericho
Joshua fit the battle of Jericho
And the walls came tumbling down
Hallelujah


Joshua fit the battle of Jericho
Jericho Jericho
Joshua fit the battle of Jericho
And the walls came tumbling down

…英語の歌詞についてさらに知りたいという方がいらっしゃったら、以下のリンクの方の解説が詳しいです。
Joshua Fit the Battle of Jericho - 工場日記

最初、私はU2の「I will follow」を翻訳していて「ジェリコの戦い」を連想させる歌詞に直面したのでしたが、その時にはこの方の記事を紹介するだけにとどめようかと考えていました。でもやはり「自分の言葉」でこの歌に対する立場を明らかにしておく必要があると考えて、今回の記事を書きました。英語圏の歌にはこの歌のように聖書に題材をとった歌がたくさんあり、どこかで一度自分の態度を表明しておかなければ、ただ機械的に翻訳することはできないと思ったからです。長文へのお付き合い、お疲れ様でした。ではまたいずれ。

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