華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Chimes Of Freedom もしくは元祖自由の鐘 ※ (1965. The Byrds)



前回とりあげたビリー・ブラッグの「Ideology」は、この曲の「替え歌」になっている。1965年にバーズがエレクトリックなアレンジを施してヒットさせたボブ・ディランの歌、邦題は「自由の鐘」である。

ディランの曲についてはあまりこのブログで取りあげたい気がしないということを、私は折に触れて書いてきたのだけれど、それに反してこのかんディランの曲ばっかり翻訳している感じがするのは、自分の人生にそういう「時期」が回ってきているからではないのか、という感じがしている。10月の初旬にトム・ペティさんが亡くなったことがきっかけと言えばきっかけだったのかもしれないが、決してそれだけではない理由から、何かにつけてディランの曲と向き合い直さねばならない「必要」を感じさせられる場面が、ここ数週間の私には不思議と増えてきている。

それと同時に最近の私は、やたらと忙しくなってきている。実生活においてもそうなのだが、そういうタイミングで前回紹介した「ミチコオノ日記」という衝撃の作品に出会ってしまったことが、やはり大きいのだと思う。「歌を翻訳するということ」は私にとって「過去と向き合うこと」とひとつのことであり、ブログの開設以来私はひたすらそれを続けてきたのだったが、そこに来て「現在進行形の物語に夢中になる」ということは、オトナになって以降の私が久しく経験していなかった感覚だった。

自分の目線が「現在」を向いている時には、やはり「過去」のことは必然的に「後回し」になる。今この瞬間にこれほどの情熱を注ぎ込んで生み出されつつある作品に出会った以上は、読む方もそれに負けないぐらいの情熱をもって向き合うのでなければ、ウソになるというものだ。そういう思いが昂じて下記のような新ブログまで立ち上げてしまったのだが、「ミチコオノ日記」をもしもまだ未読の読者の方がいらっしゃったら、繰り返し訴えたい。新しく読み始めるなら、本当に今がその最高のタイミングである。これほど完璧な出会いが保証された瞬間というものには、二度とめぐりあえるものではない。ぜひ、一読をお勧めする。
nagi1995.hatenadiary.com

一方、それとは全く無関係なことだとは思うのだが、7月ぐらいに自分のための学習メモみたいなつもりで立ち上げて、それきり放ったらかしにしていた下記のブログに、なぜか今頃になって新しい(かつ最初の)読者の方がついて下さった。読者がついた以上は、こちらの方も真面目に更新してゆく他にない。現状、ほとんど「辞書の丸写し」ブログでしかないけれど、私と同じくいろんな角度から漢字というものを学び直してみたい気持ちを持っているすべての人にとって、役立つような内容にして行きたいと考えている。
nagi1995.hatenadiary.jp

…そんなわけで当面、私のエネルギーはいろんな方向に「分散」されてゆくことになりそうである。今まではこのブログ「華氏65度の冬」に一点集中だったわけだけど、これからは更新頻度も今までよりは減ってゆくことになると思う。読者の皆さんにおかれましては、長い目で見守って頂ければ幸いです。

それで肝心のこの曲についてなのだけど、原曲は6番まであるとても長い曲である。ただしバーズによるカバーは、真ん中の部分を端折った短縮バージョンになっている。「ミスター·タンブリンマン」とかでもそうなのだけど、バーズがカバーしているディランの曲というのはどれもこれも原曲と比べてかなり短いので、そこが物足りなく感じる。(このブログには、「言及した曲については取りあげて翻訳しなければならない」という暗黙のポリシーみたいなものが存在する。いま私は、とてもめんどくさいことになる曲名を不用意に口走ってしまったのかもしれない)。時代的に、そうしないと売れなかったのだろうか。とはいえ12弦ギターによるアレンジがとてもきれいなバーズのバージョンを昔の私はずっと好きだったので、個人的にこの曲はやはりバーズの曲として紹介したい。6番までの全部の歌詞については、ブルース・スプリングスティーンが歌っている動画があったので、それを併せて貼りつけておきたい。ディランのバージョンは…どうしてもやっぱり、まともに聞きたいという気持ちが、今の私には「まだ」起こらない。


Chimes Of Freedom

Chimes Of Freedom

英語原詞はこちら


Far between sundown's finish
an' midnight's broken toll
We ducked inside the doorway,
thunder crashing
As majestic bells of bolts
struck shadows in the sounds
Seeming to be the
chimes of freedom flashing
Flashing for the warriors
whose strength is not to fight
Flashing for the refugees
on the unarmed road of flight
An' for each an' ev'ry
underdog soldier in the night
An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

雷鳴がとどろき
われわれは扉の内側に身を潜めた。
世にもまれなる日没の終わりから
真夜中の鐘が破れて聞こえるまでの
あいだのことだった。
稲妻の打ち鳴らす勇壮な鐘の音が
いくつもの影を描き出し
その上に響きわたっていた。
閃光の中で
自由の鐘が輝いているのだと
わたしは思った。
戦わないための強さをそなえた
戦士たちのためにひらめく光。
武器もなく逃亡の道を歩む
故郷を奪われたひとびとのために
ひらめく光。
そしてひとりひとりのすべての
負け犬になった夜の兵士たちのために
稲妻がひらめいている。
われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。


In the city's melted furnace,
unexpectedly we watched
With faces hidden
as the walls were tightening
As the echo of the wedding bells
before the blowin' rain
Dissolved into the
bells of the lightning
Tolling for the rebel,
tolling for the rake
Tolling for the luckless,
the abandoned an' forsaked
Tolling for the outcast,
burnin' constantly at stake
An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

街という名の溶鉱炉の中で
思いもかけずわれわれは見た。
四方の壁が狭まってくる中で
自分の顔を隠しながら。
横殴りの雨が降り出す直前の
結婚式の鐘の残響が
稲妻の打ち鳴らす鐘の音に
溶けてゆくその中でのことだった。
反逆者のために鳴り響いている。
ぶーたろーのために鳴り響いている。
つきに恵まれなかった人のために
見放された人のために
見捨てられた人のために
鳴り響いている。
24時間たえまなく
土俵際に立たされているような
落ちこぼれのために鳴り響いている。
われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。


Through the mad mystic hammering
of the wild ripping hail
The sky cracked its poems
in naked wonder
That the clinging of the church bells
blew far into the breeze
Leaving only bells
of lightning and its thunder
Striking for the gentle,
striking for the kind
Striking for the guardians
and protectors of the mind
An' the poet an the painter
far behind his rightful time
An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

空は
教会の鐘の残響が
遠く微風の中に送り出した
生まれたままの奇跡の世界に
madに神秘的に叩きつける
荒々しい雹を降らせることで
自らの詩を弾き出す。
稲妻と雷鳴が作り出した
鐘の音だけをそこに残して。
やさしいひとびとのために
打ち鳴らされる鐘。
心あたたかいひとびとのために
打ち鳴らされる鐘。
心の守り人たちと
衛士たちのために
打ち鳴らされる鐘。
そしてひとりの詩人と画家の
ただしい時間の遠く背後で
打ち鳴らされている。
われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。


In the wild cathedral evening
the rain unraveled tales
For the disrobed faceless forms
of no position
Tolling for the tongues
with no place to bring their thoughts
All down in
taken-for granted situations
Tolling for the deaf an' blind,
tolling for the mute
For the mistreated, mateless mother,
the mistitled prostitute
For the misdemeanor outlaw,
chased an' cheated by pursuit
An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

荒れ果てた大聖堂の午後
衣服をはぎとられた
顔もかたちも持たない
ものたちのための物語を
雨がひもといた。
ありとあらゆる
当たり前のように見なされた場面で
自分たちの考えていることを
言葉にすることができない
いくつもの舌のために
鳴り響く鐘。
耳が聞こえない人
目の見えない人
口をきけない人のために
鳴り響く鐘。
虐待されたシングルマザーのために
ウソの名前をつけられたセックスワーカーのために
鳴り響く鐘。
追い求めるものから
追われ欺かれている
小悪党のアウトローのために
鐘が鳴り響いている。
われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。


Even though a clouds's white curtain
in a far-off corner flashed
An' the hypnotic splattered mist
was slowly lifting
Electric light still struck like arrows,
fired but for the ones
Condemned to drift
or else be kept from drifting
Tolling for the searching ones,
on their speechless, seeking trail
For the lonesome-hearted lovers
with too personal a tale
An' for each unharmfull,
gentle soul misplaced inside a jail
An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

はるかかなたの空の片隅で
雲の白いカーテンが瞬いたとしても
そして催眠状態で撒き散らされた霧が
ゆっくりと立ちのぼっていたとしても
稲妻の電気の光は矢のように
大地に突き刺さりつづけ
漂うことを運命づけられた人か
さもなくば漂うことから遠ざけられた
人々を別にすれば
すべてに向けて撃ち放たれていた。
なにかを探し求めているひとびとの
その無言の探求の道の上に
鳴り響く鐘。
あまりに個人的な物語を抱えて
孤独なこころの恋人たちのために
鳴り響く鐘。
そしてなにかの間違いで投獄された
人畜無害でやさしい
ひとつひとつのたましいたちのために
鐘が鳴り響いている。
われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。


Starry-eyed an' laughing
as I recall when we were caught
Trapped by no track of hours
for they hanged suspended
As we listened one last time
an' we watched with one last look
Spellbound an' swallowed
'til the tolling ended
Tolling for the aching
whose wounds cannot be nursed
For the countless confused,
accused, misused, strung-out ones an' worse
An' for every hung-up person
in the whole wide universe
An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

わたしは目の中に星を輝かせて
笑っていた。
吊るされた者やぶら下げられた者たちのための
時間の無軌道のワナに
引っかけられた時のことを
思い出して。
われわれが最後に聞いたこ
われわれが最後に見たもの
鐘の音が終わる時まで
魔法にかけられて
呑み込まれたようになっていた
われわれだった。
癒えることのない傷のために
痛みを抱え続けている者たちのために
鳴り響く鐘。
数えきれないないほどの
混乱した者たち
とがめられている者たち
正当に取り扱われない者たち
泥のようになった者たち
そしてもっとひどいことになっている
者たちのため。
そしてこの全宇宙をさまよう
すべての行き場のないひとびとのために
鳴り響いている。
われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。


Chimes Of Freedom

=翻訳をめぐって=

この歌の歌詞は、今まで翻訳してきた二百数十曲の中でも、一番「ややこしい」ものであるかもしれない。あえて「難解」だとは言わないけれど、とてもややこしい言葉で書かれている。

そしてその「ややこしさ」と正面から格闘してまで、日本語に翻訳する苦労に見合うような「メッセージ」がこの曲に含まれているのかといえば、そのこと自体を疑問に感じる。10代だった頃の私は、確かにこの「わからない歌詞」の「わからなさ」そのものに興奮し、そこから何らかの「メッセージ」を読み取ろうと、必死になって歌詞カードを見つめていたものだった。けれども今になって見ると、差別語を平気で使って当たり前のように他人を見下しながら生きているナルシスティックな人間が書いた、単なる自己陶酔的な歌であるようにしか思えない。

バーズのバージョンの動画の映像からも分かるように、この歌は「反戦歌」として歌われてきた経緯を持っている。「悲惨な境遇にある人たち」のイメージが次々と歌われて、「その人たちのために大自然が自由の鐘を打ち鳴らしている」というのが、この歌の大ざっぱな内容であると言えると思う。ただし歌を書いたディランという人が、その「悲惨な境遇にある人たち」の中に「自分自身」の身を置いてこの歌を作ったのかといえば、全くそういう風には思えない。

率直に言って今の私がこの歌詞から受けるのは「神にでもなったつもりかよ」という印象である。こういう歌を人前で歌う人間の心理というのは、あたかも自分自身の歌そのものを歌詞の中に出てくる「閃光」に見立てて、聞いている人間たちのことを照らし出してやろう、といったものなのだと思われる。そして「照らし出される人たち」が「悲惨な境遇」であればあるほど、「照らし出す自分」の存在はいっそう崇高で、神々しいイメージに満ちたものになってゆく。

つまり平たく言うならば、この歌詞においてディランという人間は、「自分がいいカッコするため」だけに、「悲惨な境遇にある人たち」のことを「ネタ」として「利用」しているだけにすぎないのではないか。と私は感じるのである。「ネタにされる側」の人たちに対してこれほど失礼な話は、ないのではないかと思う。

一方でこの歌の中でディランという人は、「謙虚」になっている印象も受ける。それは稲妻をひらめかせたり雷鳴を轟かせたりしてすべての人間を「同じ光」で包み込む、「大自然」に対する謙虚さである。そしてその「同じ光」の中では、「悲惨な境遇にある人たち」も全米ツアー中の自分自身も「同じ平等な人間なのだ」みたいなことを、ディランという人は、感じたのかもしれない。(この歌は実際、彼が全米ツアー中に遭遇した大嵐からインスピレーションを受けて作られた曲だという話である)。これはこの歌に対する、私なりの一番「善意」な解釈である。

しかしそうだとした場合、この歌から受ける印象はいっそう宗教的なものになる。そしてその場合、この歌に出てくる「閃光」は世の中の矛盾を「暴き出す」のではなく、むしろ「覆い隠す」ものとして作用している。

大自然を前にして人間が平等であることに気づいた、というのであれば、それまでの彼は「平等だと思っていなかった」ということである。それを「気づいた」というのであれば、気づいた人間がまずやるべきことは、それまで自分が「悲惨な境遇にある人たち」みたいなレッテルを貼りつけて見下してきた相手に対し、「今まで見下してきてすいませんでした」と謝罪することだろう。それも抜きに「今日から私も君たちと同じだ」みたいなことを言われたって、言われる方はどう信用すればいいのかと思う。まして口で「平等だ」と言いながらdeafとかblindとかいった「人を差別するための言葉」を平然と使い続けるなど、以ての外である。嵐が去って再び「いい天気」が戻ってきた時、この歌の歌い手の生き方は果たしてそれまでとどれくらい「違った」ものになっているだろうか。おそらく何も変わらないんではないだろうか。そういう一時の感傷みたいな気持ちで「自由」とか「平等」とかいう言葉を適当に使われた日には、本当にそうした言葉を必要としている人たちの立場からすれば、たまったものではないと思うのである。(この歌詞の中では、「平等」という言葉は一回も使われていないわけではあるのだけれど)

私は何も、1960年代のアメリカで命がけで反戦運動をたたかっていた人たちに、ケチつけをしたくてこんなことを書いているわけではない。「反戦歌」を歌うのであれば、「自分がカッコつけること」なんか後回しにして、真面目にやってもらいたいと考えているだけである。現にこの時代に作られた無数の「反戦歌」は、2010年代を迎えた現在にあっては、そのほとんどが「反戦歌」として通用しうる力強さを失ってしまっている。現実に起こされようとしている戦争を止める力もないなら、「反戦歌」などいくらあっても本当に無意味なのである。まして、「テロリスト」の襲撃にそなえて武装した警備員が周囲を固めるスタジアムの内側で歌われる「反戦歌」など、「『テロリスト』を皆殺しにしろ」という歌ではありえても、「反戦歌」などでは断じてありえない。

2001年の9·11同時テロの直後、そんな風にして開催されたコンサートの会場で、ディラン自身が「不審者」と見なされ、警備員によってつまみ出されてしまうという事件があったのだけど、私は全く笑えなかった。そんな恥ずかしいことまでして「歌わなければならないこと」が、果たしてあの時のあの人にはあったのだろうか。

私が「恥ずかしいこと」というのは、「つまみ出されたこと」に対して言っているわけではない。

飽くまで「警備を立てたこと」に対して、言っているのである。

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翻訳それ自体をめぐっても、触れておかなければならないと思う。

ディランの歌詞というのは、よく言われるように、「絵画的」な印象になっているものが多い。言葉に対しては、言葉で言い返すことができる。しかし絵に描かれたものに文句をつけるということは、非常にやりにくい。「見えたままに描いただけだ」と言われてしまえば、それまでだからである。(だからディランの歌は批評の対象になることが少ないのではないかと思われるのだけど、それはまあ余談である)

けれども絵画というものもやはり、それを描き出す人間の解釈によって、「翻訳」された表象なのだと思う。ディランの歌の場合、まず見えているままの「自然」の風景というものがあって、それがディランの頭の中で「翻訳された風景」になって、その「翻訳された風景」が絵の具ではなく文字によって描き出されるという、「二重の翻訳を経た言葉」で歌詞が書かれているという感じが、私はする。

だからそのディランの歌をさらに別の言語に翻訳するにあたっては、一語一語の対応関係の正確さよりもむしろ、その「風景」を正確に再現できるかどうかで、翻訳の成否が決まるのではないかと私は思う。他のどんな歌に関しても言えることなのだけど、ディランの歌詞については特にそうなのである。

たとえばこの歌の中で「肝」になっている「風景」があるとすれば、各コーラスの最後に歌われている

An' we gazed upon
the chimes of freedom flashing.

というその「風景」である。この二行を直訳すれば

そして我々はひらめいている自由の鐘々を見あげた

…という感じになる。しかし「ひらめいている」などという辞書通りの訳語を使ってみても、我々の脳裏に浮かぶのはむしろ魚類の姿であり、この訳詞では「見あげているのがどういう風景か」ということが、全然見えてこないと私は思う。

この歌詞の全体から判断するに、「chimes of freedom」というのは、大自然が打ち鳴らす雷鳴と電光そのものの比喩表現なのである。Flash(ピカっと光る)しているのは稲妻それ自体なのであって、「鐘の本体」が歌っている人間の目に見えているわけではない。見えているとしたら「心の目」にだけ見えていることになる。

そして「心の目」には「鐘の姿」が見えているのだとして、その姿はあくまで、「稲妻の閃光」の中に見えているわけだが、周りの閃光の中で「影」となって浮かび上がっているわけではない。むしろ周りの閃光よりさらに強い光を放つことによってそれが「鐘である」と認識されるような風景を、「心の目」は見ているのである。(だからshadows of chimes ではなく chimes flashing という言葉が「選択」されている)

そういう風景が日本語を通しても浮かんでくるような訳詞を、と考えて私が最終的に行き着いたのが

われわれが見あげていたのは
閃光の中に輝く
いくつもの自由の鐘の姿だった。

というフレーズだった。主語も述語も原文と違っているし、「輝く」という言葉は「flash」の訳語としては辞書には載っていないし、「閃光の中に」などという「原文にない説明」が付け加わっているしで、文法的な「正しさ」からすれば、めちゃめちゃな翻訳であると思う。また、いくぶん恣意的な翻訳であることも自覚している。とはいえこれくらいの「工夫」をこらさなければ、「歌の風景」が全然見えてこないのだ。「風景」が見えてこないような訳詞なら、作っても読む人を混乱させるだけで、意味がないと私は思う。

この歌の翻訳に関してはいろんなところにそうした「工夫」が挟まれているから、原文と対称させながら読もうとする人は逆に混乱することになるかもしれない。3番の訳詞などでは、原文だと3行目に出てくる「空」という主語を無理やり1行目に持ってくるという「力技」も使っている。すべては「風景が見えてくるような翻訳」を心がけた結果である。

ただし私は上述したように、この歌に対してさほどの思い入れがあるわけではない。むしろむかつく歌だと現在では思っている。だからそういう「工夫」のひとつひとつについていちいち文法的に説明したいと思えるほどのエネルギーが、正直言って、湧いてこない。また歌詞の中にはダブルミーニングとおぼしき単語もいくつか散見されるが、それについてもいちいち指摘しようという気が起こらない。どうせ「大したこと」は歌っていない歌なのだ。明らかな誤訳を見つけたという方だけ、指摘して頂ければ幸いです。

以下、各ヴァースをめぐってどうしても書いておかねばならないと思われることのみ。

=1番=

  • 真夜中の鐘が破れて聞こえるまで…この「鐘」は比喩表現ではなく、時間を知らせる現実の教会の鐘のことだと思う。
  • refugeeという言葉の訳語は「難民」だが、この「難民」という日本語自体が現在の日本では非常に差別的な響きを持っていると感じるので、私は使いたくなかった。

=2番=

  • rakeというのも「定職についていない人」への強いさげすみが込められた言葉。いくらかでも「愛」のある日本語に変換しようと思ったら、私に思いつく言葉は「ぷーたろー」だけだった。

=3番=

  • madは「精神病者」に対する差別語。批判を込めて、訳詞では原文をそのまま転載しました。

=4番=

  • wild cathedralは「自然が作った大聖堂」という意味かもしれない。あるいは、ダブルミーニングの可能性もある。
  • deaf, blind, muteは、それぞれ耳の聞こえない人、目の見えない人、口のきけない人に対する蔑称。またprostituteセックスワーカーに対する蔑称。ここでは原文をそのまま転載しました。

=6番=

  • hanged suspendedは「絞首刑にされた人」の意味だともとれるが、ただ単に「ぶらぶらしている人」という意味かもしれない。ダブルミーニングかもしれない。
  • strung-outは「疲れ果てた」という意味の他に「麻薬中毒の」という意味を持つ。「泥のようになった者たち」というのは完全な意訳。

…以上。疲れました。ビリーブラッグ特集に戻ります。ではまたいずれ。

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