華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

閑話休題#2 映画「ボヘミアン·ラプソディ」感想

nagi1995.hatenablog.com
クイーンの「伝説のチャンピオン」は最低の歌だと思う、という上記の記事を書き終えた後、映画「ボヘミアン·ラプソディ」のレビュー等々で、問題の「No Time For Losers」という歌詞に関し、「あれはフレディが自分自身に向けていた言葉だったんだ」とか、「みんながチャンピオンだから敗者なんてどこにもいない、という意味だったんだ」という感想を多く目にしたもので、「ほんまか?」と思い、私も、見てきました。


面白くなかったわけがないじゃないですか。


ネコは鍵盤の上歩くし、クルマに轢かれるかと思ったらいつの間にかスリ抜けて向こう側に行ってるし。20世紀には存在さえしていなかった「ドローン目線」で、ウェンブリーのステージを俯瞰することもできたし。


あんな感覚を味わったのは生まれて初めての経験だった。(←田舎者)


フレディ役の人は、ちょっとキョロキョロしすぎな感じがしたな。

キョロキョロするところはキョロキョロしててかまへんねんけどね。

あのキョロキョロが良かったところもあるけれど、舞台ではもっと堂々としててほしかった。


…でもそれは、結局本物のフレディがいかにスゴかったかという話なのだな。


あと、フレディ役の人、すごくちっちゃく見えた。何か、今までライブエイドのイメージが全てだったもので、フレディって人はものすごい大男だというイメージがあったのだが、実際より大きく見えてたのだろうか。


せやけど、フレディ役の人のとりわけ若い頃の演技は、めちゃめちゃイカしてた。
(↑関西の人間が「イカす」という言葉を使う時には「外来語を使ってる感覚」が伴うものなのだが、それが文字だけで伝わってるかどうか)


フレディ·マーキュリーという人の若い頃のイメージというものを実は私は全然持っていなかったのだけど、何か、ミック·ジャガーとジム·モリソンを同時に見てるみたいな感じがした。


フレディ以外のクイーンの3人の描き方が、何だか「新たな脇役の理想形をこの映画で作りあげるぞ!」みたいな感じで、ものすごく面白かった。

うまく表現できないのだけど、まるですごく訓練されたコント集団を見ているような感じがした。レツゴー三匹とかコント赤信号とか、そういう関係性がもっと洗練されたような感じだった。


あれは絶対、ブライアンメイとロジャーテイラーが「自分のファンを増やすため」に作った映画だな。


フレディ、映画の中で3回「パキ」って言われてたな。

自分の心までエグられるような気がしたけれど、とりわけフレディにとってあの言葉は、「相手が自分のことを何も知る気もないくせに、知ったつもりでいるだけの人間であること」が「わかってしまう言葉」だったんだな。


一番よかったのは「えーお」のシーン。

言われた彼氏は自分の結果がどうであれ、きっとあの「えお」だけで生きて行ける気持ちになったと思う。

そして自分がもし同じ立場になったとしても、あの「えお」を思い出せば生きて行けると思う。

いい映画だった。






問題の「No Time For Losers」という歌詞は、映画の字幕では「敗者のことなんて相手にしない」という言葉で訳されていた。

私は「There's no time for losers」の省略だと思ったから「敗者のための時間はない」と訳したけど、この訳し方だと「We have no time for losers」の省略だということになる。

両方成立する読み方だと思います。


で、文脈はどうあれ、それはそれでやっぱりひどい言葉だと私は思う。理由は上の記事に書いた通りです。


それを「敗者なんてどこにもいない。なぜならみんなが勝者だから」みたいな歌詞だと「強弁」することは、「忖度」のしすぎというものだと思います。

だったらそういう英語で書けばいい。

ああいう英語だからトランプが自分のテーマソングにしたりできるのです。


というわけで私が上に書いたこの歌に対する「最低の歌だ」という思いは、映画を見た上でもやはり、変わらないというのが自分の結論です。あんなに立派に生きた人だからこそ、あんな言葉で「自分を奮い立たせる」ようなことはしないでほしかった。他者を否定の対象にすることでしか「自分」を確認できないような言葉には、頼らないでほしかった。という、これは私なりの「愛の貫き方」です。

以上ご報告まで。


あと、「サンシティ」のことを、なかったことにしたらあかん。
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ではまたいずれ。


フレディは1991年に亡くなるその日まで、自分がエイズに感染していたことを公表しなかった。彼はステージの上ではフランボイアント(フランス語。「大胆かつ派手」的な意味)で、ボウイやジャガーにも引けを取らない、火花のようなフロントマンだったにも関わらず、オフステージでは極端なぐらい、プライバシーを公にしない人間だった。けれども彼は私に対しては、1987年にエイズの宣告を受けた直後に、その事実を明かしてくれた。私はその病が、他の多くの友人たちをどんな目に遭わせてきたかを、つぶさに見てきていた。私はフレディの身にそれから何が起こるのかを正確に知っていたし、それは彼も同じだった。彼は死が、苦痛の中での死が迫っていることを、知っていた。けれどもフレディは信じられないぐらい勇敢だった。彼はメディアの前に姿をさらし続け、クイーンとのパフォーマンスを継続し、そして彼がいつでもそうだったように、愉快で、めちゃめちゃで、深い思いやりをそなえた人間であり続けた。

フレディの病状が悪化した80年代後半から90年代初頭にかけて、それはあまりに耐えがたいものとなっていた。エイズによって荒廃させられた世界が、絶対的な形をとって闇から浮かび上がってくるその光景は、私の心を傷つけた。最期には、彼の身体はカポシ肉腫に覆われていた。彼はほとんど視力を失っていた。そして立ちあがることもままならなくなっていた。

本当なら、フレディはその最後の日々を、自分自身の苦しみを楽にしてくれることのためにだけ、使えばよかった。けれども彼はそういう人間ではなかった。彼は本当に、他の人間のために生きていた人間だった。フレディは1991年11月24日にこの世を去り、そしてその葬儀から一週間たっても、私はまだ悲嘆にくれていた。クリスマスの日、そのフレディが私のために、無私の心から遺書を残してくれていたことを初めて知った。私が落ち込んでいると、一人の友人が私を訪れ、枕カバーでくるまれた何かを手渡してくれたのだ。開けてみるとその中身は、私の好きなアーティストの一人であるイギリスの画家の、ヘンリー·スコット·トゥークの絵だった。そしてそこにはフレディの手紙が同封されていた。何年も前、フレディと私は、ドラァグ·クイーンとしての我々の分身のことを、互いに愛称で呼び合っていた。私が「シャロン」で、 彼は「メリーナ」だった。フレディの手紙にはこうあった。「親愛なるシャロン。きっと気に入ってくれると思う。メリーナより愛をこめて。ハッピークリスマス」

私は、打ち負かされてしまった。44歳にもなって、子どもみたいに泣いていた。「美しい人」がそこにいた。その人はエイズのために死にかけていて、そしてその最期の日々に、私のために何とかして素敵なクリスマスプレゼントを見つけてくれようとしていたのだ。フレディのことを考えると、その時のことがいつも、あの悲しさと一緒によみがえってくる。その人がどんな人間だったが、そこに示されているからだ。死に臨んで彼は、私の人生において彼がどんなに特別な存在だったかということを、改めて思い起こさせてくれた。

-2012年に刊行された「愛こそが癒しだ-人生において、喪失において、そしてエイズによる死において-」という本に綴られている、エルトン·ジョンの回想-

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