華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Passion もしくは情熱 (1986. Billy Bragg)



「華氏65度の冬」は、前世紀の終わりに世界にブログというものが生まれてから今までに誰も見たことがなかったタイプの空想絵日記文学作品「ミチコオノ日記」を応援しています。
nagi1995.hatenadiary.com

The Passion

英語原詞はこちら


The fear of a daughter can run high
In the mind of a father to be
For something is growing inside
But we don't talk about it, do we

生まれてくるのが
女の子だったらという恐怖が
父親となる人間の心の中で
膨れあがることがある。
何かが内側で
育ちつつあるから。
でもぼくらはそのことについて
話したりしないよね。


In the long empty passionless night
Many times to herself she had prayed
That the baby will love her much more
Than the big boy who stole her away

情熱なき長い空っぽの夜
彼女は何度も自分のために祈った。
赤ちゃんが私のことを愛してくれますように。
私のことを奪って行った
あのおっきな男の子のことより
私のことを愛してくれますように。


And sometimes it takes a grown man a long time to learn
Just what it would take a child a night to learn

そして子どもが一晩で学んでしまえることを学ぶのに
大の男にはとてつもない時間が
かかってしまうことというのが
時々ある。


It pains her to learn that some things will never be right
If the baby is just someone else to take sides in a fight
Harsh words between bride and groom
The distance is greater each day
He smokes alone in the next room
And she knits her life away

もしも赤ん坊というのが
争いの時にどちらかの肩を持つような
赤の他人でしかないのだとしたら
世の中には永遠に
正しくならないことがらというものがある。
それを思い知らされることで
彼女はさらに傷つく。
花嫁と花婿の間に飛び交う
トゲだらけの言葉。
二人の距離は日増しに
遠ざかってゆく。
彼氏は隣の部屋でひとりで煙草をふかし
そして彼女は編み物の中に
自分の人生をがんじがらめにしてゆく。


And sometimes it takes a grown man a long time to learn
Just what it would take a child a night to learn

そして子どもが一晩で学んでしまえることを学ぶのに
大の男にはとてつもない時間が
かかってしまうことというのが
時々ある。


A long time ago she saw visions on the stairs
And when she felt dizzy her mother was always there
The home help is no help at all I have not committed a crime
Angels gaze down from the wall
Is there a God, Is there a next time

遠い遠い昔
彼女は階段の幻を見ることがあった。
そしてくらくらした時には
いつもお母さんがそばにいてくれたものだった。
ホームヘルパーなんて
何もヘルプにならない。
私は罪なんて犯してないのに。
壁の上から天使たちが見下ろしている。
神さまって
いるんだろうか。
そしてこの次は
あるのだろうか。


The Passion

=翻訳をめぐって=

The fear of a daughter can run high…
直訳は「娘の恐怖は高まることがある」。それが「父親となる人間の心の中で」と続くわけで、1行目からすごく難解な歌詞である。「父親」が「father to be(これから父親になる人)」である以上、この「娘」はまだ「生まれていない娘」だということになる。なぜその「恐怖」が「父親の心の中」で高まるのだろう。男女の産み分けなんてできなかった時代の歌なはずなのに、なぜこの「父親」には産まれてくるのが「娘」であると、分かるのだろう。
「The fear of a daughter 」というのはひょっとして「女の子が生まれることに対する恐怖」ではないかという考えが私に浮かんだのは、一種のひらめきだった。そして、できることならそんなことに「ひらめき」たくはなかった。もしそういう意味なのだとしたら、ビリーブラッグという人は人間の一番醜悪な部分をどれだけあからさまに歌詞の中に組み入れてしまう人なのだろうと思った。
私は「男ばっかりの兄弟」の中で育ったのだったが、一番最初に結婚したのは末の弟だった。その弟に子どもができるらしいということを電話で聞いた時、私は不用意にも本人に向かって「女の子がええな」と言った。
弟は声の調子を変えることもなく「いや、もう検査で男って分かってるねん」と言った。それに対して私は「何や、おもんないな。うっとこ、男ばっかしやんけ」と、さらに口走ってしまった。
一番下の弟は誰よりもそのことを「気にして」育ってきたのではなかったのかということに気がついたのは、電話を切った後だった。自分は「望まれない男の子」だったのではないかとさえ、弟が思ったことがなかったはずはなかった。「なかったか」とかそういうレベルの話ではない。私は、子どもの頃だけど、弟から直接そう言われたことが、確かにあったはずだった。そういうことを全部思い出したのは、「言ってしまった後」だった。
だから、頭ではそのことをずっと私は「分かって」いたはずなのである。それなのに、一番言ってはいけない場面で平気でそういう言葉を言えてしまったのは、やはり「分かっていなかったから」なのだ。
弟とはいえ「他人」だったからである。そして、ずっとそうやって生きていたからである。
その時のことをいつどんな風にして弟に謝ればいいのか、私はまだ分からずにいる。

home help is no help at all…「home help」とは特に「高齢者や病人の介護をする」ホームヘルパーのことだと辞書にはあった。だからこの4番の歌詞に出てくる女性は、前の歌詞に出てくる「花嫁」が年をとった後の姿か、あるいはそのお母さんの現在の姿なのだと考えられる。「花婿」のお母さんであるようには、なぜか感じられない。しかし「なぜか」でしかないから、そうでない可能性も、ないわけではない。「階段の幻」が何を意味していたのかも、分からない。ビリーブラッグも分かってそれを歌詞にしているとは、思えない。

…謎だらけではあるけれど、何かしら心に焼きついて離れない歌なのだった。ではまたいずれ。

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