華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Lithium もしくは深紅の炎色反応 (1991. Nirvana)


炎色反応とは、アルカリ金属アルカリ土類金属、銅などの金属や塩を炎の中に入れると各金属元素特有の色を示す反応のこと。金属の定性分析や、花火の着色に利用されている。炎色反応においてリチウムおよびその化合物は深紅色の炎色を呈する。(Wikipediaより)

尾崎豊司馬遼太郎カート・コバーン。この3人は、いずれも私が10代の頃に、新聞の死亡記事を見て初めてその名を知った人たちである。

尾崎豊のことは、その死亡記事の見出しを見た当初はプロゴルファーの名前だと思っていたし、周りの同世代の人間たちの認識も同じようなものだった。それが、そのニュースをきっかけに一挙に聞く人間が増えた。そしてそれと反比例するように、私は尾崎豊のことを大嫌いになっていった。

「反逆」を「マニュアル化」してくれたやつ。そんな風に見えていたのである。

20年以上たった今では、それほど嫌悪感は抱いていない。むしろ、そんな風に思っていたことを申し訳なかったと思う。今頃になっていろんなことを知るにつけ、尾崎豊はとても「まじめな若者」だったということが、私にも分かってきた。しかしその歌を「カッコつけの材料」にしかしていなかった人間が私の同世代にはものすごく多かったし、そんな連中が中年の手前にまでなっている今、この腐った世の中に対して少しでも真面目に「反逆」を続けているかといえば、そういう気配が全く見られないこともやはり厳然たる事実なのである。

一方、司馬遼太郎に関して言えば、私はそこからたちまち大ファンになった。この作家の手にかかれば、「我々の生きているこの日本という世界」がそのままありえないぐらいに輝いた楽園みたいに思えてくる。立派な人たちが立派なことをして築きあげてきた、世界に誇るべき楽園というやつである。何より、人に本気でそう思わせてしまうだけの圧倒的な文章力を、知識と教養のカタマリみたいなあの作家は、確かに持っていた。

だが、尾崎豊とは正反対に、司馬遼太郎のことは年々キライになるばかりである。作家の文章ではなく自分の目を通して世の中を見るようになってくると、彼の作品というのは結局「勝てば官軍」という陳腐でチープな世界観を、「知識と教養」で飾り立ててそれっぽく見せかけているだけなのではないか、ということがだんだん私にも見えてきたからである。そうなってみると、かつてあれだけ憧れた「文章力」というものも、今では単なる「ペテン師の技術」みたいなものだとしか、私には思えない。そんな「技術」など、ない方がいい。

だから例えば「池上彰のわかりやすさ」的なものに、今の私がダマされることはほぼありえない。そういう「目」を鍛えて養う機会になったという点でだけは、司馬遼太郎に夢中になっていたあの一時期も決して「ムダ」ではなかったのだということで、私はとりあえず自分の心を慰めている。

そしてカート・コバーンに関しては。ごめんなさい。死亡記事を通じて「ニルヴァーナ」というバンド名を初めて知り、ツタヤに借りに行ったまでは良かったものの、当時中学を卒業したばかりの私の耳には、ものすごく「怖い音楽」に聞こえたのです。それで実はそれきり今まで、ほとんどまともに聞き直そうとしたことがなかったのです。そして今回の新たな特集記事は、その事実から始まるのです。


Nirvana Lithium

何の巡り合わせなのか、最近このブログの読者になってくれる方には、ニルヴァーナが好きだという人がすごく多い。私の書いたものをわざわざ読んでくれる人が、同時にニルヴァーナに対して強い思い入れを持っているということは、おそらく何らかの形で「通じるもの」があるということなのだと思う。

にも関わらず、上述のように、今に至るまで私はニルヴァーナの音楽と「ちゃんと」向き合ったことがなかった。だから、そろそろ真剣に聞き直してみなければならないと、しばらく前から思い続けていた。

そんな矢先、とある若い人のブログで「リチウム」という曲の名前を知った。曲の内容についてあれこれ書かれていたわけではなかったが、「曲名の使われ方」がとても印象的な文章だった。それで、その曲から聞いてみることにした。
www.ririkawase.com
聞いてみて「怖い」とは、もう全然思わなかった。せつなくもあり力強くもあり、とてもいい曲だと思った。何よりこの人みたいな「ザラザラした声」が、私は好きだ。

そしてこの「リチウム」を入口に、私は「Never Mind」の全曲を、20数年ぶりに改めて聞き直してみた。そして聞けば聞くほど、曲の内容についてもっと知りたいという気持ちが高まっていった。ただし、2017年の10月が終わろうとしている今現在、私に「分かっていること」は、まだほとんどない。

そんなわけで当ブログはこれからしばらく、ニルヴァーナというバンドと「腰を据えて」向き合うことにしてみたいと思う。当面の目標は「Never Mind」の全訳である。予備知識や先入観を全く持たないところから翻訳を始めるというのは、初めてだ。翻訳が終わる頃には自分の気持ちがどんな風に変わっているだろうか、ということまで含めて、なかなかに、ドキドキする。間違った方向に行きそうになったら、ただしてくれるであろう読者の皆さんが大勢いるということも、強みである。

それでは「出会いの一曲」となった「リチウム」から、始めてゆくことにしたい。



私が英語圏の歌を翻訳する際にいつも参照させてもらっている、Geniusという海外サイトがある。何にたとえて説明すればいいのだろう。「歌詞のWikipedia」みたいなもので、いろんな歌の一言一句に有志の人が「注釈」を書き加えてゆくという趣向で出来上がっているサイトなのである。人気の高い曲にはそれだけいろいろな「注釈」がつくし、昨日まで特集していたビリー・ブラッグの曲などは、ほとんど相手にされていなかったりする。鋭い解釈に対しては他の読者から↑の評価がつけられる一方で、あからさまに間違った解釈に対しては↓の評価がつけられるから、情報の信憑性は極めて高い。何より参考になるのは、英語圏の人たちの曲に対する「感じ方」が、ダイレクトな形で綴られていることである。

「Lithium」という曲名で検索してみると、歌詞が「真っ黒」になっていた。つまり、歌詞の中のすべての語句に対して「注釈」がつけられているということである。「Yeah, yeah」という部分にまで「注釈」がつけられているから、この曲に対して強い思い入れを持っている人がどれだけ沢山いるかということが、改めて伝わってくる。

何の予備知識も持たない曲を翻訳する場合、全くゼロの状態から「自分の感じ方」だけで翻訳を開始するというのもひとつの「見識」ではあると思うが、このブログが目指すところは元々の言語で書かれた歌詞の意味を、足したり引いたりねじ曲げたりすることなく「正確に」日本語に移すことである。ましてアルバムというひとつの「世界」を丸ごと日本語世界に移そうとする以上、その「世界」に対する一定のイメージぐらいは、自分の中になければどうしようもない。だからこの曲の翻訳に際しては、とりあえず「genius」に世界中の人たちが書き込んだ「注釈」を読み込んでみることから始めてみようと私は考えた。

「読み込む」以上は、結局このサイトに英語で書いてあることも「翻訳」する以外にないわけである。そんなわけでこの曲の翻訳に際しては、まず最初に「Genius」に書かれている歌詞についての注釈を翻訳し、内容に関する情報を読者の皆さんと共有した上で、「自分の言葉」での翻訳を試みるという変則的な形をとることにしたい。

言うまでもなく、英語のサイトに書かれている情報だからといって、全部が全部「正確」だとは限らない。特にこの曲を「理解」するためには、曲名にも関係しており、カート·コバーン自身がその症状に苦しめられていたという「双極性障害」への「理解」が欠かせないと思うが、発病経験のない私には、「Genius」の注釈記事を書いた人たちがその気持ちを「分かった」上で書いているのかそうでないのかということが、判断しにくい部分がある。その上での翻訳ということになるので、読者のみなさんにおかれましては、いつにもまして厳密な観点からの批評をよろしくお願いいたします。

というわけで、以下は「Genius」からの注釈記事の翻訳である。(一部、翻訳を省略したり、意訳になっている部分があります)。
www.google.co.jp

I'm so happy cause today
I found my friends
They're in my head




この冒頭の歌詞はわざとあいまいにされている。歌の主人公は、おそらく自分の実人生においてかつて本当の友だちに出会い、その思い出が今も彼を幸せにしてくれているというのが第一の解釈だ。

とはいえ、この曲のタイトルは「リチウム」であり、それが意味するところは幻覚に苦しめられている人に処方される薬の名前である。そこから出てくる第二の解釈はいっそう強烈なものだ。すなわち彼の「友だち」とは、完全に空想上の存在だという解釈である。カート·コベインは、彼の遺書の宛名にしていた「Boddah(彼の幼少時の想像上の友だち)」のことに言及しているのかもしれない。

そしてもうひとつの可能な解釈は、この「友だち」は歌い手自身をさしているというものである。自分が自分自身の唯一の真の友人であることに気づいた時、人は自分を幸福へと導くことができる。エゴイズムに導く場合もありうるが。

…以下、青字はブログ作成者自身の注釈になります。Kurt Cobainという人の名前について、私自身も長いこと「カート·コバーン」で覚えてきたのですが、いろいろな資料によると「コベイン」という発音が「より正確」であるらしいのです。名前は、大事です。特にその名前で呼ばれる本人にとって、一番大切です。私のハンドルネームの「Nagi」は、文字に書いた通りだと国によっては「ラジ」と発音されますが、面と向かって「ラジ」と呼ばれたらやっぱり「ナギ」と「訂正」するはずだと思います。なので、このブログでの表記は、今後「コベイン」に統一することにしました。

I'm so ugly
That's okay cause so are you
We broke our mirrors




このラインはカートの結婚相手、そしてかれらの内面的な美しさに対する言及であるとも考えられる。彼は個人的な問題点を多く抱えていたが、それは彼女も同じだった。それが2人の関係を「OK」にしていたのだと思われる。

“broke our mirrors”というラインには、以下の三通りの解釈がありうる。

  • かれらがあまりに「みにくい」ものだから、鏡が壊れた。(英語の悪口の言い方の例として“I bet when you look in the mirror it shatters”=「賭けてもいいが、お前が鏡を見たら粉々に砕け散るだろう」というのがある)。
  • かれらが自分の姿を鏡で見ることに耐えられなくなって、壊した。(そうでなくても、重症のドラッグ中毒者の家で「鏡」を見ることは稀だという。一般的に中毒患者は、自分の姿を鏡で見ることを嫌うと言われている)。
  • かれらは自分の見た目を気にしないし、気にしたいとも思っていないから、壊した。かれらは「うぬぼれ屋」にはなりたくないのだ。

Sunday morning
Is everyday for all I care




Every day is lazy Sunday…

このフレーズの背景には、日曜日は「聖なる日」であり「神の日」であるというキリスト教世界の常識がある。神への忠誠を明らかにし、規律を守り、親切でよい子にならなければならないというイメージだ。カートはそうした考え方を毛嫌いした上で、「日曜日のイメージ」をからかいの対象にしている。週に1日しか「やさしさ」を示さない宗教や人間というものが、彼は大嫌いだったのだ。(ニルヴァーナの “Ain’t It a Shame” という歌を参照されたい)。

Sunday Morning”は、同時にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストアルバムの一曲目に入っている曲でもある。その曲だけ取り出して聞くと実に甘くてやさしい曲なのだが、アルバム全体を聞き終えた後、我々は “Sunday Morning” の歌い手がいかに憂鬱な気持ちであの歌を歌っていたのかということに、初めて気づかされることになる。

And I'm not scared
Light my candles
In a daze cause I've found God



彼は「お祈りに使う灯明」としてのロウソクに火をつけている。

このラインには、自分の両親が離婚した後のカートの生活が綴られている。自分の母親が暴力的な男とデートしているのを見てしまってからというもの、そして彼が切望していた父親からの保護を受けられないことが分かってからというもの、カートは反抗的な子どもになった。カートの父親は彼を、自分の友人であるジェシー·リードのところに送り、カートは「ボーン·アゲイン·クリスチャン」であるリードの家族と一緒に暮らすことになった。この歌にはカートがそれからどのように自分自身を再発見し、そして自らも敬虔なクリスチャンとなっていったかということが歌われている。「リチウム」は「宗教」のメタファーとして使われているが(「宗教は民衆のアヘンである」という有名な言葉がある)、同時にリチウムは「双極性障害」およびうつ病の治療のために処方される薬品でもある。



この歌を書いた時点では、しかしながらカートはもうキリスト教を信じておらず、仏教とジャイナ教を信仰していた。

…「双極性障害」という言葉にカギカッコをつけた理由について:生まれつきの病気や事故によって、「障害者」という名のもとに生活している人たちは沢山いますが、その人たちにとって自分の症状が生きてゆく上で「障害」になるのは、例えば車椅子で生活している人の場合、例えば街の至る所に段差や階段があるなど、「社会」の側が「障害」を作り出しているからです。言い換えるなら「障害者」を差別し排除した上に成立している社会だから、その中で生きる人にとっては自分の症状が「障害」になるのであり、社会から差別がなくなれば、それは何ら「障害」ではなくなり、ひとつの「個性」と何も変わらないことになるはずです。車椅子「障害者」の友人からそう聞かされて以来、私は「障害」という言葉には必ずカギカッコをつけて考えるようになりました。「双極性障害」という「病名」についても、やはりそれは同じことだと思います。

Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah, yeah, yeah


コーラスの「yeah」に意味を求めても仕方がないが、それ以外の歌詞でも「響きがいいから」というだけの理由で使われている言葉が沢山あると、カートはインタビューで語っている。

I'm so lonely
That's okay


カートは臨床的にはうつ病と診断されていたが、多幸症的でもあった。友だちを求めると同時に、彼自身も幸せな気持ちで、自分の考えの中に癒しを見出していた。

ここに書かれていることは、クリスチャンの家族と暮らしていた時期のこととも関連しているかもしれない。彼はその時、心を打ち明けられる相手もいない環境の中に閉じ込められていた。

I shaved my head



頭を剃るという行為は、あらゆる僧侶が自らの宗教への帰依と献身を示すためにおこなうものである。このラインは、カートが自分の両親の離婚によって受けた心の痛手を乗り越えるため、宗教にいかに多くを求めていたかを示している。彼は献身的に人を愛することができなかった。人々はいつも彼を傷つけてきたからだ。(彼の母親は暴力的な男とデートするようになったし、父親は彼に必要な世話を与えてくれない女性と結婚した)。しかし宗教は彼を傷つけなかったし、彼もそれに従い続けることができた。

And I'm not sad

カート·コベインは「I am happy (幸せだ)」的なポジティブな言葉ではなく、「I’m not sad(悲しくはない)」というネガティブな言葉を選んでいる。リスナーの耳には「sad(悲しい)」という言葉が残ることになり、それが高揚感よりはむしろ沈鬱な印象を与える効果をもたらしている。

おそらく彼は、「悲しくなんかない」と自分自身にウソをついていたのだろう。あるいは、自らの双極性障害のため、自分がいつもうつ状態にあると思っている周りの人間に対し、「今はそうではない」ということをハッキリ伝える必要を感じていたのかもしれない。さらに文字通りに読むなら、彼は極めて「フツーの状態」でこの歌詞を書いただけであり、本当に何の不平不満も持っていなかったという解釈も、可能ではある。

And just maybe
I'm to blame for all I've heard
But I'm not sure


歌い手は、みんなが彼のことを悪く言うのには彼自身に原因があるのかもしれないと考えているが、そのことを疑ってもいる。

彼の頭の中にいるという「友だち」も、おそらくは彼にネガティブなことばかり言うのだろう。そして彼自身も半ばはそれが空想か幻覚であると思いつつ、現実なのかそうでないのかはハッキリ分からないままでいる。

「声」が聞こえたり、「神」を見出したという気持ちになったりするのは、急速な気持ちの変動の症状の中で起こりがちなことである。リチウムは「mood-stabilizer (気分安定剤)」と呼ばれるタイプの薬物で、カートもそうだった「双極性障害」を持つ人に対し、一般的に処方されている。

さらにこのラインからは、宗教的な内容も読み取れる。とりわけ人間の「罪」をクローズアップする傾向を持つ、キリスト教のイメージである。キリスト教は「何もしていない人」に対しても、その「罪」を問う。(すべての人間は「原罪」を背負って生まれているとされており、また心の中で「悪いこと」を考えるだけでもその「罪」は問われるからである)。歌い手は別の箇所では「神を見つけた」とも言っているわけだが、この箇所では自分に押しつけられてきた宗教の教義に対し、明らかに疑問を抱いている。

I'm so excited
I can't wait to meet you there
But I don't care


コベインは「双極性障害」の症状について語っている。その際には、あることが楽しいことであるという感覚と不愉快であるという感覚が同時に襲ってくる。かれは実際にその相手に会いたいと思ってはいるものの、同時にその相手と関わりを持ちたくないとも考えている。この歌の以下の部分の歌詞は、そうした症状の意識的な描写である。

I'm so horny
But that's okay, my will is good


双極性障害」の症状に悩まされている人の中には、「ハイパーセクシュアリティ」を持つ人も多い。カート自身も、自分がその兆候を持っていることを感じていた。
(「ハイパーセクシュアリティ」とは「性欲が通常になく亢進した状態」を意味する医学用語)

I like it I'm not gonna crack
I miss you, I'm not gonna crack
I love you, I'm not gonna crack
I killed you, I'm not gonna crack
I like it I'm not gonna crack
I miss you, I'm not gonna crack
I love you, I'm not gonna crack
I killed you, I'm not gonna crack


カート·コベインの伝記作家のマイケル·アゼラードによると、この歌はあるガールフレンドの死による心の痛手と自らの自殺衝動を克服するために、宗教に関心を向けている1人の男性の歌なのだという。「気分安定剤」としてしばしば処方されるリチウムもまた、心の痛みを和らげ、「crack=崩壊」から彼を守るものとして、宗教と同様の「はたらき」をしている。このリフレインの歌詞には、自分の精神が「崩壊」することへの不安が率直に歌われている。

…以上のことを踏まえた上で、下に紹介するのが今回私の作った「Lithium」の試訳である。

Lithium

英語原詞はこちら


I'm so happy, 'cause today I've found my friends
They're in my head
I'm so ugly, that's okay, 'cause so are you

おれはとっても幸せだ。
今日は友だちに出会うことができたから。
みんなおれの頭の中にいる。
おれはとってもみにくい。
でもそれはおまえも一緒だから
そんなことは全然OKだ。


We've broke our mirrors
Sunday morning, is every day for all I care
And I'm not scared
Light my candles, in a daze, 'cause I've found God

おれたちは鏡を壊した。
日曜日の朝のこと。
いくら気にしたって
どうせ毎日が日曜日の朝なんだ。
そしておれはびびってない。
まどろみの中で
祭壇のロウソクに火をつけよう。
おれは神と出会ったんだから。


Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah


I'm so lonely, that's okay, I shaved my head
And I'm not sad
And just maybe I'm to blame for all I've heard
But I'm not sure
I'm so excited, I can't wait to meet you there
But I don't care
I'm so horny, that's okay, my will is good

おれはとってもさびしい。
とはいえどうってこともない。
おれは頭を丸めた。
そしておれは悲しくはない。
聞いたところによれば
やっぱりおれのせいなんだろうと思う。
けれどそれもハッキリしない。
おれはとっても興奮してる。
あそこでおまえに会うのが待ちきれない。
でも、どうでもいい気もする。
おれはとっても性的に興奮してムラムラして動物の角のように硬くなった状態です。
でも、気にしない。
わたしの心は善良なのです。


Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah


I like it, I'm not gonna crack
I miss you, I'm not gonna crack
I love you, I'm not gonna crack
I killed you, I'm not gonna crack
I like it, I'm not gonna crack
I miss you, I'm not gonna crack
I love you, I'm not gonna crack
I killed you, I'm not gonna crack

わたしはそれが好きです。
おれはつぶれたりしない。
あなたが恋しいです。
おれはつぶれたりしない。
あなたを愛しています。
おれはつぶれたりしない。
あなたを殺しました。
おれはつぶれたりしない。
わたしはそれが好きです。
おれはつぶれたりしない。
あなたが恋しいです。
おれはつぶれたりしない。
あなたを愛しています。
おれはつぶれたりしない。
あなたを殺しました。
おれはつぶれたりしない。


I'm so happy, 'cause today I've found my friends
They're in my head
I'm so ugly, that's okay, 'cause so are you

おれはとっても幸せだ。
今日は友だちに出会うことができたから。
みんなおれの頭の中にいる。
おれはとってもみにくい。
でもそれはおまえも一緒だから
そんなことは全然OKだ。


We've broke our mirrors
Sunday morning, is every day for all I care
And I'm not scared
Light my candles, in a daze, 'cause I've found God

おれたちは鏡を壊した。
日曜日の朝のこと。
いくら気にしたって
どうせ毎日が日曜日の朝なんだ。
そしておれはびびってない。
まどろみの中で
祭壇のロウソクに火をつけよう。
おれは神と出会ったんだから。


Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah, yeah
Yeah


I like it, I'm not gonna crack
I miss you, I'm not gonna crack
I love you, I'm not gonna crack
I killed you, I'm not gonna crack
I like it, I'm not gonna crack
I miss you, I'm not gonna crack
I love you, I'm not gonna crack
I killed you, I'm not gonna crack

わたしはそれが好きです。
おれはつぶれたりしない。
あなたが恋しいです。
おれはつぶれたりしない。
あなたを愛しています。
おれはつぶれたりしない。
あなたを殺しました。
おれはつぶれたりしない。
わたしはそれが好きです。
おれはつぶれたりしない。
あなたが恋しいです。
おれはつぶれたりしない。
あなたを愛しています。
おれはつぶれたりしない。
あなたを殺しました。
おれはつぶれたりしない。

=翻訳をめぐって=

  • that's okay…「全然OK」みたいな「全然+肯定文」は日本語の使い方として間違っていると言われて久しいですが、21世紀の今日では「文句をつける方がおかしい」と私は感じています。第一「全然」ってそもそも日本語なのか。中国語ではなかったのか。
  • just maybe I'm to blame for all I've heard…この部分の意味が、一番あいまいで分かりにくかった。「for all」という表現がこの歌には2回出てくるが、この熟語には「①〜にも関わらず」「②〜(が大したものでないことを)考慮して(みると)」という二通りの意味がある。ここでは一回目の「for all」を①の意味で、二回目を②の意味で解釈している。
  • I'm not gonna crack…crackという言葉にはスラングで「コカイン」という意味があり、「コカインはやめる」「麻薬とは手を切る」という文脈で翻訳している例が、複数の洋楽和訳サイトで散見される。だが文法的に考えて、gonna (be going to)という言葉の後に来るのは必ず「動詞」である。英語話者の耳にはやはり「砕ける」「パチンと割れる」といった「動詞としての意味」で頭に入ってくる言葉のはずであり、「コカイン」を連想させる幅はあっても、この歌詞においてそのイメージはかなり「薄い」のではないかと思う。(適切な例えかどうか自信が持てないが、例えば「いまや苦しまなくていい」という文字列には「麻薬」という言葉が隠されている。て言っか、私が隠した。しかしこの文字列からわざわざ「麻薬」という言葉を「発見」しようとする人は、その時点でかなり「偏った読み方」をしていると言えないだろうか)。ちなみにこの歌について「解説」している海外サイトの文章の中で、「コカインのイメージ」に言及しているものはひとつも見つけることができなかった。


アンジー ミミズ


theピーズ yeah

…この曲から、妙に連想がつながった二曲。言っとくけど両方とも「リチウム」より「先にできた曲」であるはずです。このペースでやって行くと、かなり時間がかかることになりそうですね。ではまたいずれ。

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Lithium

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