華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

東北偏北 もしくはとんぺいベイべー (2000. 汪峰)

东北偏北

北京語原詞はこちら


Suǒyǒu de shì dōu méishénme qíguài de
所有的事都没什么奇怪的
jiù xiàng zhè'er de tiānkōng hé dàdì
就像这儿的天空和大地
cóng zhèlǐ yīzhí zǒu dào yǒnghéng
从这里一直走到永恒
bùguò shì yīdiǎn bēi'āi hé kuángxǐ
不过是一点悲哀和狂喜
suǒyǒu de shì er dōu nàme jiǎndān
所有的事儿都那么简单
jiù xiàng háizimen wán de yóuxì
就像孩子们玩的游戏
bù xūyào wèishéme kūqì
不需要为什么哭泣
nǐ zuìzhōng huì gǎn'ēn ér qù
你最终会感恩而去
yí ya
咦呀
dōngběi piān běi
东北偏北

この世のすべてのことは
不思議でも何でもない。
大空があり大地がある。
それと同じことだ。
この場所から永遠に向かって
まっすぐ突き進むこと。
それは少しばかり悲しくて
少しばかり興奮に満ちているけど
ただそれだけのことにすぎない。
この世のすべてのことは
こんなにも簡単だ。
子どもたちが遊んでいる。
それと同じようなこと。
泣くことはない。
どうして泣くんだ。
おまえも最後には
感謝して旅立つことができるだろう。
Yeah
北東やや北寄りのその地に向かって。


kāishǐ de zài jiéshù de shíhòu kāishǐ
开始的在结束的时候开始
jiéshù zài kāishǐ de shíhòu jiù yǐ jiéshù
结束在开始的时候就已结束
yīqiè zhǐshì yīchǎng shíjiān yóuxì
一切只是一场时间游戏
jiù xiàng wǒ hé nǐ bù huì yǒu shé me jiéjú
就像我和你不会有什么结局
wǒ bǎ línghún hái gěi zhège shìjiè
我把灵魂还给这个世界
gàosù tā xiànzài wǒ yǐ bù xūyàole
告诉她现在我已不需要了
zhōuwéi zhèngzài jiànjiàn ránshāo
周围正在渐渐燃烧
wǒ gǎnjué wǒ zhèng fēi xiàng kuángxǐ zhī dì
我感觉我正飞向狂喜之地
yí ya
咦呀
dōngběi piān běi
东北偏北

始まるときは
終わった瞬間から始まり
終わりはといえば
始まった瞬間には
すでに終わっている。
すべてはただこれ
時間のゲームにすぎない。
どんな結末にもたどりつけずにいる
おれとおまえと同じことだ。
おれは自分の魂を
この世界に返そうと思う。
彼女に伝えておいてくれ。
おれにはもう要らないんだ。
周りはだんだん
炎に包まれてきている。
エクスタシーの地に向かって
飛んで行くような気持ちだ。
Yeah
北東やや北寄りのその場所に向かって。


アルバム「花火」より汪峰「東北偏北」

=翻訳をめぐって=

昨日翻訳したニルヴァーナの「Lithium」を初めて聞いた時に、最初に思ったのが「この曲に似てる」ということだった。「Lithium」が91年。「東北偏北」が2000年。何らかの影響は受けているのかもしれないけれど、パクリだとまでは思わない。「Lithium」を聞いた後に改めて聞き直しても、やはり汪峰にしか書けない曲だと思うし、汪峰しか書かないような歌詞だと思う。

中国ロックのゴッドファーザーズの1人である汪峰(ワン·フォン)は、何せ天安門事件の直後の時代、「危険な音楽」を聞いていることが周囲に知れたらたちまち公安の監視対象になったような時期からロックンロールを続けてきた、筋金入りのロッカーである。他にいくらでもある「モテるための手段のひとつ」としてギターに手を出せる環境で育ってきた人間たちとは、気合の入り方が違っている。

そのためなのかどうなのか、たとえばニルヴァーナの「Lithium」は聞き手に曲の解釈を「丸投げ」している感じがある一方で、汪峰は常に「自分自身のメッセージ」と言うべきものを持っており、それを他者に明確に伝えるために歌っている、という印象を受ける。やや乱暴に要約すると、他者から「わかってもらう」ために歌っているのか、それとも他者に「わからせるため」に歌っているのか、と言っていいような違いである。どっちがいいかといったようなことは私には言えないし、どっちが好きかという「私自身の判断」さえ、簡単には下せない気がする。その人が生きてきた歴史や環境の中で、この人には必然的にそういう風に表現しなければならない理由があったのだ、と感じられる楽曲に対しては、何であれ真剣に耳を傾けなければならないと思う。私の判断基準はそれだけである。

「東北偏北」とは何を意味する言葉なのか。中国の地図を見た時のイメージからして、私は北京の街のことをそういう言葉で表現したのではないかと何となく思っている。汪峰は「20世紀から21世紀にかけての北京という街」を人格的に象徴しているような雰囲気を持った歌手である。香港のことを知りたければBeyondを聞けばいいし、北京のことを知りたければ汪峰を聞けばいい、と、人に中国のロックを紹介する時には、言うようにしている。

ただし私自身は、どちらの街にも行ったことがない。付け加えて言うなら、この島国から出たことは、一回だけ玄界灘を渡ってその対岸の街まで行った経験を除き、今まで一度もない。

以下は、内容をめぐって。

  • 「狂喜(=興奮して大喜びすること/エクスタシー)」は、必ずしも「狂」という文字が使われねばならない必然性を持たない言葉だが、「狂」という字は「精神病者」を差別するために「のみ」存在している文字であり、それが使われている言葉がことごとく差別的な言葉であるということに、例外はない。ここでは原歌詞をそのまま転載しています。
  • 告诉她现在我已不需要了…この歌詞は、自分の魂のことを「もう要らない」と言っているのか、彼女のことを「もう要らない」と言っているのか、私には判断できない。あるいは、どっちとも読めるように書いてあるのかもしれない。しかしそうだとするなら、かりそめにも自分の彼女だった人に向かって「已不需要了=もう要らない」というのは、ちょっとあんまりな言い方なんではないかと私は思う。

ではまたいずれ。ニルヴァーナ特集に戻ります。

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東北偏北

東北偏北

  • 汪峰
  • マンドポップ
  • ¥250
…「マンドポップ」などという言葉を初めて聞いたので一瞬考えてしまったのだけど、中国語の北京方言を英語で表現する時には「Mandarin」という言葉が使われることがあるのね。これはアヘン戦争の時代にイギリスの外交官と交渉にあたった清朝の役人が「満大人=マンダーレン」と呼ばれてたことから来てるらしいのね。それで「マンダリンのポップス」という意味のことが言われてるのだということまでは想像できたのだけど…

iTunesの担当の人。あんた絶対「マンドリン」と勘違いしたまま書いてるでしょ。広東ポップと区別する必要があるなら「北京語ポップ」と書けばよっぽど分かりやすいのに、そんなことをあえてするのは、中国のロックなんて一度も聞いたことのない人が営業担当やってるんだとしか思えない。

むかが、つく。改めましてまたいずれ。