華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Heart-Shaped Box もしくはファジィな痛み (1993. Nirvana)



ニルヴァーナ特集をやるのならこの曲を翻訳してほしい」とリクエストを寄せてきたのは、このところ私とツルんでいる正統派青春叙情創作絵日記ブログ文学作品「ミチコオノ日記」の作者の人だった。上の女性キャラクターは「コバイン加代子先生」という名前で、ミチコさんの通う中学校で英語を教えているという設定であるそうだ。私が今回ニルヴァーナ特集を企画したのは、そうしたニルヴァーナ-カート·コベインへの深い思い入れの上に成立している「ミチコオノ日記」の作品世界を、より深く知りたいという理由からでもあった。

とはいえ翻訳してみての感想は、かりそめにも中学3年生の少女が絵日記を公開しているというテイでブログをやっている人がリクエストしてくる曲としては、少々歌詞の内容がえぐすぎるのではないかというものだった。別にけなしたり批判したりするつもりは、全然ないのですけれどもね。


Heart-Shaped Box

Heart-Shaped Box

英語原詞はこちら


She eyes me like a Pisces when I am weak
I've been locked inside your Heart-Shaped box for weeks
I've been drawn into your magnet tar pit trap
I wish I could eat your Cancer when you turn black

おれが弱気になってると
うお座の片割れの魚みたいに
あいつが視線を送ってくる。
おれはもう何週間も
ハートの形をしたおまえの箱の中に
閉じ込められたままだ。
天然アスファルトがぽこぽこ湧きだす
底なし沼みたいな磁力を持った
おまえの罠の中で
ずっともがき続けている。
おまえが真っ黒になってしまうようなことがあったなら
おれはおまえのキャンサー (癌/かに座)
食ってしまってやりたいよ。


Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Your advice

おい。待て。
またちょっと言いたいことがあるぞ。
おまえの無償のアドバイスには
一生かかってもお返しできないよ。
おい。待て。
またちょっと言いたいことがあるぞ。
おまえの無償のアドバイス
返せない借金みたいにおれを縛るのだよ。
おい。待て。
またちょっと言いたいことがあるぞ。
おまえの無償のアドバイスのおかげで
おれは一生借金奴隷でいなくちゃいけないのかよ。
おまえのアドバイスってのは全く…


Meat-eating orchids forgive no one just yet
Cut myself on angel's hair and baby's breath
Broken hymen of your highness I'm left black
Throw down your umbilical noose so I can climb right back

肉食の蘭ってやつは
簡単には人を許しちゃくれない。
天使の髪の毛と赤ん坊の吐息の上で
自分自身を切り刻むとしよう。
女王殿下の破れた処女膜
そこに私は真っ黒になって取り残されております。
おまえの子宮から出ているへその緒を
首吊り結びにしてこっちに下ろしてくれないか。
それにぶら下がって
おまえの中に戻って行くからよ。


Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Your advice

おい。待て。
またちょっと言いたいことがあるぞ。
おまえの無償のアドバイスには
一生かかってもお返しできないよ。
おい。待て。
またちょっと言いたいことがあるぞ。
おまえの無償のアドバイス
返せない借金みたいにおれを縛るのだよ。
おい。待て。
またちょっと言いたいことがあるぞ。
おまえの無償のアドバイスのおかげで
おれは一生借金奴隷でいなくちゃいけないのかよ。
おまえのアドバイスってのは全く…


She eyes me like a Pisces when I am weak
I've been locked inside your Heart-Shaped box for weeks
I've been drawn into your magnet tar pit trap
I wish I could eat your Cancer when you turn back


Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Hey! Wait!
I've got a new complaint
Forever in debt to your priceless advice
Your advice
Your advice
Your advice

=翻訳をめぐって=

ニルヴァーナの歌詞の解釈をめぐってネット上に飛び交っている情報の量というものは、私がこれまで中心的に翻訳してきた60〜70年代の楽曲とは、ケタが違っている。YouTubeでの再生回数も、ザ・バンドやドアーズの曲がいいとこ数百万回であるのに対し、ニルヴァーナの楽曲は軒並み数億回である。カート・コベインが自ら命を絶ったのはWindows95が発売される前年だったわけだが、ニルヴァーナというバンドの存在はネット世代の人たちにとって、それだけ距離感が近いということなのだと思う。タッチの差でポケベル世代に生まれてしまった私のような年齢の人間は、その感覚にまっすぐ入って行けないものがあるのを、どこか歯がゆく感じる一方で、その世代の人たちとの距離感を、妙に気持ちよく感じる時もある。

何しろそんなわけで、この曲の翻訳に際しては、それに必要な情報の取捨選択に大変なエネルギーを使わねばならなかった。できることならザ・バンドやドアーズの楽曲で、そういうゼイタクな悩み方をしてみたいものである。

She eyes me like a Pisces when I am weak

…「Pisces」は「うお座」で、「彼女はうお座のようにこちらをじろじろ見る」とだけ翻訳しても何も間違いはないのだけど、そこに込められていると思しき情報量が膨大なので、いくらかは海外サイトに書かれていた解釈を、紹介しておかねばならないと思う。

まず、うお座の人の性格というのは、「過度にロマンチックで思い込みが激しい」みたいな感じで形容されることが多い。私はそういうのって偏見ではないかと思うのだけど、歌詞を書いたのはカートなのだから、彼はそう思ってたんだろうと思うしかない。だから、「彼女」からそういう目で自分が見られていることへの、うっとおしさや居心地の悪さがこの最初の歌詞にはまず綴られていると解釈して、たぶん間違いない。

ところが話をややこしくすることとして、カート・コベイン自身も、うお座の人だったらしいのである。そして占星術におけるうお座のイメージというのは、2匹の魚がお互いを見つめあっている構図で描かれている。



つまりカートは、自分に過剰な思い入れを寄せてくる彼女の存在を暑苦しいと感じているその一方で、彼女のことを「自分の分身」であるとも感じているということなのである。ことらしいのである。だからこの最初の歌詞はそういう「彼女」に対する、カートのものすごく屈折した「I love you」の表現なのだと解釈することができる。

…こんなめんどくさい歌は、初めてだ。

I've been locked inside your Heart-Shaped box

身もフタもない話をするしかないのだけれど、歌に出てくるその「彼女」本人であるところのコートニー・ラブ(カートの結婚相手)は、2012年のローリングストーン誌の記事によるならば、「Heart-Shaped boxは私のバギナのことを歌った歌です」と発言しているらしい。「ヴァ」と表記しなかったのは私の最大限の照れ隠しなのだけど、本人がそう言うてはる以上は、そのまま紹介するしかない。



つまり「Heart-Shaped box(ハートの形をした箱)」というこの歌は、自分がつきあっている女性の肉体をそういう「牢獄」に例えて、その中に閉じ込められている「苦痛」と「しかしまんざら悪くもない感じ」をアンビバレントに表現した両義的な歌なのであると、これまた解釈することが可能になる。

…つくづく、こんなにやりにくい歌は初めてだ。なお、この歌の元々のタイトルは「Heart-Shaped coffin(ハートの形をした棺桶)」になっていたらしい。

I've been drawn into your magnet tar pit trap

…「tar pit」を辞書で引いてみると「タール坑」と書いてある。何のことかよく分からないので画像検索してみると、「天然のアスファルトがぽこぽこ噴出している穴」のことを言うのだということが分かった。日本では秋田県とかに小規模なものが存在しているらしいけど、アメリカみたいに広大なところでは、もっと身近にそういうものが見つかるのだろう。たぶん。



天然アスファルトは人類が初めて発見した接着剤であるとも言われており、縄文時代の矢じりなどにはこの天然アスファルトが付着したものが発見されることがある。動物などがうっかりこうした「穴」に足を踏み入れてしまうと、強力な粘着力で抜けなくなってしまい、ほぼ100%、そこで死んでしまうのだそうである。恐竜の化石などにも、そういう状態で発見されるものが多い。




つまりこの歌詞は、「おまえのカラダはそれぐらい強力におれのことを吸い込んで離さないんだベイべー」的なことを歌っているのだと解釈できる。

勝手にしてほしいと思う。

I wish I could eat your Cancer when you turn black

…とても分かりにくい歌詞なのだが、「Cancer」には「かに座」という意味と同時に「癌」という意味がある。ギリシャ時代の人が、ガンで亡くなった人の体を解剖してみたところ、内蔵が「蟹の甲羅」みたいになっていたことから、ガンのことを「cancer」とよぶようになったのだと辞書にはあった。こういう話は、あまりに生々しいので、ちょっと辛い。

カート自身は、この歌はテレビで小児ガンに苦しむ子どもたちのドキュメンタリーを見てとても心が痛んだことがきっかけとなり、できた歌だと発言しているらしい。それでできたのがこんな歌かよと少し思うが、100%出まかせというわけでもないと思う。海外サイトではこの歌詞の紹介と合わせ、その小児ガンの子どもたちの救済を呼びかけるキャンペーンに使われていたと思われるこんな画像が掲載されていた。



女の子が口にしている「I don't wanna turn black」は、「黒くなるのはイヤだよ」という意味である。歌詞の中の「when you turn black(おまえが黒くなったら)」という言葉に対応している。私も何となく聞いたことはあるけれど、末期ガンで苦しんでいる人には、体の皮膚が黒っぽく変色してくるということが、実際に起こるらしい。ただ、実際のところどうなのだろうと思って調べてみたところ、亡くなる直前の小林麻央さんの画像をあげつらって「あの顔はもう長くない」だの何だのと好き勝手なことを言っているカスみたいなネット記事ばかり出てきたので、私は気分が悪くなった。重度のガンにかかった人の顔が黒ずんでくるということは、実際に起こることではあるらしいが、それがガンの症状なのか抗癌剤の副作用なのかということも、現時点ではハッキリしていないらしい。そしてそうなる人もいるし、ならない人もいる。何より大切なのは、そんなハッキリしない聞きかじりの風説に乗っかって、実際にガンで苦しんでいる人の顔をああだこうだと「評論」の対象にするようなことが、どれだけ人の道に反することかということをわきまえておくことだろう。

いずれにしてもこの歌に2回出てくる「black」という言葉が、「ガン」からの連想であることは、間違いないと思われる。また「黒くなる」という言葉それ自体は、「絶望で何も見えなくなる」「自分の存在が消えてしまう」等々、いろんなイメージと結びついた歌詞でもあると思う。「おまえのガンを食べてやりたい」というのは、三木道三の歌詞に出てくる「俺が最後まで介護するで心配ないぞ」的な、ある意味で最大級の愛情表現であると解釈することが可能だろう。

そしてどうして唐突に「ガン」が出てきたのかといえば、おそらくコートニーさんが「かに座」だったことからの連想なのだと思う。そしてコートニーさんの中の「かに座性」を喰らい尽くして「うお座の自分」と完全に一体化させてやりたいといったような、すさまじくややこしい内容の欲望が同時にここには表現されているのだとも、読める。

ただしコートニーさんが実際にかに座なのかということまでは、私は確かめていない。一回ググればいいだけの話ではあるけれど、何となくそこまでしたいという気持ちになれない。

Hey! Wait!
I've got a new complaint

生前のカート・コベインという人は、いつもcomplaint(不平不満)を口にしている人間だというイメージを、マスコミから作りあげられていたらしい。そのこと自体への「不平不満」を、カートは繰り返し発言している。そしてこの歌詞自体は、そうした自分のパブリックイメージを踏まえた上での、カートによるこれまた屈折した「ファンサービス」であると、英語圏の人たちには受け止められているらしい。本当に、何から何まで屈折している。何かだんだん好きになってきたな。この人。

Forever in debt to your priceless advice

…この部分の解釈については論争になる余地があると思われるので、私が上のように翻訳した根拠を書いておきたい。

この歌詞自体には主語が存在していないけど、「I'm forever in debt to your priceless advice(おれはおまえの無償のアドバイスに対して永遠に借りがある)」というのは、生前のカートが繰り返しコートニーさんに対して口にしていた言葉だったと伝えられている。問題はその言葉が、この歌の中では「どういう気持ちで」繰り返されているのかということである。

日本語という言語の特徴として、「主観表現と客観表現を厳密に区別する言語である」ということが挙げられる。具体的に言うと、「彼女は君を愛してる」という客観的な言い方と、「彼女は君を愛してるんだ」という主観の入った言い方とは、日本語では「違う意味を持った言葉」として受け止められるということだ。しかし英語や中国語ではどちらも「She loves you」もしくは「她愛你」であり、主観表現と客観表現を区別しなければならない必要性は、「I think / 我想」みたいな前置きが加えられる場合を別にすれば、特に意識されていない。

つまり、日本語話者が無意識のうちに言い方をいろいろ工夫して表現される「主観の部分」が、英語や中国語では往々にして「表現されない場合がある」ということなのである。「I'm forever in debt to your priceless advice(おれはおまえの無償のアドバイスに対して永遠に借りがある)」というのは、日本語に翻訳された言葉としては、単なる「客観表現」なのだ。言葉の上ではカートはそういう「事実」をコートニーさんもしくは我々に提示しているだけで、それを有難いと思っているのか忌々しいと思っているのかは、言葉としては表現されていない。

でもカートはそれを絶対「どっちか」の意味で言っているのである。我々自身が人にそういうことを言う時の気持ちを想像すれば、そのことは明らかだと思う。

おまえの無償のアドバイスには一生かかってもお返しできないよ」という文脈で理解するならば、カートはその「無償のアドバイス」を「有難い」と思っていることになる。「おまえの無償のアドバイスが返せない借金みたいにおれを縛るのだよ」という文脈で理解するならば、逆にカートはむかついていることになる。どっちなのだ、というのがここでの問題である。

それで私がこの歌詞と長いことにらめっこして出した結論は「どっちも」なのだろうということだった。屈折してるもん。この歌。

文脈から判断するならば、「Forever in debt to your priceless advice」は「complaint(不平不満)」の一部だと解釈するのが自然だから、カートが単に「感謝の言葉」を口にしているわけではないということは、誰しも考えることだと思う。しかしカートという人にとっては、「不平不満」を口にすることも「愛情表現」のひとつだったと考えるしかないような部分が、歌詞の端々に散見されるのだ。だからこのサビの歌詞も「両義的」に解釈するしかないだろうと、私は最終的に判断した。

そんなわけで、英語だと「同じ言葉」で書かれているこの部分の歌詞が、私の翻訳では「三段階の違った表現」になっている。「客観表現」をそのまま翻訳するだけでは、「生きた日本語」にならないからである。ただしこの解釈は、他の対訳サイトで公開されているようなものとは、かなり違う。異論反論などもしあれば、どしどしお寄せ頂ければと思います。

…でもってまだ2番の歌詞があるのか。本当に、こんな手のかかる歌は初めてだ。

Meat-eating orchids forgive no one just yet

…「Meat-eating orchids(肉食の蘭)」=Vaginaだ。それでもう、いいじゃないかと思ったが、英語圏の人が聞くと、この部分は「Meat-eating or kids(肉を食べるということ、もしくは子どもたち)」とも聞こえるらしい。それもあってか、この歌の「隠されたテーマ」には「子どもたち」が存在しているのではないかという論評が、海外サイトにはいろいろ書かれていた。確かに「赤ん坊」という言葉も出てくるし、小児ガンの子どもたちに対するカートの言及もある。重要なのはこの歌詞の響きから、英語圏の人たちには「子どもたち」の姿が自然とイメージされるという事実だろう。しかし、何かもう、Vaginaでいいじゃないかという気が、私はする。

Cut myself on angel's hair and baby's breath

…赤ちゃんが出てくる場所の周辺に生えている、天使の髪の毛に顔をくっつけて、自傷行為でもしてみようか、という叙情的な歌詞なのであろう。要するにVaginaだ。本当に「一応」ではあるけれど、「baby's breath」には「カスミ草」という意味もあることを、付記しておく。

…しばらく前から私の頭の中には、このどうしようもない動画の4:15ぐらいから始まるどうしようもない歌が、頭を周り出して収集がつかなくなっている。誰か何とかしてほしい。


ビッグポルノ Bug It Now

Broken hymen of your highness I'm left black

パタリロの周辺の人々が彼を呼ぶ時の「殿下」という言葉の英訳が「your highness」である。むしろ「your highness」の日本語訳が「殿下」であると言うべきか。ここではカート自身が「黒く」なっている。

Throw down your umbilical noose so I can climb right back

…最後の最後になって、とんでもない歌詞が出てきたものだ。こんな言葉を突きつけられてみると、カートという人が死にたかったのか生きたかったのかそれとも生まれ直したかったのかはたまたカートという人の中でそれらが全部「同じこと」を意味していたのか、言葉でそれをあれこれ論評することの限界を感じさせられてしまう。

新世紀エヴァンゲリオン」で「Umbilical cable」という概念が登場するのは、調べ直してみるとこの歌が発表された2年後のことである。言葉自体は英語では一般名詞として使われている言葉らしいが、アニメの設定としては、この歌から何らかの影響を受けていたのかもしれないなということを、ちょっと思った。



…とにかく、えらいバンドの特集に手を出してしまったかもしれないと、私は少しだけ後悔している。


Fuzzy Pain

今回のサブタイトルを「ファジィな痛み」にしたのは、「Heart-Shaped Box」という曲名から、この歌が入っているサイズのベストアルバムのジャケットが何となく連想されたからだった。「Heart-Shaped Box」を聞いてみたら、全っ然違う曲だったのだけどね。



この歌の最後の歌詞は、大好きだ。「そうなの / そしてそうじゃないの」というのは言っちゃあまあ、平凡な歌詞だと思うけど、「違うの / 別に違わないの」というのは、とてつもなく非凡な歌詞だと思う。

ではまたいずれ。

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