華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

In Bloom もしくは花ざかりの僕たちは (1991. Nirvana)

In Bloom

英語原詞はこちら


Sell the kids for food
Weather changes moods
Spring is here again
Reproductive glands

子どもたちなんて売ってしまえ。
食べもののためだ。
暮らしやすい季節になれば
気持ちだって変わるさ。
春がまた
やってきた。
再生もしくは繁殖もしくは生殖
のために必要なものを分泌する
と呼ばれる器官であるところの
精巣および卵巣

植物で言えば花々。


Hey - he's the one
Who likes all our pretty songs
And he likes to sing along
And he likes to shoot his gun
But he knows not what it means
Knows not what it means, when I say:

そいつはおれたちのステキな歌を
全部好きだと称するやつで
一緒に歌うのも大好きで
かつ鉄砲を撃ちまくるのも大好きで
けれど歌の意味は
何も分かっちゃいない。
おれが言うことの意味なんて
何も分かっちゃいない。


He's the one
Who likes all our pretty songs
And he likes to sing along
And he likes to shoot his gun
But he knows not what it means
Knows not what it means when I say ah...

そいつはおれたちのステキな歌を
全部好きだと称するやつで
一緒に歌うのも大好きで
かつ鉄砲を撃ちまくるのも大好きで
けれど歌の意味は
何も分かっちゃいない。
おれが言うことの意味なんて
何も分かっちゃいない。


We can have some more
ー nature is a whore
Bruises on the fruit
ー tender age in bloom

「ほしけりゃまだ
好きなだけ手に入るぜ」
「自然なんて
カネで買える女みたいなもんだ」
果実の上に
ひろがる傷み。
花ざかりの
感じやすい年頃。


Hey - he's the one
Who likes all our pretty songs
And he likes to sing along
And he likes to shoot his gun
But he knows not what it means
Knows not what it means, when I say:

そいつはおれたちのステキな歌を
全部好きだと称するやつで
一緒に歌うのも大好きで
かつ鉄砲を撃ちまくるのも大好きで
けれど歌の意味は
何も分かっちゃいない。
おれが言うことの意味なんて
何も分かっちゃいない。


He's the one
Who likes all our pretty songs
And he likes to sing along
And he likes to shoot his gun
But he knows not what it means
Knows not what it means when I say ah...

そいつはおれたちのステキな歌を
全部好きだと称するやつで
一緒に歌うのも大好きで
かつ鉄砲を撃ちまくるのも大好きで
けれど歌の意味は
何も分かっちゃいない。
おれが言うことの意味なんて
何も分かっちゃいない。


In Bloom

現在進行中のニルヴァーナ特集は、うろ覚えで聞いたことのあった「Smells like teen spirit」を含め、全部を初めて聞いたその第一印象で翻訳しているから、やっていてとても新鮮に感じる。今回のジャケ写がマイルスなのは、バンドメンバーの3人がみんな目隠しをして手探りで音を探しているような感じのこの曲のイントロに、何となく「カインド·オブ·ブルー」に入っているこの曲を連想させられたからである。


All Blues

今回この曲を、歌詞を見ながら聞いてみたことで、私はニルヴァーナというバンドと、カート·コベインという人のことを、いよいよ好きになってきた。

サビのコーラスの中のAnd he likes to shoot his gunという部分について、他の和訳サイトにはトンチンカンな解釈が並んでいたが、どうして誰も分からないのだろうかと思った。

カートという人は、人を殺す道具である銃というものをオモチャみたいに人に向けて喜ぶことのできるような人間たちが、自分たちの音楽を好きであると称したりまして自分たちの音楽を声を出して歌ったりすることに、ガマンができないほどむかついていたのである。

よくぞ言ってくれた、と私は思った。

そして、私が好きになってきた他のミュージシャンたちは、どうしてかれらの音楽の中でそれを言ってくれなかったのだろうかと思った。

平気で「弱いものいじめ」をするような人間たちが、どうして自分と同じ音楽を聞いてそれを「好き」になったり、あまつさえ「感動」したりできるのだろうということへのイラだちで、私の子ども時代は満たされていたと言っていい。

具体的にはブルーハーツなのだけど、やっぱりブルーハーツを好きである以上、「ブルーハーツを好きな人に悪い人はいない」とか、思いたいではないか。信じたいではないか。ところが私のクラスにいたそいつは、あからさまに「悪いやつ」でしかも「勝ち組」で「金持ち」で、その上でブルーハーツが好きだと自称している、信じられないようなやつだった。

信じられない私みたいな人間は実際には少数派であるようで、実際に世の中に出てみればそういう理解不能な人間はゴロゴロしているのだけど、今でもやっぱり私はそれを、信じられないと思う。

少なくともそいつに出会ってしまうまで、私はブルーハーツの歌は「弱い人間の味方」なのだと思っていた。いじめられている人間の気持ちが分かる人たちが歌っているのだと思っていた。ところがそいつは平気で「弱い人間」のことをいじめて、なおかつ平気でブルーハーツの歌を口ずさんでいた。

どうしてブルーハーツはそいつみたいな人間のことを「叱って」くれないのだろうと思った。ブルーハーツに叱られたらそいつだって素直に言うことを聞くだろうにと思った。と言うか、ブルーハーツの歌を聞くことでそいつが自分のやってることを「反省」する気持ちになれないということが、私には不思議で仕方なかった。しかしなぜだかブルーハーツの歌は、そいつのやってることを「拒まなかった」のである。

そんなやつより自分はブルーハーツの歌をずっと「真面目に」聞いてきたという自負が私にはあったし、今でもある。そんなやつらのためでなく自分みたいな人間のためにブルーハーツの歌はあるのだと当時の私は思いたかったし、今でもちょっぴり思っている。でも実際問題、そいつが堂々とブルーハーツが好きだということを公言して歩いている一方で、そいつとケンカしても勝てたためしのなかった私は、自分「も」ブルーハーツが好きなのだということを、一度も口に出して言うことができなかったのである。そいつと同じ音楽が好きなのだということを、口に出すことができなかったのである。

つまりブルーハーツの音楽は「そいつらのもの」だったわけだ。「私のもの」では、なかったわけなのだ。

そんなことがあるはずがない。それは自分のものだ。ということを、私は心の中では「知って」いる。でも知っているだけでは、世界は変わらない。現実は、ひっくり返らない。

結局その「やりきれなさ」を、私はオトナになってこんなブログを書いている今に至るまで、ずーっと引きずり続けて生きているのだと思う。

憲法を変えて自衛隊を合法的な軍隊にすることを主張している人間が、「一般教養」みたいな感じでジョン·レノンの歌をフツーに聞いていたりして、「あれはあれでいいよね」みたいなことを平気で言ってみせたりする。しかも場合によっては私よりジョン·レノンについて「詳し」かったりする。

私はできることならそういう人間たちに対して、怒りと屈辱で地団駄を踏ませてやるような文章を書きたいと思う。でもそういう人間に「華氏65度の冬」を読ませてみた時の反応は、大体わかっている。

「面白かったです」
「勉強になりました」

そういうことを、彼ら彼女らは平気で言うのである。私にとってそれほど屈辱的なことはない。本当にそう思うなら反省しやがれ、と思う。でもかれらに力づくでそうさせられるだけの力は、私の文章にはない。

つまるところ私の言葉は、無力なのだ。ジョンレノンやブルーハーツの言葉さえ「無力」だったのだから、私ごときの言葉が「力」を持ちうることなど、初めから期待すべくもない。そして傷つけるべきではない人たちのことばかり、いつも流れ弾で傷つけている。

それでも自分が文章を書き続けるのは、結局のところ最後の瞬間までカート·コベインが「歌い続けようとしていた」のと、同じ理由からなのだと思う。

自分の作った「ロック·ザ·カスバ」という曲が、湾岸戦争で中東に爆弾を落としに行く戦闘機の中でBGMとして使われていたということを知った時、ジョー·ストラマーは声をあげて泣いたという。でも、そのことで彼が歌うことをやめることはなかった。最後の日の直前まで、彼は歌い続けた。それが彼なりの「責任の取り方」だったのだと思う。ジョー·ストラマーにしたところで「勝てた」わけではない。でもそういう話を聞くと、少しだけ勇気が湧いてくる。何であれ自分が決して「1人で」悩んでいるわけではないということに気づかせてもらえることは、心強いことだ。

そして今回私はカート·コベインという人も自分と同じ気持ちを持った人だったのだということを、知ることができた。

今まで以上に大切に、聞き続けて行きたいと思う。

=翻訳をめぐって=

Sell the kids for food
Weather changes moods

「食べ物のために子どもを売る」ということは、飢饉の際などにかつて(とは言いきれないかもしれない。今でもあるかもしれない)日本でもしばしば行われたことであり、英語圏の人がこの歌詞から連想するのもやはり「飢饉」なのであるという。「Weather」は「天気」と訳した方が正確だと思うが、「飢饉」が「違う状況」に変化するにはそれなりの長いスパンが必要になると思うので、「季節」という言葉で意訳した。

Spring is here again
Reproductive glands

「生殖」という日本語訳には身もフタもないが、「Reproductive」というのはもう少し幅を持った言葉で、「新しい生命または子孫を生み出すさま」を一般的に表現した形容詞である。だから「春が来た」という前の歌詞に続けて「Reproductive」という言葉が出てくると、「新しい生命が満ちあふれているのだな」といったような、それなりにロマンチックなイメージを、聞く人は受け取ることになる。ところがその後に「gland」という言葉が出てくることで、聞く人は初めて、今の「reproductive」は「reproductive glands (生殖腺)」というとんでもない学術用語の一部だったのだということに気づき、ビックリすることになる。そういう仕掛けが、英語のこの歌詞には施されている。のだと思う。

その上で「生殖腺」とは脊椎動物における生殖器官をさす言葉であり、人間で言えば精巣や卵巣ということになる。しかし植物の生殖器官はズバリ「花」の中にあるわけで、その一部である雄しべと雌しべから「子ども」ができるのである。つまりこの「生殖腺」は、「春の花々」の比喩と言うか、それを身もフタもない言い方で言い換えた表現なのだと解釈することができる。あるいは、「花はキレイだとか美しいとか言うけど、あんなもん植物が性器を露出させてるだけじゃないか」といったような、カートのむかつきがこの言葉には込められているのかもしれない。何にむかついてはるのかは知らんけど。

上記の試訳はそうした海外サイトの解釈を踏まえた上で、「Dig a Pony方式」で意訳したものです。

We can have some more
ー nature is a whore

whoreは辞書に載っている通りに訳するなら「売春婦」という極めて差別的でさげすみに満ちた言葉になるが、カートはそういう言葉をあえて使うことで、自然や女性を搾取の対象にしている人間社会をともながらに告発しているのだというのが海外サイトの解釈だった。それにはなかなか、納得させられた。

Bruises on the fruit
ー tender age in bloom

「果実」とはもちろん、そうした自然や両親の生殖腺から生まれた子ども=カートたち自身のことである。「そうした自然や両親」とはつまり搾取され虐待されている「自然」であり、その自然の中から生まれてなおかつ自分の子どもを売りに出すようなことをしている「両親」のことである。「bruise」は「腐っている部分」のこと。カートはその言葉に、「花ざかりの感じやすい年頃」=思春期を象徴させている。

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THEE MICHELLE GUN ELEPHANT キング

In Bloomは、PVも良かった。反共主義者が司会をやっていたことで有名な、エド・サリバンショーをおちょくっているのだな。ますますいろいろ、見たくなってきた。ではまたいずれ。

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