華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Come As You Are もしくはこそこその話がやがて高くなりピストル鳴りて (1991. Nirvana)

Come As You Are

英語原詞はこちら


Come as you are, as you were
As I want you to be
As a friend, as a friend
As an old enemy
Take your time, hurry up
The choice is yours, don't be late
Take a rest as a friend, as an old memoria

おまえのままで
来てくれたらいい。
おまえだったときのままで
来てくれたらいい。
おれがおまえに
そうあってほしいと
思うようなおまえとして
来てくれたらいい。
友だちとして来てくれたらいい。
友だちとして来てくれたらいい。
かつての敵として
来てくれたらいい。
自分のペースでいい。
て言っか急げ。
選ぶのはおまえだ。
でも遅れるな。
友だちとして
休んでくれたらいい。
古いメモリアとして
…わからない?わかれよ。
ラテン語で「記憶」と言ったのだ。
そのメモリアとして

休んでくれたらいい。


Memoria
Memoria
Memoria

メモリアとして
メモリアとして
メモリア


Come doused in mud, soaked in bleach
As I want you to be
As a trend, as a friend
As a known enemy

泥にまみれて
来るがよい。
漂白剤に身体をひたして
来るがよい。
我が汝に望む形にて
来るべし。
時流の寵児として
友人として
世界中から
敵だと思われている人間として
ここに来なさい。


Memoria
Memoria
Memoria

メモリア
メモリア
メモリア


And I swear that I don't have a gun
No I don't have a gun
No I don't have a gun

言っとくけど
おれは銃は持ってない。
そう。
銃は持っていない。
ああ。
銃は持ってない。


Memoria
Memoria
Memoria
Memoria

メモリア
メモリア
メモリア
メモリア


And I swear that I don't have a gun
No I don't have a gun
No I don't have a gun

そして言っとくけど
おれは銃は持ってない。
そう。
銃は持っていない。
ああ。
銃は持ってない。


Memoria
Memoria

メモリア
メモリア


Come As Uou Are

今までニルヴァーナをほとんど聞いたことのなかった私が毎回第一印象で翻訳している「Nevermind」特集。(ということは毎回書いておかないと、検索で来てくれた人は詐欺にあったような気持ちになってしまうと思う)。例によって初めて見てみたアルバム3曲目の「Come As You Are」のPVは、「銃」の画像から始まっていた。今まで訳してきた「Nevermind」の冒頭2曲にはどちらにも「銃」という言葉が歌詞に入っていたわけだけど、3曲連続となると、もはやそこには何らかの「意味」があるということを考えないわけに行かない。

Smells Like Teen Spirit」においては「反逆の象徴」としての「銃」。「In Bloom」においては、あくまで私の解釈ではあるけれど、「人の心を平気で傷つける人間」の象徴としての「銃」。そしてこの曲においては、さしずめ「敵意」というものの象徴として、「銃」という言葉が使われているように感じられる。そして、あくまで後づけの話ではあるけれど、このアルバムが発売された3年後には、他ならぬその「銃」がカート·コベイン自身の生命を奪うのである。

こそこその話がやがて高くなり
ピストル鳴りて
人生終わる

という石川啄木の短歌が、PVでその銃の画像を目にした時から頭の中で文字になり、曲が終わるまで、ぐるぐると回り続けていた。全然、好きな短歌ではない。命というものを徹底的に軽々しく扱った、カスみたいな短歌だと思う。でも、実際問題、そんな風に簡単に軽々しく「成り行き」としか言いようのない形で、「死」というものが訪れてしまうことが、人間には起こりうる。

カート·コベインの遺書であるとか伝記であるとかいったものを、私はまだ全然、読んでいない。しかし、今のところ5曲しか聞いてはいないものの、彼の残した歌を聞く限り、私には彼が自分で自分の命を断つことに「意味」を見出していたようには、到底思えない。むしろ今まで聞いてきた歌は全部、「死にたくない」「生きたい」というメッセージのこもった歌であるとしか、私には思えない。

だとすれば、そうした彼のメッセージを「ちゃんと」受けとめることができなかった彼の周りの人間たち、彼の歌を聞いていた人間たちの「せい」で、彼は死ななければならなかったのだということになる。それを思うと、彼の言葉を「翻訳」しようとする者が引き受けねばならない責任はものすごく重いのだということを、感じないわけに行かない。適当な気持ちで適当な翻訳をバラまいたりしたら、それこそ彼という人間を、二度殺すことになってしまうだろうと思う。

「自分の青春に決着をつけるため」という第一回目に掲げた理由とは別に、私がこの翻訳ブログを始めたもうひとつの理由は、人の言葉というものを自分が聞きたいようにしか聞いてこなかった今までの「ひとりよがりな生き方」を改めて、人の話というものに「ちゃんと」耳を傾けるための練習の場がほしかった、ということだったりも、しているのである。

ちなみに私は銃という「道具」それ自体に対しては、嫌悪感や忌避感は感じていない。言葉というものが本質的に「暴力」であるのと同じく、結局はそれを使うのがどんな人間であるかという問題なのだと思う。具体的には銃というものを使って他の人間を支配しようとする人間がこの世界に存在する限り、それと戦おうとする人間の側にも銃というものは「必要」なのであり、その現実から目をそらそうとするなら、結局現実に対しては、何ごともなしえないまま終わる他ないと思う。無論、いずれ地球の上からすべての「武器」は廃絶されねばならないと思うが、そのためには「やらなければならないこと」が、今の世界にはまだまだ本当にたくさんある。それは、直視するしかない

カートという人の「銃」に対する感覚も、それと似たようなものだったのではないかということを、私は感じる。アメリカ的な「銃社会」のあり方みたいなものに彼が憎悪を感じていたことは間違いないと思うけど、この世界で生きようとする限り「銃というものの存在」から目をそらすことはできないというリアリティみたいなものを、彼は感じていたのではないかと思う。そうでなければ歌の中に「銃」を登場させたり、自分でもそれを購入したりということは、しなかったはずだろう。アメリカみたいな社会でも「自分だけは銃と無縁な生活を送りたい」と思えば、いくらでも方法はある。でもその「自分だけは」という部分が、多分カートは許せなかったのだと思う。

そしてそのカートという人が自分のために銃を購入することを決断したのは、少なくとも最初からそれを「自分に向けるため」という目的を持ってのことではなかったのではないかと、私は信じたい気がする。

…でも、まだ、分かったようなことは何も言えない。もっとちゃんと、全部の曲を、聞いてみなければならないと思う。

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この曲それ自体に対する私の第一印象は、「ドアーズに似てる」というものだった。特に「My Eyes Has Seen You」とか、「Take It As It Comes」とか、ファーストアルバムに入っている地味めな曲に似ている。でもまだ、どちらも翻訳していない。

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また、ブログを使った創作絵日記文学作品で話題沸騰中の「ミチコオノ日記」の作者の人が、作品の中でよく象徴的に使っている「でっかいカラーをつけた犬」のモチーフも、このPVの中にあったのだということが、改めて確認できた。このエリマキみたいなやつは「エリザベスカラー」と呼ぶのだそうで、私も近所の犬が耳の手術をした後につけているのを見たことがあるけど、犬が後足で患部をかいたりしてバイ菌が入るのを防止するために、つけるらしい。しかし自由であるべき動物がああいうものをつけて生活している姿というのはとても「不自然」で、「ミチコオノ日記」の人と同じように、「怖い」という印象を私も受けた。PVの中にあの「かわいそうな犬」を登場させた人が狙っていた演出効果も、それと同じようなものだったのかということについては、私には何とも言いようがない。


=翻訳をめぐって=

Come as you are, as you were
As I want you to be
As a friend, as a friend
As an old enemy

最初の「Come」という命令形の動詞が、後に続く全部の言葉に、かかっている。日本語だと「as(〜として)…as…」の列挙が続いて、最後に「来なさい」という結論があらわれる、正反対の語順となる。

個人的に、とてもシンプルで、素敵な歌詞だと思う。とりわけ「as you are」と「as you were」という一文字しか違わないフレーズを並べることで、歌を聞く人間に「今の自分」と「かつての自分」の間に存在する巨大な時間の壁をおのずと思い起こさせてしまう言葉のマジックに、しびれる。

as a friendというフレーズだけが、2回繰り返されている。このブログで一番最初に翻訳した「Lithium」の中にも出てきたけれど、カートは「friend (友だち)」という言葉に本当に強い希望を託していたことが、感じとれる。

Memoria

試訳の中で青字で示したように、ラテン語で「記憶」を意味する言葉。欧米の人にとってラテン語は、日本の学生が「古典」の時間に習う言葉のような位置を持っているから、日本語の古語を使った「オボエとして」みたいな翻訳も、可能ではあると思う。

ただしこの「メモリア」は、英語圏では「女性の名前」のようにも、響く。また「Me moria」という風に分かち書きすると、スペイン語で「私は死にかけた」という意味にもなるらしい。こういう風にひとつの単語で翻訳しきれないいろいろなイメージを持った言葉は、結局最後には音訳するしかなくなってしまう。

Come doused in mud, soaked in bleach
As I want you to be
As a trend, as a friend
As a known enemy

私には、読んだだけではその違いが分からなかったのだけど、英語圏の人がこの歌を聞いた時には、一番と二番では「言葉の雰囲気が違っている」のを感じるらしい。一番はそれこそ「友だちに語りかけるような口調」で書かれているとのことだけど、この二番になると一転して「神が人間に語りかけているように」聞こえるのだという。私が一番と二番の訳し方を変えたのはその海外サイトの説明に従ったまでのことであり、「わかって」ああいう風に訳しているわけではない。しかし「一番は人間の言葉、二番は神の言葉」みたいに意識して訳し分けてみると、確かにそれっぽい感じは、する。

「known enemy」は直訳するなら「知られている敵」。試訳の訳し方は、かなり私の解釈が入っている。多くの人から「敵」として「知られている」存在が、必ずしも「悪」であるとは限らない、といったようなメッセージが込められているのではないかと感じたからである。

ずいぶん昔に、名前は忘れたけどディズニーのアニメ映画のテレビCMで、マッチョな主人公が「君も僕らと一緒に宇宙の平和を守ってみないか?」と言うのを聞いて、強烈な違和感を覚えたことがある。

「宇宙の平和を守る」って、どういうことなのだ。

地球の上での国家と国家との関係をそのまま拡大させたなら、「この星は平和を守る正しい星」「あの星は平和を乱す悪い星」みたいな話になるのだろうか。しかし「ひとつの星」が丸ごと「悪」のレッテルを貼られてしまうなんて、そんな理不尽な話があるだろうか。地球というこの星が、もう少し高度な文明を持った別の星の人間たちから一方的に「悪」認定されて、滅亡させられてしまうような、そんな事態を想像してみてほしい。「宇宙の平和」などというものがもしありうるとしたら、それは一体「誰にとっての平和」なのだろう。

そして「宇宙の平和」という言葉が「おかしい」なら、「地球の平和」という言葉も「日本の平和」という言葉も、やっぱりそれと同じくらいに「おかしい」のである。一握りの人間のエゴイズムを正当化するための邪悪なウソが、絶対どこかに隠されているのである。

「known enemy」=「知られた敵」という「奇妙な言葉」は、そんな風に権力者やマスコミから「平和の敵」みたいな描かれ方をされる立場の人たちが、実は自分らと変わるところのない人間であり、本当なら「友だち」になるべきはずの相手なのではないか、というカートの思想みたいなものが、込められた言葉であるような気が、私は、したのである。もっともそれは私自身が生きているこの時代とこの世界に、引き寄せすぎた解釈になっているかもしれない。

極めて現実的かつ具体的な問題として、朝鮮民主主義人民共和国というひとつの「国家」を丸ごと「敵」認定しろという暴論が今の日本では大宣伝されているわけであり、それを受け入れない私のような人間はこの日本という「国家」の内側において、既にさまざまな方面から「敵」認定を受けている。

しかしそんな「力」に屈する必要はないのだということを、26年前に作られたこの歌は、私たちを代表して訴えてくれているような感じがする。人から踊らされて銃など手にするのは下らないことなのだということを、ハッキリ言ってくれているような気がする。少なくとも今の私は、そんな風に思いたい気がするのである。

…いろんなことを言いたくなってくるが、歌から離れてしまうとブログ本来の趣旨からも離れてしまうので、今回は以上にとどめておきたい。

ではまたいずれ。

=後日付記=

カートの生まれ故郷のワシントン州アバディーン市の道路標識には、カートを記念して「Come as you are (あなたのままで来てください)」という言葉が、刻み込まれているのだそうです。



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