華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Breed もしくは私たちは繁殖しているおそらくブルー (1991. Nirvana)


breed

Breed

英語原詞はこちら


I don't care, I don't care, I don't care, I don't care, I don't care, care if it's old
I don't mind, I don't mind, I don't mind, I don't mind, mind, don't have a mind
Get away, get away, get away, get away, away, away from your home
I'm afraid, I'm afraid, I'm afraid, I'm afraid, afraid, ghosts

(解釈その1)
気にしない。気にしない。
気にしない。気にしない。
おれは気にしない。
古くさかろうが
そうでなかろうが。
気にならない。気にならない。
気にならない。気にならない。
おれは気にならない。
心を持ってない。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。
遠く。
きみの家から遠く。
こわい。こわい。こわい。こわい。
こわいんだ。
幽霊!


Even if you have, even if you need
I don't mean to stare, we don't have to breed
We could plant a house, we could build a tree
I don't even care, we could have all three
She said, she said, she said, she said, she said, she said, she said, she said

(解釈その1)
きみにブリード(出産)
経験があったとしても
そしてきみにとってそれが
必要なことであるとしても
目くじら立てるつもりはない。
子どもなんて作らなくてもいい。
家を植えることだってできるだろうし
木を建てることだってできるだろうさ。
おれは全然気にならない。
「三つ全部やることだってできるじゃない」
と彼女は言った。
彼女は言った。
彼女は言った…


I don't care, I don't care, I don't care, I don't care, care, care if it's old
I don't mind, I don't mind, I don't mind, I don't mind, mind, don't have a mind
Get away, get away, get away, get away, away, away from your home
I'm afraid, I'm afraid, I'm afraid, I'm afraid, afraid, ghosts

(解釈その2)
気にしない。気にしない。
気にしない。気にしない。
気にしろ。
古くさくなってないかどうか。
気にならない。気にならない。
気にならない。気にならない。
マインド。
心なんて持つな。
逃げろ。逃げろ。逃げろ。逃げろ。
遠く。
きみの家から遠く。
こわい。こわい。こわい。こわい。
こわいんだ。
幽霊だ!


Even if you have, even if you need
I don't mean to stare, we don't have to breed
We could plant a house, we could build a tree
I don't even care, we could have all three
She said, she said, she said, she said, she said, she said, she said, she said

(解釈その2)
「あなたがブリード(型/種類)
いうものを持っていたとしても
そしてそれがあなたにとって
必要なものだったとしても
私はあなたをじろじろ見たりしない。
子どもなんて
作らなくてもかまわない。
家を植えることだってできるし
木を建てることだってできるでしょう。
三つ全部やることだって
やろうと思えばできるし
私はそれでもかまわない」
と彼女は言った。
彼女は言った。
彼女は言った…


Even if you have, even if you need
I don't mean to stare, we don't have to breed
We could plant a house, we could build a tree
I don't even care, we could have all three
She said, she said, she said, she said, she said, she said, she said, she said, she said

=翻訳をめぐって=

とてもシンプルな歌詞なのだけど、何通りにも解釈できる言葉で書かれているので、なかなか「これだ」と言える翻訳を、確定させることができない。

ただし、この歌は絶対に「深く考えて作られた歌」ではないと思う。別に、けなしているわけではない。作る側の人間が大して深い考えも持たずに作った歌の解釈をめぐって、聞く側の人間があれこれ悩んだり「隠された意味」を探し求めたりしようとすることは、それこそ無意味なことだろうということが言いたいだけである。

だからこの歌の翻訳にあたっては、あまり「深読み」することは避けて、カートと同じ英語圏の人たちがこの歌を聞いた時にこの歌詞はどんな風に「聞こえる」のかということだけを、再現できればそれでいいと私は思う。

そしてそれは他のどんな歌の翻訳をめぐっても、私が基本的に心がけていることである。

I don't care, I don't care,
…care, care if it's old

最初の「I don't care」は、「私は気にしない」という意味である。これ、一番大事である。

その上で最後の「care if it's old」については、3通りの解釈が可能になる。

まず、文字に書かれた通りに解釈するならこの「care」は「命令形」である。すなわちこの部分は「それが時代遅れになっていないかどうかを気にしろ」という意味になる。

…なお、他の和訳サイトでは「if it's old」を「自分が年寄りかそうでないか」という意味で解釈している例が散見されるが、それだと「if I'm old」になると思う。後述するようにこの歌はカートがフェミニストの彼女とつきあっていた経験から生まれた歌だと言われており、その文脈から解釈するなら「it」はおそらく「カートのモノの考え方」をさしている。「自分のスタイルや考え方が古くさいのかそうでないのか」ということが、おそらくここでの「問題」である。

しかしこの歌詞が「I don't care」という言葉で始まっていることを考えるなら、最初に出てくる主語の「I」が最後までずっと引っ張られて「care if it's old」というフレーズにつながっているようにも、読める。そう読んだ場合この歌詞は「I care if it's old」となり、その意味するところは「自分の考え方が古くさくないかどうかがおれは気になる」という意味になる。

そしてそんな風にこの歌詞を「I care if it's old」の省略であると考えることが可能であるなら、同じように「I don't care if it's old」の省略であると考えることだって、可能になる。事実海外サイトでは、この読み方でこの歌詞を解釈している例が一番多い。この場合、歌詞の意味は「自分の考え方が古くさくないかどうかをおれは気にしない」ということになる。

気にしろ」なのか「気になる」なのか「気にしない」のか。つまるところそれが問題であるわけだが、歌を作ったカートの真意としては「どれでもいい」ということだったのではないかと思う。それが私の解釈である。

英語の「I don't care」でも日本語の「気にしない」でもいい。その同じ言葉をこの歌みたいに何べんも何べんも繰り返し唱えていると、だんだん言葉の持つ意味が「溶けて」いって、お経でも読んでいるような感じに変わっていくはずだと思う。「Smells like teen spilit」の「Hello, hello...how low」のところでもちょっと書いたけど、多分そんな風に「言葉から意味が失われて溶けて行く感覚」それ自体を、カートという人は「楽しんで」いたのだと思われる。

だからこの歌を「聞く」人間に求められているのは、「気にしろ」と言われてるのか「気にするな」と言われてるのかで真剣に思い悩んでしまうようなことではなく、むしろカートと一緒に「言葉から意味が失われてゆく感覚」を「楽しむ」ぐらいのことでいいのではないかと私は思う。そしてこのことは、後に続く歌詞でも同様である。

I don't mind, I don't mind,
…mind, don't have a mind

「I don't care」を「気にしない」、「I don't mind」を「気にならない」と訳し分けてみたわけだけど、ニュアンスとして正確であるかどうかには、あまり自信が持てない。と言うよりそもそもこの手の言葉は、「正確に翻訳する」ということが可能なのかどうかということ自体、疑わしい気がする。

以前、英語話者の人に、「気に入る」という日本語はどう解釈すべきかということを説明していて自分自身気がついたことがあるのだけど、「I like〜」というのが「〜を好きになる/好んでいる」という能動的な表現であるのに対し、「〜が気に入る」というのは「〜(対象)」が自分の「気」の中に「入ってくる」という受動的な表現なのである。つまり何かを「好き」であるという同じ状態を表現するのにも、そのことを行為として捉えた場合、英語話者はそれを「能動的行為」であると考え日本語話者は「受動的行為」であると考えているという、本質的な違いが存在しているのである。

さらに同じ「気」という言葉を中心にして考えてみるなら、「気にする」は能動的だけど「気になる」は受動的である。「気がつく」はどっちなのかよく分からないけど、少なくとも言えることとして、それは「自分の意志にもとづく行為」ではない。自分の代わりに「気」というものが「ついて」くれるのである。

このように、日本語を話す人間は、日常ほとんど意識することはないけれど、自分の内側に(…あるいは外側に。このこと自体、よく分からない)「気」というものが存在していることを感じて、あるいは信じて、少なくとも前提としてモノを考えることが基本になっており、そこには「自分の意志」がほとんど入ってこないのである。

これに対して英語話者には「気」という発想自体が、そもそも存在しない。すべては「I」という主語の、意志にもとづく行為だということになる。この発想は自然現象にまで拡大され、「雨が降る」ということさえも、「It rains」という風に「it」という謎の主体の意志にもとづく「行為」であると解釈されることになる。

だから極論するなら、「気」という発想を持たない英語話者の言うことを「気」という言葉を使って翻訳しようとすること自体が言うなれば「誤訳」であり、日本語話者の感覚に引き寄せたエゴイスティックな解釈であるということになるだろう。「気に入る」というのが翻訳不能な概念であるとまで言う気はないけれど、例えば「私はニルヴァーナが気に入った」という日本語フレーズを「正確に」英語に置き換えようとするなら、「As for me, Nirvana has come into my atmosphere」みたいな恐ろしく謎めいた表現になってしまう。そして同じことは、「英語から日本語へ」という逆パターンでも確実に起こってくることなのである。本当に「正確な」翻訳を心がけるなら、日本語としての「自然さ」はどれだけ破壊されても構わないという覚悟を持つことが、翻訳者には必要になってくるだろう。

…とはいえ、上述したように、この歌は絶対、そんな「ややこしい歌」ではない。作った人間が「ややこしい気持ち」で作ったわけでもない歌をわざわざ「ややこしく」解釈しようとすることは、それこそ無意味なことだと思う。ここでは「気にする」「気になる」という言葉が出てきたことにかこつけて私が普段から気になっていることをちょっと言ってみたい気持ちになっただけのことであって、歌の解釈それ自体については「気にする」「気になる」で全然問題はないと思う。

カギカッコ部分以外にも、気がつけば「気」という言葉を2回も使ってしまっている。「気」という言葉から逃げられないのは、つくづく日本語使いの宿命であるようだ。とりあえず「気」のことは忘れよう。本題はニルヴァーナの歌詞の翻訳なのである。

そんでもって、この二つ目の部分の解釈も最初の場合と同じである。「don't have mind」という最後の歌詞を命令形と解釈するなら「心なんて持つな」という意味になり、「I don't have mind」の省略だと解釈するなら「おれは心を持っていない」という意味になる。どっちが正解かという話になれば、たぶん「どっちも正解」なのだ。だからこの歌が入ってるアルバムタイトルは「Nevermind (気にするな)」なのだ。何か私、カートという人とはものすごく気が合いそうな気がしてきている。もし生きてたら、「気が合いそうな気がする」という日本語の意味についての話だけで2時間ぐらい平気で盛りあがれたような気がするのだけど、残念だったな。

さらにこの「don't have mind」の手前には、1回だけ「mind」という言葉がハダカで登場する。名詞として解釈するなら「心」という意味になるし、動詞として解釈するなら「気にする/しろ」という意味になる。どちらとも確定できないので「解釈その2」では音訳した。ただし、一番正解らしい答えは、「カートが息切れして"I don't mind"を正確に発音できなかった」というものだと思う。

Get away, get away, get away, get away, away, away from your home

…ここの解釈について、特に言うべきことはない。「get away from your home」とは家族制度への反逆の呼びかけであるという解釈が海外サイトでは力説されていたが、そんな当たり前のことをいちいち文字数を使って説明するような読者の人をナメた態度は、このブログでは取らない。

I'm afraid, I'm afraid, I'm afraid, I'm afraid, afraid, ghosts

「ghosts」=「幽霊(の複数形)」とは家族制度に象徴される「過去の亡霊」のことであるといったような解釈が海外サイトではこれまた力説されていたが、やはりそれほど深く考えられた歌詞ではないと思う。「I'm afraid (私はこわい)」という言葉を何回も繰り返しながら「こわいもの、こわいもの…」と考えて、思いつかなかったから「幽霊」という一番ベタな答えをとりあえず言ってみた、というのが実際のところではないだろうか。

それにつけても、言うに事欠いて「幽霊」とはベタにも程がある。古今東西もしくはマジカルバナナみたいなゲームの中で(…若い人にはどちらも分からないかもしれない)こういう答えしか出てこないというのは一番恥ずかしいことであり、私が生まれ育った関西地方の文化を基準にするなら、一番軽蔑される態度であるとさえ言えるだろう。

しかしこんな風に「ベタな答え」を正面からぶつけて行くということが、ゲームの中では「積極的な意味」を持ちうる場合もある。「こんなゲームはつまらない」「やってられるか」という気持ちを表現するためにわざとベタなことを言う、というパターンである。あるいは「お前らみたいな相手にはこの程度の答えで充分だ」とばかりに、聞き手を挑発し怒らせるためにわざとベタなことを言ってみせる、というケースも考えられる。

このように、この「こわい」=「幽霊」というベタな発想を「強いられたベタ」であると解釈するのか「挑戦的なベタ」であると解釈するのかでも、この歌の印象はかなり違ったものになってくる。どちらが正解かといえば、これもおそらく「どっちも正解」なのである。「Nevermind」なのである。ニルヴァーナの歌を聞く時には常にこの「両義性」を頭に入れておかねばならないのだということが、初心者の私にもだんだん分かってきた気がする。

なお、関東地方の人はこの「ベタ」という言葉を東京弁の「傘」と同じアクセントで発音する傾向があるけれど、それが私にはずっと昔から耐えられない。言うなら魚の「サバ」と同じアクセントで言ってほしい。「ベタ」とは飽くまで「関西語」なのであって、使うなとは言わないけど使う以上はそういう形で関西の人間へのリスペクトというものを示してもらいたいと、私はいつも思っているのです。ちなみに「ベタ」って英語で何て言うのだろうと思って調べてみたら、「cliche (クリシェ)」という言葉が見つかりました。何か、カッコいい感じがするのが、むかつく。
"べたやなぁ" を英語で? ずばり直訳不可能!!:ネイティブの英語表現 〜英語の感覚を掴もう!〜:So-netブログ

あと、細かいことだけど、この部分を「私は幽霊がこわい」と翻訳することについて、私は懐疑的である。それなら「I'm afraid of ghosts」となるはずだからである。「of」という単語が使われていない以上、この「ghosts」という言葉は「幽霊だ!」「出た!」というニュアンスで解釈されるべきなのではないかと思う。詳しい人の意見を聞きたい。

Even if you have, even if you need
I don't mean to stare, we don't have to breed
We could plant a house, we could build a tree
I don't even care, we could have all three
She said, she said, she said, she said, she said, she said, she said, she said

…今までダラダラ喋ってきたけれど、実はこの歌の中で一番解釈がややこしいのは、この部分なのである。最後の部分が「She said」となっている以上、この歌詞の一部あるいは全部は「彼女の言葉」の引用であるということになる。「カートの言葉」ではないのである。しかしどこからどこまでが「彼女の言葉」でどこからどこまでが「カートの言葉」なのかということが、歌詞を聞いただけでは全然わからないのである。

ここでこの歌が書かれた背景について触れておく必要があると思われるが、海外サイトの説明によるならば、この歌は「Smells like teen spilit」の記事を書いた時にも出てきたトビ·ヴェイルさんとカートがつきあっていた時の経験をもとに、書かれた歌だと言われている。



…ドキッとするような目をした人なのだけど、この人は「ラディカル·フェミニスト」として活動していた人で、この人とのつきあいを通じてカートは自分自身もフェミニズム的な思想を身につけて行った。と海外サイトにはあった。ただしこれは海外サイトに書かれていた通りの表現であり、フェミニストの人たちが主張しているのは「男と女は平等であるべきだ」という「当たり前」のことにすぎない。その「当たり前」のことを主張している人に「ラディカル (過激な/極端な)」という形容詞をくっつけるのは、それ自体が政治的な色眼鏡を通したレッテル貼りになっているのではないかという感じが、私はする。

それはさておき、そのことを踏まえた上で、この歌の歌詞はその全体がカートとトビさんとの「会話」という形式で書かれているのではないか、というのが、複数の海外サイトの一致した解釈である。最初の方で「古くさいかどうか」が「気になる」とか「ならない」とか言ってるのも、カートがトビさんから「あんたの考え方は古くさい」と言われた時の反応がそのまま歌詞になっているのだと解釈されている。いずれにしてもこの歌のテーマに「家族制度というものとの向き合い方」が存在しているのは間違いのないところで、それはフェミニズムというものそれ自体がテーマにしている問題のひとつでもある。

で、問題は、それならどの部分がカートの言葉でどの部分がトビさんの言葉なのか、ということである。

歌詞サイトによっては、「She said」の直前の部分だけが、"we could have all three"とクォーテーションマークで括られた形で表記されている。つまり、この部分「だけ」が彼女の言葉なのだという解釈である。そしてこの解釈に従う場合、この部分の歌詞は「子どもを作りたくないカート」と「子どもを作りたい彼女」の言い争いになっているのだということになる。

ここで改めて、語句の意味について確認しておく必要があるだろう。

この歌のタイトルになっている「breed」とは、第一義的には「動物が子を産む/繁殖する」という意味である。それを人間に対して使う場合には、日本語話者が人間の食べるものを「エサ」と表現する場合と同じように、「子どもを産むという行為」を乱暴に表現した言い方になると思われる。

冒頭の「Even if you have, even if you need」を直訳するなら「もしあなたが持っていても、よしんばあなたが必要としていても」という意味になり、「何を」という目的語がぬけているが、おそらくそこに省略されているのは「breed」という言葉である。つまりこの部分をカートからトビさんに向けた言葉だと解釈した場合、「お前に子どもを産んだ経験があっても、子どもを産むのがお前にとって必要なことだとしても」という意味になる。

「I don't mean to stare」…直訳は「じろじろ見るつもりはない」。「目くじら立てるつもりはない」と訳しても、ほぼ間違いはないと思う。

we don't have to breed」…直訳は「我々は必ずしも子どもを作らなくてもよい」。これがカートの結論なのだとひとまず解釈できる。

We could plant a house, we could build a tree」…直訳は「我々には家を植えることもできるだろう。木を建てることだってできるだろう」。中学の古典の時間に出てきた「漱石枕流」みたいな話だが、英語にもこういう「言い間違い」は存在するのだということがまずうかがえる。その上で「ベタ」のところで考察したように、この「変な言い方」も「本当に間違えている」と読むか「わざと間違えている」と読むのかで、解釈はかなり変わってくる。

「本当に間違えている」と解釈する場合、カートはトビさんから言い負かされそうになって、動揺しているのである。そして「家を建てたっていい。木を植えたっていい」というのは、「だけど子どもを作るのだけはイヤだ」という自分の気持ちを押し通すための、最大限の「譲歩」なのだと解釈できる。

一方、「わざと間違えている」と解釈する場合、カートはトビさんにケンカを売っているのである。「ディズニーランドだかネズミーランドだか知らねえが」みたいな言い方を日本語話者がする場合、「どっちにしろそんなものは自分にとって何の価値もない」というメッセージが言外に含まれている。「きれいな家を建てて、庭には木を植えて…」みたいな小坂明子的な彼女の結婚生活へのイメージを、そうした言い方でカートは嘲笑していることになる。そして「百歩譲ってそれは認めたとしても、子どもを作るのだけはおれはイヤだぜ」と言っていることに関しては、前者の解釈と変わらない。

そして「we could have all three」は、最後の最後になって出てきたトビさんの「反論」である。「三つ全部持つことだって可能ではないか」と言っているのである。「三つ」とはすなわち「子どもを作ること」「家を建てること」「(庭に)木を植えること」の三つである。海外サイトの解釈は、大体ここまで述べてきたような内容で一致している。

しかし。

私はどうも、腑に落ちない。これではまるでトビさんの方が「古い考え方を持った女性」であるかのように見えてしまう。しかしトビさんは「フェミニスト」の上に「ラディカル」までついた言い方で呼ばれていた女性なのである。結婚生活や妊娠·出産ということについて、カートごときから嘲笑されるほどロマンチックな幻想やこだわりを持っていたとは、あまり思えない。最初の歌詞で「if It's old」ということが問題にされていたように、保守的な考えを持っていたのはむしろカートの側なのだと解釈した方が「自然」なのではないだろうか。

ここから、サビの部分の全部を「トビさんの言葉」であると解釈する第2の読み方が考えられる。トビさんは子どもを作ることに大した執着は持っていないし、家を建てたり庭に木を植えたりといった小市民的な幸せの象徴に対しても大した思い入れは持っていない。「でもあんたがそうしたけりゃそうしてもいいのよ」という突き放した言い方が、最後の「we could have all three」であるということになる。私としてはこちらの解釈の方が、ずっと自然であるように思われる。

ただしこの場合、難しくなってくるのは、最初の「Even if you have, even if you need」をどう解釈するかということである。男であるカートに「子どもを産んだ経験」なんて、あるはずはないからだ。

それで辞書を引き直してみると、「breed」という言葉には「型/種類」という名詞としての意味があることが分かった。その意味で解釈するなら、この部分は「あなたがもし、理想とするような『生活の型』を持っていたとしても」という、トビさんからカートに向けた言葉として読むことも可能になると思う。ただしここでの「種類」というのは「動物の種類」みたいな意味になるのだそうで、そうした読み方が本当に可能なのかどうかは、私には判断できない。あるいは一部の人間が重要視している人間の「血統」「血筋」みたいなものを、動物に対して使うそういう言葉を用いて表現することで彼女は「おとしめて」いるのかもしれない。

…そして結局のところどの解釈が「正解」なのかといえば、「Nevermind」というところに落ち着いてしまうのではないかと思う。「深い考えを持って作られた歌だとは思えない」と一番最初に確認しておいたはずなのに、結局おそろしく長ったらしい記事になってしまったな。

いずれにせよ、「Nevermind」の全訳を目標に開始された今回の特集記事は、アルバムに収録されている順番で言うならば、これでようやく一番最初に翻訳した「Lithium」のところまで「たどり着いた」ことになる。私もしばらく休憩させてもらうことにしようと思います。「尋羊冒險記」でも聞きながら気長に次回を待ってもらえたら、幸いです。ではまたいずれ。そのうちに。

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私たちは繁殖しているブルー (角川文庫)

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