華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

We're All Alone もしくはみんなひとりぼっち もしくはたったふたりぼっち (1975. Boz Scaggs)


We're All Alone

We're All Alone

英語原詞はこちら


Outside the rain begins
And it may never end
So cry no more
On the shore a dream
Will take us out to sea
For ever more
For ever more

外では雨が降りはじめて
きっといつまでも
やまないだろうと思う。
だからもう
泣かないでほしい。
岸辺で待っている夢が
ぼくらを海へと
いざなってくれる。
今から永久に。
今から永久に。


Close your eyes ami
And you can be with me
'Neath the waves
Through the caves of hours
Long forgotten now
We're all alone
We're all alone

目を閉じて。
いとしいひと。
そうすれば
ぼくと一緒になれる。
波の下で
今ではもうずっと昔に
忘れられてしまった
時間の洞窟をくぐり抜けて。
他には誰もいない世界。
他には誰もいない世界。


Close the window
Calm the light
And it will be all right
No need to bother now
Let it out let it all begin
Learn how to pretend

窓を閉じて
明かりを落とせばいい。
そうすればすべては
許されている。
今はもう
気にすることはない。
出せばいい。
すべてが始まるのに
身をまかせればいい。
仮面をつけて生きることを
学ぶんだ。


Once a story's told
It can't help but grow old
Roses do lovers too so cast
Your seasons to the wind
And hold me dear
Oh hold me dear

むかし
物語で聞かされたことがある。
年をとるのは
どうしようもないことなんだって。
バラもそうだし
恋人たちだってそうだ。
だからきみの季節は
風の中に思いきり
放り投げてしまえばいい。
そして抱きしめてくれないか。
いとしいひと。
抱きしめてくれないか。


Close the window
Calm the light
And it will be all right
No need to bother now
Let it out let it all begin
All's forgotten now
We're all alone
All alone

窓を閉じて
明かりを落とせばいい。
そうすればすべては
許されている。
今はもう
気にすることはない。
出せばいい。
すべてが始まるのに
身をまかせればいい。
すべては
忘れ去られてしまった。
ここには誰もいない。
ここには誰もいない。


Close the window
Calm the light
And it will be alright
No need to bother now
Let it out let it all begin
Throw it to the wind my love
Hold me dear

窓を閉じて
明かりを落とせばいい。
そうすればすべては
許されている。
今はもう
気にすることはない。
出せばいい。
すべてが始まるのに
身をまかせればいい。
風の中に放り投げてしまえ。
いとしいひと。
抱きしめてくれないか。


All's forgotten now my love
We're all alone....

すべては忘れ去られてしまった。
いとしいひと。
ここには誰もいない…

=翻訳をめぐって=

前回の「Starting Over」で、この曲にまつわる「Alone問題」を取りあげた以上、こちらもちゃんと翻訳しておかねばならないという気持ちにかられたのだったが、見た感じ、それほど難しい言葉は使われていないようであるにも関わらず、英語圏の人たちはこの歌詞を非常に「わかりにくい」と感じているらしい。確かに、語順が通常の英文と違っている部分が多く、凝った表現技法が使われていることは分かるが、それが英語話者に対してどういう効果と言うか印象を与えるのかということまでは、ネイティブでないので分からない。また、かなり抽象性の高い歌詞であり、どこまでが「現実の風景」でどこからが「頭の中の風景」なのかということは、確かに分かりにくい。英語圏の人たちがこの歌を難解だと言うのは、主にそうした内容上の問題なのだと思う。

そんなわけで、「We're all alone」は「みんなひとりぼっち」なのかそれとも「ふたりきり」なのかという、この歌をめぐる一番決定的な問題は、まず歌詞の全体像を把握して、そこから考えてゆく必要があると思われる。

なお、ボズ・スキャッグスという人の名前を聞いた時にいつも私の中に浮かぶのは、ふた昔前の奈良公園でどこの土産物屋の店先にも置いてあった「BOSS」のパロディTシャツの図柄である。画像検索してみたら、今でも売られているらしかった。いずれにしても、この歌手の人について私が知っている情報というのは、その程度のことでしかない。

Outside the rain begins
And it may never end

外では雨が降り出した。おそらくやみそうにない。特に難しく考えることはないと思う。通常の英文だと「It begins to rain in outside」とかになるのだろうが、日本語話者の感覚だとむしろ歌詞の言い方の方がわかりやすいように感じられる。

意味ありげに思われるのは「rain」という言葉に「the」がついていることである。「あの雨」「運命の雨」「決定的な雨」…「雨」という言葉にそういう「ただの雨でないイメージ」を持たせるために、ここではこういう言い方が選択されているのではないかという感じがする。

So cry no more
On the shore a dream
Will take us out to sea

「泣くな」という歌詞と「ある夢が我々を海に連れて行ってくれる」という歌詞の間に、「on the shore (海岸で/に)」という言葉が挟まっている。この挟まり方が微妙であることから、海外サイトでは「海岸で泣くな」という意味なのか「海岸にある夢」という意味なのかをめぐって、論争が繰り広げられている。しかし私には、割とどっちでもいいことであるように思える。だから、絵的にキマる後者の解釈で訳した。

重要なのは、こういう「どうでもいいと思われること」が論争になっているにも関わらず、他の部分は大して論争になっていないらしいという事実である。つまり英語話者の人たちにとっては、他の部分でどういうことが歌われているのかということは「割と自明」なのである。このことについては、また後で触れる。

Close your eyes ami
And you can be with me

この「ami」が分からないのだ。

調べてみると「ami」はフランス語で「男の恋人」という意味であり、「女の恋人」だと「amie」になる。その辻褄合わせなのか何なのか知らないが、後で引用するWikipediaの記事を含め、日本の歌詞サイトではこの部分が「amie」と表記されている例がちょくちょく散見される。だが肝心の英語圏の歌詞サイトでは、「amie」と書いてあるところはひとつもなく、軒並み「ami」なのである。勝手に「amie」にするのは、改竄なのではないだろうか。

このことから私がまず考えたことは、この曲は「女性目線で男性に向けて歌われている歌」なのではないかということだった。実際、最初に歌ったのがボズ・スキャッグスという男性であるとはいえ、この曲をカバーしている人たちはリタ・クーリッジからアンジェラ・アキに至るまで、女性が多い。そうであるならばこの歌を現代日本語に翻訳する時には、「女性の言葉」で訳することが必要になってくる。(「現代日本語」とあえて書いたのは、日本に生まれた人間が物心つく前から仕込まれる「男と女の違い」だとか「目上と目下に対する態度の使い分け」をめぐる観念だとかいうものは、将来においては全部なくなってしまうべきだと私が考えているからである。しかし「現在の日本」においては、そういうのを「正しく」使い分けないと、社会から排除されてしまうのである。くやしいけど、使い分けるしかないのである。そして子どもたちや外国の人に日本語を教える際には、「相手が不利益をこうむらないように」ひときわ注意を込めてその「使い分け」を教えなければならないのである。言い換えるなら「人を差別することを教えろ」という話なのである。むっちゃ、屈辱である)

しかしそこでハタと思ったのは、この歌は「男性から男性の恋人に向けて歌った歌」だという可能性もあるということである。歌詞の内容としては、それでも全然おかしくはない。むろん「女性→男性」の歌としても成立しているわけなのだけど、あえて女性の言葉で訳したら「男性→男性」と読める余地がなくなってしまう。それこそ、改竄になる。結局、歌っているボズ氏が男性である以上、素直に男の言葉で翻訳するのが一番「自然」なのではないかと考えて、選択したのが上の訳詞の文体だった。

だが、海外サイトを見てみると、この部分に「ami」という言葉が使われていることを問題視しているようなコメントは、全然見当たらない。そして私が読んだどの解釈も、この歌は「男性から女性に向けた歌」であるという読み方で一致していた。歌詞の中に同性愛を連想させるような言葉が出てきた場合、特にこういう有名曲だと絶対に差別的なことを言って騒ぎだす人間が出てくるものなのだが、そういう気配もない。つまりアメリカ人の聞き手は、男性が女性の恋人に「ami」という言葉を使って呼びかけることに対しては、何ら違和感を感じていないらしいことが分かる。

しかし、だったらどうして英語の歌詞の中にわざわざフランス語を使ったりとか、するのだろう。ことによるとボズ氏は、カッコつけ目的のために歌詞の中に英語を散りばめてしかもその英語が間違っている日本のミュージシャンと同じくらいに恥ずかしいことを、この歌の中でやらかしてしまっているのではないだろうか。

ここはどうしても、フランス語話者の意見を聞かなければならないところだと思うが、フランス語で書かれたこの歌に関するネット記事を見つけることができたとしても、遺憾ながら私には読めない。上の訳詞で「ami」は結局「いとしいひと」と訳したが、釈然としない気持ちは、私の中に残っている。そして

We're all alone

である。これが「みんなひとりぼっち」という意味なのか「ぼくらはふたりきり」という意味なのかをめぐる論争のあらましについては、一番詳しいと思われる日本語版Wikipediaの記事を、まず引用して紹介しておきたい。

ボズ・スキャッグスの原曲には当初、「二人だけ」という日本語題がつけられていた。その後、リタ・クーリッジがカバーした際の日本語題は「みんな一人ぼっち」となった。現在では原曲・カバーともに日本語題をつけず、原題そのままに「ウィ・アー・オール・アローン」と表記されている。

これらの解釈は現在でも割れており、たとえばNHK Eテレの「アンジェラ・アキのSONG BOOK」で取り上げられた際は、We're All Alone は「二人きり」と「しょせん一人ぼっち」という意味の両方の解釈が可能とされている。また、本記事の英語版によればリタ・クーリッジのカバー版はオリジナルが "Close your eyes Amie and you can be with me" となっている行を "Close your eyes and dream and you can be with me" と歌っているため、「会う事を夢見る」に曲の意味を替えたのであれば「みんな一人ぼっち」と訳せるかもしれない。

なお、2007年の『シルク・ディグリーズ』再発盤に寄せたライナーノーツでスキャッグス本人は「この曲のタイトルを個人的な話と普遍的なテーマを両立させるものとしたが、両者の意味が同時に成立するような歌詞にするのに苦労した」と語っており、上記のような複数の解釈が可能なように最初から歌詞が設定されていたことが明らかとなった。しかしながら同時に歌詞づくりが非常に難航し、レコーディングが始まっても完成せず、書き足しながら録音したことを明かしたうえで、「この曲の意味は自分の中でも完全にはわかっていない」と語っている。

「Starting Over」の記事でも書いたことだけど、私は以前にある対訳サイトで「みんなひとりぼっち」という意味なら「We all are alone」になるはずだ、という文法的な説明を読んだことがあり、この歌に関しては「二人きり」で解釈するのが「正解」なのだと思っていた。しかし英語圏でも解釈が割れており、ボズ氏自身も「よく分からない」と言っている以上、英語における「ひとりぼっち」と「ふたりぼっち」は、文法的にはそれほど厳密に区別できる話ではないということなのだと思われる。

その上で私が見た限り、英語圏のサイトで積極的に「みんなひとりぼっち」説をとっている人の姿は、見当たらない。大体の人は「ふたりきり」という意味だと受け止めているようである。もっとも、「これこれこうだからこれは『ふたりきり』という意味なのだ」ということを、かなりの文字数を使って「解説」している例は、散見される。英語圏の人に対しても「説明しなければ分からない」ということは、説明がなければやはり両方の意味に読めてしまう余地があるということなのだと思う。

Wikipediaの解説によるならば、リタ・クーリッジの歌詞だと「歌の中の二人は実際には離れた場所にいる」ことから「みんなひとりぼっち」という読み方が成立し、ボズ氏の歌詞だと「恋人同士は同じ場所にいる」から「ふたりきり」という読み方が成立する、という話になっているようである。だが、このことをめぐって確実に言えるのは、「リタ・クーリッジのバージョンでは恋人同士が同じ場所にいない」ということだけであり、ボズ氏の歌詞だって雨とか海とか「同じ風景を見ているような描写」は出てくるけれど、それらはすべて空想の世界のことで、現実にはやはり二人は同じ場所にはいないのだという読み方だって、可能だと思う。

そしてこの歌詞が「みんなひとりぼっち」なのか「ぼくらはふたりきり」なのかということは、二人が現実に同じ場所にいるかどうかという「状況」に左右されて決まることであるようには、私には思えない。

自分に恋人がいたとしても、自分が孤独に感じられてしまう時というのは、ある。むしろ恋人がいない時よりもいっそう、孤独を感じる場面は増えるのが普通なのではないかとさえ思う。恋人と電話で話していても、その恋人が目の前にいても、その恋人と体を重ねている最中であっても、「自分も相手も孤独な人間なのだ」という気持ちになってしまうことは、起こりうる。だからボズ氏の歌詞が実際に恋人と二人きりの状況で歌われているように見えても、それだけで「ふたりきりだね」という意味なのだという判断を下すことは、できない。体を密着させながら「ぼくらはみんなひとりぼっちだ」という言葉をつぶやきたくなることだって、起こりうるからである。

同様にリタ・クーリッジのバージョンでも、恋人同士が実際には同じ場所にいないとはいえ、それだけで「みんなひとりぼっち」という意味だと決めつけることは、やはりできない。「目を閉じれば一緒になれる」と、実際に歌詞の中では、歌われているのである。たとえ空想の中であろうと「ふたりきり」の状況が成立している以上は、「ふたりきりだね」という言葉が出てきても、何もおかしくはない。お菓子食わない。見そこなった。味噌、粉になった…分かる人にだけ分かればいいです。

つまりこの歌詞においては、本当に「どっちの読み方も成立する」ということなのだ。どちらか一方に偏った解釈で訳詞を書いたら、ウソになる。

「みんなひとりぼっち」と「ぼくらはふたりきり」が矛盾なく成立するような訳詞。どう書けばいいというのだろう。私に思いついたのは「他に誰もいない世界」という言葉だった。そして思いついた瞬間に

つまんねえええっ!

と思った。本当は自分の地の言葉で「しょーもなぁぁあっ!」と思ったのであるが、ここも一応、翻訳してある。

とはいえつまんねくてもしょーもなくても、このブログが心がけるところは外国語で書かれた歌の意味を「正確に翻訳する」ことなのだ。原詞のイメージをぶち壊しにしてしまうことが分かっていても、ひとりよがりな解釈を拒もうとする限り、今の私にはこういう翻訳の仕方しか思いつかない。

「We're all alone」と言い切るからこそのパンチ力というものが、この歌の原詞にはあるわけなのだけど、結局その部分は、犠牲にするしかなかった。そんなわけで以下に続く訳詞は、多少やる気をなくした上で書かれたものになっている。

Close the window

「窓を閉める」と「窓を閉じる」。どっちだって同じことなのだけど、「窓を閉めて」と訳するとこのロマンチックな歌の中にいきなりお母さんが出てきて怒られているみたいな感じになる。何でそうなってしまうのかは、分からない。分からないけど、日常生活の中ではほとんど使わないことを自分でも自覚している「閉じる」という言い方を、ここでは選ぶしかなかった。難しいものである。

And it will be alright

「そうすればすべては許されている」などというのは意訳のしすぎではないかと自分でも思うが、「そうすれば大丈夫」などと訳してしまうとこれまた「お母さん」が出てくる感じになる。何で「お母さん」だと変になるのだろう。思うに「お母さん」という存在にはやはり「安心感」みたいなものが象徴されている感じがあるのだけど、この歌の内容は「安心感」からは程遠いのである。だから、できるだけ悲壮な言葉を選んで翻訳しなければならない感じがする。そんな風にいろいろ考えながら翻訳しているのだけど、できあがったものを見るとちっともうまくない。つまらない。疲れてしまう。

Let it out

直訳は「それを外に出せ」。「忘れてしまおう」という翻訳を他サイトで見たことがあり、「記憶を頭の外に出せ」という意味になるので、それはそれで成立する解釈なのだと思う。ところが海外サイトを見ると、この部分を「泣けばいい」という意味なのだと説明している文章があった。この場合は涙を「出せばいい」ということになる。さらに男性同士のカップルであるという可能性まで考慮に入れるなら、「出す」のは別のものであることも考えられる。「出せばいい」と素直に翻訳することしか、私にはできなかった。

Learn how to pretend

「pretend」という言葉が持つ独特のニュアンスに関しては、以前に書いたこの記事を参照ください。二番以降の翻訳をめぐっては、特に論争になるような箇所もないように思われるので、解釈は割愛させてもらいます。


竹内まりや マンハッタン·キス

翻訳を終えた上で頭の中に浮かんできたのは、この歌の風景だった。日本語で書かれた歌の中では一番「We're all alone」的な歌なのではないかという感じがする。というわけでまたいずれ。

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