華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Alone Again (Naturally) もしくは(必然的に)もう一度Alone問題について (1972. Gilbert O'Sullivan)


Alone Again (Naturally)

Alone Again (Naturally)

英語原詞はこちら


In a little while from now
If I'm not feeling any less sour
I promise myself to treat myself
And visit a nearby tower
And climbing to the top
Will throw myself off
In an effort to make clear to whomever
What it's like when you're shattered
Left standing in the lurch
At a church where people saying
My God, that's tough, she stood him up
No point in us remaining
We may as well go home
As I did on my own
Alone again, naturally

今からもうちょっとしたら
別に不愉快だと思ってるとか
そういうわけでもないのだけれど
近くにある塔に行って
一番てっぺんまで登って
身を投げることにする。
そう自分に誓った。
粉々に打ち砕かれた人間は
どんな風になってしまうものなのか
それを世界中に
見せつけてやる必要があると思うから。
「なんてこった」
「きつい話だな」
「あいつ、花嫁に振られたらしいぜ」
「ここにいたって仕方ないよね」
「帰りましょうか」
そんな風に
いろんな人が言い合ってる教会で
グラグラしながら立っているこの気持ち。
まあ自分だって立場が違えば
同じように言ってただろうと思う。
またひとりぼっちになってしまった。
きわめて自然なできごとみたいに。


To think that only yesterday
I was cheerful, bright and gay
Looking forward to, well, who wouldn't do
The role I was about to play
But as if to knock me down
Reality came around
And without so much as a mere touch
Cut me into little pieces
Leaving me to doubt
All about God and His mercy
For if He really does exist
Why did He desert me
In my hour of need?
I truly am, indeed
Alone again, naturally

つい昨日までのことを考えてみれば
ぼくは元気で陽気で明るくて
誰だってそうするもんだと思うけど
これから始まる
人の夫としての毎日というものについて
楽しみにしながら
思いをめぐらせていた。
けれどもまるでぼくを打ちのめすように
現実が訪れて
ちょっとそれが
体をかすめて行っただけで
ぼくはバラバラに切り裂かれてしまった。
かみさまやらその慈悲やらというものが
ぼくにはまったく疑わしくなった。
かみさまというものが
本当にいるもんだとしたら
一番ぼくにとって必要なときに
どうしてぼくを見捨てたりしたんだろう?
ぼくは実際ほんとうにまた
ひとりぼっちになってしまった。
きわめて自然なできごとみたいに。


It seems to me that there are more hearts
Broken in the world that can't be mended
Left unattended
What do we do?
What do we do?

この世界には
こんな風に打ち砕かれて
癒されることのない心が
誰にも面倒を見てもらえないまま
無数に取り残されている
ようにぼくには見える。
どうしてあげたらいいんだろうね。
そしてぼくらは
どうしたらいいんだろうね。


Alone again, naturally
当たり前なできごとみたいに
またひとりぼっちになってしまった。


Now, looking back over the years
And whatever else that appears
I remember I cried when my father died
Never wishing to hide the tears
And at sixty-five years old
My mother, God rest her soul
Couldn't understand why the only man
She had ever loved had been taken
Leaving her to start
With a heart so badly broken
Despite encouragement from me
No words were ever spoken
And when she passed away
I cried and cried all day
Alone again, naturally
Alone again, naturally

あらためて
何年も前のことを振り返り
浮かんでくるあらゆる映像を
さかのぼってみると
父親が死んだときに
めちゃめちゃに泣いて
涙を隠そうとも思わなかった
自分の姿を思い出す。
そしてあのとき
65歳だった母親。
神というのがもしいるなら
彼女の心をなぐさめてほしい。
自分が本当に愛した
たった一人の男がどうして
召されて行かねばならなかったのか
彼女は理解することができなかった。
めちゃめちゃに壊れた心を抱えて
母はそれから生きることになり
ぼくがどんなに励ましても
何の言葉も返ってくることはなかった。
そしてその母も逝ったとき
ぼくは一日中泣き明かした。
まるで当たり前のことみたいに
またひとりぼっちになってしまった。
自然の中に生まれたものが
誰でもそうなるように
またひとりぼっちに
なってしまった。

=翻訳をめぐって=

12月8日に合わせて訳した「Starting Over」の中には「We'll be together all alone again」という歌詞があり、これは「ぼくらはまた完全に二人きりになるだろう」という意味だったのだが、この曲のタイトルになっている「alone again」は「またひとりぼっちだ」という意味である。これはもう、誤解のしようもない。

しかしこの曲が実際にはどんなことを歌っている曲なのかというその内容に関しては、誰でも聞いたことがあるくらい有名な曲であるにも関わらず、これほど誤解を受けている曲も珍しいのではないかと思う。などと他人事みたいに書いてみせつつ実は私自身が誤解してきたのだが、まず歌詞を読まずにタイトルと曲だけを聞いてみれば、誰もが恋人との悲しい別れを歌った曲だという風に想像するはずだと思うのである。

ところが少なくとも90年代まで、ギルバート・オサリバンのCDの歌詞カードの和訳部分に書かれていたのは、この曲が「母親との別れ」を歌った曲だという解釈であり、そのことにまず、10代だった私はビックリさせられた。

その上で今になってネットで調べ直してみると、この歌は実は「結婚式の日になって花嫁になるはずだった相手に逃げられた男の歌」だったのだということが明らかになり、私は何だかもう、開いた口がふさがらなかった。歌に対して抱いていたイメージがこれだけ二転三転した例というのは、「華氏65度の冬」に彩られた私の歴史の中でも前代未聞である。まさかよく読んでみたらもう一度ひっくり返るなんてことはないだろうなと思って、私はこの曲に関してはかなり何回も詳細に調べ直した。ブログを始めたかなり早い段階で翻訳を予告していたにも関わらず、250回目を越えるまで記事を書くことができずにきたのは、そのためでもある。

そしてそんな風に何度も何度も聞き直しては歌詞を読み直して見た上で、今の私が感じているのは、その「花嫁に逃げられた」という衝撃的な歌い出しの内容さえ、この歌の風景の中では「数あるエピソード」のうちのひとつにすぎないのではないかということである。

この歌に歌われているのは「人間は一人で生まれてきて一人で死んでいくしかない存在なのだろうか」という、本当にどうしようもない問いかけなのだと思う。

それと比べたら教会で花嫁に逃げられるぐらいのことは、どうだってしようがあることであるように思えてくるのである。

とまれ、訳詞の検討に移ろう。

In a little while from now
If I'm not feeling any less sour

「これからしばらくしても、もし僕の心が晴れなかったら」という訳し方で大体他サイトの解釈は一致しているのだが、どうもしっくり来ないものを感じ続けていた。この2行目の「if」は「ラジオスターの悲劇」に出てきた「if」、すなわち「もしも」という仮定の if ではなく、「〜であったとしても」という譲歩の if として解釈すべき言葉なのではないだろうか。つまりクールな言い方をしているけれど、この歌の主人公の「身投げする決意」は、初めからそれぐらい揺るぎないものだと感じられるのである。

もしこの if が仮定の if なら、後に続く言葉は I'm not feeling any less sour ではなく。I won't feel any less sourといった形で未来形をとるのではないかと思う。現在進行形をとっている以上、「not feeling any less sour (別に不愉快には感じていない)」というのは主人公の現在直下の気持ちとして受け止めるべき言葉であるように思われる。

なお、「not any less」という言い回しがまたややこしいのだが、ここでは以下のサイトの記述を参考に翻訳させて頂いた。
That's any less A|気になる英語の妄想アウトレット

What it's like when you're shattered

「shatter」は「粉々にする」という意味で、それが受動態になっている。私は「心が閉ざされる」みたいな意味だと思っていたのだったが、それは「shutter」だった。だから「心が粉々になった人間がどんなことになるのか見せてやりたい」と訳そうかといったん思ったのだったが、ひょっとして主人公が世間に見せつけてやりたいと思っているのは、飛び降りてバラバラになった「自分の身体」なのかもしれない。だから「心が」は削ることにした。

Left standing in the lurch

「lurch」は「強い揺れ」。「グラグラしながら立っているこの気持ち」という訳し方をしたのは、主人公が身投げを決意している冒頭の数行は、そうやって教会でひとり取り残されている彼氏の頭の中でつぶやかれている言葉なのだという、「歌の風景」を明確にしておきたかったからである。

she stood him up

直訳は「彼女は彼を取り残した」。この「彼女」が「花嫁」であることは、原詞の中では明言されていない。このために90年代の歌詞カードでは、「彼女は彼を残して死んでしまった」という訳し方がされている。つまりこの「教会の光景」が「彼の母親の葬儀の情景」であると解釈されていたのである。わけのわからない歌に思えたのも、当然だった。もちろん海外サイトでは、どこを探してもそんな解釈は書かれていない。第一それでは、「昨日までは明日からの生活が楽しみだった」という二番の歌詞が意味不明になる。「花嫁」という原詞にない言葉をあえて入れたのは、誤読を防ぐための意訳である。

As I did on my own

直訳は「自分自身でそうしたように」となるのだが、花嫁がドタキャンするような結婚式に人生で2回も3回も居合わせた経験を持つ人は、稀だと思う。「自分だって立場が違えば同じように言ってただろう」という形で意訳したが、他の解釈もありうるかもしれない。

who wouldn't do

イギリス英語で「誰だってそうするだろう」という意味なのだそうだが、アメリカ人はこういう言い回しを使わないらしく、「どういう意味だろう」と質問していたアメリカ人に対するイギリス人の回答を見て、私もこの部分の翻訳の仕方が理解できた次第である。大西洋の両岸でこの曲に関するやりとりを交わしていた二人は、まさかそれを日本人が後から読んで翻訳の参考にするとは思わなかったことだろう。しかし逆の立場で考えるなら、このブログが地球の裏側で日本語を勉強している外国人のために思いもよらない形で役に立っているようなことも、ひょっとしたら起こっているのかもしれない。恥ずかしくないようなことを、書かなければならないと思う。


夢の途中/セーラー服と機関銃

来生たかおという人は、「ギルバート·オサリバンになること」が夢だったらしい。

スーツケースいっぱいに詰め込んだ
希望という名の重い荷物を
君は軽々ときっと持ち上げて
笑顔を見せるだろう

というこの曲の一節は、日本の歌謡曲の歌詞の歴史の中に築かれたひとつの金字塔だと私は思っている。ではまたいずれ。

とあいさつできる相手がいるって、幸せなことですね。

参考リンク:
Sanseido Word-Wise Web [三省堂辞書サイト] » Alone Again (Naturally) (1972, 全米No.1)/ギルバート・オサリヴァン(1946-)

==============================
はじめての方へ(総目次)
曲名索引(ABC順)
邦題索引(あいうえお順)
アーティスト名索引(ABC順)
アーティスト名索引(あいうえお順)