華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Clair もしくは当時3歳だった彼氏のマネージャーの娘さんの名前 ※ (1972. Gilbert O'Sullivan)

Clair

英語原詞はこちら


Clair
The moment I met you, I swear
I felt as if something, somewhere
Had happened to me
Which I couldn't see
And then
The moment I met you again
I knew in my heart that we were friends
It had to be so
It couldn't be no
But try
As hard as I might do, I don't know why
You get to me in a way I can't describe
Words mean so little when you look up and smile
I don't care what people say, to me you're more than a child
Oh, Clair
Clair

クレアさん。
初めてあなたに出会った時
ぼくは言っちゃいますけど
目には見えない何かがどこかで
自分に起こったような
そんな感じがしたんです。
そしてそれから
もう一度あなたに会った時
ぼくらはもう友だちになってるんだって
心の中でわかったんです。
そうでなくちゃならない。
そうでないなんてありえない。
でもどうしてなのか
どれだけ考えてみても
わからないのです。
あなたはとても
言葉に言い表せないような感じで
ぼくの世界に入ってくる。
あなたが微笑んで
ぼくの顔を見あげると言葉なんて
ほとんど無意味になってしまう。
人が何て言おうとかまわない。
ぼくにとってあなたは
単なる子ども以上の存在なのです。
ああクレアさん。
クレアさん。


Clair
If ever a moment so rare
Was captured for all to compare
That moment is you
In all that you do
But why
In spite of our age difference do I cry
Each time I leave you I feel I could die
Nothing means more to me than hearing you say
"I'm going to marry you, will you marry me, Uncle Ray?"
Oh, Clair
Clair

クレアさん。
あらゆる瞬間の中で
もし捕まえられたらの話
最もたぐい希なる瞬間というのは
あなたがいる瞬間だと思うのです。
あなたのやることなすこと
そのすべての瞬間が奇跡です。
でも
どうしてなんでしょう。
こんなに年が離れているのに
どうしてぼくは泣けてくるのでしょう。
あなたと別れるたびに
ぼくは死にそうな気持ちになります。
「わたしおじさんと結婚したい。
してくれる?レイおじさん」
あなたのその言葉ほどぼくを
たまらなくさせるものはありません。
ああクレアさん。
クレアさん。


Clair
I've told you before, don't you dare
Get back into bed
Can't you see that it's late
No you can't have a drink
Oh all right then, but wait just a bit
While I, in an effort to babysit
Catch of my breath what there is left of it
You can be murder at this hour of the day
But in the morning this hour will seem a lifetime away
Oh, Clair
Clair
Oh, Clair

クレア
ちゃん。
「前にも言ったでしょ?」
「だめですっ」
「寝なさいっ」
「もう遅いってわかるでしょ?」
「もう飲んじゃダメ」
「はいはい分かったよ」
「でももうちょっと待っててよ」
という具合に子守りをしながら
ぼくも一休みしなくちゃ。
まだ何かやらなくちゃいけないことが
残ってなかったかな。
この時間のクレアちゃんは
殺す気かって言いたくなるぐらい
手がかかって仕方ない。
でも朝になると
そんな時間があったことは
前世のことと同じくらい
遠い世界のできごとに思える。
ああクレアちゃん。
クレアさん。
クレア。


Crair

=翻訳をめぐって=

ギルバート・オサリバンという人が書く歌詞は、ことごとく聞き手の第一印象をいかに効果的に裏切るかということを計算した上で書かれているのではないかと思ってしまう。これまでに翻訳してきた彼氏の代表曲は、全部そうだった。この曲だってそうである。歌詞を知らずに曲だけを聞いた人は、クレアという名前の恋人に向けられた切ない切ないラブソングに違いないと、誰だって誰だって思うはずなのだ。私だって、そう思っていた。にも関わらずフタを開けてみると、「3歳の女の子」に向けて書かれたのが、この曲だったのである。

それに加えてさらに私をビックリさせたのは、海外サイトを見てみても、「知らなかった」「驚いた」という声があふれていたことだった。このことはつまり、ポップソングの歌詞なんていかに誰もろくに聞いていないかという事実を、示しているのだと思う。しかしそれにつけても、人間の第一印象というのはつくづくアテにならないものだと、改めて感じさせられてしまう。

この曲が捧げられている相手のクレアさんというのは、ギルバート氏のマネージャーでありプロデューサーでもあったMAMレコードの主催者のゴードン・スミスという人の娘さんの名前なのだという。この歌にも出てくるようにギルバート氏はゴードン氏から実際に子守りを任されるぐらい、自分を世に出してくれたこのマネージャー兼プロデューサーと、親密な家族ぐるみの関係を結んでいたらしい。ギルバート氏の本名は「レイモンド·エドワード·オサリバン」なのだとのことで、歌詞に出てくる「レイおじさんと結婚したい」というクレアさんの言葉も、おそらくは実際にそういうやりとりがあった上での文言なのだと思われる。

ただし、ギルバート氏とゴードン氏との美しい信頼関係は長くは続かず、やがて二人はロイヤリティの取り分をめぐって決別し、何年にもわたって裁判を繰り広げるような、ドロドロしたことになってしまう。という話がこの歌を紹介している他サイトの記事には必ず付け加えられているのだけど、このブログにとって重要なのはあくまで歌詞の内容なので、そうした裏側の事情にまで踏み込むのは、ほどほどにしておきたいと思う。それにつけてもこの二人の争いは本当に世間の耳目を集めた話題であったらしく、他の元ビートルズメンバーの音楽活動がいまいちパッとしていなかった70年代中盤に唯一ウイングスでヒットを連発させていたポール・マッカートニーは、成功の理由を「ギルバート・オサリバンが休んでくれてるおかげ」だと語っていたらしい。このエピソードも、どのサイトの記事を読んでも書いてある話である。

その上で、この歌が3歳の女の子に向けて書かれた歌であるという事実に対し、ネット上には「ゾッとした」「気持ち悪い」という声があふれている。これは、もっともな話だと思う。子どもの頃に虐待を受けた経験を持っている人からすれば、成人した人間が子どものことを「大人の恋愛の対象」として見たり扱ったりすることそれ自体が、虐待のはじまりであり、許せないことなのだ。

「そう感じる人もいるかもしれませんが、私はこの曲が好きです」みたいなコメントも、ネット上には散見される。だが、虐待を受けた経験を持つ人から見れば、これほど傷つくコメントもないのではないかと思う。「あなたがどう感じるかなんて、聞きたくない」「あなたの感じ方の方がおかしいのだ」と言われているに等しい言葉だからである。

そして改めて曲を聞いてみれば、ギルバート·オサリバンの歌詞の書き方自体が、明らかに「確信犯的」なのだ。曲が始まって1分たって「you're more than a child」という言葉が出てくるまでは、誰が聞いても大人の恋愛の歌だと思えるような言葉で、この歌は書かれている。「ビックリさせてやろう」とか「オチをつけてやろう」という意図が彼氏にあったであろうことは、疑いえない。しかし虐待された経験を持つ人がそこで感じるショックは、「ビックリした」で済むような話ではないし、本当に心臓が止まる人がいたっておかしくないレベルの話だと思う。冗談としての演出なのだとすればタチの悪い冗談だと言う他ないし、マジで書かれた言葉なのだとすれば「待てよ、おい」と言う他ない。児童虐待というのは「深刻に受け止める方がおかしい」とかそういう風に片付けていい問題では、絶対にないからである。「おかしい」のはあくまで、「深刻に受け止めようとしない側」の人間なのだ。

そんなわけで、この歌の翻訳については、内容に対して批判のある歌詞にこれまで私がつけてきた「」マークをつけて公開するしかないと思う。ずいぶん長いこと聞いてきた曲だし、それと一緒に育まれてきた「愛着」もある曲である。とりわけメロディや口笛の入れ方といったような「純粋に」音楽的な観点からすれば、他のどんな曲の追随も許さないほど「美しい」曲であると今でも思う。だが、人を傷つける内容の言葉がそのメロディに乗せられていることを知った上でなおかつそこに「美しさ」を感じるなら、それはもはや「悪魔的な美しさ」でしかないし、それを「美しい」と言い続けることのできる人間がいるとしたら、彼(女)自身が「悪魔的な人間」になっているということなのだということを、我々は銘記しておかねばならないと思う。

そのことの上で、こういう歌を作ったギルバート·オサリバンという人の人格に対する「ヘンタイ」だとか「気持ち悪い」とかいった誹謗中傷もネット上にはあふれており、それはそれで、見るにたえない。彼氏のクレアさんに対する「想い」というのが、マジなものだったのか「冗談」レベルのものだったのかということまでは、この歌詞だけからは、分からない。しかしその人が何を好きだと感じ何を美しいと感じるかといったようなことは、完全にその人の自由、と言うよりむしろその人の自由にはならない問題なのだから、人格攻撃の理由にされていいようなことでは絶対にないと思う。上に紹介した「Clair」の動画があまりにそうした荒らしコメントの攻撃を受けていたことに心を痛めた、この歌に歌われているクレア·ミルズさん本人のコメントが公開されていたので、最後に紹介しておきたい。

" Sorry you have to read the awful posts about the song Clair..
I was a toddler !!!!!! Please feel free to tell them that from me .
He is also a very kind and lovely man who I adore still to this day and I would ask them kindly to refrain and respect our wishes "
= Clair Mills = December 2011

この「クレア」という歌について書かれた、ひどいコメントをみなさんが読まされる羽目に陥っていることを、残念に思います…
私はよちよち歩きだったのです!!!!!! どうかそういうコメントをする人たちに対しては、それが私からのメッセージであると、(動画の投稿者の方が)自由に伝えてあげてください。
彼(ギルバート·オサリバン)はまた、とても親切でラブリーな男性であり、私が今日に至っても尊敬し続けている人です。(悪意あるコメントをする人たちに対しては)どうかそれを差し控え、私たちの気持ちを尊重していただけるよう、よろしくお願いします。

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