華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Territorial Pissings もしくは いわゆるマーキング (1991. Nirvana)


Territorial Pissings

Territorial Pissings

英語原詞はこちら


"Come on people now,
smile on your brother and
everybody get together,
try to love one another right now"

「さあみなさん。
仲間には微笑みを。
そしてみんながひとつになって、
お互いのことを愛し合おうではありませんか!」


When I was an alien,
cultures weren't opinions

おれが昔
エイリアン(よそもの/異邦人)だった頃
文化というものは誰かの意見や
持ち物ではなかったはずだった。


Gotta find a way, to find a way, when I'm there
Gotta find a way - a better way - I had better wait

何とかしてやり方を考えなくちゃ。
出口を見つけなくちゃ。
おれがそこにたどりついたら
何とかして出口を見つけなくちゃ。
もっといいやり方を見つけなくちゃ。
もっと待ってた方がいいみたいだ。


Never met a wise man,
if so it's a woman

かしこい人間(男性)というものには
出会ったことがない。
いるとしたらそれは
女性だろう。


[x2]
Gotta find a way, to find a way, when I'm there
Gotta find a way - a better way - I had better wait

何とかしてやり方を考えなくちゃ。
出口を見つけなくちゃ。
おれがここにいるうちに。
何とかして出口を見つけなくちゃ。
もっといいやり方を見つけなくちゃ。
もっと待ってた方がいいみたいだ。


"Just because you're paranoid, don't mean they're not after you"
「きみがparanoidだからといって
人につきまとわれる立場に
ならないとは限らない」


[x4]
Gotta find a way, to find a way, when I'm there
Gotta find a way - a better way - I had better wait

何とかしてやり方を考えなくちゃ。
出口を見つけなくちゃ。
おれがそこにたどりついたら
何とかして出口を見つけなくちゃ。
もっといいやり方を見つけなくちゃ。
もっと待ってた方がいいみたいだ。







MTVスタジオでの92年のライブを収録した上の動画を見て、「ミチコオノ日記」の作者の人がこのブログのために描きおろしてくれたヘッダー画像のミユキさんの右肩の上に描かれている松田類さんは、カートと同じカーディガンを着て左利きの持ち方でギターを持っていることに、改めて気づきました。いろんな楽しみ方を仕込んでおいてくれて、本当にありがとうございます。ヘッダー部分で画像の全体を表示できないのが、かえすがえすも残念でなりません。

=翻訳をめぐって=

いたって、シンプルな歌。タイトルを直訳すると「縄張りのための小便」というあまりキレイでない言葉であり、オスの哺乳類に特徴的に見られるいわゆる「マーキング行動」のことを意味している。要は犬が電柱のところでやってるあれなのに、何でこんなややこしい解説が必要になるのだろう。

以下はカートが「The Record (カナダの雑誌?)」に対し、この歌について語っているコメント。

"In the animal kingdom, the male will often piss in certain areas to claim his territory, and I see macho men reacting towards sex and power in the same way. I’d like to see these lost souls strung up by their balls with pages of scum manifesto stapled to their bodies."
動物の王国で、オスはしばしば自分の縄張りを主張するために、特定の場所で小便をする。マッチョな男たちがセックスや権力をめぐってとる行動というのは、それと同じようにおれには見える。おれはそういう失われた魂の持ち主(≒あわれむべき存在)たちが、体にSCUMマニフェストを印刷した紙を括りつけられた上で、睾丸に縄をつけて吊るすやり方で絞死刑にされているさまを、心から見たいと思うね。

「SCUMマニフェスト」という言葉がこれまた分からなかったのだが、前回紹介したニルヴァーナの本から、サワリの部分をWikipediaへのリンクつきで引用しておく。

この曲に広い意味で影響を与えていたのは、フェミニストの闘士ヴァレリー・ソラナスが60年代後半に、男という種族を強烈に告発したパンフレット「SCUMマニフェスト」だ。SCUMとは男性撲滅社会(Society for Cutting up Men)の頭文字を取ったもので、ソラナスは自らの教えに習い、68年にポップ・カルチャーのアイコン、アンディ・ウォーホル撃った。カートは、女性が地球を支配すべきだという彼女の考えに、それがどういう意味かはさて置き、感動し共感を覚えた。

…エヴェレット・トゥルー
「ニルヴァーナ:ザ・トゥルー・ストーリー」 2006年

以下は、内容をめぐって。

"Come on people now,
smile on your brother and
everybody get together,
try to love one another right now"

ベースのクリス·ノヴォゼリックが裏声で叫んでいる冒頭のこのフレーズは、60年代のヒッピー文化を牽引したバンドのひとつと言われているヤング·ブラッズの「Get together」という曲の歌詞をそのまま引用したもの。こういう演出それ自体については、ビートルズの「Let it be」というアルバムの中の何曲かの冒頭や終わりの部分で、ジョン・レノンがやっていることのパロディであるようにも思える。


Get together

When I was an alien,
cultures weren't opinions

「エイリアン」という言葉が持つ意味は、1979年に同名の映画が公開される前と後では英語圏でも丸っきりそのイメージが変わってしまっている感じであり、少なくともあの映画が出るまでは、この言葉から人喰い地球外生命体を連想する人なんて一人もいなかったはずなのである。それが現在では、この言葉を聞いた時に真っ先に思い浮かべるのは、英語圏の人でもやはりあのキャラクターの姿であるらしい。以前に翻訳したスティングの「Englishman in New York」という曲でも、歌詞の中に出てくる「エイリアン」という言葉に重ねられているのは「あのエイリアン」であるとのことだった。


バービーボーイズ Dearわがままエイリアン

家族に愛されていないという気持ちを持ちながら育った幼少時、カートは「自分は実はどこかの星から来たエイリアンが地球に置き去りにしていった子どもなのではないか」と夢想していたことがあったのだという。その意味で歌っているのだとしたら、この歌詞は単純に「子どもの頃」を指していることになる。(だが、「それならいつからエイリアンでなくなったのか」という疑問は残る)

元々の語義通りに解釈するなら「エイリアン」とは「よそもの/異邦人」であり、「ある特定の社会から爪弾きにされているが、同時にその社会に対する責任を果たすことも求められていない存在」というイメージで読める言葉だと思う。有名になる前のカートたちは、誰からもまともに相手にされていなかったが、誰に対しても責任をとらなくてよかった。それがバンドとしてメジャーデビューしてしまうと、自分たちの言動にイヤでも「社会的責任」がつきまとうようになった。そういうメッセージが込められた歌詞なのではないかという感じが、私はする。

cultures weren't opinions。カルチャーはオピニオンではなかった。これがまたシンプルな言葉ではあるが、意味するところが捉えにくい。「カルチャー」は「文化」でいいとして、「オピニオン」には「意見、見解、思想、世間の評価」といった様々な意味が存在する。しかしそれを機械的に当てはめただけでは、どの訳語を選んでもピンと来る言葉にならない。

思うに文化というのは「誰かが作り出す」ものではなく、「いつの間にかその中にいる」というイメージの言葉である。従ってそれは誰の所有物でもなければ、誰かがそれに対して責任を持たねばならないようなものでもない。

これに対して「オピニオン」は、「意見」であれ「思想」であれ、言った端からそれに対する責任を問われる言説である。さらにそれが「オピニオン」にとどまっている限り、あくまでそれは社会的に広く共有されるには至っていないのであり、その意味では「個人に属するもの」というイメージがある。そして「個人の所有物」である以上、それをどのように扱おうと個人の勝手、という発想が生まれる。

つまりカートは、自分たちが「新しい文化の担い手」みたいな形で祭りあげられ、それを作り出した責任を問われる立場みたいなものを押しつけられてしまったことに対し、「文化というのはそういうものではないんじゃないか」という違和感を表明していると同時に、一方で「文化」を「私物化」して自分たちの好きなように扱おうとしている他のタイプのアーティストたちに対し、「それはお前たちが発明したものでも何でもないだろ」という風にアンチを表明しているのではないだろうか。というのが、この歌詞に対する私の印象だった。「Territorial Pissings」という言葉は、そんな風に「文化」を「自分の所有物」みたいに扱おうとする、主要にはマッチョなアーティストたちの振る舞いにこそ、向けられているように感じる。

…こんな調子で書いてたら、それこそこのブログの読者は最後には2~3人しかいなくなってしまいそうな気がする。

Gotta find a way, to find a way, when I'm there
Gotta find a way - a better way - I had better wait

find a way は「やり方を見つける」とも「出口を探す」とも訳せる。つまりは、どっちでもいい。

ただしそれに「when I'm there=おれがそこにたどりついたら(「有名になったら」という意訳の仕方をしているサイトも見つけたが、それだけの意味ではないように思う)」と「I had better wait =今は待った方がいいみたいだ」という「別の言葉」が、それぞれ付け加えられている。

つまり「今は探してない」のである。案外この歌詞で一番重要なのは、このことではないかと思う。

だからこのバンドの皆さんは、別に今、答えを求めてあがいているのでもないくせに、近い将来それを探さねばならなくなることに備えて、こんな大騒ぎを繰り広げていることになる。

何だか、とても変な歌である。

Never met a wise man,
if so it's a woman

英語では「男」を意味する「man」という言葉に「人間」という意味が同時に与えられており、これに対して女性は「woman」というあたかも「人間(=man)ではないかのような名前」で呼ばれている。言語そのものの中に織り込まれた明らかな差別構造であり、カートは言葉遊びめいたこの歌詞を通じて、そのことを批判していることが分かる。日本語にもそういうのは、いっぱいある。

"Just because you're paranoid, don't mean they're not after you"

「paranoid」とは「偏執症の患者」という意味だと辞書にはあるが、「偏執症」という「病気の名前」まで含めて、人を差別するためにだけある言葉なのではないかという感じが、私はする。そういう概念を私は認めたくないし、そういう言葉も認めたくない。

60年代には井上ひさしが「狂人」を主人公に仕立てた「日本人のへそ」という戯曲を書き、70年代には筒井康隆が「狂気」をテーマに据えたと称する何本もの小説を書き、80年代には浅田彰が「パラノイアからスキゾフレニアへ」みたいなことを言って「精神病」を「ライフスタイル」にすることを提唱するような批評を繰り広げ、90年代には中島らもがそれを地で行くような表現活動を展開していて、私はそういうものばかり自分で選んで読んだり見たり聞いたりして育ってきたのだけど、今ではそうした全てに対し、嫌悪感しか感じない。

かれらはみな一様に「狂気」を肯定するような言葉を綴りながら、心の底では「精神病者」を徹底的に見下している人間たちだった。「自分だけは世界で一番まとも」であると信じてやまない類の、どうしようもない連中だった。自らが「双極性障害」を発症していた中島らもにしたところで、他の「精神病者」に対して持っていた観方は同じようなものであり、今でも時々語られることのある彼が持っていた「やさしさ」みたいなものは、ニセモノだったとしか私には思えない。

かれらが持ちあげたり賛美したりしていた「精神病的な生き方」の「型」というのは、要するに芸術だとかある種の専門分野だとかに特殊な才能を発揮するタイプの「使える精神病者(…誰にとっての話だ)」のイメージであるにすぎない。そういう「精神病者」に対しては、かれらは時として自分自身を投影してみせることすらいとわない。しかしそうした「人に認められる特殊な才能」を持たない「精神病者」に対しては、かれらは見向きもしない。家族からも疎んぜられ、仕事は見つからず、生活保護も受けられず、街に出れば「危険」だと言われ、閉鎖病棟に隔離されたり場合によっては殺されたりする恐怖と常に背中合わせのところで生きている大多数の「精神病者」の現実について、かれらが語ったことは一度もない。かれらはひたすら、自分たちが頭の中で作りあげた「自分にとって都合のいい人間像」を、「精神病者」という「他者の身体」に押しつけ続けただけだった。つまりかれらはそういうやり方で、「精神病者」のことを差別していた。

そのことに気づくようになって以降、「狂う」という言葉を「ファッション感覚」で使ってみせるタイプのあらゆる言説に対し、私は強い憎悪を感じ続けている。かつての自分自身がそうした言葉に溺れていたことへの情けなさも含め、そうした言葉は絶対に「スルー」することができないと感じている。

「paranoid」などというのは、そんな風に「精神病者」であることが何か「カッコいいこと」ででもあるかのような言説が、現実の「精神病者」を放ったらかしにして軽薄に繰り広げられていた時代にマスコミに躍りまくっていた言葉なので、私は正直、見たくもない。その上で上記の歌詞の二行は丸ごと、ジョセフ・ヘラーという作家が書いた「キャッチ=22」という小説からの引用なのだという。私は読んだことがないが、Wikipediaの記事を見る限り上に列挙したような作品群と完全に同類の内容らしいので、読む必要もないと思う。

"Just because you're paranoid, don't mean they're not after you" というフレーズを字義通りに翻訳するなら、後半部分の「after」という言葉には「後を追う=他の人が見本にする=マネしたがる」という意味と、「追跡する=つけ狙う」という意味の二つの解釈がありうると思うが、どちらも「人気者になる」という意味であることに変わりはない。つまり、人からparanoidと呼ばれるような人にも、「人気者」になることは難しいことではない。ただしその「人気者」になるということは、本人たちにとっては迷惑なことでしかない。そういった内容なことが投げやりな調子で歌われている歌詞だと理解すれば、間違いはないと思う。

そのことの上で、人からparanoidなどというレッテルを貼られるようなことに対しては、投げやりになるなよと私は言いたいし、まして他人にそういうレッテルを貼りつけ返すような行為については、論外だというのが率直な感想である。

…こんなにシンプルな歌であるにも関わらず、思ったことを全部書こうと思ったら結局1万字を越えてしまった。この特集は、終わるのだろうか。ではまたいずれ。

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