華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

The Weight もしくは重荷 (1968. The Band)


The Weight

The Weight

英語原詞はこちら


I pulled into Nazareth, was feelin' about half past dead;
I just need some place where I can lay my head.
"Hey, mister, can you tell me where a man might find a bed?"
He just grinned and shook my hand, and "No!", was all he said.

ナザレスの街で
乗り物から降りた。
おれは半分
死んだみたいな気持ちになっていた。
とにかく横になれる場所がほしかった。
考えていたのはそれだけだ。
「ねえお兄さんこの辺で
泊めてくれるような場所はないかな」
そいつは歯を見せて笑うと
おれの手を握って
「ないね」と言った。
それだけだった。


Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

ミス·ファニーから
荷物をひとつ受け取ってくれ
一文の得にもならないけれど
引き受けるしかないことなんだ。
ミス·ファニーから
荷物を受け取ったなら
そいつはおれに預けていいよ。


I picked up my bag, I went lookin' for a place to hide;
When I saw Carmen and the Devil walkin' side by side.
I said, "Hey, Carmen, come on, let's go downtown."
She said, "I gotta go, but m'friend can stick around."

自分のカバンを拾い上げ
どこかに隠そうと歩き出した時
カルメンと悪魔が
並んで歩いて来るのが目に入った。
「よおカルメン、来いよ。
一緒にダウンタウンに行こうぜ」
とおれが言ったら
「あたしは行きたいんだけどね。
でもこの友だちも
一緒についてくることになるよ」
と彼女は言った。


Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

ミス·ファニーから
荷物をひとつ受け取ってくれ
一文の得にもならないけれど
引き受けるしかないことなんだ。
ミス·ファニーから
荷物を受け取ったなら
そいつはおれに預けていいよ。


Go down, Miss Moses, there's nothin' you can say
It's just ol' Luke, and Luke's waitin' on the Judgement Day.
"Well, Luke, my friend, what about young Anna Lee?"
He said, "Do me a favor, son, woncha stay an' keep Anna Lee company?"

行くがいい。ミス·モーゼス。
あんたが言うべきことは何もない。
そいつは昔なじみのルークだよ。
最後の審判の日を待ってるんだ。
「なあルークよ。
アンナ·リーの姉ちゃんはどうしてる?」
「悪いけどおまえさ。
ここに残ってアンナ·リーと
つきあってやっちゃくれないか」
とルークは言った。


Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

ミス·ファニーから
荷物をひとつ受け取ってくれ
一文の得にもならないけれど
引き受けるしかないことなんだ。
ミス·ファニーから
荷物を受け取ったなら
そいつはおれに預けていいよ。


Crazy Chester followed me, and he caught me in the fog.
He said, "I will fix your rack, if you'll take Jack, my dog."
I said, "Wait a minute, Chester, you know I'm a peaceful man."
He said, "That's okay, boy, won't you feed him when you can."

Crazyのチェスターが追いかけてきて
霧の中でおれに追いついた。
「おれのジャックを連れて行ったら
おまえの前歯をへし折るぞ。
ジャックだよ。おれの犬だよ」
と言うのだった。
「ちょっと待ってくれよチェスター。
おれはピースフルな男だぜ」
と言ったら
「ならオーケーだ。
時間がある時には
ジャックにエサをやっといてくれよ」
とチェスターは言った。


Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

ミス·ファニーから
荷物をひとつ受け取ってくれ
一文の得にもならないけれど
引き受けるしかないことなんだ。
ミス·ファニーから
荷物を受け取ったなら
そいつはおれに預けていいよ。


Catch a cannon ball now, t'take me down the line
My bag is sinkin' low and I do believe it's time.
To get back to Miss Fanny, you know she's the only one.
Who sent me here with her regards for everyone.

弾丸列車をつかまえて
おれは線路の人になろう。
おれのカバンは
ずっしり重たくなってしまった。
潮時というやつなんだろう。
ミス·ファニーのところに
戻るとするか。
彼女はね。
自分の望みをみんなに伝えるために
おれをこの地につかわした
たった一人の存在なんだ。


Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

ミス·ファニーから
荷物をひとつ受け取ってくれ
一文の得にもならないけれど
引き受けるしかないことなんだ。
ミス·ファニーから
荷物を受け取ったなら
そいつはおれに預けていいよ。

=翻訳をめぐって=

ザ·バンドの楽曲の中でも最も有名で、かつ最も難解な歌。私は自分にこの歌の「本当の意味」が分かることはたぶん一生ないのではないかと10代の頃から思ってきたし、それは今でも基本的に変わっていない。

ただ、英語話者の人たちにとってもチンプンカンプンなこの歌ではあれ、ネイティブの人たちの耳にこの歌がどんな風に「聞こえているか」ということぐらいは、一定程度、想像がつくようになってきた気がする。ブログを始めたおかげである。「アメリカ」を集大成するような楽曲を3曲続けて翻訳してきた流れに乗って、この「課題曲」にも思い切って取り組んでみようと心に決めた。

とりあえず、あんまり信用できないソングライターの言葉ではあるけれど、曲を作ったロビー·ロバートソン自身がこの歌について語っている言葉を引用しておきたい。

When I wrote 'The Weight', the first song for 'Music From Big Pink', it had a kind of American mythology I was reinventing using my connection to the universal language. The Nazareth in 'The Weight' was Nazareth, Pennsylvania. It was a little off-handed - 'I pulled into Nazareth'. Well I don't know if the Nazareth that Jesus came from is the kind of place you pull into, but I do know that you pull into Nazareth, Pennsylvania! I'm experimenting with North American mythology. I didn't mean to take sacred, precious things and turn them into humour.
「ザ·ウェイト」はアルバム「ミュージック·フロム·ビッグ·ピンク」のために作った最初の曲で、この歌には私の中の「世界共通語」を使って再発明された「アメリカの神話」と言うべきものが歌い込まれている。この歌に出てくるナザレスは、ペンシルベニア州のナザレスだ。「ナザレスに乗りつける」というのは、ちょっと唐突な言葉だったろ。イエスの生まれたナザレスが乗り物で乗りつけるにふさわしい場所なのかどうかは、私は知らない。でも、ペンシルベニアのナザレスだよ。乗りつけておかしいことはあるまい。私は歌の中で、北アメリカの神話を作り出すための実験をやってるんだ。尊重されるべき聖なるものを、いじくったり笑いのネタにしたりしたつもりはないよ。


Peter Viney on "The Weight"

「意味は分からないけど風景が浮かんでくる歌だ」ということは、この歌について書かれたいろいろな文章の執筆者たちが共通して口にしていることである。そしてネット上にいくつも書かれているそうした文章に目を通してみると、この歌を聞いた時にいろいろな人たちの心に浮かぶのは、人によって実にさまざまな「違った風景」なのだということが分かる。その人がアメリカ人かカナダ人かによっても浮かぶ風景は違うし、クリスチャンかそうでないかによっても違う。普段からえろいことばかり考えている人にはやはりえろい風景が浮かぶようだし、ドラッグのことしか考えられない状態の人にはそれにちなんだ風景が浮かぶらしい。つまり本当に「答えがない」のがこの歌なのだと思う。

そんな中で英語話者でもなくクリスチャンでもない私に何ができるかといえば、文法的な読み間違いにだけ最大限の注意を払って読み込んだ上で、「私自身の中に浮かんだ風景」をそのまま書き写す以外に結局ないように思われる。そんな風にして作ったのが上記の試訳であり、以下はその検証である。

I pulled into Nazareth

私は長年この歌の主人公は、ボロボロの姿で「歩いて」ナザレスの街にたどり着いたのだと思い込んでいた。しかし上記のインタビュー記事でロビロバ氏も語っているごとく、「pull into」は「乗り物で目的地にたどり着く」時に使われる言葉なのである。その乗り物が列車なのかクルマなのかは明示されていない。後段で列車で街を離れるような描写があるから、来る時にも列車で来たと考えるのが自然だが、それだと「I pulled into Nazareth」ではなく「The train pulled into Nazareth」になりそうな気もする。勝手に特定することはできないので、「ナザレスの街で乗り物から降りた」という訳し方をする以外に書き方が思いつかなかった。

上記のごとく「ナザレス」とはイエス·キリストの生誕地として名高いパレスチナの地名なわけだが、ロビロバ氏はこれを同名のアメリカの地名だとしている。もっともこの人は「本当のことを言わないこと」で有名な人であり、他のメンバーにまで本当のことを言わずに自分だけの判断で「歴史に残る映画を作ってバンドを解散すること」を決めてしまい、炎上商法で大儲けしたような人だから、テキトーなことを言ってハグらかしているだけなのではないかという、感じもする。とはいえなぜペンシルベニア州のナザレスなのかというとそこにはマーティンのギター工場があるからなのだそうで、ミュージシャンにとっては確かに「聖地」である。

"No!", was all he said.

完全に感想でしかないのだが、私は昔からこの歌詞が死ぬほど好きだ。

Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

今回の記事で一番論争を招くことになりそうなのは、この部分である。中学生の時に私が初めて読んだ歌詞カードの訳詞を含め、今までに見たことのある大部分の日本語訳では、この部分が「荷物を下ろして楽になれ。その荷物はおれが背負ってやろう」というニュアンスの翻訳になっている。だから私もそういうイメージを、このコーラスに対して抱いてきた。

この解釈はこの解釈で、非常にスッキリしていて分かりやすいのである。「荷物を下ろして楽になれ」というのは極めてシンプルでストレートなメッセージだし、「その荷物はおれが背負う」というのは「全人類の罪を一身に引き受けて十字架にかけられた」とされているイエス·キリストのイメージとも真っ直ぐ重なる表現だ。(ただし、「イエスは我々の罪を背負って下さった」というのはクリスチャンの人から実によく聞く表現ではあるけれど、それが何を意味しているのかは私には全然わからない)。何となくそれだけで、「歌の全体像」が分かったような感じがしてしまうのである。

しかし文法的に考えた時、その解釈にはいくつかの疑問がある。まず第一に「荷物を下ろして楽になれ」と言いたいのだとしたら、その「荷物」は「the load」もしくは「your load」と表現されるのではないだろうか。「a load」と書かれている以上、その「荷物」は「誰のものか特定されていない荷物」であると考えるのが普通であるように思われる。

第二に「for free」である。この「free」というアメリカっぽい単語ゆえに、「自由になるため荷物を下ろせ」「荷物を下ろして楽になれ」という解釈が流通しているのだと思われるが、それだと「for freedom」もしくは「to be free」と表現されるはずなのであって、「for free」にはどんな辞書に当たってみても「無料で」という以外の意味は存在しない。百歩譲って「自由になるために」という解釈を認めたとしても、「take a load for free」というフレーズには「off」が入っていないのである。つまり相手に対して「荷物を下ろす」ことではなく、「荷物を持つ」ことを要求しているのが、このフレーズなのだ。

このコーラスの解釈は英語圏の人たちにとっても最大の難問であり、ネット上にはさまざまな論争があふれているが、そのほとんどは「loadとは何か」「Fannyとは誰か」という語句の内容を焦点としたもので、私のように文法的な解釈をめぐって立往生している人のコメントはほとんど見つからない。ほとんど見つからないということはつまり、英語圏の人たちにとっては「当たり前すぎて問題にする必要も感じられないくらいフツーの言い方」になっているということなのだと思われる。だとしたら「take a load for free」を「荷物を下ろして楽になれ」と解釈するような、文法的に見てかなり無理のある読み方を、英語圏の人たちがそれほどフツーに受け入れているとは考えにくい。

そんなわけで私がまず最初に作ったのは、以下のような試訳だった。

荷物をひとつ下ろしてくれ
ミス·ファニー。
ひとつはタダで持ってくれ。
荷物をひとつ下ろしたなら
ミス·ファニー
そいつはおれに預けていいよ。

この解釈のイメージでは、山のように積まれている荷物の中からひとつ(a load)を取ってくれと、主人公はファニーさんに要請しているのである。そして少なくともそのうちのひとつは、ファニーさんが無料で(for free)引き受けなければならないと言っている。その上でもうひとつ荷物を下ろしてくれたら、それはおれが持つよ。と主人公は言っている。どういうシチュエーションなのか全く想像はつかないが、少なくともこれが「文法的に見て正確な風景」なのだと思われる。

思うに歌詞の中の「load(荷物)」という言葉が、「人生の重荷」であるとか「原罪」であるとかそういう重たいもののメタファーであることは、フツーに考えて間違いない。従来の日本語訳ではそれを「投げ捨ててしまえ」「そしたらおれが背負ってやる」という解釈がなされてきたわけだが、「take a load for free」というフレーズから考える限り、主人公は相手に対して「自分の分は自分で背負え」と言っているようにしか思えない。その上で「おれにもひとつ預けていいよ」と言ってるわけだから、このコーラスは「相手の罪を引き受ける」というのではなく「相手と罪を分かち合う」というイメージで聞くべきではないかというのが、一通り考えた上での結論だった。付け加えるなら、海外サイトでは特に言及されていないものの、「load(荷物)」と「lord(神)」が同じ響きを持った言葉であることは、決して偶然ではないだろう。

…という解釈が、この「翻訳をめぐって」を書き始めるあたりまでは私の中で固まっていたのだが、それを完全に引っくり返すような解釈が浮かんでしまった。きっかけは、「off」という単語について調べ続けていて、以下のような例文に出会ったことである。

繭から糸を取る
We reel silk off cocoons.

この言い方が成立するのなら、「Take a load off Fanny」は「ファニーから荷物を受け取れ」という解釈も成立するのではないだろうか。

…私は自分のやっていることが、かなりの冒険であることを自覚している。海外サイトもずいぶん見たが、「for free」についてはともかく「Take a load off Fanny」に関しては、ほとんどの人が「荷物を下ろせ」という解釈で一致していた。と言うかそれを前提にして喋っていた。「ファニーから荷物を受け取れ」という私の解釈は、あるいは英語圏では通用しないものであるかもしれないという但し書きを、正直につけておく必要があるだろう。しかしそれなら、それがどうして文法的に成立しない解釈であるのかを、誰か私に教えてほしいと思う。「ファニーから荷物を受け取れ」という解釈でこの歌詞の全体を読み返してみると、今まで分からなかった部分の辻褄が、合いすぎるほど合うのである。

歌の最後に明らかにされるごとく、ミス·ファニーという人は「神」のメタファーだとされている。(なお、私が訳詞の中に原詞には入っていない「ミス」という言葉を付け加えているのは、ファニーさんが女性であるということを冒頭の段階からハッキリさせておきたかったからである。初めて聞いた時には「ファニーという男友達」だと私は思っていて、そのイメージは一旦こびりつくと全然消えなかった)。その「神」に向かって、主人公がこれまたイエスのメタファーだとか言われていたりするのだけれど、「荷物を下ろせ」と命令するのはどう考えてもヘンなのだ。まして「そいつをおれによこせ」というのは、それこそ「神をも恐れぬ行為」にならないだろうか。別にそういう行為をしたっていいのだけど、最後の歌詞を聞くと主人公は明らかに「神」=ファニーさんのことを恐れている。矛盾しているのである。

しかし「ファニーから荷物を受け取れ」という意味で解釈すると、かなりスッキリ納得が行く。それが神から与えられる「重荷」である以上、いかに厄介なものだと分かっていても人間はそれを黙って受け取る以外にないからである。その理不尽な重荷に苦しめられている隣人に向かって、主人公は「そいつをおれによこしな」と呼びかけている。私は決してキリスト教というものをちゃんと分かった上で言っているわけではないけれど、これは極めてキリスト的な振る舞いだと言えないだろうか。しかもこの主人公は、口先だけでなく実際に歌の中でいろんな人たちの厄介事を引き受けて、最後にはカバンをいっぱいにしているのである。

もう、この解釈しかありえないように、私には思える。

…ここまでで優に一万字を越えてしまった。長文になるのは覚悟していたけれど、大変な仕事に手をつけてしまったな。ここらでちょっと一休み。


RCサクセション やさしさ

…一休みした上でこの項目はまだ続くのだけど、ここに出てくるファニーさんという女性にはモデルがいると言われており、キャシー·スミスという歌手がその人なのだという。ザ·バンドのメンバーがロニー·ホーキンスのバックバンドとしてカナダで活動していた頃に、「トロント一の美人」として有名だった人で、ウソだかホントだか知らないけれどザ·バンドのメンバーの3人と同時に関係を持っていたのだという。さらに後にはジョン·ベルーシの彼女になって、彼氏にヘロインを教えるという罰当たりなことをしてくれている。長いことブログをやっているといろんなエピソードがつながってくることに、今さらながら呆れ返ってしまう。



さらにこの「Fanny」はスラングで「臀部」「女性器」という意味を併せ持っており、もしも巷で言われているようにこの人が「神」のメタファーなのだとしたら、ロビロバ氏も思い切ったことをしたものである。幸か不幸か日本語では排泄物も女性器も両方「こ」がつく言葉で表現されるので、「○○子」「××子」という訳語を私は本気で考えたのだったが、字面があまりにえげつないので、やめにした。それに、発音が同じ「Funny」や「Fannie」には、全くそんな意味はないのである。英語圏の人たちがこの「響き」からどんな女性の姿をイメージするのかは、私には全く分からない。

I picked up my bag, I went lookin' for a place to hide;

「カバン」というキーワードは後でもう一度出てくるのだが、「重荷」の象徴だろう。人の重荷を引き受けて歩いているこの主人公は、自分自身の荷物は人に見せたくないのだと思われる。よく分からないけど、キリスト的だと思う。

I saw Carmen and the Devil walkin' side by side.
I said, "Hey, Carmen, come on, let's go downtown."
She said, "I gotta go, but m'friend can stick around."

「カルメン」はこの歌に出てくる唯一のスペイン系の名前。いろんな登場人物がこの歌には出てくるが、すべて実在のモデルがいると言われている。オペラの「カルメン」のせいで、「奔放な恋多き女」というイメージがつきまとっている名前である。

カルメンが「友だちがついてくるかもしれない」と言っているその「友だち」というのが、今つるんでいる「悪魔」のことなのかどうかについて、歌詞に直接の言及はない。後で出てくる「アンナ·リー」さんのことではないかと言っている人も、海外サイトにはいた。

Go down, Miss Moses, there's nothin' you can say
It's just ol' Luke, and Luke's waitin' on the Judgement Day.

「Go down, Moses」は有名な黒人霊歌のタイトルで、原曲では神がモーゼに伝えた言葉として「行け、モーゼよ」の後に「行ってエジプトの王に告げよ」と続くのだが、この歌では「何も言わなくていい」と言われている。聞いてる人は「あらら」と思う。しかもこの歌のモーゼは、女性である。たぶん、ギャグなんだろうと思う。


Go down, Moses

ルークというのは、キリストの弟子の一人だったとされているルカにちなんだ名前。レヴォン·ヘルムによると、かつてホークスで一緒に演奏していた同名のメンバーがモデルなのだという。

Crazy Chester followed me

「crazy」は「精神病者」に対する差別表現です。ここでは原文をそのまま転載しました。

"I will fix your rack, if you'll take Jack, my dog."

fix your rackというフレーズには二通りの解釈が可能であり、海外サイトでは論争になっている。ひとつは「おまえのために寝床を用意してやるよ」という意味のスラング。もうひとつは、南北戦争の時代の古い言葉らしいのだが、「おまえの前歯をへし折るぞ」という意味のスラング。どちらでもそれなりに意味は通るのだけど、前者の意味だと主人公がうろたえている理由がよく分からないので、ここでは後者で解釈した。

この曲は基本的にレヴォン·ヘルムがリードボーカルをとっているけれど、このパートだけはどのバージョンを聞いてもリック·ダンコが歌っている。理由はなぜだか分からない。ロビロバ氏は自分の作った曲をメンバーに紹介する時には、歌詞の内容についてはろくに説明しなかったくせに、どの部分を誰が歌うかについてはものすごく厳密な注文をつけていたらしい。自分は歌っていないのに、かつ一番年下なはずなのに、大した闇将軍ぶりである。

Catch a cannon ball now, t'take me down the line

直訳は「今すぐ大砲の弾丸をつかまえろ」で、ずっと意味が分からなかったのだが、「cannon ball (大砲の弾丸)」とは蒸気機関車の時代から存在する「特急列車」のスラングだったことが分かり、すべての辻褄が合った。帰りが列車なのだから、来る時もやはり列車で来たのだと思う。



その上でこの主人公は、行きも帰りも「ちゃんと切符を買う乗客」ではなかったのではないかという感じが、どこにも書いてないけど私はする。蒸気機関車の時代に貧しい人びとの立場に立って小説を書いていたジャック·ロンドンという人の作品には、当時の人たちがいかにブルジョアの目をかいくぐって無賃乗車を敢行していたかを示すエピソードが、山のように出てくる。当時の貨車にはハコの部分と台座の部分の間に人間が入れるぐらいの隙間があったのだそうで、列車が止まっている間にみんなそこに潜り込むのだが、やがて列車が走り出して大峡谷の鉄橋の上などの「逃げ場のない場所」にさしかかると、車掌がやってきてその隙間に鉄の棒を突っ込み、めちゃめちゃに引っ掻き回していたのだという。つまり「振り落としていた」のである。もちろん「落とされてしまう人」もいた中で、みんな必死になっていろんな場所にしがみつき、そんな風にして当時の人たちは「旅」をしていたのだという描写が、私の中には焼きついて離れずにいる。昔から「貧乏であること」はそれだけで「殺される理由になること」だったし、それは100年たった今でも、基本的なところでは何も変わっていないのだ。

この歌の主人公も、そんな風にして「旅」をしていた人なのではないかと私は思う。そしてザ·バンドのメンバーの一人一人は、万引きした食料品でオーバーコートの内側をパンパンにしながらあちこちの街を歌って回っていたという自分たち自身の歴史を重ねながら、この曲を演奏していたに違いないと思う。

それが初めて聞いた頃からずっと変わらない、私の中の「この歌の風景」である。


The Weight 石田長生×忌野清志郎×三宅伸治×藤井裕

服部緑地で、聞いたのだ。甲本ヒロトがチェスターのパートを歌っているパートも、あったのだ。ではまたいずれ。さよなら20世紀。



後日付記

上の記事を書いた後、アメリカの「shmoop」という雑学サイトで、「Take a load off Fanny=ファニーから荷物を受け取れ」という読み方が英語的には成立しうるのではないかという仮説を、裏づけてくれるような記事を見つけることができた。自分の文章には盛り込むことができなかったような考察も多く含まれた記事だったので、長くなるが全文を翻訳して引用しておきたい。

"The Weight" is probably The Band's greatest song, and is certainly the most memorable track off its greatest album, Music from Big Pink. Some of rock's biggest names have covered the song. And just about every garage band and folk group, as well as many church choirs, has worked up versions as well.
「ザ·ウェイト」はおそらくザ·バンドの最高の歌であり、その最高のアルバムである「ミュージック·フロム·ビッグ·ピンク」において、疑いなく一番印象的な曲であると言えるだろう。ロック界でも最もビッグ·ネームな面々から、この曲は繰り返しカバーされてきた。またアマチュアのガレージバンドやフォークグループ、それに多くの教会のコーラスグループも、同じようにこの曲を取りあげている。

But does anybody outside of The Band fully understand it? Does anybody even know all the right words? Is it Annie or Fanny who's handing over a load? Who is that walking with the Devil – Karma or Carmen? Does Crazy Chester catch him in the fog or the fall? And does Chester promise to fix his rags or his rack?
だが、ザ·バンドのメンバー以外のすべての人は、果たしてこの歌を本当に理解しているのだろうか?全体の正確な歌詞さえ、本当に分かっているのだろうか?荷物を手渡そうとしている人はアニーなのか?ファニーなのか?悪魔と一緒に歩いている人はカーマ?それともカルメン?Crazy Chesterが彼氏を捕まえたのは霧(fog)の中?それとも秋(fall)?そしてチェスターがfixする(修理する/準備する)と約束したのは彼氏のrags(古着)?それともrack(棚/寝床)?

More elaborate liner notes and printed lyrics would have helped us puzzle out these questions. But Band guitarist Robbie Robertson objected in principle to printing lyrics on record covers and sleeves. Perhaps leaving the words and their meanings obscure was part of "Weight" writer Robertson's craft. Or perhaps this sort of indecipherability is what you get when you mix Arkansas and Canada. What do y'all think, eh?
もっと詳しいライナーノーツや、印刷された歌詞があれば、こうした疑問も解決されていたことだろう。だがザ·バンドのギタリストのロビー·ロバートソンは、原則としてLPのジャケットやレコードスリーブに歌詞を印刷することを拒否してきた。おそらく、正しい歌詞やその意味するところをあいまいにしておくことも、作者のロバートソンにとっては「ザ·ウェイト」という作品づくりの一環をなしていたのだと思われる。もしくはこの種のわかりにくさは、アーカンソー州とカナダがミックスされることによって生じるものなのかもしれない。(※ ザ·バンドのメンバー構成についてはこちらを参照されたし)。あなたはどう思うかな?ん?

From The Hawks to the Pink House

First, let's get to the bottom of this strange mixture. The Band originated as a sort of Razorback-Maple Leaf fusion. Arkansas rockabillies Ronnie Hawkins and Levon Helm traveled north—way north—with their band The Hawks in the late 1950s. In Canada they connected with Canadians Robbie Robertson, Rick Danko, Garth Hudson, and Richard Manuel. The Canuckified band enjoyed considerable success until Hawkins took off on his own in 1963. After that, the Hawkinsless Hawks hacked around Canada and the American northeast for a few years before connecting with Bob Dylan. In 1965, they joined the recently electrified folkster as his back-up band until a motorcycle accident forced Dylan to take some time off near Woodstock, New York. The Band rented a house nearby—a big pink house—and in 1968 cut the album that bore their home's name and Dylan's cover art.
まず初めに、この不思議な混交物のルーツを探ってみよう。ザ·バンドの歴史をさかのぼれば、レイザーバック(アーカンソー州の象徴の野ブタ)とメイプルリーフ(カナダの象徴のサトウカエデの葉)のフュージョン(融合)にその由来が存在していることがわかる。アーカンソー州のロカビリーミュージシャンだったロニー·ホーキンスとレヴォン·ヘルムは、1950年代の後半、そのバンドであるザ·ホークスのメンバーたちと共に北へ北へと旅を続けていた。そしてかれらはカナダの地で、ロビー·ロバートソン、リック·ダンコ、ガース·ハドソン、それにリチャード·マニュエルというカナダ人たちと巡り会った。このカナックファイされたバンド(「カナック」はフランス系カナダ人をさす言葉。Canuckfyをあえて翻訳すると「フランス系カナダ人化」という意味になる)は、ロニー·ホーキンスが脱退する1963年に至るまで、そこそこの成功をおさめた。その後、ホーキンスなきホークスは、ボブ·ディランと出会うまでの数年間にわたり、カナダとアメリカ北東部のあちこちでドサ回りを続けることになる。かれらがエレキに転向したばかりのディランのバックバンドを勤めるようになったのは1965年のことであり、その活動は、ディランがモーターサイクルで事故を起こして、ニューヨーク州のウッドストック近郊にしばしの隠遁を余儀なくされるまで続いた。ザ·バンドはその近くに家を借りた。大きなピンク色の家-ビッグ·ピンク·ハウスである。そして1968年、その家の名前を冠したアルバムが、ディランの描いたジャケットと共に発表された。

Surprisingly, the most well-known of The Band's songs made its way onto this breakout album almost by accident. They recorded "The Weight" with virtually no rehearsal and weren't originally sure if they would even use it. But when the album was released to far greater critical than popular success, the under-rehearsed afterthought was the album's closest thing to a hit.
驚くべきことに、ザ·バンドの曲で最も有名になったこの曲がかれらのファーストアルバムに収められたのは、ほとんど偶然の出来事だった。かれらは「ザ·ウェイト」を事実上何のリハーサルもなしに録音し、そして当初はそれを使うかどうかもハッキリとは決めていなかった。だがひとたびアルバムが発売され、商業的成功よりも遥かに大きな衝撃をもって受け止められるようになってみると、リハーサルなしに録音されたこの曲が、結果的に最もヒットに近いところに位置していることが明らかになった。(最後の文の翻訳、あまり自信がありません)

But what is the "weight"?

We know what you're really waiting to hear about. Who is Crazy Chester and what the f-anny does it all mean?
みなさんが知りたいと思っていることは、我々にもわかる。「Crazy Chester」とは誰なのか?そして「ファニー(アニー?)」という人名は、何を意味しているのか?

A lot of people think this song is loaded with religious significance. You have a traveler who can't find a bed in Nazareth. You've got the devil, Moses, Judgment Day—clearly this is some sort of Biblically-spun parable, some modern-day Messiah turned away from the inn, dealing with temptation, redemption, and a hungry dog.
多くの人々が、この歌は宗教的象徴に満たされていると考えている。あなたの前に現れるのは、ナザレスの街でベッドを見つけられずにいる旅人だ。そして「悪魔」が現れ「モーゼ」が現れ、「最後の審判の日」も登場する…明らかに聖書的な比喩が、紡ぎ合わされているのだ。宿屋から出てくるのは、誘惑と救済と腹ペコの犬とを取り扱う、ある種の現代の救世主の姿である。

But minor discrepancies aside (Mary and Joseph couldn't find a bed in Bethlehem, not Nazareth), Robertson and Levon Helm have said that all of the characters in the song were more real than otherworldly. (A side note about songwriting: Helm was the band's drummer, and he has suggested that many of the songs were more collaborative than Robertson acknowledged.) Nazareth was Nazareth, Pennsylvania, the home of Martin guitar; Luke was former Hawks guitarist Jimmy Ray "Luke" Paulman; Anna Lee was an old friend from Turkey Scratch; and Crazy Chester was the cap-gun toting self-appointed sheriff of Fayetteville.
だが、ささいな矛盾については脇に置くとして(たとえば、マリアとヨセフがベッドを見つけられずに難渋した街はベツレヘムであり、ナザレスではない)、ロバートソンとレヴォン·ヘルムの語るところによるならば、歌の中に出てくる登場人物たちは架空の存在ではなく、よりリアルな存在である。(歌づくりにまつわる付記:ヘルムはザ·バンドのドラマー。彼はロバートソン作として知られている多くの作品は、共同作業によって作られたものだと主張している)。この歌でのナザレスとは、マーティン·ギターが本社を置くペンシルバニア州のナザレスのことだ。ルークはかつてホークスに在籍していたギタリスト、ジミー·レイ”ルーク”ホールマンのことを指している。アンナ·リーは、レヴォンの故郷であるアーカンソー州ターキー·スクラッチ出身の古い友人の名前。そしてCrazy Chesterは、アーカンソー州フェイエットビルの街でおもちゃのピストルを持ち歩いて保安官を自称していた人物の通称だったのだという。

This does not mean, however, that the song is devoid of religious meaning. In fact, Robertson has said the song is about the "impossibility of sainthood." But he took his inspiration less from the Bible than from Luis Buñuel, the Spanish filmmaker and master of surrealism who, for half a century, poked fun at the hypocrisies of religion, patriarchy, and middle-class culture.
しかしだからと言って、この歌が宗教的な意味を持っていないということにはならない。ロバートソンはこの歌について、「聖者であることの不可能性」を歌った歌だと語っている。とはいえこの歌における彼のインスピレーションは、聖書よりもむしろスペインの映画監督であるルイス·ブニュエルから採られているところが大きい。シュールリアリズムの大家として、宗教や家父長制社会、中産階級文化の偽善性を、半世紀にわたり笑いものにし続けてきた人物である。

Robertson was intrigued, in particular, by films like Nazarín (1959) and Viridiana (1961), which deal with people who try, but find it impossible, to do good. "The Weight," Robertson says, explores the same theme. "Someone says, 'Listen, would you do me this favour? When you get there will you say "hello" to somebody or will you give somebody this or will you pick up one of these for me?' . . . So the guy goes and one thing leads to another and it's like 'Holy s--t, what's this turned into? I've only come here to say "hello" for somebody and I've got myself in this incredible predicament.'"
ロバートソンはとりわけ、1959年の「ナザリン」や1961年の「ビリディアナ」といった作品に心を惹かれた。人々が善くあろうと努め、そしてそれが不可能であることに気づかされる物語である。「ザ·ウェイト」は、ロバートソンの語るところによるならば、それと同じテーマを取り扱っている。「誰かが言う。『お願いがあるんですが、聞いてもらえませんか?もしあなたがそこについたら、誰それによろしく伝えてもらえませんか?もしくは誰それに何々を渡してもらえませんか?あるいは私のために何々をいくつか持ってきてもらえませんか?…』それで男は旅立ち、次から次へといろんなことが起こり、最後には『くそったれ。何てことになっちまったんだ。おれは結局誰それによろしくって言うためだけにここに来たようなもんで、肝心のおれはめちゃめちゃのっぴきならないことになっちまった』みたいなことになる」。

From its very conception, then, "The Weight" taps into both the spiritual and the real. It chronicles the increasingly complex trip of a sainthood-seeking errand boy—a do-gooder pilgrim who finds his progress hindered by a cast of curious characters. But these characters were pulled from the streets of Fayetteville and Turkey Scratch, not from the New Testament. The temptations, complications, and growing burdens of the narrator's errand were proffered not by visitors from the other side, but from the common-yet-fantastic characters who walk life's very real streets.
このコンセプトからするならば、「ザ·ウェイト」という作品はスピリチュアルな世界と現実の世界の両方に脚を突っ込んでいることになる。この歌は、聖者になることを夢見ているパシリの少年、善くあろうとしているひとりの巡礼者の、次第にややこしさを増してゆく旅の記録である。彼は風変わりな何人もの登場人物たちによって自分の行く手を妨げられることになるわけだが、かれらはアーカンソー州フェイエットビルやターキー·スクラッチの街角から引っ張り出されてきた人物たちであり、新約聖書の世界の住人ではない。誘惑に、厄介ごと、そしてますます重さを増してゆく主人公の背負うべき荷物は、決して「向こうの世界」の住人からだけ手渡されるものではなく、現実世界に生きるありふれた、しかし奇妙な人々からも同時に手渡される「重荷」であるわけだ。

Inspired by Buñuel but populated by Arkansans, the song is most simply about the burdens we all carry. The "weight" is the load that we shoulder when we take on responsibility or when we try to do good. But it's also the heaviness that presses down on us when we fall into "sin" or wrestle with "temptation." It's a song about a universally human dilemma. But, just as the writers drew from their own pasts in fleshing out their cast, it's conceivable that they also drew from their own experiences in conceptualizing the "weight." Perhaps the song refers to the very real loads shouldered by Band members, the very real burdens that resulted from the good and the bad in their own lives.
ブニュエルにインスパイアされ、しかしながらアーカンソー州の風景が取り込まれることによって、この歌は我々すべてが背負う「重荷」についての最もシンプルな歌となった。この「重荷」とは、我々が何かについて責任を取ろうとする時、あるいは何か善いことをなそうとする時に、例外なく背負うことになる「重荷」である。だが同時にそれは、「罪」に落ちようとする時、あるいは「誘惑」と格闘する時に、我々の肩に食い込む「重荷」でもある。この曲がテーマにしているのは、人間が普遍的に抱えるジレンマなのだ。だが、歌を作る人間たちがその登場人物を自らの過去にもとづいて肉付けしてみせることに示されているように、「重荷」のコンセプトはザ·バンドのメンバーの一人一人の経験をもとにして形作られたものだとも言えるだろう。おそらくこの歌は、ザ·バンドのめいめいが背負った極めて具体的な「重荷」のことを歌っているのだ。かれら一人一人の人生における善き振る舞いと悪しき振る舞いから必然的に生じた現実の「重荷」である。

Some Band hardliners argue, for example, that "weight" refers to the uncomfortable price paid by the band members for their wild days on the road. In this analysis, which we think is, um... a bit strained, weight means load, which means dose, which means venereal disease. Adding further grit to this interpretation is the fact that "fanny" is British slang for female genitalia. "Take the load off Fanny," in other words, would mean just the opposite of doing a favor for a friend.
コアなファンの間には、さらなる論争も存在している。たとえば「重荷」とは、ザ·バンドの面々がドサ回りをしていた時期に受け取っていた情けなくなるようなギャラの額のことを指しているのであるとかないとか。この分析によるならば…いささか無理のある感も無きにしもあらずなのだが、「重荷」はドラッグのことを指していたり、性病のことを指していたりする。この解釈を勢いづけているのは、「fanny」という言葉が英語では女性器のことをさすスラングになっているという事実である。「Take the load off Fanny=ファニーから荷物を受け取れ」は、言い換えるなら、友人に恩恵を施すのと正反対の行為を意味していることになるだろう。

A second and more reasonable analysis hovers around The Band's association with notorious groupie Cathy Evelyn Smith. Years before she hooked up with John Belushi, and even longer before she administered the Saturday Night Live legend a fatal dose of heroine, she traveled with The Hawks-turned-Band. Only sixteen when she met them in Ontario in 1963, she soon became pregnant. She was certain that Levon Helm was the father, but it was Richard Manuel who stood up and offered to share the burden of the pregnancy.
別の、そしてより真実らしい分析として、ザ·バンドとその悪名高きグルーピーであるキャシー·イヴリーン·スミスとの関係が、この歌をめぐっては取り沙汰されている。彼女がジョン·ベルーシとくっつく何年も前、そしてサタデーナイト·ライブの伝説となったこの人物に致死量のヘロインを渡してしまうことになるそのずっと昔、彼女はザ·バンドの前身のホークスと一緒に旅をしていた。1963年にオンタリオ州でかれらと会った時、彼女はまだ16歳で、すぐに妊娠することになる。彼女はその父親がレヴォン·ヘルムであると確信していたが、自ら名乗りをあげてその「重荷」を共に引き受けようとした人物は、リチャード·マニュエルだった。(付記:Wikipedia英語版の彼女に関する記事と、彼女自身の著書からの引用によるならば、彼女はこのリチャードからの求婚を拒絶しており、その上でリック·ダンコとも関係を持っていたことを告白している。彼女とジョン·ベルーシとの関係は、1976年のサタデーナイト·ライブにザ·バンドがゲスト出演したことから始まったのだそうで、この当時、既に深刻なヘロイン中毒に陥っていた彼女は、自らがドラッグの売人となって、ローリングストーンズのキース·リチャードやロン·ウッドに薬物を供給する立場にあったのだという。1982年、ベルーシの求めに応じて彼に致死量のヘロインを渡してしまったのは彼女であり、このことを彼女はマスコミに告白して、18ヶ月の懲役刑を受けることになった。現在ではカナダに戻って、ひっそりと暮らしておられるとのことである)。

None of The Band has ever cited this episode in explaining "The Weight," and Robertson never alluded to the more personal possibilities crowding the streets of Nazareth. But there is a certain Buñuel quality to the Smith story: it's a coarse, all too human situation that defies easy categorization in terms of good and bad.
ザ·バンドのメンバーで、このエピソードを「ザ·ウェイト」と結びつけて語っている人物は誰もいないし、ロバートソンもナザレスの街の群衆のひとりひとりのモデルを具体的な個人と結びつけるようなことは、ほのめかしていない。だがキャシー·スミスの物語は、ブニュエルの作品にぴったりの内容を備えている。あまりに粗野で、人間的であるがゆえに、単純な善悪の基準にカテゴライズすることができないような、そうしたシチュエーションである。

More on Luis Buñuel

In the classic Buñuel film Nazarín (1959), Nazario, a dedicated priest, is forced to take flight after befriending Andara and Beatriz, a knife-wielding prostitute and her psychotic sister (not exactly the kind of subject material you find in most 1950s American films…). Nazario's attempt to do good has forced him to the road, but everywhere he goes he stirs up trouble—violence, superstition, jealousy. By the end of the film, Nazario has been beaten and imprisoned, and he suffers from a crisis of faith captured succinctly by his chronically criminal cellmate: "Look at me, I only do evil... But what use is your own life really? You're on the side of good and I'm on the side of evil. And neither of us is any use for anything."
ブニュエルの古典的作品である1959年の「ナザリン」では、ひたむきな聖職者であるナザリオがアンダラとベアトリス〜ナイフを振り回す娼婦と、精神病をわずらったその妹(←このキャラクター設定そのものに幾重にも差別的なものを感じますが、原文のまま翻訳しました)〜に救いの手を差し伸べた後、その身を脅かされることになる。(1950年代のアメリカ映画にはまず見られないテーマである…)。善をなそうとするナザリオの振る舞いは、彼を路上に叩き出すことになる。それにも関わらず彼のやることなすことは、その行く先々でトラブルを引き起こすことになる。暴力、迷信、ジェラシー…。映画の終わりの場面では、ナザリオは打ちのめされて投獄されており、同囚の札つきの悪党のシンプルな言葉によって、自らの信念を危機にさらされている。「おれを見ろよ。おれは単なる悪党さ…だが実際のところ、お前の人生には何の意味がある?お前は善の側にいて、おれは悪の側にいて、そしておれたちのどっちも、何の役にも立ちやしなかったんじゃねえか」

Nazario is shattered by this devastatingly accurate summation. Still, the tiniest shred of hope lies in the hint that Nazario has touched, albeit imperfectly and perhaps only temporarily, at least one life. Beatriz struggles with her feelings for Nazario. Hoping they are pure but fearing they are carnal, she ultimately is thrown into another psychotic frenzy and back into the clutches of her abusive husband. But at one point, she reaches out to the cursed priest and offers to take on his burdens: "If I can carry your load on my back, I will."
ナザリオはこの破壊的に的確な要約によって、引き裂かれるような苦しみに陥る。だがそれでも唯一残されたはかない希望の糸は、不完全で一時的なものにすぎないかもしれないとはいえ、ナザリオは少なくともひとつの生命に触れることができたという、そのヒントの中に横たわっていた(←翻訳、自信ないです)。ベアトリスは、ナザリオに対する感情と格闘していた。ピュアな関係でいたいという気持ちと、肉欲の罪におちることへの恐怖の中で、彼女は最終的に別の形の精神病的な錯乱(←差別表現ですが、原文通りに翻訳しました)におちいり、そして彼女のことを虐待する夫のもとに引き戻されてしまう。だがある時点で彼女はかの呪われた聖職者に手を差し伸べ、彼の重荷を引き受けようと申し出るのだ。「もしも私にあなたの荷物を背負うことができるのなら、私はやるわ」

It may be a bit too tidy to say that this is where "The Weight" found its inspiration. But it really doesn't matter. This song is more about the mess of life than the neatness; it's about the trials that come with trying to do good, the burdens that accompany acts of kindness and the kindness that, sometimes, flows weirdly out of sin. Life takes a toll, and a simple trip into Nazareth may leave a person's bag "sinkin' low." The closest thing to hope, the closest thing to any sort of redemption, lies less in absolute clarification or relief than in the occasional extension of a helping hand. "Take the load off, Fanny (or maybe Annie), and put the load right on me."
この映画が「ザ·ウェイト」のインスピレーションの源泉であると言い切ってしまえば、いささか小ぎれいにまとめすぎな感があるだろう。だがそれは、大した問題ではない。この歌は人生の小ぎれいな側面についての歌であると言うよりは、めちゃめちゃな側面についての歌なのだ。この歌は、善くあろうとすることについて回る試練についての歌である。親切な振る舞い、しばしば奇妙なことに罪からも生じる親切な振る舞いと結びついているのが、この歌における「重荷」である。人生とは代価を払わねばならないようにできているものであり、ナザレスへのシンプルな旅はひとりの人間のカバンを「ずっしり重たく」させてしまう。最も希望に近いものは、あるいは救済に近いものは、完全な説明や安心などにではなく、時折気まぐれに差し伸べられる他人からの救いの手の中に横たわっているのだ。「その荷物を下ろせ、ファニー(もしくはアニー)、そしておれに預けてくれたらいい」。

…最後の最後になってこの文章の筆者は「Take the load off」の後にコンマをつけ、「荷物を下ろせ、ファニー」説をとっているわけだが、「ファニーから荷物を受け取れ」説が成立しうる余地があることも、少なくとも文章の中で2回にわたって示唆しているように思う。また「荷物を下ろせ」説で解釈しようとした場合、やはり聞き取りは「Take the load off」になってしまうのだということも、興味深い点ではある。この記事に関しては、また新たな資料が見つかり次第、更新することがあるかもしれません。



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