華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Mr. Moonlight もしくは続·月の法善寺横丁 (1964. The Beatles)


Mr. Moonlight

Mr. Moonlight

英語原詞はこちら


Mr. Moonlight
You came to me one summer night
And from your beam you made my dream
And from the world you sent my girl
And from above you sent us love
And now she is mine
I think you're fine
Cos we love you, Mr. Moonlight

月光はん
来てくらはりましたな。
なつのよるでしたな。
へて、わての夢は
あんさんの光でもって
でけとりましてんやろな。
へえて、その世界からあんさんは
こいさんを送ってくらはりましたんや。
たっかいたっかいとこから
愛、ちゅいますのん?
わてらに届けてくらはりましたんやな。
こいさんかて今はもう
しっかりわてのもんだっせ。
あんじょう、やってくらはりましたな。
わてらふたりともあんさんのこと
好きやさかいだっしゃろか。
月光はん。


Mr. Moonlight, come again please
Here I am on my knees
Begging if you please
And the night you don't come my way
I'll pray and pray more each day
Cos we love you, Mr. Moonlight

月光はん
また来とおくれやっしゃ。
わてはここでひざぁついて
拝ましてもらいまっせ。
あんさんが来てくらはれへん夜には
わてはせんど毎日
拝ましてもらうばっかしですわ。
わてらふたりともあんさんのこと
好きですよってん。
月光はん。


And the night you don't come my way
Oh, I'll pray and pray more each day
Cos we love you, Mr. Moonlight
Mr. Moonlight

わてはここでひざぁついて
拝ましてもらいまっせ。
あんさんが来てくらはれへん夜には
わてはせんど毎日
拝ましてもらうばっかしですわ。
わてらふたりともあんさんのこと
好きですよってん。
月光はん。


Mr. Moonlight, come again please
Here I am on my knees
Begging if you please
And the night you don't come my way
I'll pray and pray more each day
Cos we love you, Mr. Moonlight
Mr. Moonlight
Mr. Moonlight
Mr. Moonlight

月光はん
また来とおくれやっしゃ。
わてはここでひざぁついて
拝ましてもらいまっせ。
あんさんが来てくらはれへん夜には
わてはせんど毎日
お祈りさしてもらうばっかしですわ。
わてらふたりともあんさんのこと
好きですよってん。
月光はん。

=翻訳をめぐって=

…仕方がないではないですか。そういう風に聞こえてしまったのですから。(この時点ですら、「しゃーないがな。そー聞こえてもーてんから」と書きたい気持ちをグッとこらえて綴っております)。ラジオでたまたま「月の法善寺横丁」がかかっているのを聞きながらフッと冬空の中空に輝く月を見上げたら、何の前触れもなく上の訳詞の言葉が私の頭の中に「降りて」きたのである。それも藤島桓夫さんのあのハキハキした声を通してである。私はそれを「取り次いだ」にすぎない。あたかも「神の声」を聞いてしまったイニシエの預言者や宗教者と呼ばれる人たちが、他にどうすることもできないままそうしてきたようにである。決してウケ狙いとか注目を浴びたいとかいった世俗的な動機から、私がデッチあげた言葉ではない。半分は冗談であるにしても、半分は本当の話なのである。


月の法善寺横丁〜お月さんこんばんは

実際、正直なところ、私はこの歌の翻訳にあたってはどういう日本語を選べば不自然にならないだろうかということについて、かなり長いこと悩んできた。「ミスター·ムーンライト」という言葉がどういう意味であるかということぐらいは、中学生でも分かる。しかし夜空に向かって手を広げ、別に向かわなくても広げなくてもいいのだけれど、「月の光さん」などという言葉を実際に使ってみせることのできる人間が、果たして日本語世界には実在するだろうか。絶対、実在しないと思う。どんなシチュエーションを想定してみても、「ありえない」としか思えないのである。

ところが一転「月光はん」と言ってみると、いち関西人の素朴な感覚として、これは極めてフツーに「ありうる」表現なのではないかという気がする。このことに気づけたのは、新鮮な発見だった。

思うにこのことには、文化的な背景が関係しているのだと考えられる。関西、と言っても近畿二府四県の全部を知っているわけではないし、また感覚としてこの「文化圏」は東は三重、西は四国の香川·徳島あたりまで広がっているものなので、決してひとくくりにして論ずることはできないのだが、少なくとも私の生まれ育った地域には、「人間でないもの」にも「さん」や「ちゃん」をつけて「人間化(?)」させて扱うような「文化」が存在した。例えば奈良や大阪で「粥」のことは、「おかゆ」と言うよりも「おかいさん」と言った方がむしろ「フツー」である。同様に「豆」は「お豆さん」になるし「飴」は「飴ちゃん」になる。「マロニー」になるともう絶対と言っていいほど「マロニーちゃん」で、あえて呼び捨てにすることにはある種の根性が必要になってくるぐらいのレベルである。

さらにこの「待遇」は、関西文化においては「信仰の対象」みたいなものにまで「拡大」されている。一般的には人間よりも遥かに「高い」位置づけを与えられている神仏のような存在も、関西人にかかっては「神さん」「えべっさん」「だいぶっさん」「春日さん」みたいなことになる。この呼び方には「親しみを込めた敬意」みたいなものが表現されているのだと考えられるが、「親しみ」と「敬意」というのは冷静に考えてみると「真逆」の感情なのではないだろうか。ところがそれならということで親しみ「だけ」、敬意「だけ」を表現した言い方を関西方言の中に探してみると、これがひとつも存在しないのである。別にこのことから「関西人の人間観」みたいなことに関する何か分かったような結論を引き出したりしようとするような気持ちは、とりあえず私にはないのだけれど。

東京方言をベースにして形成されてきた現代日本語の書き言葉には、それとは逆に「敬意」と「親しみ」の「中間」の言い方というものが存在しない。「Mr. Moonlight」をもしも東京方言で翻訳しようとしたら、「月の光よ」みたいに尊大に構えてみせるか「お月さま」みたいにへりくだってみせるかの、どちらかにしかなりようがないと思われる。そしてそのどちらも、この曲における主人公と月光との「距離感」を考え合わせてみた場合、違和感のある言い方であるような気が私はする。

「自分は関西人なのだから、書き言葉にも喋り言葉にも関西弁しか使いたくない」という偏屈なこだわりを持っていた時代が、若い頃の私にはあった。今ではそうは思っていない。言葉というものは第一義的に「コミュニケーションのため」に存在しているものなのだから、「自分を表現するため」だけにそれを使おうとするのはそもそも傲慢な態度というものではないかというのが、今の自分の問題意識である。だからこのブログにおいても常々心がけているのは「原詞の内容を正確に翻訳すること」であり、それが「他人の言葉を借りた自分の自己表現」に堕してしまってはならないと思う。このことは今までも、折に触れて強調してきた。

しかしながらかれこれ300曲に渡っていろんな歌を翻訳してきた中で、同じ英語で書かれた歌でも「東京方言と相性の悪い歌」や「関西方言と相性のいい歌」というのはハッキリ「ある」のではないかということが、おぼろげながら分かってきたような感じがこのごろ、している。この曲に関して言うならば、歌の世界における主人公と月との距離感を表現するには、関西方言の方が圧倒的に「向いている」ように思われるのである。関西弁を使った方が歌の世界をよりリアルに再現できることが明らかである以上、もともと関西人である私に関西弁を使うことをためらう理由はない。これに反発を感じる東京人の方やあるいは他の地域の方がいらっしゃったら、ぜひ「違う日本語表現」でこの歌の訳詞を書いて私に紹介して頂きたいと、真摯な気持ちから思う。本でもネットでもいろんな人によって書かれたこの歌の訳詞をずいぶん見てきたけれど、しっくり来るような訳詞には今まで一度も出会えたことがなかった。いつも1行目の「月の光さん」で「だはっ」とさせられてしまう他、なかったのである。

そんなわけで今回の「翻訳をめぐって」は、「関西方言への翻訳をめぐって」ということに重点を置いた、いつもと違う書き方をさせてもらうことにしたい。原詞の英語には、特に難しい表現は使われていないように思う。


家紋料 ビートルズメドレー

  • 月光はん…「さん」より「はん」の方が柔らかい言い方になるという効果はあるが、「はん」の方が「敬意」が強いというわけではないと思う。「神はん」とか「お月はん」とかいう風には普通、言わないからである。ここで「はん」を採用したのは関西方言による翻訳であるということをハッキリさせるためという以上のことではなく、言い方としては「月光さん」でも何ら不自然ではない。
  • 来てくらはりましたな…「来て·くれ·や·はり·ました·な」の短縮形。「はり」という助動詞に敬意が表現されており、「や」はその敬意を強調する役割を果たしていると言えると思う。この「や」のニュアンスを説明するのは非常に難しいのだけど、テレビドラマの関西弁が「エセ」に聞こえる大きな理由のひとつは、この「や」の要素が台本に全然反映されていないからなのではないかという感じが昔からしている。
  • へて…「そして」「それで」に相当する言い方。関西でもやや局地的な方言かもしれない。
  • わての夢は…非常に誤解されている気がするのだけれど、「わて」というのは基本的に女性が使う一人称であり、男で「わて」という人は落語家以外に私は見たことがない。思うに「月の法善寺横丁」の主人公は、せれぶな人間が集う船場という土地で客商売をする関係上、必要以上なまでに「柔らかい言葉遣い」をすることを日頃から仕込まれているのだと考えられる。なので別に不自然とまではこの場合、言わない。
  • あんさん…死語ではないと思うけど、20年前には既にほとんど聞かなくなっていた言い方。東京の人が「お前さん」というような言葉を「わざわざ」使うのと同じくらいの頻度でしか、たぶん使われていないと思う。
  • でけとりましてんやろな。…「できる」「でける」はどちらも使うし、意味にも違いはない。地域によって言い方が違うのかもしれないが、今では、混ざっている。
  • へえて…「へて」の真ん中を長く伸ばすと「それから」みたいなニュアンスが生じる。「へてから」とも言う。
  • こいさん…大阪関係の歌にすごくよく出てくる女性の呼び名だが、別に人名ではない。大阪の「ええし(カネ持ち階級)」の家では「おじょうさん」のことを「いとはん」と呼ぶのだが、それが三人姉妹だった場合、長女が「いとはん」、次女が「なかいとはん」、三女が「こいとはん」という形になり、その愛称として「なかんちゃん」「こいさん」という言い方が成立する。ただしあくまで「ええし」の世界の話であり、この中で私がリアルで聞いたことがあるのは「なかんちゃん」という言葉だけである。「月の法善寺横丁」では相手の女性が「こいさん」という言葉で呼ばれている時点で、その恋が「身分違いの恋」であることが初めから示されている形になる。ちなみに英語原詞の「she」という言葉にそういう要素は全くないので、ここの訳し方は悪ノリと言えばまあ、悪ノリである。
  • たっかいたっかい…「高い」を「たっかい」と言うと強調表現になるというのは、関西以外でも同じなのだろうか。「すごく」を「すっごく」と言うのは、関西以外でも言うもんな。でもそれを二回続けて「たっかいたっかい」と言うと、もはや文字にしても関西弁にしか見えなくなる気がする。
  • 愛、ちゅいますのん?今までにも書いてきたけど、「愛」という言葉は関西方言はおろか日本語そのものの中に、もともと初めから存在していない。その「日本語として不自然な言葉」を「自然な形」で使おうとすれば、どうしても何らかの工夫をこらすことが必要になる。なお、「ちゅいますのん?」は「と言うのでしょうか」みたいな意味。
  • あんじょう…「ちゃんと」「うまく」に相当する副詞。漢字は多分「案定」。
  • 来とおくれやっしゃ…「来てくださいね」に相当。京都弁の影響を受けた大阪弁という印象の言葉で、大阪人はすごくていねいなつもりでこういう言い方をするのだけれど、京都の人はたぶん「来とくれやす」とだけ言うのだと思う。
  • ひざぁついて…「ひざぁつく」「手ぇ洗う」「夢ぇ見る」等々と関西人はいちいち名詞の語尾を伸ばすのだけど、この伸ばした語尾で「を」という助詞を表現している感覚があると思う。
  • 拝ましてもらいまっせ…「pray」の訳語なわけだけど、関西で「祈る」という言葉を使うのはクリスチャンの人に限られているのではないだろうか。という気がする。(ちなみに天理教では「おつとめする」と言う)。しかし考えてみると「拝む」というのは外面的な行為だが、「祈る」というのは内面的な行為である。「その時」にその人が何を考えているのかはその人にしか分からない。じゃあ、「祈る」という行為は一体どういう風に「定義」すればいいのだろうか。私が思う「祈り」とあなたが思う「祈り」が同じ何かであるという保証はどこに見つけたらいいのだろうか。て言っか私は生まれてこのかた誰かに何かを「祈った」ことなんて、考えてみれば一度もなかったような気がするのである。「祈る」って何なのだろうか。

それを見るぼくのたましいの形はどうせ祈りに似ていただろう
-枡野浩一『Go city, go city, city!』

…ちょっと思い出しただけです。失礼。先に進みます。

  • せんど毎日…「せんど」は「何度も何度も」という意味。「千度」が語源かもしれないと思うが、アクセントが独特である。(「トンボ返り」のトンボと同じ)。
  • 好きやさかい/好きですよってん…理由を表す「から」にあたる言葉は、大阪では「さかい」、奈良では「よって」を使うことが多いように思うけど、地域によっては他の言い方もあるのだろうか。(和歌山の人が「好きやさか」で止めるのは、聞いたことがある)。「よって」で切るのと「よってに→よってん」と余韻を残すのとでは、やはりニュアンスに違いが出てくる。

…いつもよりずっと疲れてしまった感じがするのはどういうわけなのだ。



曲そのものについても付言しておくと、この曲はビートルズのオリジナルではなく、1962年にアメリカのR&B歌手のピアノ・レッドという人が、「ドクター・フィールグッド&ジ・インターンズ」名義で発表した楽曲なのだとのこと。私は初めて聞いたのだけど、ジョンの声で聞くよりいっそう「関西的」な印象を受けた。けっこう、土の匂いのする曲だったのだな。


Mr. Moonlight


最後にお知らせなのですが、半年以上も前に取り組んではみたものの、自信のないところだらけでよく分からないまま放置していたビリー・ブラッグの楽曲について。このたび詳しく教えて下さる方と出会うことができまして、そのおかげでより正確と言える対訳を完成させることができました。前に読んだという方も、ぜひさかのぼって読んで行って頂ければ幸いです。本当は今回はその告知の方がメインで、記事の方は比較的簡単に終わらせるつもりでいたのですが、結局今まで同様、長ったらしい記事になってしまいました。面目ないことです。ではまたいずれ。
nagi1995.hatenablog.com


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=楽曲データ=
Released December 4, 1964 (mono and stereo)
Recorded October 18, 1964,
EMI Studios, London
Songwriter(s) Roy Lee Johnson
John Lennon: vocals, acoustic rhythm guitar
Paul McCartney: harmony vocals, bass, Hammond organ
George Harrison: harmony vocals, lead guitar, African drum
Ringo Starr: percussion
Key: F♯

Mr. Moonlight

Mr. Moonlight

  • ビートルズ
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