華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Burn On もしくは ブルースやな。(1972. Randy Newman)



最近の報道で、アメリカ大リーグの「インディアンス」が、先住民の首長の顔を差別的に描いた球団のロゴマークを廃止することに決めたという記事を読んだ。先住民団体からの40年以上にわたる抗議運動を長年黙殺し続けてきた球団側が、ようやく態度を改めたとのことであり、無条件に、いいことだと思う。しかし「インディアンス」というそもそも差別的な球団名については、同様に何十年にもわたって先住民団体からの抗議を受け続けているにも関わらず、「変える予定はない」のだという。無条件に、ふざけた話だと思う。

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私が小学生だった、確か1990年のこと。長年「電子レンジとビデオのない家」として世間の流れに逆らっていた私の実家に、ついにビデオが導入された時。初めて録画した映画が、この「インディアンス」というチームをそのまま主人公にした「メジャーリーグ」という映画だったことを、今でもよく覚えている。私たちきょうだいは、それはもう数えきれないぐらいこの映画を繰り返し見て、夢中になった。そしてあらゆるシーンを、真似して遊んだ。その頃の思い出と相まって、私が何十歳になったとしても、大好きだったシーンのひとつひとつを、忘れることはないと思う。

けれども今になって思い出してみれば、ずいぶん差別的な演出も多い映画だったと思う。黒人の選手がコミカルな役ばかりを担当させられていた一方で、シリアスな主人公は白人というキャスティング自体が、まず差別的だ。女性のオーナーに対し、男が団結して立ち向かう、という構図にしても、そういうのがウケるという世の中の現実そのものに、私はすごくイヤなものを感じる。ブードゥー教を信仰しているキューバ人という設定の黒人選手が出てきたが、完全にブードゥーというものを笑い物にする描き方だった。「メジャーリーグ2」には日本人選手の役で石橋貴明が出てくるわけだが、彼氏に与えられたキャラクター性もステレオタイプな「サムライ」のイメージそのもので、見ていて気持ちのいいものではなかった。ちなみに「1」でも球場清掃員のおじさんが日本人であるという設定になっていたのだが、わざわざ英語の字幕までつけられていたにも関わらず、その人が喋っていたのは「変な日本語」だった。

あの映画を作った人は、ひょっとして日本のことが好きだったのかもしれない。でも人間が人間を差別する時には、「好きだと言いながら差別している場合」だってあるのである。「場合もある」などと書くと何か非常に例外的で特殊な出来事みたいな字面になってしまうのだが、実際にはそんなことは空気のようにそこらじゅうに転がっている話なのであって、例えば男性が女性を好きになる場合などでは、そうでないケースを見つける方がよっぽど難しかったりするわけなのだ。ということを、私は自分自身の反省を込めて、ここに書いておかねばならないと思った。

子どもの頃の思い出というのは、誰にとっても懐かしいものだと思うし、美しいものだと思う。中には、イヤな思い出ばかりだった子ども時代の中で、この映画を見ている時だけが幸せな時間だった、というような特別な思い入れを重ねて、この映画のことを愛し続けているような人もいると思う。歌や映画というものはそんな風に、作った人間たちの思惑をも越えて、それを受け止めた一人一人の人間の心の中で「聖なるもの」に変わってゆくような性質を、おのずから備えている。

でも、そうであればこそ、そこには「反省」というものが必要なのではないかと思う。「戦争の思い出」を美化する人間がいる限りこの世から戦争がなくなりえないのと同様に、「差別の上に成り立っていた思い出」を美化しようとする人間がいる限り、世界から差別はなくならないはずだ。

今回「メジャーリーグ」に関する記事を書かずにいられない気持ちになったのは、あの映画の記憶が私の歴史の中でもとりわけ「聖なる領域」を占めていたことに、ニュースに触れて改めて気づかされたからだった。だからこそ私の「罪」は、重いのだ。私がそれをただ「美しい思い出」だと感じていた間じゅう、先住民の人たちは「インディアンス」という球団名と差別的なロゴマークに尊厳を踏みにじられる思いをし続けてきたのだし、それに対する抗議の声をあげ続けてきた。その声を押しつぶして飽くまで先住民の人たちを自分の楽しみのために「消費」の対象とし続けようとする立場に、私自身もまた、立っていたことになる。

私たちは決して「無垢な子ども」なんかではなかったし、そうやって「人を差別すること」を覚えてきたのである。かつての自分たちがこの映画を大好きだったという歴史を「なかったこと」にすることはできないにしても、最低限、「昔はあのシーンで笑ってたけど、今にして思えばおれたち、差別してたんだよな」ということを反省できるようになって初めて、人はオトナになれるというものなのではないだろうか。「自分にだけ都合のいい思い出」の中にいつまでも暮らしていたい人間たちの手によって、世界は確実に悪い方へ悪い方へと向かわされつつある。その流れを押し返すためには、押し返そうとする側が、まず自分たち自身を変えてゆく努力が絶対に必要なはずなのだ。

私がこのブログのテーマを「自分の青春に決着をつけること」に置いているのは、そのためである。というわけで今回も、「意味もわからずに感動していたあの歌」に、決着をつけて行きたいと思う。


Burn On

「メジャーリーグ」の主題歌といえば誰もが思い浮かべるのが「ワイルド·シング」という曲なのだけど、実際の映画はどちらかと言えば地味な、そして不思議な感じのするこの曲から始まる。小学生だった私には、映画に出てくる歌の曲名や歌手名を調べたりしようとする問題意識はもとよりなかったが、何とも言えない浮遊感のようなものをたたえたこのオープニング曲を初めて聞いた時、「世の中にはこんな歌もあるんだ」という気持ちになったことを、すごくよく覚えている。

そのオープニングのシーンを何度も巻き戻ししながら1人で眺めていた横を、洗濯物を抱えた母親が「お、ブルースやな」と言って通りすぎた。「そうかこれがブルースか」「こういう音楽のことをブルースと言うのか」ということが、私の脳裏に深く刻み込まれた。今にして思えば、それが私と「ブルース」という音楽との、最初の意識的な出会いだったことになる。その意味でも「メジャーリーグ」という映画は、私にとって特別な位置を持った映画なのである。

もっとも今になって聞いてみると、この歌はあんまり「ブルース」になっていないようにも思う。歌詞の作り方などは確かにブルースの形式を踏んでいる感じもするのだが、ピアノの伴奏や曲の雰囲気からするならば、この歌は「ラグタイム」と呼ばれるジャンルの曲なのだと思う。とはいえ「ブルース」と「ラグタイム」の間にそんなに厳密な区別があるものなのかどうか、細かいことは私は知らない。

それと、初めて聞いた時の印象として、この歌を歌っているのは実直そうな雰囲気をたたえた黒人のおじさんに違いないと私は長年思い続けてきたのだけど、20年以上たって調べてみて分かったのは、この歌はランディ·ニューマンという極めて性格の悪い白人ミュージシャンの曲だったということだった。「性格の悪い」などという言葉を使うことを私は好きではないのだけれど、このミュージシャンは本当に「性格が悪い」としか言いようのないミュージシャンで、私は人間として全然、好きになれない。「この人」とすら書く気になれない。そのくせ、やけに心に引っかかるような曲を書いて無視できないようなところがあるから始末に困るのだけど、このミュージシャンのことをこのブログでどういう風に扱ったものなのか、正直私は答えを出せずにいる。とまれ、私が初めて出会った「ブルース」が彼の作った曲であり彼の歌っている曲であった以上、今回に関しては取りあげるしかないわけなのだが、このミュージシャンとの「因縁」にどう決着をつければいいのかということは、私にとって「宿命」のようについて回る問題なのだという気がする。このことについてはまた、回を改めて書くことがあるかもしれない。

何にせよ、小学生だった私を「不思議な気持ち」にいざなってくれたこの歌の歌詞がどんな歌詞だったかと言うと、こんな歌詞で、歌詞自体もやっぱりと言うか何と言うか、不思議な歌詞だった。

Burn On

英語原詞はこちら


There's a red moon rising
On the Cuyahoga River
Rolling into Cleveland to the lake

赤い月が昇ってゆく。
クリーブランドへと流れ
エリー湖に注いでゆく
カヤホガ川の上に。


There's a red moon rising
On the Cuyahoga River
Rolling into Cleveland to the lake

赤い月が昇ってゆく。
クリーブランドへと流れ
エリー湖にそそぎこむ
カヤホガ川の上に。


There's an oil barge winding
Down the Cuyahoga River
Rolling into Cleveland to the lake

石油を積んだ小舟が
くねくねと進んでゆく。
クリーブランドへと流れ
エリー湖にそそぎこむ
カヤホガ川の上を。


There's an oil barge winding
Down the Cuyahoga River
Rolling into Cleveland to the lake

石油を積んだ小舟が
くねくねと進んでゆく。
クリーブランドへと流れ
エリー湖にそそぎこむ
カヤホガ川の上を。


Cleveland, city of light, city of magic
Cleveland, city of light, you're calling me
Cleveland, even now I can remember
'Cause the Cuyahoga River
Goes smokin' through my dreams

クリーブランド。
光の街。魔法の街。
クリーブランド。光の街。
おまえが呼んでいる。
クリーブランド
今でも思い出すことができる。
カヤホガ川が夢の中で
煙をあげているから。


Burn on, big river, burn on
Burn on, big river, burn on
Now the Lord can make you tumble
And the Lord can make you turn
And the Lord can make you overflow
But the Lord can't make you burn

燃えろ。
でっかい川。
燃えろ。
おまえの流れを作り出すのは
神さまだし
おまえがどう曲がりくねって進むかを
決めるのも神さまだ。
神さまはおまえに
洪水を起こさせることだってできる。
でもさすがにおまえを燃やすことは
神さまにだってできやしない。


Burn on, big river, burn on
Burn on, big river, burn on

燃えろ。でっかい川。燃えろ。
燃えろ。でっかい川。燃えろ。





川に向かって「Burn(燃えろ)」「Burn on (燃え続けろ)」と呼びかけるこの歌詞の意味を、初めて読んだ時にはさっぱり分からなかったのだが、調べてみると「メジャーリーグ」の舞台であるオハイオ州クリーブランドという街は、長年にわたって「川火事」を名物としてきた街だったのだということが明らかになった。

「川火事」と日本語で表現することはできても、そんな日本語はもともと存在しない。どういうものかというと、クリーブランドは五大湖の水運を利用して発展してきた工業都市であったため、その中心を流れるカヤホガ川という川は19世紀の時点からめちゃめちゃに汚れていた。それこそ、川の表面に浮いた油の下を水が流れているという状態で、その油に火がついて川全体が燃え上がるというとんでもない事故と言うか災害が、記録に残っているだけで13回も起こっているのだという。最後の「川火事」は1969年に起こったもので、これが全米の注目を集める社会問題となったことをきっかけに、環境改善運動が取り組まれ、それ以降「川火事」は起こっていない。しかしランディ·ニューマンのこの曲はその最後の「川火事」からわずか3年後に書かれたものであり、クリーブランドと言えば「川が燃える街」だという印象は、全米の人びとにとっていまだ生々しかったわけである。

なかなかに、面白い歌だと思う。作った人間の性格の悪さは別として。

"Cleveland, city of light, city of magic"という歌詞に私は昔からそれこそ魔法のような憧れを感じ続けてきたものだったけど、クリーブランドの人に言わせればその部分に一番ランディ·ニューマンの「性格の悪さ」が表れているのだそうで、実際のクリーブランドはひたすらにドブ臭く埃っぽく、「光の街」だとか「魔法の街」だとか思っているような住民は1人もいないということが、海外サイトには書かれていた。大阪ナンバがかつて「虹の街」を自称していたことと、まあ、似たような感覚だと言えるのかもしれない。本気であの街を「虹の街」だと思っていた人間が実在したかという風に考えてみたなら、それは確かに「1人もいない」と言いきれるレベルの話ではある。

映画「メジャーリーグ」にはこの曲を含め、3つの印象的な歌が登場した。いずれも私の歴史の中で、特別な位置を持った曲である。この際、3つとも翻訳しておくことにしたいと思う。ではまたいずれ。



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=楽曲データ=
Released: May 1972
Studio: Los Angeles
Randy Newman - arranger, composer, piano, vocals
Key: B♭

Burn On

Burn On

  • ランディ・ニューマン
  • ポップ
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  • provided courtesy of iTunes