華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Cathain もしくはいつになったら (1996. Liam O'Maonlai)


Cathain

Cathain

ゲール語原詞はこちら


かーにやー ことー わいりーほーがー
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
もーかな たがまだ ひぇーらーりしゅ
Ó cár a dtagamar le chéile arís?
かーにやーことーわいりーほが
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
ふぁなめい ふぉー あが ふぁなめか じーれーし
Fanadh mé ar an lá agus fanadh mé go dílís
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
いつになったら私たちは
また一緒になれるのでしょうか
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
その日のために私は待っています。
誠実に待ち続けていたいと思います。


んごうぇいれん とぅあなすたー ばうろん
Braithim go bhfuil tú in easnamh orm
はむうぇいつ とぅうぉだす ぶらんとぅーわー
Ó braithim uait mé braithim tú i bhfad
んごうぇいれん とぅあなすなー ばうろんまか
Braithim go bhfuil tú in easnamh orm
しゃばかだ ばしゅめだ びょうらーりーしゅ
'S neadar cathain a bhlaisfidh mé do bheoladh arís
あなたがいないことを感じます。
あなたがいるのは
遠いところなのだと感じます。
私たちが離れ離れに
なっていることを感じます。
いつになったらもう一度あなたの唇を
味わうことができるのだろうと思います


かーにやー ことー わいりーほーがー
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
もーかな たがまだ ひぇーらーりしゅ
Ó cár a dtagamar le chéile arís?
かーにやーことーわいりーほが
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
ふぁなめい ふぉー あが ふぁなめか じーれーし
Fanadh mé ar an lá agus fanadh mé go dílís
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
いつになったら私たちは
また一緒になれるのでしょうか
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
その日のために私は待っています。
誠実に待ち続けていたいと思います。


たーつふぇい けのー ふぃひゃなたらけなふぉん
Tá'n spéir fós ós mo chion, an talamh céanna fúm
たば しぇてぃーな ひばまら びんちーとりー
Na sléibhte i mo thimpeal mar a bhí siad a riamh
たんてぃー ぜーりーめーまらびぇな
Tá'n taoide ag lionadh 's ag trá mar a bhíonn
ふてぃ やはやは たわまら ほたでま へいる
Ach ní ach ar leath shiúl 'tá mé gan tusa le mo thaobh
空は変わらずに高きを覆い
足元には同じ大地が広がっています
周りの山々の姿も
ずっとそのままです
潮はいつも通りに
満ちては引いています
そしてあなたが私の側を離れてから
私はそのすべてを
半分しか見ていないような気がします


かーにやー ことー わいりーほーがー
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
もーかな たがまだ ひぇーらーりしゅ
Ó cár a dtagamar le chéile arís?
かーにやーことーわいりーほが
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
ふぁなめい ふぉー あが ふぁなめか じーれーし
Fanadh mé ar an lá agus fanadh mé go dílís
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
いつになったら私たちは
また一緒になれるのでしょうか
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
その日のために私は待っています。
誠実に待ち続けていたいと思います。


こしゅのはー えまぶんおーじーやがす
Feiceann mé do shúile i mo bhrionglóidí
どめたびょご あーが めーもーりー
Cloiseann mé do gháire agus mé í mo luí
ふぇあ はばらもーつゆ ふゅにゅくまひー
Feiceann mé an bóthar ó mo fhuinneog ins an tigh
やぼー るど ほと うぃすか みしゅらば へい
An bóthar úd a thóg tú gan mise le do thaobh
夢の中に
あなたの瞳が見えます
眠っている私のところに
あなたの笑い声が響いてきます
私の家の窓から
道が見えます
あなたが私を残して
旅立って行った道です


かーにやー ことー わいりーほーがー
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
もーかな たがまだ ひぇーらーりしゅ
Ó cár a dtagamar le chéile arís?
かーにやーことーわいりーほが
Cathain a thiocfadh tú abhaile thugaim?
ふぁなめい ふぉー あが ふぁなめか じーれーし
Fanadh mé ar an lá agus fanadh mé go dílís
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
いつになったら私たちは
また一緒になれるのでしょうか
いつになったらあなたは
私のために戻って来てくれるのでしょうか
その日のために私は待っています。
誠実に待ち続けていたいと思います。

魂の大地

魂の大地

  • アーティスト: オムニバス,ライアン・オマノイアル,シンニード・オコナー,シャロン・シャノン,ドナル・ラニー,ボーノ,ポール・ブラディ,マリー・ブレンナン,ケイト・ブッシュ,エビス・コステロ,ネイル
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 1996/06/19
  • メディア: CD
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=翻訳をめぐって=

「Cathain」はアイルランドのゲール語で「いつになったら」という意味。英語の「When」に相当する単語である。「キャサイン」と読みたくなるが、発音は「カヘン」で、少なくともネット上の英愛辞典にはそう書かれている。

だがこの歌において「Cathain」という言葉は、「カヘン」とさえ聞こえない。再生速度を変えられるアプリみたいなやつを使って何度繰り返し注意深く聞いてみても、聞き取れるのは一番最初の「カー」という音だけである。

ドーナル·ラニーの監修で、アイルランドにゆかりを持つ13組のアーティストが持ち寄った作品を集め、1996年に発売されたコンピレーションアルバム「Common Ground (邦題: 魂の大地)」。その最後から2番目に収められたこの曲を初めて聞いた時以来、私は何度となくこのゲール語歌詞の「聞き取り」に挑戦しては、挫折してきた。今回私が歌詞の上につけた「ふりがな」は、20世紀の時点ではとても一般人に手の届くようなものではなかった数々の最新技術と膨大な情報量とを駆使して完成させた「最終改訂版」と言うべきものであり、「これ以上何度聞いても違う音には聞こえない」と自分自身で思えるレベルにまでは、達していると思う。だが一見して分かるように、私が苦労してつけたこの「ふりがな」と下のゲール語歌詞との間には、ほとんど「対応関係」が見い出せない。

そもそも「魂の大地」の歌詞カードには、アーティストの意向なのか、この曲の歌詞は掲載されていなかった。ネットでようやく上に転載した歌詞を見つけることができた時には、初めて聞いた時から10年以上の時間が流れていたが、あまりに音と文字とが違っているもので、私も当初は同じ曲の別バージョンの歌詞なのではないかと疑ったほどである。

だが、いろいろ調べてみる中で最近になってようやく分かってきたのだが、ゲール語というのは様々な言語の中でもとりわけ「アルファベット通りに発音しないこと」で有名な言葉らしいのだ。綴りと読み方の間には一定の決まりが存在しているらしく、それさえ覚えてしまえば割とスラスラ読めるらしいのだが、初心者の私にはとても覚えられないし、覚えられる日が来るとも思えない。

例えば語中に出てくる「th」という文字列は「Cathain」がそうであるように必ず「h」の音で発音されるのだそうで、「母親」を意味する「máthair」という単語は「もーへる」と読む。(Aの音を素直に「ア」と読めないのももどかしいところで、正確には「アの口をしてオと言う」音になる。朝鮮語の「어」の音に相当するが、日本語にはそれを表現できる文字がない。井上陽水という人は自分の歌の中のオ段の音をほとんどこの「어」の音で発音しているのだが、たぶん本人には「オ」と言っている自覚しかないはずだと思う)

だがこんなのはまだ序の口で、「mh」という文字は周りにどんな母音があるかによって「w」の音になったり「v」の音になったりする。「samhradh (夏)」は「さうらー」だし「geimhreadh (冬)」は「ぎーゔら」である。さらに「dh」という文字列は語末に来た時は上の二例のごとく「読まない」のだが、語中に来た場合には「アイ」と発音する。「Tadhg」というのは男性の名前だが、読み方はこれで「たいーぐ」になるのだそうである。もはや文字を見ただけでは全くその音が想像できない世界に突入している。

これに加えてゲール語には「語頭変化」という恐るべき法則が存在する。「母親」を意味する単語は「máthair (もーへる)」であると上に書いたが、これに「私の」を意味する「mo」という言葉がくっつくと、綴りも発音も変わって「mo mháthair (ま ゔぁーへる=私の母親)」という形になる。語末なら、いくら変化してくれてもいいのだ。しかし語頭に変化されると、辞書も引けなくなる。「máthair」なら載っているけれど、「mháthair」などという単語はいくら調べても出てこないのである。つまりゲール語というのは、あらかじめこうした発音や綴りに関する変化の法則を全て覚えてからでないと、辞書の引き方も分からないという、本当に初学者泣かせの言語だということになる。そして私のゲール語の学習レベルは、この曲と出会ってから20年以上が過ぎた現在に至っても、いまだに自力で辞書が引けるところにすら、到達していない。

それでも私はこの「Cathain」という歌を初めて聞いた時から、そこに歌われているのはどういう言葉なのかということを、本当にずっと知りたくてたまらずにいたのである。


歌っているのは前回とりあげたホットハウス·フラワーズのリアム·オメンリィ。伴奏は上の写真の中で彼氏が手にしている、「バウロン」と呼ばれるアイルランドの片面太鼓がほとんど全て。それに何人かの仲間がコーラスをつけているというだけの、原始的と言いたくなるぐらいにシンプルな構成の歌だ。

この歌の「前奏」にあたる部分でのリアムの声の出し方は、「ホーミー」と呼ばれるモンゴルの歌唱法と同じである。体の奥から出てくる声を頭蓋骨の内側に反響させて、1人の人間が高さの違った2つの音を同時に出すことを可能にする、魔法のような「歌い方」だ。初めて聞いた時には、アイルランドにも同じ歌い方が伝承されていたのだということにとても驚いた。実は私も、ちょっとだけ真似することができる。でもちょっとしか真似できないものだから、リアムのホーミーがいかに「上手い」かということがものすごくよく分かる。2つの音を同時に出すことまでは、たぶん練習次第でどんな人にも可能なのである。でもそれを「コントロールすること」はものすごく難しい。

リアムのホーミーは、完全にコントロールが効いている。地声がホーミーに切り替わるタイミング。それが高く鳴り響いたところで段々抑えた響きに変わり、最後には「人間の声」らしい表情を失って、アイヌの人たちが演奏しているムックリという楽器のようなビャーンビャーンという「音」へと変化する。これが全部、一人の人間の中から出てきた「声」なのである。そして最後の呼吸が尽きたところでバウロンがけたたましく鳴り始め、「歌」が始まる。

初めてリアムの歌を聞いた時、私はなぜか昔の豆腐屋の店先にどこででも見かけることのできた、グリーンティーの自販機を連想した。もっとマシなものを連想できなかったのかと少しだけ申し訳なく思うが、それが第一印象だったのだから仕方ない。何せあんな風に後から後から、枯れることのない泉のように言葉があふれてくる人だ、という印象を持ったのである。英語の歌を聞いた時にもそう感じたが、ゲール語で歌われるこの歌を聞いた時の衝撃は一層強烈だった。何を歌っているのかはさっぱり分からなかったものの、少年だった私をスピーカーの前に釘付けにさせていたのは、間違いなくそうしたリアムの「言葉の力」だったと思う。それよりもっと幼かった頃にグリーンティーの自販機の前に釘付けになっていた時と同じように、私は「言葉の奔流のエネルギー」を全身で感じていたのだと思う。だがそれが「言葉」である以上、そこには同時に必ず「意味」が存在しているのだ。それが分からないということにあの時ほどもどかしい気持ちにさせられた経験は、なかったように思う。

この歌の「成り立ち」に関することを、私は今でもほとんど知らない。ゲール語で歌われているものの、アイルランドに古くから伝わっているトラッドなのか、それともリアムの自作曲なのか、それすらも分からない。だが 「Irish trad Cathain」みたいな文字列で検索してみてもほとんど何も出てこないので、恐らくはリアムが自分で作った歌なのではないかと、今では想像している。

もっとも、「Cathain Liam O'Maonlai」という文字列で検索してみても、歌詞に関する情報はひとつも出てこない。検索して出てくる歌詞は、同じアイルランドの「Gráda (グローダ)」というバンドが2004年にカバーしたバージョンの歌詞だけである。恐らく歌を作った(と思われる)リアムは、「魂の大地」の歌詞カードに原詞を載せなかったことに示されているごとく、それを「文字にすること」を拒否する姿勢を、今でもとっているのだと思う。それで、ゲール語圏の別グループであるグローダが「聞こえた通りに」文字起こしした歌詞だけが、「公式歌詞」として流通している状況になっているのだと思う。最初に見た時に、リアムが歌っている歌詞とは違った内容になっているのではないかという印象を私が持ったことには、そうした理由もあった。

とはいえ、YouTubeにはそのグローダが演奏している動画も上がっていたので聞いてみたところ、やはりこれはリアムが歌っているのと同じ歌詞であるという確証を得ることができた。だから上に転載したゲール語の文字列は、間違いなくこの歌の「正しい歌詞」であると思う。

付記: この記事を書き終えたところで改めて調べてみると、この歌の作曲者にはRónán Ó Snodaigh (ローラン·オスノーダイ)という人の名前がクレジットされていることが分かった。70年生まれで、80年代後期にはアイルランドのストリートミュージックシーンの中心となるkilaというバンドを結成し、現在も活動中の人なのだという。。年齢的には、リアムの方が6歳年上である。やはり、新しい歌だったのだな。


Gráda Cathain

上述のように私のゲール語は、いまだ辞書を引けるレベルにすら達していないため、今回の日本語訳は、リンク先に併記されていた英語の訳詞から二重に翻訳するという形をとらざるを得なかった。しかし最低、「かーにやー ことー わいりーほーがー」というひらがなに置き換えたゲール語歌詞のどの部分が「いつになったら」という意味でどの部分が「戻るのか」という意味なのかということぐらいは知りたいし、知った上で歌いたいと思った。けれども残念ながら、今の私の力で分かるのは、最初の「Cathain」が「いつになったら」という意味で、最後の「dílís」が「誠実に」を意味する言葉なのだということ。ほぼそれが全てである。

というわけでまたいずれ。

じーりーし。



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=楽曲データ=
June 11, 1996
Arranged By – Donal Lunny, Liam Ó Maonlaí
Bodhrán – Donal Lunny, Liam Ó Maonlai*
Bodhrán [Bass Bodhrán] – Donal Lunny
Bouzouki – Donal Lunny
Bouzouki [Electric Bouzouki] – Donal Lunny
Didgeridoo – Liam Ó Maonlai*
Mixed By – Brian Masterson, Donal Lunny
Recorded By – Tim Martin
Recorded By [Assistant] – Conan Doyl*, Richard Rainey
Vocals – Liam Ó Maonlai*
Written-By – O Snodaigh*
Key:A♭

Cathain

Cathain

  • Liam O'Maonlai
  • シンガーソングライター
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes