華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

Siúil A Rún もしくはシューラ·ルーン 〜君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天の火もがも (17〜18c. Irish Traditional)


Siúil A Rún

Siúil A Rún

(Len Graham version)


あぃうん だい うぉず おん よんでぅら ひぅ
I would I was on yonder hill
いせるまいせぅふ あぃう くらいまいふぃう
'Tis there myself I would cry my fill
あ えぅりぃ てぃあ うぅ たん なぁ みぅ
And every tear would turn a mill
いすこ じぇーえとぅ わ ゔぉーにん すらん
Is go dté tú mo mhúirnín slán
あの丘の上に行きたい
あそこで思い切り泣くんだ
涙で水車を回せるくらい
さては
いでたつあがせよ まさきくあれかし


しょおー しょうわーしょーらぁうん
Siúil, siúil, siúil a rún
しょおーご さくらーが しょおーご きうん
Siúil go socair agus siúil go ciúin
しょおーご だらさーぐ せぃりーりぉん
Siúil go doras agus éalaigh liom
いすこ ぎぇーえとぅ わ ゔぉーにん すらん
Is go dté tú mo mhúirnín slán
ゆけや ゆきませ ゆけ あがせ
やをら しづけく ゆけよかし
あも とをいでて ゆかまほし
いでたつあがせよ まさきくあれかし


あぃせぅまいくらんく あんだせぅまいりーる
I'll sell my crank, and I'll sell my reel
あぃりーゔぁんせぅまい すぺんねん うぃーる
I'll leave and sell my spinning wheel
とばいまいろゔ あぁ すぉーどゔ すてぃーる
To buy my love a sword of steel
いすこ ぎぇーえとぅ わ ゔぉーにん すらん
Is go dté tú mo mhúirnín slán
糸巻きの道具は売ってしまおう
紡ぎぐるまも手放そう
あの人に鋼の剣を買ってあげるんだ
さては
いでたつあがせよ まさきくあれかし


あぃうんまいらゔ うぅ たん ふろむ ふらんす
I would my love would turn from france
ひすぱいんあん ふぉーちゅん とぅあんゔぁんす
he's spain and fortune to advance
みたーぁげん てぃる びーばいちゃんす
meet again till be by chance
いすこ ぎぇーえとぅ わ ゔぉーにん すらん
Is go dté tú mo mhúirnín slán
フランスに行ったあの人は
今はスペインで運だめししてる
もう偶然でしか会えないのだろう
されば
たびゆくあがせよ まさきくあれかし


あぃだいまい ぺでぃこーさぃだいぜむれっ
I'll dye my petticoats, I'll dye them red
あらうんざうぉーだいぅべぐふぉーぐれん
And round the world I'll beg for glen
あてぃうまいぺれしゃーう うぃっしゅ みー でっ
Until my parents shall wish me dead
いすこ ぎぇーえとぅ わ ゔぉーにん すらん
Is go dté tú mo mhúirnín slán
下ばきを赤く染めて
ものごいをして回ろう
親からも死ねばいいのにって思われるまで
さては
たびゆくあがせよ まさきくあれかし

=翻訳をめぐって=

英語とゲール語が入り交じった歌詞で歌われる、この美しい歌については、下記のリンクの先輩方による、素晴らしい研究や考察が存在している。私がここに「自分の訳詞」を掲載するのは、この歌が私自身の個人的な思い出と深く関わっているからであり、歌の内容について詳しく知りたい方には、こうした他サイトを参照されることをお薦めしたい。(実はゲール語のコーラス部分の解釈について、下記サイトの皆さんが書かれている内容は微妙に食い違っているのだが、「これが正解だ」と決めつけるようなことは、私にはできない。何百年にも渡って口から口へと歌い継がれてきた曲であり、「最初はどういう意味だったのか」ということを知っている人は、現在のアイルランドにも一人もいないからである)

クラールシャハの小部屋 Siúil a Rún
工場日記 Siúil a Rún
一緒に歌える洋楽ブログ 虹と共に消えた恋

深い森のケルト

深い森のケルト

  • アーティスト: オムニバス,マット・モロイ,レイ・グラハム,ジャミー・マクメネミー,ボタンズ・アンド・ボウズ,アルタン,ロビー・オコンネル,シーマス・コノリー,ジャラルド・トリンプル,ジョン・アンド・フィル・カニンガム,ジェリー・オサリバン
  • 出版社/メーカー: フォア・レコード
  • 発売日: 1995/11/25
  • メディア: CD
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アマゾンで商品紹介がされているということは、今でも手に入るということなのだろうけど、私がこの歌を初めて聞いたのは、90年代なかばに大阪で一番大きなツタヤで見つけたこの「深い森のケルト」という胡散臭い名前のオムニバスCDに収録されていたバージョンを通じてだった。(「オムニバス」という言い方自体、古いのかもしれない。「コンピレーションアルバム」という言い方を目にするようになってから、もうずいぶんな時間が経つ。もっとも世の中の流れが今のままで進めば、「アルバム」という言葉さえ「死語」になるのではないかという気が私はしている)

「胡散臭い名前のCDだ」とは当時から感じていたものの、あの時代にアイルランドの音楽について詳しく知りたいという飢えたような気持ちを抱えていた日本の田舎の少年にとって、「入り口」となるようなものはそうしたオムニバスのCD以外には何も存在していなかった。そしてそのCDに収められていた、名前以外には何も分からない見知らぬ人たちの演奏する音楽は、どれもこれもそれまでの私が一度も出会ったことのない、素晴らしい驚きに満ちていた。ネットを通じて世界中の音楽が労せずして聞けるようになった現在、私が今でも追いかけ続けているのは、このCDを通じて知った人たちの名前がほとんどである。

その中でとりわけ私を惹きつけたのが、「レン·グラハム&スカイラーク」という人たちの演奏するこの「Siúil a Rún」という曲だった。だが「ワールドミュージック」という言葉でぞんざいに扱われているジャンルの音楽の常として、そのCDには歌詞カードはもとより、それがどういう曲なのかという情報を与えてくれる紙切れの1枚さえ、何も挟まれていなかった。それでも私はその歌のことを知りたいと思ったし、自分でその歌を歌えるようになりたくてたまらなかった。

上の歌詞に赤茶色の文字で書き加えた「ふりがな」は、当時の私がCDから聞こえる通りの言葉を「文字起こし」したものである。意味などもとより分からなかったし、歌詞のどの部分が英語でどの部分がそれと違う言葉なのかも、その時の私には分からなかった。それでもその頃の私は、意味もわからないままにこのひらがなの歌詞で、この歌をライブハウスで弾き語りするということまでやった。恥ずかしいことをしたとは思っていない。歌というものが声を通じて耳から耳へと伝わることで、いろいろな人たちの間に広がってゆく、その基本のあり方に忠実に行動しただけだと思っている。そして当時は意味が分からなかっただけに、上にひらがなで記したこの歌の歌詞の響きは、私にとっていっそうかけがえのないものに感じられた。

この歌がレン·グラハムという人のオリジナルではなく、世界中で最も広くカバーされているアイルランドの伝承曲のひとつだったということを私が知ったのは、結局これもネットの時代になって以降のことである。英語版のWikipediaにはこの歌に関する長大な解説が載せられており、それによるならばこの歌の中に流れている「心」は、アイルランドが生んだ史上最大の文豪であるジョイスの代表作、「ユリシーズ」を貫くテーマのひとつにさえなっているのだという。日本語圏でも、上に紹介させて頂いた各サイトのように、この歌に関して書かれた記事や動画は数多く見つかるし、2008年には元ちとせさんがチーフタンズとのコラボレーションでカバーバージョンを発表している。私がひらがなの歌詞でこの歌を弾き語りしていた頃には、日本でこんな歌のことを知っている人間は他に誰もいないというぐらいの気持ちで歌っていたものだった。それは言い訳のしようもなく「恥ずかしいこと」である。

メジャーなグループがこの歌のことをさまざまな形で取りあげるようになったのは、1970年代のクラナドによるカバーが最初らしい。エンヤのお姉さんのモイヤ·ブレナンがボーカルをとっていることで有名なバントだが、エンヤがエンヤとして有名になる20年も前から、このバンドは既に有名だったのだ。そしてエンヤが有名になってからも既に20年以上の時間が、世界には流れてしまっているのだ。何か自分の一生まで、はかないものに思えてきてしまう。


Clannad Siúil A Rún 1978

Youtubeの再生回数で見る限り、一番人気があるのはケルティック·ウーマンによるカバーであるらしい。この人たちのステージというのはゴージャスすぎて、見ているだけでお腹がいっぱいになってしまう感じがあるのだが、確かに、圧倒的である。


Celtic Woman Siúil A Rún

だが、こうした様々な「Siúil A Rún」に対し、私は「何か、違う」という感覚を持ち続けてきた。「シューラ·ルーン」という曲名の日本語表記に対してさえ、今でも何となく違和感がある。それは取りも直さず、私が初めて聞いた「Siúil A Rún」がレン·グラハムという人の歌う「男性の歌」だったからであり、かつそのコーラスが当時の私にとっては、「しょーらぁうん」としか聞こえないものだったということに、よっているのだと思う。

とりわけひらがな表記の歌詞で「しょおーご さくらーが しょおーご きうん」と書いたコーラスの2行目の部分。再生回数の多い動画でこの歌を歌っている人たちは、みんな「さくら」の部分でいきなり声の高さを上げるのである。レン·グラハムという人が初めて歌って聞かせてくれたように、この「さくら」を階段を上がってゆくようなメロディで訥々と歌ってくれている人は、他に1人も見つけることができない。

もしも最近になり、レン·グラハム氏のバージョンも今ではYouTubeで誰もが聞ける状態になっているということを知ることがなければ、私がこのブログでこの歌を取りあげることは、なかったと思う。願わくは、一番上に貼りつけた動画にはいつまでも消えてほしくないと思うし、またこれから初めて「Siúil A Rún」を聞く人には、ぜひこのバージョンから聞いてみて頂きたいものだと思う。「私の歴史がそうなっている」ということ以外に、そんな聞き方を押しつけることを正当化できる理由は、どこにもないわけなのだけれど。

文字になった歌詞を読めば明らかなように、この歌は当初私が思っていたような「無骨な男性の歌」ではなく、ハッキリと女性を主人公にした歌である。またレン·グラハムという人が歌っている歌詞は、他サイトで紹介されているスタンダードなものとは微妙に内容が異なっており、特に3番の歌詞は、文法的に見てもずいぶん不自然な言葉遣いになっている。(おそらく、韻を踏ませるためだと思う)。ゲール語部分を擬古調の日本語に移しかえた自分の訳詞を読み返してみて、これが10代のあの頃に出会った「しょーらぁうん」の歌詞であるという感じは、自分でもあまりしない。でも、それならそれでいいのである。何度も書いてきたごとく私自身にとっては、「自分の青春に決着をつける」ためにだけ意味を持っているのが、このブログで行なっている翻訳作業であるからだ。

17〜18世紀のアイルランドで生まれたとされているこの歌は、移民としてアメリカに渡った人たちによって歌い継がれる中で「ジョニーは戦場に行った (Johnny Has Gone for a Soldier)」という別のタイトルを持った曲に生まれ変わり、それをピーター·ポール&マリーというグループがカバーしたバージョンには、「虹と共に消えた恋」という邦題がつけられている。私の母親世代の人たちが少女だった頃の日本では、この歌がアメリカ以上に広く取りあげられて有名になっていたという話なのだが、それはまた別の物語。今回の記事は「Siúil A Rún」という歌にまつわる私自身の思い出にとどめ、この歌がたどった歴史のその後については、回を改めて書くことにしたいと思います。ではまたいずれ。



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=楽曲データ=
"Siúil A Rún" is a traditional Irish song, sung from the point of view of a woman lamenting a lover who has embarked on a military career, and indicating her willingness to support him. The song has English language verses and an Irish language chorus, a style known as macaronic.
Key:E♭

Siuil A Run

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