華氏65度の冬

うたを翻訳するということ

No More Auction Block もしくは風に吹かれて (19世紀. African-American Spiritual)


No More Auction Block

No More Auction Block

英語原詞はこちら


No more auction block for me
No more, no more
No more auction block for me
Many thousand gone

競売の台に立たされるのはもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
競売の台に立たされるのはもういやだ。
何千人もの仲間たちがいってしまった。


No more peck of corn for me
No more, no more
No more peck of corn for me
Many thousand gone

トウモロコシで働かされるのは
もういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
トウモロコシで働かされるのは
もういやだ。
何千人もの仲間たちがいってしまった。


No more driver’s lash for me
No more, no more
No more drivers’ lash for me
Many thousand gone

馬車用のムチで叩かれるのはもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
馬車用のムチで叩かれるのはもういやだ。
何千人もの仲間たちがいってしまった。


No more pint of salt for me
No more, no more
No more pint of salt for me
Many thousand gone

塩1杯で働かされるのはもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
塩1杯で働かされるのはもういやだ。
何千人もの仲間たちが行ってしまった。


No more hundred lash for me
No more, no more
No more hundred lash for me
Many thousand gone

百叩きはもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
百叩きはもういやだ。
何千人もの仲間たちが行ってしまった。


No more mistress call for me
No more, no more
No more mistress call for me
Many thousand gone

女主人に呼びつけられるのはもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
女主人に呼びつけられるのはもういやだ。
何千人もの仲間たちが行ってしまった。


No more children stole from me
No more, no more
No more children stole from me
Many thousand gone

子どもたちを盗まれるのはもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
子どもたちを盗まれるのはもういやだ。
何千人もの仲間たちが行ってしまった。


No more slavery chains for me
No more, no more
No more slavery chains for me
Many thousand gone

奴隷の鎖はもういやだ。
たくさんだ。たくさんだ。
奴隷の鎖はもういやだ。
何千人もの仲間たちが行ってしまった。

=翻訳をめぐって=

風に吹かれて」の原曲にあたる歌。ディランの「ブートレッグ·シリーズ」の最初のCDには、若い頃の彼がこの歌を「風に吹かれて」よりも遥かに真面目に、そして厳粛に歌っている演奏が収録されている。しかし、そのCDが一番よく売れているからということなのかもしれないが、ネットで検索した時にこの歌が「ディランの曲」として紹介されているのは、とてもおかしなことだと私は思う。

この歌はもともと黒人霊歌であり、1861〜65年の南北戦争の時期、北軍に参加して戦った黒人兵士たちが行進曲がわりに歌っていたのが、広く知られるようになったきっかけであるらしい。歌詞の中に宗教的な要素はないから、これを「霊歌(スピリチュアル)」と呼ぶのは厳密には間違いなのかもしれないが、アメリカの資料ではそのように「分類」されている。もっとも、歌を歌い継いできた人たちの側に立つなら、「分類」なんてそもそも初めから何の意味も持たないことではある。

記録に残っている限り、アフリカの人たちが初めて「奴隷」としてアメリカに連れてこられたのは、大坂夏の陣の4年後にあたる1619年のことで、南北戦争が終わったのが「明治維新」の2年前にあたっているわけだから、アメリカの黒人の人たちが「奴隷」として生きなければならなかった時代の歴史は、日本の江戸時代の歴史とほぼ丸ごと重なっていることになる。俗に「徳川300年」というのは幾分誇張の入った数字ではあるわけだが、その言葉に当時の日本人が込めていた実感と同じように、それは「永遠と思えるほど長い時間」だったに違いない。

「黒人霊歌 (スピリチュアル·ソング)」はその長い時間の中で生まれ、「奴隷」にされた人々の間で歌い継がれてきたさまざまな歌の総称であり、奴隷解放運動が高まった19世紀に入って、初めて活字の中にも登場するようになる。(当初は、いろんな呼び名があった。「スレイブ·ソング」「プランテーション·ソング」…)。だが、採録されているものだけで数百曲にのぼる「スピリチュアル」の中で、この歌のように奴隷制への怒りをストレートに歌った歌は、驚くほど少ないらしい。

それというのは当たり前の話で、「奴隷」としての生活を強いられている人がその生活の現場でこんな歌を歌ったら、奴隷主からどんな目に遭わされるか分かったものではないからである。ハッキリ言って、殺されただろう。

だからこの歌は、この歌詞をともなって生まれたその瞬間から、「たたかいの歌」でしかありえなかった。自分から武器を握って奴隷制とたたかうことを決意した黒人兵士たちがいたことで初めて「言葉にされることができた」のが、この歌の歌詞だったのだ。

だからこの歌は、厳密に「歌い手を選ぶ歌」だと思う。決して「風に吹かれて」のように「誰もが気軽に歌える歌」ではない。

でもだからこそ、本物の歌だと思う。

歌詞中の「auction block」とは、奴隷市において「商品」にされた黒人の人たちが立たされた、台のこと。そこに立たされた人たちは男女を問わず生殖能力を「確認」するために、「性器の状態」まで調べられる屈辱を味あわされたという。また「子どもを盗まれるのはもういやだ」という歌詞があるのは、「奴隷」の間に生まれた子どもは奴隷主の「財産」として、同じように競売にかけられる制度が存在したからである。

「peck of corn」「pint of salt」というのは、おそらく「奴隷」が命をつなぐために奴隷主から与えられていた「代価」のことを言っているのだと思う。(奴隷制度において「賃金」は存在しない)。「peck」は約9リットル、「pint」は約500ccにあたる軽量単位だが、「ひと山いくら」の「ひと山」が「peck of〜」という言葉で訳されていたりするので、歌詞の中の言葉はそれほど厳密な数字というわけではなく、「一定の分量」ぐらいの比喩的な表現だと思う。

「drivers’ lash」は直訳すると「御者のムチ」であり、馬用のムチで叩かれていたということかと思ってそのように訳したが、正確なところは分からない。「ドライバーズ·ラッシュ」という符牒で呼ばれる、特別なリンチのやり方が存在したのかもしれない。

「Many thousand gone」はやや「ぎこちない英語」になっており、直訳すると「たくさん、千人、行ってしまった」という感じになる。でも、意味は充分わかる。だから意訳した。

動画の中で歌っているのは、「The Voice of the Civil Rights Movement (公民権運動の声)」と呼ばれ、2008年に亡くなったフォーク歌手のオデッタという人。ディランはこの人が歌うのを聞いてこの曲を知ったらしいということが、「ブートレッグ·シリーズ」の分厚いライナーノーツには、書いてあった。

ではまたいずれ。

No More Auction Block

No More Auction Block

ブートレッグ・シリーズ1~3集

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